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巻の九十九   縁

巻の九十九   縁


 館に帰った直也は、着替えを済ませ、朝食を摂るとすぐに中庭へと出、浅茅あさじの珠を取り出した。

 それを柔らかな草の上に置き、浅茅の真名を呼ぶ。すると珠から白い煙が湧き出したかと思うと、

 目の前に蒼い装束を着た浅茅が立っていた。

「お呼びでしょうか、直也様」

 直也は浅茅にほほえみかけると、

「久しぶりだな、浅茅。長らく待たせたが、俺もようやく隠れ里の当主となった。その権を以て、お前を里の住民とする」

 浅茅は地に膝を付き、頭を垂れた。

「かたじけのうございます」

 そんな浅茅を直也は助け起こし、お前の棲処だが、と言って中庭にある池を指さし、

「この池はどうだ? 気に入ったなら棲んでもらいたい。気に入らなければ、自分で好きなところを探して棲処にしてくれ」

 そう言うと浅茅は恐縮した顔で、

「この池をでございますか?…とんでもないことでございます、屋根裏でもかまわないと思っておりますのに…」

「そういうわけにはいかないさ。この池に棲んで、永く館を見守って貰えたら嬉しい」

 浅茅は再び膝を付いて、

「そこまでおっしゃられますなら、つつしんで仰せに従います」

 そう言うと、池のほとりへと歩いて行き、その水面に指で触れた。

「これは…!…見た目にも広い池ですが、一箇所、深くなっているところがございますね。このような立派な棲まいをありがとうございます」

 そう言って、今度は立ったまま、深く辞儀をした。直也はほっとして、

「よかった、それじゃあ、俺の家族を紹介しておく。今日から浅茅もその一員だからそのつもりでな」

 そう言って、後ろで見ていた汐見達を振り返ると、順に紹介していったのだった。

 一通り紹介が終わると、浅茅は会釈して、

「浅茅と申します、この度は直也様のご家族、その末席に連ねさせていただき、まことに有難う存じます」

 そう言うと、池にゆっくりと入っていった。足首、膝、腿、腰、と水に浸かっていく。

「ああ、心地よい水です。…皆様、わたくしにご用の節は、池のほとりで柏手を三度打って下さい」

 そう言うと、既に胸まで水に浸かっていた浅茅は一気にその姿を水に沈めた。後には小さな波紋が一つ残っていたがやがてそれも消える。

 直也はいつの間にか隣にやって来ていた弥生に微笑むと、

「さて、これで一つ、約束を果たせた。次はいよいよ汐見の番だ。美春も首を長くして待っていることだろう」

 美春は汐見の異母妹である。久保田(秋田)の大平山おいだらやま、そのまた山奥の里が杜人もりびと一族の里。

 一族は直也に臣従の礼をとっていた。

「うむ、そちらは汐見と共に行ってくるがよい、儂は江戸で待つ蓮香れんこう達を迎えに行ってこよう」

 直也と弥生はそれぞれに約束の者達を迎えに行くことにした。


*   *   *


 直也はもう当主となったので、里の出入りに制約はない。そこで杜人一族の里に最も近いと思われる出入り口を使った。

 そこは出てみれば大平山の山腹。杜人一族の里まで半日もかからない。

「汐見、そんなに急ぐと転ぶぞ」

 里心がつき、妹に会いたくなった汐見の足は自然と速くなり、直也にたしなめられていた。まだ雪の残る山道、

 急ぐと滑ったり潜ったりもして危ない。

「だいじょうぶで…きゃあっ」

 残雪は、木の根元などで融け始めており、場所によっては中が空洞になっていたりして、踏み抜くと腿まで潜ったりもする。

 予期せぬところで手間取ったりしたものの、昼過ぎには里の入り口へとやって来たのだった。

「…あっ、汐見様、直也様!」

 里の入り口に立つ見張り役が声を上げた。見れば鉄山てつざんである。すっかり傷も癒え、元気そうだ。

