姫君の結婚問題
内容とタイトルが合致していません。ネーミングセンスがほしいです。
「絶対に、許さない」
そう言ったのは、銀色の髪を長く伸ばした青年だった。
極上の美女ですら嫉妬する雪花石膏の肌に、氷を思わせる水色の虹彩と、同色のビンディ。つり目気味の目と薄い唇が、知的で怜悧な印象を与える美しい容貌の持ち主だ。
すらりとした長身の肉体には、青のトゥニカと白のトガ。銀糸で見事な刺繍が施されたそれは、一目で絹製の、高価な品であると分かる。身に着ける装飾品、指輪、腕輪、首飾り、耳飾り……髪と同じ銀と藍玉で飾られたそれもまた、極上の品であることは間違いない。
そんな身分が高いと一目でわかる、数多の女が振り向く美男子が、一人の娘を手首をぎりぎりと握り、雪に埋もれた薔薇園を望む皇宮の廊下、その冷たい白亜の壁に押しつけ、迫っているのである。
「な、何を言って……私は……」
迫られている娘は怯えた表情で身をよじり、青年から逃れようともがいた。そのことが気に入らなかったのだろう、青年は娘の手首が折れそうになるほど強く握り、白い歯をぎりと軋らせた。
怜悧な美貌は怒りと嫉妬、悲しみに歪み、薄い色をした虹彩の奥には、いかにも冷徹そうな雰囲気に似合わぬ灼熱の炎が燃え盛っている。
青年は娘を壁に強く押し付けると、おびえる娘の顔にその美貌を寄せた。
「い、痛ッ!」
「私以外の男に目を向けるなど、絶対に許さないッ……!」
「や、やぁッ!やめ……!」
そう言って、青年が娘の唇を奪おうとした瞬間である。誰もが口を出すことを憚るようなこの空間に、二人の者ではない声が響いた。
「無体な真似はおやめくださいませ、フィニクス殿下」
美声というほど特徴はないが、フルートの音色のように柔らかく、砂糖菓子のように甘い、耳に心地よい女の声である。
その声は青年の心の隙間をぬい、意識の中にするりと入ってきた。そして、嵐の海のように荒れ狂う感情の彼を、ゆるゆると静めていく。
それと前後して、しゃらしゃらという金属の擦れ合う音と、静かな足音が聞こえてきた。
煮えたぎる激情を無理やりに静められた青年―フィニクス・ディヤラエティ皇子は、自分の心の動きに目を見張りながら、声がした方を向いた。
そこには、こちらに向かってくる二人の女がいた。
一人は、白のストラに、赤地に金色のパラ、金糸で刺繍された白のスマグを被った女だ。浅黒い肌に、ミルク入りの紅茶色をした髪の、気が強そうな容貌の美女である。
だが、問題なのは、その美女に手を引かれた盲目の女のほうだ。濃い紫色のストラに、黒地に金縁のパラ、金糸で刺繍されたスマグを纏っている。空いている手には、十五の銀輪が涼やかな音色をたてる錫杖。祭司階級の最高位、大祭司である。
帝国に大祭司は幾人かいるが、こんな芸当ができるのは、一人しかいない。フィニクスはその秀麗な眉をぎゅっと顰めた。
「ベロエア公……」
ベロエア公、パルシャヴァーニ・ディヴィプリャレン・ネフェルシャンドラ・ナディーシェ・ネイ・サガシア大祭司。フィニクスが幼いころによく遊んでいた―実際にはいじめていたようなものだったが―娘であり、今は生きた女神として崇拝される黒髪の娘は、皇子に対し深く頭を下げた。
とりたてて特徴のない顔をした女である。醜女というわけではなく、むしろ端正な部類に入るのだが、他に女がいれば記憶の外に追いやられてしまう程度のものだ。
だが、これでも子供のころよりはましになったのだ。以前はやせっぽっちで背ばかり高く、髪は鳥の巣、顔は荒れてそばかすだらけ。きょろきょろした大きな目に、妙に厚ぼったい唇と、不細工と言って差し支えない姿をしていたのだから。
