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巻の九十八   隠れ里

巻の九十八   隠れ里


「直也様、あの山がそうですか?」

 紅緒が直也に尋ねている。

「ああ、そうだ。あれが八日見山ようかみやまだ。あの山の中にある洞窟が俺たちの出てきた出入口なんだ」

 今、直也達は隠れ里へ帰還するため、武蔵国(現埼玉県)へとやって来ていた。

「済まぬな、当主とその伴侶以外は決まった出入口からしか現世へやって来られないのじゃ」

「そうなんですか…」

「そのかわり、当主になれば、各地にある筈の出入口全部を使える、だから汐見、杜人一族を迎えに行くのは簡単だ」

「はい、その日が楽しみです」

 汐見が顔をほころばせて答える。

「でも何で蓮香れんこうさん達を置いてきたのですか?」

 直也に従うのは弥生、紅緒、汐見、未那。茜は会津の一族の元へ帰り、蓮香姉妹は江戸へ残してきたのだ。

「ああ、それはじゃの、当主でない者が隠れ里へ招くことが出来るのは二人までなんじゃよ。直也と儂とで四人まで、直也の懐には浅茅という蛇の精がおる。都合四人分じゃ」

「いろいろ制約があるんですね」

 そんな会話をしながら一行が歩いているのは秩父の奥、小鹿野おがのから更に沢沿いに遡った白井差しらいさすのこれまた奥。家と言えば木樵小屋くらいしかないような山奥である。

「未那、大丈夫か?」

 長時間の悪路歩きに、一番歩幅の狭い未那を気遣って直也が声を掛けるが、

「へいき、これくらい」

 未那は平然としたものだ。小さくても妖である。

「あった。ここじゃ」

 先頭を歩く弥生が苔むした岩を指さした。古びた注連縄しめなわが掛かっている。

「ここから先が第一の結界じゃ。皆、離れるでないぞ」

 深い山中、どこからともなく霧が湧いてきて、十間(約18m)先もよく見えなくなってきた。

 そして第二の注連縄、第三の注連縄。直也も弥生も迷うことなく歩いて行くが、汐見、紅緒は見失わないよう気を張り詰めていた。

 未那だけは土気の妖のためか、それほど苦労せずに付いて行っている。

 深く積もった落ち葉、そして残雪があちらこちらに見えるようになり、一行は崖の下に辿り着いた。一面草や灌木に覆われ、その下には洞窟が口を開けている。ここにも注連縄が張られていた。

「やっと着いた」

「…そうじゃのう、まさしくここからお主と儂との旅が始まったのじゃ」

 そんな言葉を交わした直也と弥生は振り返って紅緒達を見、

「さあ行こう、俺と弥生の手に掴まってこの注連縄をくぐるんだ」

 二人というのは案外、手を繋いで入れる人数なのかも知れない。

 直也は未那と、弥生は紅緒と汐見と、それぞれ手を繋いで注連縄をくぐり、洞窟へと入っていった。真っ暗な洞窟であるが、直也と弥生は躊躇うことなく進んでいく。やはり住人だからなのか。

