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巻の九十四   弥生救出(起) 見えてきた光明

巻の九十四   弥生救出(起) 見えてきた光明


 吹く風にも冷たさが無くなってきた一月の終わり。直也は仮の家であった麻布を引き上げる準備をしていた。

 今直也は、弥生が望んだであろう己でいようと、必死に振る舞っていた。

 一縷いちるの望みをかけて弥生を待ったが、一日、二日、十日、半月経っても弥生は帰っては来なかった。

 直也はその悲しみを一人心の中に閉じ込め、普段通りに振る舞っている。いや、振る舞っていると思っている。

 だが、紅緒や未那、汐見には、直也が無理をしていることは痛いほどわかっていた。

 そしてわかっていながら、何も出来ない自分を悔しがっていた。


 そして日々が過ぎ、一月最後の日。直也は汐見、未那に留守を任せ、紅緒と共に四谷追分稲荷へ向かった。

 紅緒を預かって貰った礼、家を紹介して貰った礼、そしてまもなく江戸を離れるのでその挨拶を兼ねて。

 途中、油揚げを百枚ほど買う。十枚ごとに経木に包み、それを十束、油紙にくるんでから風呂敷で包む。

 豆腐屋は目を丸くしていたが、直也も紅緒もそんなことは気にせず店を出るのであった。


 青山通りを横切り千駄ヶ谷へ向かい、四谷大木戸を過ぎればじきに目指す四谷追分稲荷である。直也は境内で待ち、紅緒はここの管理者であるたまきを呼びに行く。長いこと世話になっていたので結界の通り方は熟知している紅緒であった。

