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月鏡  作者: 標準的な♂
桔梗
13/28

城峯山に桔梗は咲かぬ

 さつきと桔梗は追いかけっこの末、帝都から遠く離れた埼玉県秩父市、城峯山まで来た。

 そのスタミナは称賛されるべきものだ。もちろん多くの人のメニュー触れたことは言うまでもない。つまり帝都と埼玉を結ぶ街道で、奇怪な表情のまま女性軍人を追いかけ回す尼僧の姿を、多くの人々が目撃したということである。

 もっと言うなら、旧日本軍には、公には女性の士官は存在しないことになっている。土御門機関のような秘密の特務機関は例外かもしれないが、それらは一般人がその存在を知らないことが前提であり、やはり人の目に触れることは好ましくない。さつきに課せられる罰則は増えるばかりである。


 しかし、さつきもただ闇雲に逃げていたわけではない。

「とうとう此処まで来てしまったな、桔梗。城峯山――ここが貴様の墓場だ!」

「城峯山――まさか!」


 その人物にとって不吉な土地、死地というものがある。三国志演義において、鳳雛の異名を持つ稀代の軍師が、鳳凰の落ちる地、すなわち落鳳坡なる場所で、非業の死を遂げるエピソードが有名であろう。


 ここ城峯山は、平将門が愛妾(正妻とする説もある)の裏切りに遭った際、怒りに任せて彼女を斬り、それ以来、桔梗が咲かなくなったと言われている。つまり、目の前の変態にとっては死地であり、さつきはそこに誘い込んだというわけだ。

「そうだ、城峯山に桔梗咲かぬ。桔梗よ絶えろ!」

 さつきは腰に提げた刀を抜き放った。見る者を魅了する妖しい輝きは、まるでさつきの分身であるかのようだ。

「仕方がありません。ニルヴァーナの境地に至った高僧の法力でもって応じなければなりませんね」


 桔梗に本気で死んでほしいさつきは、妖しく光る刀を上段に構えた。

「キエエエエエッ!」

 さつきは頭突きを放った。ただの頭突きではない。神通力により鬼をも即死させうる、必殺の頭突きである。

「煩悩即菩提!」

 しかし、名状し難い表情と両手のピースサインを披露すると、オーラがさつきの攻撃を阻んだ。誰だってこんなのに近寄りたくないので、それも必定である。

 なお、煩悩即菩提とは、簡単に言えば、悟りと煩悩は表裏一体かつ紙一重であるこという意味である。


「これでは近寄れぬ――がしゃどくろ!」

 がしゃどくろ。人を襲うという巨大な骸骨のお化けとして知られる。この新しい妖怪のイメージを決定付けたのは、滝夜叉姫が骸骨をけしかける場面を描いた「相馬の古内裏」という、歌川国芳の浮世絵であろう。

「桔梗をその手で叩き潰すのだ!」

「……!」

 がしゃどくろはためらいを見せた。首を激しく横に振り、虚ろな眼窩から涙を流しながら、拒否の意を示した。がしゃどくろにとっても、桔梗は近寄りたくない生き物らしい。

 しかし、主人の命令には逆らえないため、腕を振り回して桔梗を襲った。


「見ざる、言わざる、聞かざる――」

 桔梗は何も見ておらず、何も聞いておらず、何も考えていなかった。そのような桔梗の表情からは、何の知性も感じられない。きわめて頭が悪そうな顔だ。とても高徳の尼僧とは思えない。

 そのような呆けた表情になった瞬間、なんと桔梗の身体が硝子のように透ける。がしゃどくろの腕は素通りし、何の影響も与えられなかった。

 がしゃどくろは、桔梗に触れなくて済んだことに安堵した。


「すり抜けた――だと!?」

「無の境地です。今の私は無そのもの――無を斬ることは、何人にも叶いません」

 小銃による射撃を無効化した技はこれだ! 何人にも触れ得ぬ「無」そのものと化すことで、あらゆる攻撃から影響を免れる。究極の防御の技だ。

「隙ありーッ!」

「あ痛っ!?」

 さつきのスーパー頭突きが桔梗の額に炸裂した。流石に何かを喋りながら無の境地に至ることはできないようだった。


「イヤーッ!」

 さつきは再び手裏剣を投げた。

「なんのこれしき!」

 桔梗は不敵な笑みを浮かべ、手をかざし、飛来する手裏剣を手で掴んで受け止めようとする。すると、手裏剣が桔梗の額に突き刺さった。

「イヤーッ!」

 さつきは刀を上段に構え、桔梗の胸部をめがけて頭突きを放った。

「なんのこれしき!」

 桔梗は肋骨を粉砕され、吐血した。一瞬遅れて、桔梗は頭上で柏手を打った。真剣白羽取りだ!