「鉄山、今帰りました。直也様も隠れ里の当主になられ、お約束の通り我ら一族を迎えて下さるそうです」

「直也様、おめでとうございます。そしてありがとうございます。さっそく里へこのことを知らせにまいりましょう」

 鉄山はそう言うと、飛ぶように駆け出し、あっという間に見えなくなった。それで直也と汐見が杜人一族の里に着いた時には、一族の主だったもの総出で出迎えていた。

「お姉様、おかえりなさい」

 この一年ちょっとで大人びた美春が先頭にいた。

「直也様、おいでなされませ」

「美春、約束通りみんなを迎えに来たよ」

 直也がそう言うと、

「嬉しいです、皆、この日がくるのを心待ちに致しておりました」

 そのまま長の家へと案内された。そこで直也は、あらためて杜人一族を隠れ里に迎える旨を伝え、汐見と美春の祖母であり、一族の長である真砂子まさごは、集まった者達に、かねての計画通りに進めるよう指示を出した。

 それが済むと直也を上座に据え、丁寧に辞儀をすると、

「直也様、隠れ里当主におなりあそばされた由、まことにおめでとうございます」

「ありがとう。隠れ里へは大平山の山腹にある出入り口から行ける。仕度はどのくらいかかるかな?」

「はい、荷物をまとめるのに半日、家を解体するのに半日。明後日には出立できるかと」

 直也は耳を疑った。

「…今、家を解体すると言ったのか?」

「はい、やはり住み慣れた家がいいと言うものが大半でしたので。それに隠れ里での住まいに不自由しなくて済みます」

 直也は、元鬼であった杜人一族の大力なら解体した家を担いでこられるのだなあ、とようやく納得した。

 その日は長の家に泊まる。汐見は久しぶりの我が家でもあり、一人荷造りの仕度を何もしていないこともあって、忙しそうに行ったり来たりしている。それで直也の相手は妹の美春が引き受けることになった。

「直也様、旅のお話を聞かせて下さいまし」

 お茶を差し出した美春がせがむ。特にすることのない直也はせがまれるままに語って聞かせるのであった。


 解体した家の柱や梁を担ぐ者。壁板や床板を担ぐ者。屋根瓦を担ぐ者。家財道具を担ぐ者。それらが列をなして歩いて行くのを見るのは壮観であった。

 あっという間に雪は蹴散らされ、踏み固められて地肌が見えて歩き良くなってしまう。

 楽々と大平山おいだらやまに着いた。結界の注連縄を幾つか越え、出入り口の洞窟前に着く。

「ここが隠れ里への入り口だ。今は俺がいるから自由に出入りできるが、その後は、俺か弥生に断ってからでないと、隠れ里から出ることは出来ても、戻ることは出来ないからそのつもりで。それとこれが最後だ、こっちの世界に残りたいものがいたら正直に言ってもらいたい」

 しかし誰一人残りたいという者はいなかった。

「よし、それじゃあ、元山賊達から入ってくれ」

「直也さまあ、元山賊というのはよして下せえよう」

 かつて飢饉のため逃散ちょうさんし、雨降あふりの元で山賊行為を働いていた者達、その親分格の男がぼやいた。

「はは、すまん。なんて呼んだらいいかわからなかったものでな」

「おらたつは稗突村ひえつきむらの出ですだ、そう呼んでけろ」

「わかったわかった、それじゃあ元稗突村の者達から順に入っていけ」

 稗突村の者、杜人一族、併せて二百人あまりが洞窟へと消えていく。ちらと後を振り返る者もいれば、後も見ずに小走りに駆け込む者もいる。次から次へと洞窟に消えていき、最後に残ったのは直也の他は、汐見しおみ、美春、真砂子まさご、それに鉄山てつざん鹿角かづの

「さあ、行こう、向こうでまた村を作ればいいさ」

「はい、直也様」

 そう答えた汐見はもう振り返ることなく、真砂子の手を引き、洞窟へと消えた。鉄山と鹿角がそれに続き、直也は最後に、美春の手を引いて洞窟へと入っていったのだった。

 

