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月鏡  作者: 標準的な♂
黒い聖母
16/28

病魔跋扈

「――!」

「助けてください! 誰か!」

 奇怪な雄叫びと、助けを呼ぶ声が、図書室にこだまする。学びの園の日常風景と呼ぶには、いささか剣呑な雰囲気である。マリア様のお庭では、必死の形相での鬼ごっこが繰り広げられていた。


 フィクションにおいてしばしば印象的な舞台となるものに、明治・大正時代から続く伝統あるミッション系のお嬢様学校がある。当然ながら、筆者のような庶民は、そのようなお嬢様学校とは縁がない。よって、これらお嬢様学校の内情を描写する場合、実体験が欠けるわけで、なけなしの資料と想像力のみに基づかなければならない。実体験をともなわないという点においては、ある意味、剣と魔法のファンタジーを描くことに通じるものがあるかも知れない。


 しかしながら、某小説の表現を借りるならば、温室育ちの純粋培養お嬢さまが箱入りで出荷される仕組みを持つ学びの園、というイメージが強いはずである。少なくとも、淑女たるに相応しからぬ、はしたない行為は戒められていることは、まず間違いない。ましてや、この話の舞台となる大正時代は、現代よりもずっと貞操観念が強く、女性は慎ましやかなものであるべきと説かれていた時代のはずである。


 ここ、明治時代から現在に至るまでの歴史を持つ天正女学校(現天正女学園)も、純粋培養お嬢様を箱入りで出荷する、ミッション系お嬢様学校のうちのひとつであった。そうであることは間違いないのだが、今日は少し様子が違った。居るはずのないものが居るのである。

「サンタ・マリアー!(お嬢様の鳴き声)」

 居るはずのないものとは、猛獣じみた眼光と身のこなしを持つ、動物そのものの鳴き声をあげる女学生のことである。しかも、彼女は日本人らしい黒髪ではなく、金髪で、くよく見てみると、顔立ちも白色人種の特徴を盛大に備えていた。これらの特徴から受ける印象は、おしとやかというには程遠い。この生き物を見て貴方が想起する言葉は、大和撫子ではなく、ヤンキーであろう。

「ハレルヤ!(お嬢様の鳴き声)」

 純粋培養お嬢様を箱入りで出荷しようとしたところ、悲しい事故が発生したのだ。それが、このようなお嬢様の発生を許してしまったのだろう。きっと化学肥料や農薬の用法・用量を間違えたに違いない。

「……っ!」

 万力のような力で押さえつけられる。その苦痛、理解不能の状況と死の恐怖から、襲われている少女――一条桜は、失禁していた。

「アーメン!(お嬢様の鳴き声)」

 咆哮と共に犬歯を突き立てる。

「助け……オーノー! ヘルプミー!」

 なんということだろう!

 噛みつかれた女学生は、徐々に変質してゆく。肌は白くなり、瞳は青、髪はブロンドへと変化し、背丈も伸びた。悲鳴も英語になった。

 しかし、騒がしい悲鳴が聞こえなくなり、それに伴って、襲撃者の雄叫びも止んだ。

 犠牲者はすっくと立ち上がる。

「ハロー、ナイストゥーミートゥー、マイネームイズサクラ・イチジョー、HAHAHA……」

 そうして完全に変異が終わった頃には、あわれな犠牲者――一条桜は、すっかり白色人種そのものになっていた。

「オー、マイフレンド! ハロー、アイムカエデ・サンジョー、HAHAHA……」

 ここで襲撃者も挨拶を交わす。名前は三条楓というらしい。


 恐るべし! これも欧米列強の文化侵略なのか? そうに違いない。なんというサノバビッチであろうか! ガッデム!


 しかし、こんな騒ぎがあれば、人が駆けつけてくるのは自明の理である。

「……あら?」

 騒ぎを聞いて図書室へ入ってきたのは、葵だった。葵は当時、天正女学院に通っていたのだ。

 土御門機関の所属人員は、桔梗のような表を歩けない連中を除いて、平時は何らかの隠れ蓑の身分を用いている。それらは別の部隊の軍人であったり、警察官であったり、あるいは民間の企業、実家が農家であれば実家暮らしをしている者もいる。若年の者学生に扮していることさえある。

 葵は見た目は少女であるが、何年経とうと老いることがない。そのため、隠れ蓑の身分を維持するために、およそ五年ほどで人間関係を概ね一新できる、女学生という身分を好んで用いる。