 待つ間、直也は思いを巡らせる。思えば、初めてここに来たのは一昨年、甲州街道を上ってきたのだった。

 そして二度目は去年。その間に環は寄方に出世し、ここを任されるようになっていた…。

 弥生との旅は長かったが楽しかった。苦しいこともあったが、嫌になることはなかった。

 思えばあの時…

「直也様」

 直也は環の声で我に返る。気がつくと境内にいたはずの参拝客は影も形もない。結界が働いたらしい。

「やあ環、いろいろお世話になったけれど、あと数日で俺たちは江戸を離れるから、その挨拶にな」

 環は心配そうな顔で、

「ええ、竹長稲荷の妹の方へは私から言っておきます」

「そうして貰えるとありがたいかな、俺も紅緒も、環の妹さんとは面識無いから」

 そう言って直也は手土産の油揚げを差し出した。鼻をうごめかした環はすぐにそれが油揚げだとわかったようで、

「まあ! こんなに…ありがとうございます!」

 そう言い、満面の笑みで受け取った。そしてすぐ真顔に戻り、

「立ち話も何ですから、直也様、こちらへおいで下さい」

 そう言って手招きをする。直也はそれを受けた。

 神殿の中に招き入れられた直也は、下働きの狐が淹れてくれた茶をすすりながら、

「何か話があるのかな?」

 そう言って環を見ると、環は僅かに言い淀んだ後、

「このたびは…まことにご愁傷様でした」

 そう言って諸手を突き、頭を下げる。

「日の本のこの国に災厄をもたらす張本人、マーラを倒された弥生様。なのにこんなことに…」

 だが直也はそれを遮って、

「やめてくれ、弥生は死んじゃいない。ただ帰れなくなっただけだ。それに俺は…」

 直也がそこまで言いかけた時、大きな音が響き、続いて環配下の狐が駆け込んできた。

「何事です? お客様がいらっしゃるんですよぉ?」

 環の叱責にその狐は、

「は、はい、そのお客様に合わせろと…その…」

 その言葉が終わらないうちに、女が姿を見せた。

「お前は…」

「久しぶりだねえ、直也さん」

 それは雨降あふりであった。


「一体何用ですか」

 環が毅然として問う、が、雨降あふりはそれを無視して、

「この前は世話になったねえ。…まったく、都合二度も助けられちまった」

 直也はそんな雨降を見返して、

「それで? そんな礼を言うためだけでここまでやって来たんじゃないだろう?」

 雨降はにやりと笑って、

「おお、愛想ないこと。…あんたのお大事な弥生を取り戻す手伝いをしてやろうと言うのにさ」

 それを聞いた直也は文字通り飛び上がった。

「何だって!?…そんなことが出来るのか?」

「直也様、こんな女狐の言うことをお信じになるのですか?」

 そばに控えていた紅緒がたまりかねたように口を挟んだ。だが雨降は、

「うるっさいねえ。化け猫風情が口を挟むんじゃないよ。あたしは直也さんと話してるんだから」

「あたいは猫又だ! 化け猫じゃない!」

 いきり立った紅緒であるが、

「…紅緒、いいから静かにしてくれ」

 そう直也に言われてしゅんとなってしまう。

「…それで、弥生を取り戻す方法って言うのは?」

 雨降は少し得意げに、

「あたしにも異界への門は開けるって言うことさ」

「嘘だ! 直也様、信じてはいけません!…あの術は我が国に伝わる術ではありません、こやつが使えるはずが…」

 環はそこまで言いかけたが、雨降に睨まれて口をつぐんだ。

「まったくうるさいねえ。何かい? あんたたちは弥生が戻ってこなくてもいいのかい?」

 直也は軽く頭を下げ、

「すまん雨降、みんなそんなことは思っちゃいない。ただ、俺のことを案じてくれているだけだ。先を続けてくれ」

 雨降は頷いて、

「あたしはあの時、傷だらけだったけどもすぐ近くにいた。術が働いて異界への門が開いた時も。だからそれを再現する事が出来る、ってことさ」

「本当か…なら頼む、俺に出来ることなら何でもする、弥生を助け出してやってくれ!」

 雨降は妖艶に微笑んで、

「本当かい?…なら…どうしようかねえ…直也さん、あたしの男になってくれ、と言ったらどうするのさ」

 一瞬直也は絶句したが、苦しげな声で、

「…弥生が…助かるのなら…それでも…」

 雨降は苦笑しながらそれを遮り、

「はいはい。わかったわかった。そんなこと言わないから。…それで、一つだけ問題があるのさ」

「何だ? 俺で何とかなるんなら…」

 雨降は懐から掌に乗るくらいの小さな赤い玉を取り出すと、

「これは狐の宝珠さ。これに妖力を一杯に溜めて貰いたいんだよ。…あの術を使うには膨大な力が必要になる。マーラは回向院に溜まった怨念を使ったようだけど、今回は使えない。弥生が浄化しちまったからねえ。更に言うと、あたしが使えるのは狐の妖力だから。

 …この玉、今は暗い赤だけど、これが白く輝くまで妖力を集めてきて欲しいのさ。いいかい、狐の妖力だよ? あたしには弥生みたいに霊力は扱えないからね」

 直也はその玉を受け取ると立ち上がり

「わかった。何としてもやってやるさ」

 雨降は更に、

「あ、期限は今度の満月、十五日までだからね。満月にするのは同じ条件で行いたいから。遅れたら助けられないと思いな」

「…わかった」

 環に別れを告げ、足早に部屋を出て行く直也に雨降は、

「大体だけど、並の妖狐だったら五百から千匹分はいると思うよ」

 そう告げたのであった。


 帰る道々、紅緒は心配そうに直也を見つめていた、が、結局一言も言えず、ついに麻布まで帰ってきてしまったのだった。

 帰るや否や直也は、留守番の汐見と未那を呼び、雨降あふりが言ったことを伝える。真っ先に反対したのは汐見であった。

「直也様! 私は反対です! あの女狐は今はおとなしくしているとはいえ、敵だったんですよ? 鹿角かづの鉄山てつざんはあいつの所為で大怪我を負ったんですから。それに、力を集めるって、それをあいつが自分のために使わないって保証は無いじゃありませんか」