 そのまま暗闇を行くこと一町(約109m)ほど。行く手が明るくなってきた。

 進むにつれ明るさは増し、やがて一面に若緑の草が広がる草原に出たのである。

「ああ、帰って来たんだなあ」

「うむ、やはりここの空気は心地よいのう」

 直也と弥生ほどではないにせよ、紅緒達も空気が変わった事を感じていた。たとえて言うなら、空気が甘い。

 一呼吸する度に、不思議な活力が湧いてくるような気さえしていた。

「あれは…」

 弥生が指さす方角を見ると、一人の女人が佇んでいるのが見えた。

「直也!」

 その女人が叫んだ。


「母さん…」

 直也が一歩踏み出す。

「直也!」

 直也の母、八重は小走りに駆け寄ってきた。

「母さん!」

「直也!」

 そして母と子はしっかりと抱き合った。

「お帰り、直也…」

「ただいま、母さん…」

 しばらくそうしていた二人だったが、やがて八重は半歩退いて直也をじっと見つめると、

「すっかり立派になったわね、見違えたわ。そうしているとあの人にそっくり…旅の途中で姉さんから話してもらったわよね、あなたのお父様のこと」

 肯く直也。八重は直也の背後に目をやり、

「直也の母で、八重と言います。よろしくね」

 声を掛けられた女達はそれぞれに、

「紅緒です、よろしくおねがいします」

「汐見と申します、宜しくお願い致します」

「…未那です」

 にこにこしながら彼女達が名乗るのを聞いていた八重は、直也に向かって、

「こんなかわいらしいお嬢さんを三人も連れてきて。それで、どなたがお嫁さん?」

 と聞いた。直也は口ごもって、

「え、…と…、あのね、母さん、…」

 八重は先回りするように、

「汐見さんかしら?」

 それを聞いた汐見は、

「いえ、そんな、私は直也様の従者ですから」

 顔を赤らめながらそう答える。八重は次に紅緒の方を向いて、

「それじゃあ紅緒さんかしら?」

 聞かれた紅緒は、

「いっ、いえ、あたい、いえ、あたしは、そんな、直也様にお仕えするだけで、そのっ、」

 八重は小首をかしげ、

「…まさか、未那さん?…直也、ちょっとまだ未那さんはお嫁さんにするには早いのではなくて?」

 それを聞いた未那は、

「…ちがいます。あたしは父さまと母さまの娘です」

 そう言ったものだから、さすがに八重もちょっと驚いて、

「え?…直也、あなた、いつこんな大きな娘さんの父親になったの?」

 等と聞いてくるものだから直也も慌てて、

「話すと長くなるから、帰ってから説明するよ。…ほら、弥生、何やってるんだ」

「弥生姉さん?…何やってるの? 直也の陰に隠れたりなんかして」

 直也と八重に言われた弥生は俯きながら八重の前に出てきた。

「お帰りなさい、姉さん。姉さんは変わらないわね、…直也のお守り、お疲れさまでした」

「う、うむ、ただいまじゃ、八重…」

 いつもの弥生はどこへ行ったのかと思うくらい、か細い声で挨拶する弥生。直也は意を決して、

「それで、母さん、俺が選んだのは…」

「そうそう、直也のお嫁さんになる方って?」

「弥生なんだ」

 弥生の肩を抱いて直也が一言言い放った。

 弥生を嫁にしたいと告げた直也に向かって八重は、

「そうなの。…弥生姉さん、直也をよろしく頼みます」

 そう言って頭を下げた。弥生は面食らって、

「や、八重…」

「どうしたの? 姉さん」

 不思議そうな顔をする八重に向かい、弥生は口ごもりながら、

「その、八重は、儂みたいな者が、直也の嫁になってかまわぬのか?」

 すると八重はにっこりと笑って、

「直也が選んだんですもの。私に異存はありませんよ」

「しかしじゃな、儂のような…その…狐…が直也の嫁になるなんて、嫌ではないのか?」

 八重はかぶりを振って、

「私はうすうすこうなるような気がしていたんですよ」

 だが弥生は更に、

「…としても何か言いたいことがあるのではないか?…その、…この女狐め、息子をたぶらかして!…とか何とか…」

 すると八重は声を出して笑って、

「おほほほ、なんです姉さん、そんなこと考えてらしたんですか?その自虐的なところ、変わっていませんのね」

 そして真顔に返って、

「好いた者同志が一緒になるのが一番ですよ」

 そう言って八重は直也の手を取り弥生の手に重ね、

「私は二人を祝福致しますよ」

 そう言った。

「ありがとう、母さん」

 晴れ晴れとした顔でそう言った直也に八重は、

「弥生姉さんを大切にするのよ?」

 そう言ってから、

「あら、嫁になるならもう『姉さん』って呼べないわね、私の義理の娘になるんですもの」

 そう言ってまた笑う八重であった。弥生はそんな八重を見て、

「八重…良い笑顔で笑えるようになったんじゃのう」

 そうしみじみと呟いた。それを聞きつけた八重は、

「ええ、直也が一人前に成長してくれて、生涯の伴侶も決まって、…そう思ったら心の中の重石が取れたようで」

「そうか…おお、こうしてはおられん。直也、母者をいたわって館へ帰ろう。…紅緒、汐見、未那、付いてまいれ」

 そう指示を出すのはもう普段通りの弥生であった。

 

