地下鉄
いつもと少し道を外れただけで、今まで気付かなかったことをふと発見することは多々ある。だから私は、積極的に寄り道することにしている。
いつものようにふらふらと角を曲がると、地下鉄の入口に出た。普段利用する駅は私鉄なので地下鉄とは縁がない。思わず興味を引かれて、階段を下りてみることにした。
しかし、下れども下れども階段は終わる気配がない。地上からの光もすでに弱々しいものへと変わっている。
戻るべきか、戻らざるべきか。
今更引くわけには行かない。私は、決めたからにはそれを曲げない(でいようと思っている)主義だ。ある種の意地を否定することは出来ず、我ながら子供じみた依怙地さだと感じる。そう思えるだけ他人よりマシなのだと、自分にフォローを入れつつも。
階段は唐突に終わりを迎えた。見えない段を踏もうとして、思わず足がもつれてしまう。
依然続く暗闇の中、背後にほのかな明かりが見えた。何ですか、あれは。ひとりで呟く癖は、一人っ子に産まれたものの性だ。足下に気を向けながら、灯の照る先へ向かう。
鍾乳洞。私の目がその発光体を捉えた時の印象である。
こんなところにそんなものがあるはずがない。洞窟があるほどの田舎ではないし、そもそもここは地下鉄の駅だったはずだ。
近づいてその詳細を観察しようとしたその時、発光体はにわかにその輝きを増し始めた。
なんじゃこりゃ。目が目が。かなわんかなわん。私はひとりで賑やかにわめきつつ、増し続ける光から逃れた。
ようやく一息つけた頃、光の強まる勢いは収まってきた。
ぎらぎらとまぶしく輝く発光体は、その存在を私だけに示し続けている。
何で地下鉄の駅にこんなものが、それよりまず、人は改札はホームは電車は。
押し寄せる疑問を片端から突っぱね、しばらくそこに佇んで光を眺め続けた。すると、不思議と光に親しみが湧き始める。キャンプファイアーの火と同じ理屈だろうか。
帰るか。
無為な時間を過ごすのもこれくらいにしようと、そう思った私は腰を上げた。だが光は、逆らうかのようにさらに輝きを増す。
いい加減にしてくれ、何なんだこれは。暗闇の失せた地下をたまらず駆けだした私の耳に、何かが崩れる音が届く。
思わず振り返った私の目には、シャンデリヤのように美しく輝きながら崩れ落ちる、先ほどの発光体が見えた。
しばらく呆気に取られていたが、頭の中で 崩れた→ここは地下→「生き埋め」 の式が成立することに気が付いた私は、一目散に地上を目指し階段を駆け上った。
命あってのものだね、命あってのものだね、と遺言にするとすでに決定済みの言葉を念じながらやっとの思いで出口にたどり着き、普段の運動不足を恨みつつぜえぜえと喘ぎながら膝に手をついた。
気が付くと辺りは夕暮れで、赤い夕日が空に見える。
ふと何かを察した私は、後ろを振り返った。
やっぱり。私の背後には何もなかった。ただ自分の影が長く延びているだけだった。
一組の親子が道を歩いている。夕げの話をしているようだ。
その刹那、さっきまでいたあの地下の空間、そしてあのシャンデリヤのような光の意味を、私は悟った。決してあれは白昼夢などではない。
孤独とは、観測された時点で消え去るか、あるいは膨張するもの、なのだ。それは私が一番知っている。
親子連れを追い抜かし、私は再び喧噪の中へ戻っていく。雑音や生活音が、今は何よりも愛しく思えた。
小説を書くのはほぼ初めてです。
クリスマスが近付くと、こんなことを思ったり。