「サンタ・マリアー!(お嬢様の鳴き声)」

「ハレルヤ!(お嬢様の鳴き声)」

 二人の女学生は、葵を見るなり、仲間にしようと襲いかかってきた。葵はそれらを柔術で音もなく倒した後、二人を縄で縛って拘束した。

「これはひどい」

 葵は目の前で起こった異様な出来事を見て、溜め息を漏らした。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 土御門機関は秘密の特務機関である。そこに所属する戦士達は、最低でも二つの顔を持つ。桔梗のように表を歩くことさえままならない者は除いて、何らかの隠れ蓑身分を持っている。それらは別の部隊の軍人であるかもしれないし、民間の企業、農家等であるかもしれない。

 梨花は葵と同様に、女学生という身分を用いている。卒業の度に人間関係を更新するという意図も同じだ。

 今回の特異なところは、さつきや千方のような妖怪(それも、少し注意深く見れば人間との違いがわかる)の類や、本来ならば表を歩かせられない桔梗のような変態をも、人員として導入しているという点である。悲劇的なことに、彼女らも天正女学校に通っているのだ。


 梨花は、うずくまっている同級生を介抱していた。

「ナウなヤングの間で、変な病気が流行っているの。三条さんも気をつけてね」

「……ナウなヤングってどういう意味ですか?」

 女学生は、興味津々な様子で梨花に尋ねた。

 ナウなヤングという表現は、恐らく読者諸君の間では死語の代名詞となっているに違いない。しかしながら、本作の時代よりもさらに後の時代に流行した言葉であり、明らかに時代を先取りしていた。

 このように、梨花は常に時代を先取りする、最先端ババアである。今回の作戦においても、時代の先駆者を自負する梨花は、若者の文化や思想を取り入れるというべく、多感な少女達とのふれあいを企画したという側面もある。まさにババアの発想と言えよう。

「ギギギ……」

 三条楓は、突然、苦痛のあまりのたうち回った。同時に、自然の理に反する変化が彼女を襲った。

 髪の色が黒からブロンドへと変化し、背丈が少し伸び、顔立ちが白色人種のそれになったのである。

 変わり果てた姿であるが、特徴的な髪飾りのため、知り合いは彼女を三条楓だと認識できる。その事実が、より悲劇的であった。

「ハロー、ミス・ツチミカド、アイムカエデ・サンジョー、HAHAHA……サンタ・マリアー!(お嬢様の鳴き声)」

 三条楓は、挨拶を終えると、梨花に襲いかかった。

「ひ……っ」

 梨花は思わず逃げ出した。彼女はかつて英国へ行ったことがあるが、そのときの悪夢を想起したために、発作的な恐怖にかられたのだ。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 このように、天正女学校では、奇怪な事件が多発していた。さつき、葵、梨花、千方、桔梗の五人は、屋上で今回の事件の経過について話し合っていた。

「やはり、この学校では伴天連症候群が流行っています」

 葵はそう断言した。彼女は薬学に通じているので、病気にも詳しい。


 伴天連症候群というのは、主に欧米や中東アジアで多く見られる、特定の書物等を通じて感染する伝染病の一種である。

 主な症状は妄想と、それに伴う凶暴化、過度の自己正当化といったもので、看過できない精神疾患を誘発する、極めて危険な病気である。かつてアステカやマヤ等といった偉大な文明を破壊しつくし、アボリジニやネイティブアメリカンをほとんど滅ぼしかけた病気であることから、その恐ろしさが伺い知れよう。医学が発達した現代においても、有効な予防法及び治療法は見つかっていない。

 なお、欧米で多く見られるものと、中東アジアで主流のものは別の病気だと唱える学者もいるが、症状は大して変わらないため、今のところは同じ病気としてWHO(世界保健機関)に登録されている。

 この恐るべき疫病を流行らせている犯人の調査と抹殺が、今回の葵達の任務である。

 なお、梨花は相変わらず指揮権と地位を返してもらっていないので、葵の部下である。


「たしかに、少し前に行ったロンドンのイーストエンドは、あんな連中ばかりだったわ」

 イーストエンドとは、大英帝国はロンドンの下町であり、劣悪な治安で知られる。名物は切り裂きジャックである。


 賢明な読者諸君には、敢えて言うまでもないこととは思うが、この物語はフィクションである。実在した19世紀の大英帝国は、いくら治安の悪いゴミ溜めみたいなイーストエンドといえど、このような有様ではないことを明記しておく。