 そこまで言った時、縁側から声がした。

「やれやれ、嫌われてるねえ。ま、しようがないけどさ」

 庭に目をやれば、そこにいたのは雨降あふりであった。

「貴様! どうしてここに!」

「汐見、落ち着いてくれ」

 いきり立つ汐見だが、直也に押さえられてしぶしぶ座り直した。

「あたしが信用できないって言うならそれでもいいさ。でもこれだけは言っておく、狐族の誇りにかけて、二度も助けられた、その恩は返す。必ず」

 直也は微笑んで、

「わかっているさ、雨降。俺はお前を信用してるよ」

 雨降はにたっと笑い、

「それは嬉しいね。それじゃあもう一つ、そこの鬼女おにおんなは置いていってくれないかねえ? 仕掛けをする手伝いをして欲しいんだけど」

 直也は少し考えたあと、汐見に向かって両手を突き、頭を下げる。

「汐見、いろいろ含む事はあると思うけれど、ここはひとつ、雨降の言うことを聞いてくれないだろうか」

 汐見は慌てて、

「おやめ下さい直也様!…わかりました、直也様がそこまでおっしゃるなら、直也様がお帰りになるまで、私はあいつの手伝いをします」

 直也はそんな汐見の手を取って礼を言った。

「有難う、汐見」

 そして未那と紅緒に向かって、

「未那、そんなわけだから、今夜にでも出発する。紅緒、来てくれるな?」

「…父さまの役に立てるならなんでもする」

「直也様の御身の安全はあたいがお守りします!」

 二人とも肯いたのであった。


*   *   *


 旅支度を済ませ、汐見にしばしの別れを告げる。

「直也様、くれぐれもお気を付けて」

「汐見、後のことは頼んだよ」


 そして時は一月の終わり。月は無い、真っ暗な夜空の下、歩き出す三人。

「直也様、…当てはあるんですか?」

 紅緒は心配そうだ。そんな紅緒に直也は、

「ああ、弥生との旅の初め頃、大勢の狐を率いた長と知り合ったことがある。まずそこを尋ねよう」

「どこなんです?」

 直也は少し考え、

「会津の方だ。磐梯山が見えるあたり。猪苗代湖…と言ったか、あそこから北へ山へ入ったあたり、くらいしかわからない」

「それでも随分違いますよ。…未那、行ける?」

 未那は力強く頷き、

「…いく」

 そう言うと直也と紅緒の手を取り、「縮地」の術を使った。


 会津へ真っ直ぐ向かう街道はないが、今の直也達には大きな問題ではない。

 未那の縮地を使い、大まかに進んだ後、紅緒が道を確認、徒歩で移動、宿場があったなら旅籠に泊まり、人家があれば人家に泊めて貰う。

 そんな繰り返しで三日。会津若松に着いた直也達は拠点となる宿を取り、連日狐の一族を捜していた。

 一日、二日と時が過ぎ、今直也は猪苗代湖の湖畔に立っていた。雪をかぶった磐梯山が夕日に映え美しく湖面に投影されている。

 だが直也にはそんな風景を愛でている余裕はなかった。


「直也様、今戻りました」

 直也の記憶を頼りに、紅緒が付近の山を偵察に駆け回っているのである。因みに未那は縮地を多用したため、疲労困憊して宿屋で眠っていた。

「ご苦労さん、紅緒。で、どうだった?」

「申し訳ありません、見つかりませんでした」

 そう答えてうなだれる紅緒。しかし直也は、

「しようがない、紅緒が悪いわけじゃないさ。俺がちゃんと覚えていれば…」

 あの頃は旅を始めたばかりで、直也は全面的に弥生に依存していたのである。

「そうなると残るはもっと奥か…」

「はい、でもまだ雪が残っていて大変ですよ」

 二月、春とはいえ、北の国はまだまだ雪深い。それでも直也は行く気であった。

「明日は宿を払って北方きたかた(現喜多方市)へ行くぞ。紅緒、ゆっくり休んでくれ」

「明日で八日目です、帰る日数を考えるとあと三日しかありません…見つかるでしょうか?」

 弱気になる紅緒。無理もない、毎日朝から晩まで付近の山々を経巡っているのだ。猫には苦手な雪の中を。

「済まない紅緒、お前にばかり苦労をかけてしまって」

 あわてて首を振る紅緒。

「いっいえ、そんなつもりで言ったんじゃないんです!…あたいは平気ですから!」

 紅緒はそう言ってすたすたと宿へ向かっていった。


*   *   *


 翌朝、直也達三人は北方へと向かう。雪の残る道、歩きにくい。途中、突然直也が立ち止まった。

「直也様?」

 直也はじっと北にある山を見つめている。そして徐に、

「紅緒、ここから見えるあの山な、…三角の山の後ろに見える、ちょっと低い、頭の丸い山…」

「はい、わかります」

「あの山に何となく見覚えがあるんだ、調べてきてくれないか?」

 紅緒は大きく肯くと、

「はい! では行ってきます」

 そう言ってあっという間に見えなくなった。

 直也と未那は紅緒を待つ間、日だまりの石の上に腰掛け、宿で作ってもらった握り飯を食べることにした。そこに通りかかったお百姓。

「あんつぁ、あんべ悪いだか? そったらとこでべんと喰って」

 直也は顔を上げ、

「いや、ちょっと連れが用を足しに言ってるんで、その間に食べとこうと思って」

「ほうかね、そっだらいいけんど、この辺にはたちの悪りぃ狐が出んでな、気ぃつけなせぇや」

 そう言って立ち去っていった。

 きつね。確かに百姓はそう言った。直也はほんの少し希望が見えてきた気がした。

 そして待つこと一刻程。紅緒が戻ってきた。直也はそれをねぎらい、まず腹ごしらえをするようにと握り飯を差し出した。

「…直也さま、…狐の山は見つかりませんでしたけど…ちょっとおかしな場所が…」

 食べながら話し出す紅緒に直也は食べ終わってからにしろと手で制す。そして握り飯を呑み込んだ紅緒に向かって、

「おかしな場所?」

 紅緒は竹筒から水を飲み、大きく息をつくと、

「はい、何と言いますか、…そう、結界?…が張られている様な感じのする場所があったんです」

 結界。あの時、弥生は何と言った? 記憶の糸をたぐる直也。

 確か、知恵を貸したと言った。弥生が貸した知恵とは?…結界の張り方と言う可能性もある。

 さっき、この辺に狐が出るらしい事も聞いた。違っていたら少ない残り時間を更に短くする。だが、山の形といい、紅緒の勘といい、百姓の話といい…

「よし、そこへ行ってみよう。紅緒、案内してくれ」

 直也は決心した。違ったらまた他を探すだけだ。労を惜しんではならない。

「はい、ではこちらです」

 紅緒は先に立って歩き出した。

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