巻の九十二 決戦(転) 死闘
巻の九十二 決戦(転) 死闘
回向院では直也達の戦いが続いていた。
弥生の放った狐火は鵺の胴体を燃え上がらせる。更に追撃の狐火を放つ弥生。その威力に、流石の鵺も力なく頽れた。
「まだ油断できぬ」
そう呟き、慎重に様子をうかがう弥生、そして未那。弥生は同時にマーラの動きにも気を配っていた。
マーラの口元が歪んだ、その刹那。
「そこじゃ!」
切り払った鵺の尻尾、それは蛇として未那を狙っていたのである。だがそれは弥生の放った紫の狐火により消滅した。
その時初めてマーラが憎々しげな表情を浮かべた。
「未那! 直也を頼む!」
鵺を倒した弥生は、マーラの出方を窺いつつ、未那に指示を出した。
直也の所へ駆け寄る未那。
「…父さま、あぶない!…土よ、壁となれ!」
未那が土を以て作り出した防壁は、間一髪、毒液から直也の身を守った。両断された大百足は、それが最後のあがきだったらしく、ついに動かなくなる。それを見届けた直也は、
「ありがとう、未那。おかげで助かった。急いで紅緒を見てやってくれ」
そう言って自らは汐見を助けに向かった。汐見は身体を引きちぎらんとする鬼の力に必死に抗っている。
「汐見を放せ!」
汐見を掴んでいる鬼の左腕を切断。返す刀で右腕も切断した。
「きゃあっ」
「汐見!」
落下する汐見を受け止める直也。
「大丈夫か?」
「は、はい、ありがとうございます」
だが、鬼の力で責められた身体は、そうとうに痛んでいるに違いない。それを仕草から見て取った直也は、
「少し休んでいろ」
そう言うが早いか、両腕を切断され、のたうち回る鬼の心の臓に翠龍を突き立てる。
「ぐおおおおお…」
耳をつんざく咆吼を残し、鬼は動かなくなった。
一方、鉄鼠と対峙した弥生は、
「一度消滅したくせに、未練が過ぎるぞ」
そう言うが早いか、印を組み、
「のうまくさんまんだぼだなん…」
呪を唱える。すると鉄鼠の動きが止まり、
「…ぼだなんぼろん」
くずおれて土と化した。
鉄鼠の尻尾に胸を差され、大木の根元にうずくまる紅緒の所には未那が駆け寄り、介抱していた。
「…お姉ちゃん、しっかり」
「紅緒!無事か!」
直也も駆け寄ってくる。
「…ううん…」
「紅緒!」
紅緒が目を開けた。
「あれ? あたい…」
不思議そうに自分の身体をさする紅緒。と、手に触れたもの。
懐から取り出したそれは、直也が与えた守り刀であった。鉄鼠の鋭い尻尾は、懐に入れられていた守り刀によって、紅緒の身には届いていなかったのである。
「これが守ってくれました…、ありがとう、直也様…」
「良かったな、紅緒」
喜ぶ直也達。だが、
「これで終わりではないぞ」
弥生の声に、顔を上げる。弥生はマーラに向き合い、隙を窺うように睨み合っていた。
「ふ、うふうふ、うふふふ…」
不気味に笑うマーラ。
「藻、いや今は弥生と呼びましょう、…堕ちましたね」
「何?」
不気味に顔を歪めたままマーラは続ける。
「かつてのあなたは群れて戦うのを良しとしなかった。それだけの誇りがあった。魔道に堕ちても、あなたは独りでこの国を相手取っていた。それが今はどうです。格下の妖や人間と一緒に戦っている。足手纏いとわかっていて一緒にいる。人間が絆とか呼ぶしがらみに縛られている。狐としてそれでいいのですか」
直也は一瞬、弥生の感情が高ぶるのを心配した。だが、今の弥生は、冷静にマーラの言葉を受け流している。
「貴様などには理解出来まい。絆は繋ぐもの。縛るものではないことを。仲間が、家族が、どれだけ力を与えてくれるかを。生きている者の繋がりがどれだけ尊いかを」
マーラはその言葉に対し、
「詭弁ですね。所詮この世は弱肉強食。そんな弱いものの理屈に耳を貸す必要はありません」
だが弥生は更に、
「弱肉強食、それは確かじゃろう。じゃが、弱いとは何じゃ?強いとは何を以て言う? 強い者も更に強い者に負ける。そしてどんなに強くとも、生き物である以上、老いと死には抗えぬ。それがこの世の理じゃ」