 洞窟の向こう、隠れ里側では、未那と紅緒が待っており、やって来た者達を案内していく。

 家などの資材は、とりあえずは館前に運び、人々は館に招き入れる。そう事前に指示しておいたのだ。

「わあ、素敵なところですね」

 隠れ里にやってきた美春の第一声はそれであった。今、隠れ里はちょうど春。江戸よりやや遅いが、桜の蕾がふくらみかけている。

 北の地はまだ残雪に覆われていたので、美春がはしゃぐのも無理からぬ事であった。

「おお、直也、おかえり」

「弥生。…蓮香たちも」

 弥生は一足先に蓮香達姉妹を連れて帰ってきていた。

「直也様、お世話になります」

「ああ、隠れ里へようこそ。末永くよろしく頼むよ。で、棲むところはもう決めたのかい?」

 直也がそう尋ねると、

「ええ、北西にある山、何と言ったかしら…そう、「根津岳ねづだけ」の山頂近くに格好の洞穴があったんで、その前を整地してかん(道教の寺)を作ろうと思います」

 答えたのは長女の翠蓮すいれん

「そうか、それはよかった」

「姉妹が交代で作りに行きます、出来上がるまでこの館において下さいね」

「ああ、もちろんさ」

 急に賑やかになった館、未那は目を白黒させている。一方、弥生は慣れたもので、てきぱきと指図をしていた。

「さすが北の方様」

 杜人一族の長、真砂子はそんな弥生を見て感じ入っていたようだ。


 その杜人一族は一日館で休んだだけで、翌日には村を再建するために出て行った。弥生が選んでおいた候補地の一、館の南西を流れる「玉川」、その両岸に広がる肥沃な土地を選んで、村を再建するという。

「地形も似通っておりますでな、我らはここに村を作ろうと思いまする」

「足りない物は言うてくれ、出来るだけの事はしよう」

 弥生がそう約束する。もう北の方としての貫禄十分である。

 式神にも手伝わせ、村の再建は順調に進んでいった。これで、当面の行事として、残るは直也と弥生の祝言である。

 そちらは直也の祖父母の重蔵、綾乃と母の八重が進めていた。

 今月、すなわち三月の十五日に行う事が里中に通達されたのは十日のことである。


*   *   *


 十二日の朝のこと。

「直也、懐かしい面々がみえておるぞ」

 弥生の声に、直也が客間へと顔を出せば、そこにいたのは。

「おう直也、久しぶり。元気そうだな」

 下北で別れた友、水無月博信みなづきひろのぶであった。

「弥生さんともうじき祝言を挙げると聞いてとんできたぜ」

「そうか、ありがとう。で、そっちは?…千草さんとの仲はどうなんだ?」

 そう尋ねた直也に、

「俺たちも、来月祝言を挙げることになったよ」

「そうか、おめでとう!…随分遅かったじゃないか」

「ああ、それについて、ちょっとな…」

 珍しく言い淀む博信を、直也はいぶかしげに眺め、

「どうしたんだ? 何かあったのか?」

 そう尋ねた。博信は少し考えた後、

「実は、しずちゃんと、例の源頼新みなもとのらいしんの事なんだがな」

「そうだ、しずちゃんはどうしてる? もう目を覚ましたのか?それなら里に迎えたいんだがな」

 博信は何とも言えない様な顔で、

「ああ、それなんだが…」

 そう言いかけた時、子供のはしゃぐ声が聞こえてきた。

「これ、しず、新太! おとなしくしなさい!」

 現れたのは二人の子供と、それをたしなめる娘。見ればマヨヒガの長の孫娘、千草である。子供の方はと見れば、しずと、源頼新であった。

「まあ直也様、失礼致しております」

 そう言って、しずと頼新二人を押さえて座らせ、

「このたびはまことにおめでとう存じます」

 そう言って頭を下げた。横のしずと頼新もそれにならって頭を下げたが、千草が気を逸らした隙に逃げ出し、二人で追いかけっこを始めた。

「これ、しず! 新太! やめなさい!…直也様、失礼致します」

 そう言って二人の後を追っていく千草。直也はぽかんとした顔でそれを見送った。そんな直也に博信が、

「見たか?…実は、しずちゃんも頼新も、目覚めたには目覚めたんだが、何も憶えていなかったんだよ」

「何だって…」

「時が経てば思い出すかとも思ったんだがな、駄目だった。それで、しずちゃんはいいとして、頼新には新太という名前を付けて、兄妹として扱っている」

「そうだったのか…何か言い辛そうだと思ったらそんなことが…」

 そこへ千草が再び現れた。

「紅緒さんとおっしゃる方がしばし二人を見ていて下さるというので、お願いしてまいりました」

 そう言って博信と並んで座り、直也に改めて辞儀をした。

「それで、どこまでお話しになったの?」

 これは博信への問いかけ。

「二人の記憶がないこと、新太と名付けたことまでだ」

「そうでしたの、丁度良い所でしたわね」

 そう言うと、両手をついて、

「直也様、まことに勝手な願いとは承知しておりますが」

 そう前置きした千草は博信を見やる。博信はそれを引き継いで、

「しずちゃんを俺たちの養女にしたい。承知してくれないか」

「恥を忍んで申し上げますと、わたくしは、博信様と夫婦めおとになったとしても、博信様のお子を産むことが出来ませぬ。それではあまりにも寂しく、ならばと、懐いてくれたしずちゃんと新太をわが子として育てていきたいのです」