 館へは歩いて四半刻(約30分)もかからなかった。

「ここが俺の生まれ育った家だよ」

「…すごい…」

 紅緒が感心する。

 それは大きな門、高い生け垣に囲まれた、瓦屋根の屋敷。広さはそんじょそこらの大名屋敷など問題にならない。門をくぐれば広い前庭があり、玄関まで石畳が続いている。玄関を入れば、烏帽子を被り、水干に緋色の長袴を着けた、白面の女達が十名ほど並んでいた。その景観に息を呑む汐見達。

「みな式神じゃ、遠慮することはない、足を濯いで貰え」

 気後れしているその様子を見た弥生がそう教えた。直也も、

「そう、みんな式神なんだよ。この家にいるのは、母さんと、現当主である俺の祖父母だけだ」

 そう言ったので汐見は驚いて、

「え? 他に人はいないんですか?」

「ああ、隠れ里の人口は極端に少ない。だから汐見達一族が来てくれるといろいろと助かることもあるんだ」

 そう直也が教えた。そして直也は皆に部屋をあてがうと、弥生を伴って祖父の重蔵に報告に行った。

「入ってもよろしいでしょうか」

「直也か、入れ」

「失礼します」

 膝を付いて襖を開ける直也。今回だけは、いつもの口調でなく、その仕草も形式張っている。

 奥座敷に座る祖父重蔵とその斜め後に座る祖母綾乃に向かい、正座して両手を付き、深く頭を下げると、

「直也、ただいま帰参致しました」

 重蔵は重々しく頷いて、

「うむ、よくぞ無事で帰った。して、直也、お前が決めた伴侶は、弥生と言うことで良いのだな?」

「はい」

 今度は顔を上げ、真っ直ぐ重蔵の目を見つめて答える直也。重蔵は弥生に向かい、

「弥生、まだまだ頼りない孫ではあるが、以後よろしゅう頼む」

 そう言って軽く頭を下げた。弥生は目に涙を浮かべつつ返答する。

「はい。重蔵様綾乃様にこの命をお救いいただいた不肖弥生、その御恩をお返しするどころか、厚かましくも直也様に選ばれ、恐縮しております。この上は、直也様に全身全霊を以てお仕えする所存でございます」

 畳に額を擦りつけ深々と礼をする。そんな弥生に声を掛けたのは綾乃であった。

「弥生、そんなに固くなる必要はありません。そなたが生まれたのはこの里の外、それだけで十分に資格があるのです」

 それに続けて重蔵が、

「弥生は十分に恩返しをしてくれたではないか。八重のこと、そして直也のこと。見れば直也は立派に成人した、これも弥生のおかげじゃ。これからも直也を、そしてこの里を頼むぞ」

