書簡および補足、帝暦100年以前
<宛先なし、署名なし、帝暦なし、日付のみ11月4日>
頼りをありがとう、元気そうで安心しました。
父さんのことは残念だったけど、一人でナミューは辛いでしょう? 父さんが頑張って大きくしてきた店は無念とは思いますが、そろそろ潮時なのだと考えています。
専売証も、あれだけ苦労してというのは分かりますが、現実あなたが一人でやってゆける商売でもありません。
妻が「家が大きすぎてどこから掃除をしていいのか分からない」と言っています。
どうかこちらで手伝ってやってほしいのですが、どうしても無理なのでしょうか。
<宛先なし、署名なし、帝暦なし、日付のみ12月15日>
返事をありがとう、やはり冬は時間がかかりますね。
雪降ろしと薪のことは、この手紙を持って行く者にやらせてください。きっと喜んで働くはずです。「祖母」に会うのは初めてですからね。
名前は大きい方がエスラスト、小さいほうがナクハルトといいますが、家族はエストとナルと呼んでいます。どうかそう呼んでやってください。
そうそう、次の夏には庭の一部をつぶして畑を作ることにしました。
妻は石勘定に忙しいですが、あなたが使うなら手伝いたいと言っています。
彼女はザクリアの商家の娘です。同じ商売人の娘同士、きっと話があうと思います。
<宛先なし、署名なし、帝暦なし、日付のみ2月4日>
気に入らないことがあると返事を書かなくなるのは昔からですね。まだ騙されたと考えていますか?
何度も説明しましたが、私だって彼が王子であるなどと思っていませんでした。
王族が寮暮らしなど、どんな冗談だろうと今でも思います。
けれど彼はそうだった、それにつきる話でそれだけの話です。
彼が最初の主人と宮廷方言で話している時、ようやくその話が本当なのだと実感しましたがそれまで私だって半信半疑、知ってはいたが半分は遠い夢のような気持ちだったものです。
あなたが気づかなかったのはある意味で当然です。
あの頃共に寮にいた友人たちの殆どは、彼が王子であることを知りませんでした。
彼は市井の感覚を強く持って育ってきました。それは恐らく育ての親である故太后陛下の御深慮ですが、そうせざるを得なかったのです。
近衛騎士たちの大半は生活に大幅な余裕はありません。恐らく我が家の方が裕福だったのではないでしょうか。
彼らの生活の意外な質素さは子供たちの小遣いにも直接反映されるもので、そして彼はそんな子供たちの間で育ちました。
御深慮と書きましたが、彼には将来、それでしか生きていく道がなかった。
彼がどんなに力がなく利権から遠くても、王子であるというだけで有り難くちやほやしてくれる人々の懐具合をあてにしながら生きていくしかできなかったはずなのです。
商売を蔑まない貴族は珍しいですし、王族なら尚更です。
だからあなたが今でも信じられないと思うのも無理はありませんが、けれど事実です。
あなたも、そして父さんも、彼がとても好きでしたね。私だって、彼がいなくなってもう10年が経過しようとしているのに、彼を今でも思い出します。
今の状況がなかなか私の思うに任せない部分があることは分かっておりますが、だからといって連れ合いを亡くした老婦人を一人、雪の深い田舎においておくわけにもいきません。
自分がご苦労なさったことの復讐を妻に向かってする方ではないと知っています。
ご再考をお願いいたします。
<宛先なし、署名なし、帝暦なし、日付のみ3月1日>
返事が来てほっとし、そして驚きました。
私は彼から何も聞いていなかったし、けれど丁度結婚の頃というなら私と彼は完全に疎遠になっていて何も語り合う時間はありませんでしたから、そういうことももしかしたらあったかもしれませんね。
なぜ知らせて下さらなかったのでしょう。
それがあれば私と彼はあれほど長い冬を過ごさずにいられたかもしれないのに──
いいえ、真相を確かめたくても彼はもう石の中ですし、彼が持ってきたというペン先の一揃えが確かに荷物の中にあった気がするのですが、それをどうしてしまったのか、私には思い出すことができません。
恐らく雑多なことに紛れてなくしてしまったか、もしくはザクリアのアパートから失踪したときにおいてきてしまったのでしょう。
印象が少し薄くなっていたというのもそうかもしれません。
彼は当時から例の異母兄とひどくいがみあっており、それは彼には辛いことでしたから。
元々彼は生来優しく、気持ちが柔らかい人間です。
前の手紙にも書いたはずですが、経済背景が薄いことを自分で承知しており、支援者を探して生きていくために彼の育ての親が選択したのは
「誰にでも分け隔てなく穏やかに合わせて生きていくことができること」
「他人からの信頼を勝ち取った後は常に自分に興味を引きつけておくこと」
これらを植え付けることでした。
もちろん性格はありますし、彼は幸いそれには向いていた。
どんな性格であろうと通常のようにおくるみにされれば貴族たちの尊大さ、我々との感覚の乖離は避け得ないはずです。
けれど彼が貴族たちの上に君臨できる身分であることを誰も感じていませんでした。私だって彼から聞いて知ってはいたものの、実感ではなかったのです。
あなたも父さんも、彼は騙したつもりはなかったはずです。
むしろ他の人々に身分が知られることによって垣根が出来上がってしまうことを嫌がっていた。
だから今、あなたが私たちに騙されたと未だにあの辛苦を噛みしめているなら、私はあなたに謝罪したいし、彼もきっと今生きていたら同じことを言ってくれたはずです。
私はそう信じているし、自分の評判やら評価やらということを考えるだに、随分と彼に関しては純情なものだと自分に驚いてしまいますが、しかし彼のことを私は未だに忘れられないし、彼から手渡された責任を全うするのが私の余生であると思っています。
どうか私が彼の子を差し置き成り代わろうとしているなどという馬鹿馬鹿しい話に耳を貸さないで下さい。
私は人が言うほど謀略家でもないし、野心など持ちません。
元々私などどう足掻いても地方執政府の法書に埋もれ、毎日法文を書き散らして終わるはずであった人生なのです。
それが今や家紋を頂き貴色を柱に塗り、自分でもよく分からない構造の家に住んで、けれど毎日やはり法文を書いています。
何がどうなるかは分からないものなのですね。
それでも今私があるのは先の主人と、そして彼のおかげです。
こちらで一緒に住まないまでも、一度彼の素廟に会いにきてやってもらえませんか。
きっと彼は喜ぶはずです。
あなたが彼を覚えていてくれたことも、きっときっと、喜ぶはずです。