 しかし、桔梗の耐久力は想像を絶するものだ。それらの傷は瞬時に再生される。桔梗はぬらりひょんの一種だが、そのぬらりひょんは、退治された事例のない妖怪である。さつきもまた、まるで敵の急所をとらえられない手応えを感じていた。

「煩悩即菩提!」

 対する桔梗は、変なビームで応戦する。当たったらかわいそうな人になる光線だ。

 さつきは手鏡でそれを反射して、桔梗に命中させた。しかし、桔梗は元々ああなので、防ぐことはできても、逆に損害を与えることはできない。

 このような泥臭い争いが、おおよそ半刻ほど続いた。


「そろそろ決着をつけようじゃないか、桔梗」

「アヘェ……さつきも観念して、わたしの仲間になるときです」

 さつきは刀を上段に構えた。しかし上段の刀は囮だ。大地を踏みしめる足の力の入り方から、全身の体重を乗せた――さつきは頭しか無いが――渾身の頭突きを繰り出すことがわかる。

 対する桔梗は、やはり白目をむき、顔を紅潮させ、だらしなく口を開いている。ときどき口の形を変え、けだものじみた息遣いや、わいせつな言葉を漏らしている。何を考えているのかわからないが、同じ状態にされるとするのなら、ぞっとしない話である。

 二人は互いの必殺の技の構えのまま、互いの隙を伺っている。それがどれだけ続いただろうか?

 しかし、そのような膠着状態は、一人の乱入者によって解かれることになる。


「警視庁の藤田です」

 現れたのは、長身の警察官だった。

 以前、軍人から制服を取り去るとやくざ者になると記述したが、この人物を見る限り、間違いなく警察官も同様である。

 しかし、彼の面構え、顔の作り、眼光、どれをとっても猛獣もかくやという威圧感である。その眼は、一介のやくざの比ではないほどの闇を湛えていた。

「お巡りさん? お巡りさん何で?」

 桔梗は目の前の殺戮者のオーラを身に纏ったお巡りさんに圧倒されていた。恐怖と混乱が彼女を支配しており、容易に失禁していた。

「僧衣の変質者がいると通報がありましたが……」

「あっはい、お疲れ様です。見てのとおり、変質者はあいつです」

 さしものさつきも、目の前のお巡りさんは危険だと、本能で理解したため、思わず敬語になる。

「今日の朝刊に、僧衣を着た変質者についての記事が載っていました。軍の敷地の外でも粗相をしていたようですから、警察の方をお呼びしたのです」

 葵が開いた新聞には、名状し難い表情と両手のピースサインを披露している僧侶の写真が載っていた。犠牲者の写真を載せる新聞は奇異に思うかもしれないが、切り裂きジャックの犠牲者の死体の写真が未だに残っているので、顔芸しているくらいなら問題はないのかもしれない。

「藤田さん、後はお願いします」

 知り合いなのか、彼をここまで連れてきた葵だけはいつも通りだった。


「……」

 桔梗は葵の方へウインクをした。それに応じ、葵はにっこりと微笑んだ。もちろん無言である。

 

「最寄りの署まで来ていただこう。痴漢行為の現行犯で逮捕する」

 桔梗は葵の方へウインクをした。それに応じ、葵はにっこりと微笑んだ。もちろん無言である。


「アヘェ……」

 桔梗はそのままの表情と姿勢で、お巡りさんに連行されていった。


「いやあ、何事もなく済んで良かった」

 その背中を無事に見送ったさつきは、安堵の溜め息を漏らした。

「何を仰っているのですか?」

 葵はにっこりと微笑んだ。

「敵前逃亡、衛門の強行突破、官品の無断持ち出し、その他諸々の罪状で、軍法会議の召喚状が届いておりますよ。罰として――お二人がどういう関係か、小隊の皆さんにお話ししておきましたから」

「いやあああ!」

 さつきは絶望と恐怖のあまり絶叫した。

◆今日の怪人:No.02 桔梗

 南光坊天海として暗躍した、正体不明の妖怪である。

 天海は大変な長命であった。彼はあからさまに人間ではない。そしていつの間にか、何食わぬ顔で徳川軍に居たので、その正体はぬらりひょんの一種と思われる(ぬらりひょんは、家に勝手に上がって我が物顔で振る舞うとされる、正体不明の妖怪)。

 天海として活動した縁から仏門での修行を積み、煩悩即菩提(煩悩と悟りは表裏一体である)の境地に至った。「お化けは死なない」とあるように、死に怯える必要がないので、生死にまつわる煩悩と冷静に向き合うことができ、煩悩即菩提の境地に達して悟りを開くことができたのだ。妖怪としても強力である。

 彼女は煩悩のスペシャリストであり、さつきや梨花ですら怯み、主君である葵さえ間合いをとる。恐るべきマジカル妖怪尼僧なのだ!

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