そんな平々凡々とした顔を持つ女は、フィニクスが押し付けている娘に対し、盲いた目で視線を送る。すると、娘ははっとして青年の腕を振り払った。フィニクスは逃げようとする娘を止めようと手を伸ばしたが、パルシャヴァーニの強い視線によって、その身をこわばらせてしまった。
その隙に青年の腕から逃げ出すと、娘は二人の女の背後に身を隠す。
「衆目のある場で行うことではございませんよ、殿下」
パルシャヴァーニは穏やかな声に非難の色を滲ませ、青年を責めた。今まで全く気が付かなかったが、中庭には庭の手入れをする奴隷たちがおり、興味津々といった様子でこちらを伺っている。おそらく、明日には皇宮中に、あるいは帝都中に、このことが広まるに違いない。
失態をさらした上に、かつて下に見ていた相手にたしなめられ、フィニクスはばつが悪そうに顔をそむけた。そして、すねたような声で言い放つ。
「……あなたには関係ないことだ」
「ございます」
大祭司は間髪入れずに返した。
「彼女は私の従姉妹。私はナディーシェ氏宗家の人間として、同族を庇護する義務がございます。殿下もご存じでございましょうに」
そこまで言い切ったパルシャヴァーニは、表情の読めない無個性な顔に嫌悪のそれ―彼女と付き合いがある者でなければわからないほど微かではあったが―を浮かべた。
「嫌がる娘の唇を奪おうとは……無頼の輩ならばともかく、帝国の皇子殿下ともあろうお方が、何をお考えなのですか?」
「……」
フィニクスはパルシャヴァーニを睨みつけた。気の弱い者ならばすくんでしまいそうなほど、強い視線である。しかし、大祭司は少しもひるまない。
「ご自分のお立場というものを少々お考えくださいませ」
パルシャヴァーニはしゃりり、と錫杖を鳴らしながら続ける。
「殿下は皇帝陛下のご一族。その行いの影響は、一貴族とは比べ物にならぬほど大きいのです。殿下御自身が評判をお下げになるのはご自由ですが、巻き込まれる者が哀れでございます」
「く……」
思慮の足りなさを責められたフィニクスは、小さく唸って唇をかんだ。
反論することすらできぬ正論中の正論。ここにフィニクスの教育係あたりがいれば、大きく頷くことだろう。
「……案山子女が言うようになったものだ。女神と称えられていい気になっているようだな」
「なんとでも。では、失礼させていただきます。殿下も、軽挙妄動はお控えくださいますよう……」
フィーニクスの嫌味をさらりと流すと、パルシャヴァーニは来た時と同じように深々と頭を下げ、去って行った。
後に残ったのは、苦虫をかみつぶしたような顔をした、フィニクスのみである。
◆ ◆ ◆
皇宮を出ると、待っていたのは雪の中にたたずむ巨大な輿である。基本的に、帝都は許可された者しか馬車を使うことはできない。無論、大祭司であるパルシャヴァーニは馬車を使用しても何ら問題はないのだが、雪深いこの時期は、馬車よりも輿の方が何かと都合がよかった。
三人の娘たちは、寝そべって乗る輿、臥輿に乗り込み、薄いとばりをおろした。臥輿の中と外を隔てるのはそのとばりだけだというのに、中は驚くほど温かかった。
「ありがとう、パルシャ、オルシーダ。助かったわ」
8人の巨人族に担がれた臥輿が動き出して間もなく、皇子に迫られていた娘はため息とともに礼を言った。娘はアボラ子爵ヒマパティ・ラディカシビュリ・ナディーシェ・ネイ・アヤガル。ナディーシェ氏族の名門貴族、カティナ公アウロレーニ・マーレリゲンの曾孫である。
大地の精霊、あるいは、森林耳長族を思わせる、美しい娘である。白い肌は雪という名にふさわしく、頬の柔らかな赤みは、新雪に落ちた薔薇の花びらのようだった。肥沃な土、あるいは樹皮を思わせる褐色の髪は美しく結われ、翡翠をふんだんに使った髪飾りで飾られている。くりっとした大きな目の中心には、雨に濡れた初夏の若葉色の虹彩。ふっくりした唇は、熟れた苺のように赤く、甘い。デヴシェ族女性にしてはやや小柄で、つつましやかな身体つきをしているが、それがまた庇護欲をそそるようであった。