「はい、…はいっ」

 頭を下げたまま弥生が答える。その目から一粒、二粒、光る物がこぼれ落ちた。

「さて直也、お前と弥生には、今宵一晩、籠もり堂に籠もってもらう」

 重蔵が告げた。

「これは真の当主になるための儀式でもある、心して臨むように」

「はい」

 直也と弥生は白装束に着替えさせられ、そのまま籠もり堂へと行くこととなった。大小の刀や翠龍、狼の眉毛も置いていく。

 二人を見送りに出た重蔵は、

「よいか、明日の朝、日が昇るまで一歩も外へ出てはならぬ。籠もり堂に朝日が差したとき、お前は名実共にこの里の当主となれるのじゃ」

 そう教える重蔵に、

「重蔵殿、籠もり堂では何か起きるのですか?」

 弥生が尋ねるが、重蔵はかぶりを振って、

「それはお前達が自身で確かめてくるが良い。さあ、行け」

 それで直也と弥生は、館を離れ、裏手にある籠もり堂へと向かった。


 裏手は小高い丘となっており、その中腹に籠もり堂はあった。籠もり堂からは館全体が見渡せる。

 夕日に照らされたその景色を眺めていた直也だったが、

「直也、もう籠もらなくてはならぬ」

 弥生に声を掛けられ、共に籠もり堂へと足を踏み入れた。

 扉を閉める。そこは六畳ほどの何もない空間であった。

「依り代も何もない、不思議な堂じゃな」

 弥生が呟く。直也は堂内中央に座った。弥生も隣に座る。静かだ。

 やがて日も沈み、夜が来た。一刻、二刻...何事も無い。と、不意に世界中から音が消えた。

 今までは壁越しに、風の音や鳥の鳴き声などが微かに聞こえていたのだが、それも聞こえない。

 弥生は耳をそばだて、

「結界のようじゃな」

 そう呟いたとき、二人の頭に中に声が響いた。

「ほう、今度の当主夫人は狐か。なかなか興味深い」


「だ、誰だ!?」

 辺りを見回してそう叫ぶ直也を、弥生は押しとどめるように、

「しっ、直也。…これは…神霊じゃ」

「はは、さすがに狐、勘がよい。いかにも、吾はこの里を統べる者である」


 直也ははっとかしこまった。

「男は陰の気によって完成する。その陰をもたらす夫人が陰のもの、狐であることは善きかな。


 上古、八尋わにと婚姻した火遠理命(ほおりのみこと、山幸彦)の例もある、


 汝らの子か孫はこの里に無くてはならぬ者となるであろう」


 神霊の語りかけは続く。

「吾が当主に望むことはただ一つ、『調和』である。行きすぎてはならぬ、退廃も認めぬ。


 陰と陽、天と地、自然と人工、男と女、人と獣。すべてが調和してこその里である。


 かつて天孫は武によって国を譲り受けた。だが武によって統治された世は武によって乱される。


 汝らは武に頼らず、調和を以てこの里を治めるべし」


 天孫降臨と国譲りのことを言っているのか…と直也は頭の片隅で思いながら聞いていた。


「力を御せよ。目的無き力は破壊しか行えぬ。…天孫の治める地は危うい」


 ひたすら力を追い求めていたかつての雨降あふりのことが弥生の頭をちらとかすめた。


「汝らにこの言葉を贈ろう、『己を生かすことが人を生かし、国を生かすのである。


 人と人とが歓びあうことを精神の基礎とせよ』。」


 直也と弥生は黙って頭を下げた。神霊は一呼吸置いて再び語り始めた。


「いつかかの国が危うくなる時が来よう、その時にはこの里が必要になる、そう心得よ」


 それからも神霊は数々の心得や、弥生さえも知らないような知識、直也の心にしみいるような忠告をしてくれた。

 そして、


「今宵吾が語った事は汝らの記憶には残らないであろう。だが魂にはしっかりと刻みつけられたはず。


 最後に吾から汝らを祝福して別れよう。『幸あれ』。」


 その言葉を最後に声は聞こえなくなった。神霊は去ったようである。

 しばらく経って、直也が口を開いた。

「弥生、俺たちは神霊に認められたということだよな?」

「うむ、祝福の言葉もいただいたからのう、これでもうお主は名実共にこの里の当主じゃ、葛城直也」

 しみじみとした声で弥生が直也の名を呼んだ。直也はふと思いついたように、

「…そういえば神霊の名前は教えて貰えなかったなあ」

「うむ、…もしかすると…」

「思い当たるのか?弥生」

 弥生は断定は出来ぬが、と前置いて、

「天孫や国譲りの話をされてらしたじゃろう。…もしや葦原醜男あしはらのしこおとおっしゃるお方では無かろうか」

「…それって…大国主のことだよな?…そうか、国譲りの後、身を隠され、この里をお作りになられたのか」

「しかとはわからぬがな」

 そんな話をしているうち、外が薄明るくなってくる、鳥の声も聞こえてきた。夜明けである。

 まもなく明かり取りの窓から朝の光が差し込んできた。

「朝じゃ、直也、出よう」

「おう」

 扉を開け、外に出ると、そこには祖父重蔵はじめ、祖母綾乃、母八重、そして紅緒、汐見、未那が待っていた。

「済んだようだな」

 重蔵がそう言うと、八重は微笑みながら直也と弥生の手を取った。

「おめでとう、直也、弥生」

 祖母綾乃が祝福してくれる。

「今日から俺、葛城直也がこの里を治める、みんな、よろしく頼む」

 紅緒たちに向かって直也がそう言うと、

「おめでとうございます、直也様、弥生様」

 紅緒、汐見が祝いの言葉を述べた。未那は黙って直也の腰に抱きついてくる。直也は未那の頭を撫でると、

「さあ、帰ろう。これから忙しくなるぞ」

 そう言って朝日に照らされた館へ向かって歩き出したのだった。

 ついに隠れ里へ着きました。

 物語は完結間近です。どうぞ最後までお付き合い願います。

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