「……」

 直也は考え込んでしまった。しずが目を覚ましたなら里に迎えようと決めていた、それが出来なくなる。

 直也が自分に誓った約束、それを違えることになる…そんなことはしたくなかった。

「どうした、直也」

 博信と千草に茶を運んできた弥生が直也の考え込む様を見て尋ねた。だが、直也が答えるより先に、賑やかな声が聞こえてくる。

「ととさま、ははさま、しずもいただいていい?」

 茶菓子を目ざとく見つけたしずが博信達に聞いている。その様子を見て直也の心は決まった。

「博信、千草さん、よろしく頼む」

「直也…」

「直也様、それでは…」

 直也は少しだけ寂しそうに微笑み、

「ああ、二人の事を考えたらそれが一番いいからな、幸せにしてやってくれよ」

 しずは両親を亡くし、やっと見つけた養母も山賊に殺され、鬼と化した後は山賊を皆殺しにしている。

 頼新も、人ではないとはいえ、数多の妖や鬼を斬り殺している。そんな過去は忘れたままの方が幸せだろう。

「ありがとう、必ず幸せにしてみせる」

 そう答えた博信の膝に乗ったしずは茶菓子を頬張ってにこにこ笑っていた。


*   *   *


 十四日の朝、弥生は鏡に向かい、髪を梳かしていた。大山桜の精、弥生姫からもらった櫛で。

 使うほどに色つやを増すこの櫛は弥生のお気に入りであった。それが、この朝、中程からぽきりと折れてしまった。

「何とした事じゃ」

 櫛を拾い上げた弥生は、胸中に嫌な予感を感じていた。それを確かめるべく、身支度を素早く調え、

「直也、相談があるのじゃが」

 博信と談笑していた直也に声をかけた。

「どうした、弥生?」

 弥生は二つに折れた櫛を見せて、

ひびどころか傷もなかった櫛が折れた。どうも嫌な予感がする。済まぬが、一緒に松本まで行ってくれぬか」

 木の精達は直也がいなければ出てこないだろう、そう判断して直也を呼んだのである。

「いいとも、すぐ行ってみよう」

 松本近くの出入り口を使えば半日もかからない。直也が腰を上げかけると、博信と千草も一緒に立ち上がった。

「何かお手伝いできるかも知れませんわ、ご一緒させて下さいませ」

 別に断る理由もないし、かつて千草と初めて出会ったのも木の精達に会った翌朝だった。それで直也は二人にも一緒に来てもらうことにした。


 松本方面の出入り口は稲核付近に数ある風穴のそばであった。付近には残雪が多く、歩きにくかったが少し歩けば街道、弥生姫や冬青斎とうしょうさいのいる神社である。…筈なのだが。