「たまたま通りかかっただけだから別にいいけど……ヒマパティ、あんた、あのバカ皇子と何があったのよ」
さりげなく不敬な言葉を混ぜながらそう言ったのは、アッカ男爵の孫娘であり、ユリス村の領主、オルシーダ・プルヴァシビュリ・ナディーシェ・ネイ・アヴジ。パルシャヴァーニの乳母姉妹にして、最も信頼する側近、親友である。
ヒマパティに負けずとも劣らぬ美貌の彼女は、形の良い眉を顰め、真剣な面持ちで尋ねた。
「何かあったっていうか、何というか……」
ヒマパティは困り果てた様子で顛末を語った。
パルシャヴァーニ、ヒマパティ、そしてオルシーダ。この三人は幼馴染である。さらに言えばヒマパティの父がパルシャヴァーニの母の兄であったため、二人は従姉妹でもあった。
そんな三人が子供のころ、同年代の皇族の遊び相手として、他の貴族子女とともに皇宮に上がったことが何度かあった。その時出会ったのが、皇帝ニグルナーダの第三皇子、アクィラーン皇子の孫にあたることフィニクス皇子と、その異母兄アウレリオン皇子である。
今でこそふてぶてしくなったものだが、当時のパルシャヴァーニとヒマパティは、内気で人見知りの激しい性格であった。皇宮などと人の多い場所など論外で、あまりにも多い視線と気配に、二人は卒倒寸前。守役であるオルシーダがいることで、どうにか自分を保っているようなものであった。
オルシーダの背に隠れておろおろしていると、アウレリオン皇子とフィニクス皇子がやってきた。子供のころから驚くほどの美貌を持っていた二皇子は、顔を真っ赤にして隠れている二人の娘に、こうのたまった。
まず、ヒマパティに対し、フィニクスが言った。
「きみは、チビだね」
そして、パルシャヴァーニを見たアウレリオンが、
「こっちは、ブサイクだな」
と言って、その髪を引っ張り、
「見ろよ、フィニクス。こいつの髪、ぐしゃぐしゃだ」
と、子供特有の残酷な言葉を、無邪気に吐いたのである。
当然、二人は大泣き。二皇子の母皇女たちの怒声と、子供の泣き声が響き渡り、皇宮の一角は混沌と化した。
その事がきっかけで、二皇子から「遊んでいいおもちゃ」と認識された二人は、いじめられっ子の日々を送る。髪を引っ張られたり切られたり、人形を壊されたり、靴を隠されたり。無論、母親たちはこの四人を接触させないよう引き離していたのだが、この高貴なるクソガキどもは、二人が皇宮に来ていることをどこからかかぎつけ、全力でからかって遊ぶのだ。
結局、その事を重く見た二皇子の母親たちと、パルシャヴァーニの母、ウルターニの意向により、二人は皇宮に行かなくてもよくなった。ほっとしたのもつかの間、成人後の兵役で、二人は二皇子と再会してしまった。
とはいえ、流石にいじめるようなことはないだろう、と、楽観的に構えていたのだが……。
「おや、あの時の案山子娘とチビ助、君たちも一緒だったのか」
「おい、ブサイク……本当にブサイクだな。本当にローサヴァーニの姉なのか?お前だけ拾われた娘とかじゃないのか?」
実力行使がなくなった分、言葉での罵倒が増えた。
「おい、ブサイク。あれを持ってこい。あれがわからない?お前はブサイクの上、役立たずだな。生きている価値があるのか?」
「本当に、ローサヴァーニは何でもできるな。それに比べて姉の方は……はあ」
「おい、ブサイク、ローサのあれを……はあ?忙しいから自分でやれ?お前、我に逆らえるだけの立場なのか?気に入らんな」