「サンタ・マリアー!(伴天連の鳴き声)」

「ハレルヤ!(伴天連の鳴き声)」

 もはや会話能力すら失われた、伴天連症候群の末期患者の二名――三条楓と一条桜は、縄で縛られながらも、陸に打ち上げられた海老のように跳ねて暴れている。

 否、これら奇怪な雄叫びをあげているのは、何も桜と楓だけではない。校庭からも、似たような鳴き声が聞こえる。伴天連症候群は急速に広まっているのだ。

「すごい感染力ですね。それに重症です」

「サンタ・マリアー!(伴天連の鳴き声)」

「ハレルヤ!(伴天連の鳴き声)」

 確かに重症であるが、流石に桔梗に言われたくはないだろう。お前が言うなと言わんばかりの視線が一点にしゅうちゅつ

「でも変ですね。今までは、噛みついて人に伝染するような病気ではなかったのですが」

 伴天連症候群は、書物でしか感染しないと信じられていた病気である。


「これは、いわゆる生物兵器というやつね」

 梨花はそこで、この伴天連症候群が病原菌を扱う生物兵器であるという仮説を立てた。

 生物兵器の発想は意外に古い。病毒に侵された死体を、敵の陣地に投石機で投げ込むことで、敵陣に疫病をもたらすというものが、古代における典型的な生物兵器の発想である。また、天然痘患者が用いた毛布を敵に送ることで、敵地で天然痘を流行させるなどの方法も有名である。

 もちろん、疾病媒介物のDNAに手を加えて、兵器としての威力を高めるという発想は、現代になってからのものであり、未だSFの領域でさえある。


「なるほど、何らかの方法で、噛みつくことで感染するようにも改良した…確かに、何らかの改良なが施されているのは間違いありませんね。症状もより重篤ですし」

 葵は、島原の乱の苦い経験を思い出しつつも、流石に島原の乱もここまで酷くはないと思っている。

「呪術的な力を感じるわね」

 梨花はそう判断した。マジカルババアもとい魔法少女の判断としては間違ってはいない。

「アメリカン忍者の仕業に違いない」

 藤原千方はそのように指摘する。伊賀忍軍が保有する暗黒歴史書によれば、既に江戸時代中期にはアメリカ産の忍者が暗躍していた形跡があるとされる。

「アメリカン忍者か。見つけたら八つ裂きにしてやる」

 さつきはいつも通りである。

「サンタ・マリアー!(伴天連の鳴き声)」

「ハレルヤ!(伴天連の鳴き声)」

「おのれ伴天連め、南゛無゛三゛!」

 南無三は、「しまった!」という意味で使われる。桔梗は伴天連に噛みつかれていた。縄で縛られていた二名の患者は、根性と執念で桔梗に噛みつくことに成功したのだ。

 桔梗は噛みついてきたふたりを殴打して振り払い、見事な前蹴りで沈黙させた。


「大丈夫、桔梗さん」

 梨花は、ただでさえ大丈夫ではない桔梗が、余計に駄目になってしまうことを危惧して、心配そうに声をかけた。

「大丈夫、大丈夫……ノープロブレムデース、ミセス・ツチミカド」

 残念ながら、しっかり感染していた。

「しっかりしろ! 梨花に旦那さんなんか居る訳無いだろう! お前は病気なんだ!」

「……」

 さつきはここぞとばかりに、桔梗を滅多打ちにした。一撃一撃に、ものすごい怨念が籠っている。

 また、梨花はものすごい目でさつきを見ていた。


「あら、さつき。ここは誰、わたしはいつ?」

 幸い、桔梗は初期症状のうちに治療されたため、大事には至らなかったが、先ほどの荒療治のために、頭から血を流している。

「良かった。いつもの桔梗に戻った!」

 しかし、さつきにとっては気の毒なことに、いつもの桔梗も変であることには変わりはない。さつきは桔梗の無事を確認すると、もう一度殴打して沈黙させた。


「しかし、困りましたね。伴天連症候群には有効な治療法がありません」

 これは前述の通りである。二十一世紀の今なお、伴天連症候群の有効な治療法を発見した場合、確実にノーベル平和賞にノミネートされると言われている。

「わたしに任せて!」

 梨花は手を挙げて立ち上がった。

「この病気は呪術的な作用が強いわ。だったら、呪いのプロフェッショナルのわたしなら、必ず解決できる」

「そこまで仰られるのでしたら、梨花さんにお任せしましょう」

 果たして梨花は、この恐るべき病魔を調伏できるのだろうか?



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