「これは…」

「ひどいのう…」

 付近一帯は雪崩に埋もれてしまっていたのだ。神社は雪に埋まり、周りの木々も何本か折れてしまっている。

 冬青斎とうしょうさいの生えている岩は辛うじて無事であるが、周囲の檜や杉は無残な姿であった。

 そして、弥生姫の木である大山桜は、雪崩によって根こそぎ倒され、今にも谷底へ落ちそうである。

「雪に押しつぶされそうじゃが、雪をどかしたら谷底へ落ちてしまうじゃろうな…」

「かといってこのままにしておいたら枯れてしまうだろうし、暖かくなって雪が溶けたら結局落ちてしまうぞ」

 どうしようかと考え込む直也と弥生。そんな二人に千草が声をかけた。

「直也様、弥生様。わたくしならこの木を隠れ里へ運べるかもしれません」

 千草は物や人を別の場所へ送ってしまうことが出来る力を持っている。だが、隠れ里へ送るというのは、よほどのことがない限り不可能であった。

「隠れ里当主である直也様の奥方、弥生様が共に力を行使なさって下されば可能かと存じます」

「なるほど、やってみる価値はあるのう」

 一刻を争う事態、弥生は千草の申し出に従うことにした。直也と博信はそれぞれ弥生と千草を支える。

 文字通り体を支え、かつ精神力の支えとなるのだ。

「よいぞ、千草殿」

 直也の膝の上に座り、印を組んだ弥生が言う。同じく博信の膝の上に座った千草が、

「いきます…!」

 その力を解放した。

「大地を支える土よ、万物を潤す水よ、穢れを浄化する火よ、天地を繋ぐ風よ。ここに願い奉る...」

 弥生は無言のまま、千草に霊力を送っている。

ことわりを曲げ、かの桜の木を救わせ給え。現世の壁を超え、かの地へと参らせ給え」

 千草の肩が小刻みに震えている。弥生も目を閉じ、その顔からは血の気が失せている。

 かつて弥生を救い出した時に異界への扉を開いた、それよりも困難な事かもしれない。

 古代の神が造り、護る世界へと移動させようというのである。思わず直也も心の中で祈るのであった。

 その祈りが通じたか、一瞬光が満ちた。

「おっ!」

「うわっ!」

 まぶしさに思わず声をあげる直也と博信。

 そして光が消えた後に大山桜はもうそこにはなかった。

「やったのう…」

「はい、届いていればよいのですが」

 疲労困憊した弥生と千草を直也と博信はそれぞれ背負い、来た道を戻り始める。

 途中直也は振り返り、

(弥生姫は隠れ里で大切にお預かりします。皆さんもお元気で)

 心中、冬青斎達に別れを告げるのであった。

 

 隠れ里に着いてみると、突然館前に現れた大きな木に驚いている紅緒達がいた。直也は汐見に、

「汐見、訳は後で説明するから、杜人一族の中で庭師みたいな人はいないかな? この桜を庭に植えたいんだ」

「え、と、おりますよ。すぐ呼んで参ります」

 そう言って汐見は急ぎ杜人一族の住む集落へと向かった。

 弥生と千草を奥の部屋に休ませた直也は桜の木を植える場所を選定する。

 結局、広い前庭の東南に空いた場所があるので、そこに土を少し盛って植える事に決めた。

 じきに汐見が庭師を連れてやってくる。

「直也様、お待たせしました」

「ごくろうさん。この大山桜を前庭に植えたいんだ、枯らさずに出来るかな?」

 庭師は木を見て、

「植え替えするには少し大きいですね。季節的にも少し遅いですが、直也様の仰せです、出来るだけの事はやってみましょう」

 そう言って作業に取りかかった。

 折れた枝を切り、切り口に腐敗防止の墨を塗り、傷んだ枝も同様に剪定する。根はなるべく切らないよう整え、植え付ける場所の土を耕し、山から腐葉土を盛ってきて土に混ぜる。

 これだけの作業を一人で、半日で済ませてしまうのはやはり大力の杜人一族である。

 汐見にも手伝ってもらい、二人がかりで木を植え付ける場所に運び込み、慎重に根をほぐしながら土をかけていく。

 埋め終わったなら軽く土を突き固め、数本の支柱で支え、最後にたっぷりと水を与えて終了だ。

 日が暮れる前に作業は終わった。直也は庭師をねぎらい、手間代などいらぬと固辞する庭師に、ならばと館の蔵から秘蔵の酒を一樽与えて送り帰した。

「なんとか植えられたな…」

「うむ、さすが杜人一族じゃ。締めは儂の出番じゃな」

 様子を見にきた弥生は、日が落ちてすっかり暗くなった庭に出、桜に正対して印を組んだ。

「おんかかか、びさんまえいそはか…地蔵菩薩よ、そのお力を以て、この木に慈悲を」

 弥生の印を組んだ手が微かに光り、その光は桜の木へと移っていった。弥生は大きく息を吐くと、

「これで多分、大丈夫じゃろう…」

 そんな弥生を直也はそっと部屋に連れて行き、休ませるのであった。

 静かに夜は更け、里に住む者達は穏やかな時を過ごしていた。

 あと一回で最終回です。

 読んでいただきありがとうございます。

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