「なにをやっているんだ?それは、こうだ、こう。……ハァ。君は何をやってもだめだな、チビ助」
「その耳飾りはなんだ?買ったのか?……叔父からの贈り物?ふん……かえせ?あと100年生きても似合わないようなものをつけて何か意味があるのか?」
「ッ君は!何を!しているんだ!命令?あの指揮官……役立たずがここにいて何になる!さっさと行くんだ!」
二人はやたらと二皇子、パルシャヴァーニはアウレリオンに、ヒマパティはフィニクスに絡まれ、皇子の取り巻き女にちくちくと嫌がらせをされ、新兵教育中ずっと暗い日々を送ったものである。それ以来、二人は顔を見るたびに絡まれるようになり、二皇子に対し、すっかり苦手意識を持ってしまった。
それから60年以上の時がたち、ヒマパティも結婚適齢期となり、夫を選ぶ時期が近づいてきた。帝国の婚姻形態は、夫が多くの妻のもとに通い、生まれた子は母方の氏姓を名乗る、「一夫多妻、通い婚」である。
男は意中の娘のもとに通い、部屋の扉越しに求婚を行う。娘が承諾すれば、部屋の中に入れてもらうことができ、一夜を過ごせば婚約が成立するのである。
そして、美しく成長した高貴な娘、ヒマパティは、婿入り先としては最高である。求婚してくる男は後を絶たず、扉の前から男が途絶えることはなかった。しかし、ヒマパティはすでに心を交わしている人物がおり、その人物以外からの求婚を受けるつもりがなかったため、すべて断っていた。
そしてある日、珍しく求婚者が来なかった日の事。ヒマパティの母親が「この方と婚約してね、もう決まったから♥」と連れて来たのが、よりによって天敵ともいえるフィニクス皇子であった。
「では、伯母様があなたにフィニクス殿下との婚姻を勧めた、というのですか?」
「そうなの……」
臥輿に揺られながら、ヒマパティはうなだれた。
「まあ、皇子殿下の降婿は名誉なことではあるけど……断れないわけじゃないでしょう?お母様に嫌だって言えばいいじゃないの」
オルシーダのいう通りである。帝国において婚姻とは、基本的に女の側が決めるもの。とはいえ、身分が高ければ高いほど相手も限られてくるし、それなりのしがらみというもの出てくるため、難しくなるものだ。しかし、当事者である娘の意見は重んじられるし、娘自身が嫌だといえば、親の方も話を進めないのが普通なのだが……。
ヒマパティは目に涙を浮かべながら反論した。
「言ったわよ!でも、知ってるでしょ!母様のお花畑っぷりを!私の言うことなんて『あらあら、照れているのね、うふふふふ』で終わりよ!」
「ああ……」
「そうですね……」
そういえばそうであった。ヒマパティの母フローシュニは、出来はいいのだが、感情の機微に疎い上に頭の中がお花畑であり、悪気なく物事―特に恋愛に関する物事を引っ掻き回してややこしくするという一面があった。
そして、今よく考えれば、アウレリオンはともかく、フィニクスはヒマパティのことが好きだが、素直に慣れず何故か冷たくしてしまう……という、非常に面倒くさい男であることが分かっている。フローシュニは、素直になれない皇子と娘の―一方方的な―恋を、成就させてやろうとしているのだろう。
「あのバカ皇子が私の事を好きで、結婚したいって思ってるらしいけど、でも、でもよ?私はそんなこと思ってないの。あのアホ皇子と結婚なんてしたくないわ。考えただけで吐き気がする」
「そりゃ、そうよね」
幼いころからの関係を知るオルシーダは、深く頷いた。自分を好いてくれているとはいえ、わざわざ嫌がらせをする異性を好きになれるか?
少なくとも、ヒマパティの答えはいいえだ。それ以外ない。
「あんたが私を好きだとしても、好きだとしても!馬鹿にされていじめられて笑いものにされた私が、あんたのこと好きなわけないじゃないの!
「ちょっとヒマパティ、落ち着いて!」
しゃべっていて次第に熱くなってきたのだろう。ヒマパティは肩で大きく息をしながら、顔を真っ赤にして叫んだ。臥輿に遮音結界が施されていなければ、町中に響き渡るほどに。
「そう言ったのに、言ったのに……『皇子様は照れているだけ、ずっとあなたのことが好きだったのよ。その想い……受け止めてあげて?』って……だったらあんたが受け止めてやりなさいよ、バカ女ーッ!」
「ヒマパティ、冷静になりなさい」
外には聞こえないとはいえ、さすがにうるさい。パルシャヴァーニは声に少しばかりの「力」を込め、ヒマパティの興奮を静めてやった。
すると、真っ赤になってわめきたてていた娘の顔から赤みが引き始め、荒かった呼吸も収まっていく。
「ふーっ、ううーっ……はぁーっ……。ごめんなさい……」
「いいのですよ」
ヒマパティはしばし犬のように唸っていたが、大きく息を吐き、呼吸を整えた。そして、心配そうに自信を見る幼馴染たちに頭を下げる。
「それで……何がどうやってあんな風になったわけ?許さない、とかいっていたけど」
ヒマパティの興奮が収まったのを見計らい、オルシーダが尋ねた。
「まあ、簡単に言えば……元老院議員の大叔父様に届け物があったから、皇宮に行ったの。で、大叔父様としばらくお話していたら、殿下が現れて、急に腕を引っ張られてあそこまで連れて行かれて……。
『婚約者のいる女が、他の男と軽々しく話すな』っていうから、私も腹が立っちゃって。『私は好きな人がいるので、あなたとは結婚しません。婚約した覚えもありません』って言ったら……」
「激高した殿下が、『お前は私のものだから、他の男を好きになるなど許さない』と、つい最近まで笑いものにしていた娘の唇を奪おうとした。そういうことですね?」
パルシャヴァーニの問いかけに、ヒマパティはこくりと頷いた。それを聞いたオルシーダは、額に手をやり、
「呆れた!今まで辛く当たっていた女が、どうして自分との結婚に同意してくれると思うのかしら。頭の中を見てみたいわ!」
「まったくもって同意よ……。母様は敵、母様を止められる父様はブリタニア、お祖母様や曾祖母様は領地……もう最悪!今まではどうにか抑えてきたけど、今日あたり、絶対に部屋に押し入ってくるわ!それで、既成事実なんて作られちゃうのよ……あの方に申し訳が立たないわ……」
ヒマパティは顔を両手で覆い、さめざめと泣き始めた。
部屋に入れてもらうことが婚約の証ということになっている以上、男側による「部屋への押し入り」というのは、確かに懸念事項である。しかし、普通ならばあまり心配しなくてもよい。屈強な護衛役の奴隷が夜を徹して扉を守っているし、不埒なことをすれば、即座に家から叩きだされることになる。また、「どこそこの家の息子が、これこれの家の娘の部屋に押し入った」との噂が流れようものなら、その男はもう一生結婚できなくなる。妻候補の部屋に押し入る不届き者など、婿にもらおうとする者は存在しなのだから。
だが今回は、奴隷の主人である母親が押し入り側の味方であるため、心配が現実になってしまうことも、「無きにしも非ず」であるに違いない。
「もう嫌!母様のバカ!何であんなにお花畑なのよ!なんで娘が嫌だっていうことを、無理やりやらせようとするのよ~」
「ヒマパティ……」
嗚咽を漏らすヒマパティと、彼女を慰める乳姉妹の姿を「感じ」つつ、パルシャヴァーニはため息をついた。おそらく、皇子の初恋を成就させるために、計画を練ったのだろう。娘の味方をする夫や母、祖母がいない隙を見計らい、皇子と娘を引き合わせた。娘は嫌がっているけど、あんなに素敵な皇子様が、自分を好いていると知ったら、喜ぶんじゃないかしら、と。
―けれど、伯母様。
パルシャヴァーニは思った。
そんなことをしていては、娘からの信頼を失いますよ、永遠に。
「ヒマパティ、しばらく我が家に泊まりなさい」
パルシャヴァーニは、オルシーダに慰められながら涙を流す娘に声をかけた。
ヒマパティは、え、と涙にぬれた顔を上げる。
「私の家ならば殿下がやってくることもありませんし、従姉妹であるあなたが泊まっても、問題はありません」
「い、いいの?」
ヒマパティの顔がぱっと輝いた。暗闇の中に差し込んだ一筋の光。諦めるしかないと思っていたことが、どうにかなりそうなのである。喜ばぬはずがない。
「ええ。伯母様には私から話しておきます。その間に、祖母君に連絡を取りなさい。カティナならば、四日もすれば返事が届くでしょう」
「え、そんな、悪いわ。泊まらせてくれるだけで十分よ」
ヒマパティは首を振った。パルシャヴァーニ自身は百にも満たない若輩の身だが、その権威、発言力は、フィニクスのような末端皇族など比べ物にならぬほど高いのだ。
そして、パルシャヴァーニ自身もそのことを熟知しており、厳しい自制を自分に強いている。そんな従姉妹の努力を、私事で破らせるのは避けたい。そう思っているようであった。
しかし、パルシャヴァーニは、
「なにを考えているのかわかりませんが、私は従姉妹が結婚する前に女だけで遊びたいから、しばらく貸してくれ、と“お願い”するだけです。そうですね、“しばらく”ですから、一週間……もしかしたら、二週間くらいかしら?」
と、小首をかしげて優しく微笑んだ。するとオルシーダも、
「そうね、私も夫がしばらく夜勤だから、退屈なの。子供の時みたいに、女三人で夜更かしするのも、悪くないと思わない?議題は、“夫としてふさわしい男はどんな男か”なんてどう?」
「やだ、オルシーダったら……」
いたずらっぽく笑う幼馴染たちの姿に、ヒマパティはやっと、笑顔を取り戻したのだった。
◆ ◆ ◆
「ところで、心を交わした人、というのは、いったいどなたなのですか?」
「あ、それ。私も気になってたの。誰?」
「え……」
興味津々といった幼馴染たちの姿に、ヒマパティはもじもじとはずかしがっていたが、頬を赤く染めて答えた。
「あの……セルヴァン殿下なの。セルヴァン・マヌヒン殿下。きゃっ、言っちゃった!」
「セルヴァン殿下?スウェネト公の?」
ヒマパティは恥ずかしそうにうなずいた。
スウェネト公セルヴァン・マヌヒン皇子。皇帝の五女、バルヒエリ・ヘレニプリャレン皇女の三男で、父親はハルトゥーム大公の子、ハルトゥーム大公子シンハ・クラマルカン・フルクニーシェ・ネア・フォルティエ卿である。
父譲りの黒檀のような黒い肌に、炎のように燃え盛る緋色の虹彩。精悍な容貌と、逞しい肉体を持つ、牡鹿というより雄牛といったほうがよく似合う偉丈夫だ。性格も明るく豪儀で、皇帝や元老院の信任厚い将校として活躍している。細身で神経質な印象のフィニクスの、対極に位置するような男性だ。
少なくとも、好きな女に対して素直になれず、悪態をつくような面倒くさい男ではない。
「私、逞しくて男らしい殿方が好きなの」
「ああ……」
「セルヴァン殿下が相手では、勝ち目はありませんね……」
パルシャヴァーニとオルシーダは、深々と頷き、かないそうもない恋に身を焦がすフィニクスを哀れんだのだった。
試験的に書いた作品です。ヒーローからひどい目にあわされていたヒロインだったが、いつしか心を通わせて愛し合うようになる……という本を読んで、面白かったけど、全員が全員、ヒーローと結婚したいと思うわけじゃないよな→嫌がる女の子がいたっていいじゃないか(゜∀゜)!と思って思いついたものです。結局、力量不足でオチも意味もなくなってしました。すいません。
なお、登場人物の名前やルビなどに振っている言語(ローメルシア語)ですが、ラテン語やヒンディー語をもじったものです。一応それぞれ意味はあります。