マーラは憎々しげに顔を歪め、
「…沙門ゴータマの教えか」
「違う。確かに仏陀はそれを説いた。じゃが、教えがあろうと無かろうと、関係なくこの世は成り立っておる。貴様はそのこの世の理からはみ出した、存在してはならぬ存在。故に滅する!」
弥生の全身から吹き出す霊気。マーラはそれを感じ取るが、余裕の笑みを浮かべ、
「先ほどの手合わせであなたのお仲間とやらの実力は把握しました。猫又、鬼のなり損ない、化け猫、そして只の人。これでどうです?」
マーラが指を鳴らすと、境内の様子が一変した。肌を刺すような風が吹き、目の前の立木が一瞬で霜に閉ざされ、真っ白に凍り付いた。
「結界か」
それを見て取った弥生が呟く。
「そう、猫も人も、寒さには弱いでしょう。この結界の中はどんどん冷えていきますぞ」
ぴしっと音がして立木の幹が避けた。
「このままではあなたは兎も角、お仲間は危ないですぞ」
勝ち誇ったようにマーラが言う。だが弥生は薄く笑うと、指を鳴らした。
同時に風が止み、一瞬で気温が元に戻る。
「な…っ!」
初めて、マーラが驚きを顔に浮かべた。
「ふん、ここへ来るにあたって何も対策しないで来たと思うか。貴様が仕掛けしていたと同様、儂も前もって呪符を埋めて置いたわい」
「さかしい事を…!」
マーラの顔が憎しみに大きく歪む。その顔目掛け、弥生の狐火が投げつけられた。
「こんなもので!」
黄色の狐火を手であっさりと払いのけるマーラ。
「ならこれはどうじゃ! 木剋土、招雷!」
「ふん、しゃらくさい」
先手必勝とばかりに、たたみかけるような弥生の術を、マーラは平然とさばいていく。
「弥生、お前の手の内は全て知っている、吾には通じぬ」
それを聞いても弥生の攻撃は止まない。
「全て…じゃと?…本当に…そうかな?…おん・ばざら・けいと・したら・うん・はった」
「な…何だ?それは?」
「南無勝軍地蔵菩薩、怨敵調伏!」
印を組んだ弥生の指先がマーラに向けられ、力の奔流が迸る。
「ぐ…おおおおおおっ!」
初めてマーラが苦しみの声を上げた。
「戦国の世に信仰された勝軍地蔵菩薩の真言じゃ、貴様は知るまい」
「くおお…生意気な狐めえ…」
マーラの妖気が膨れ上がった。
「来たれ暗黒、覆え常闇、一切を滅ぼせ!」
その掌から禍々しい闇が湧き出し、弥生に向かう。だが、
「させるか!」
白銀の刃が煌めき、闇は切って捨てられた。
「ぬう!…神刀か! 人間風情が…!」
淡く光る翠龍を構えた直也に向かってマーラが憎々しげに言葉を投げ付けた。
「直也!…危険じゃぞ!」
あくまでも直也の身を案じる弥生だが、直也は微笑みながら、
「俺が弥生の盾になる、心置きなく術を練ってくれ」
そう言ってマーラに向き直った。マーラは歪めた顔で直也を睨み、
「小僧、たかが人の分際で吾に楯突く気か」
「ああ、弥生を守るためなら、神だろうと悪魔だろうと、俺は恐れはしない!」
そう言って翠龍でマーラを牽制する直也。その右後ろから石つぶてがマーラ目掛けて飛んだ。
「…父さまと母さまに手出しはさせない」
未那は直也の右側に立ち、堂々と言ってのけた。
「風よ!」
直也の左から鎌鼬がマーラを襲う。
「あたいは紅緒。直也様と弥生姉様はあたいが守る!」
「お主ら…」
自分の前に立ち、マーラと正面から対峙する仲間達、弥生は今こそ好機と、術の詠唱に入る。
「ふん、雑魚が!」
マーラは大岩を操る。それは直也達の頭上をを跳び越えて弥生目掛けて放たれた。だがそれは錫杖の一閃で砕かれる。
「杜人一族、汐見。マーラ、お前には負けない!」
「生意気な…雑魚がいくら集まろうと所詮は…」
マーラが憎々しげに言い捨てたその時。
「マーラ、滅べ」
弥生の術が完成した。
「ひ ふ み よ い む な や こともちろらねしきるゆゐつわぬそをたはくめかうをゑにさりへてのますあせえほれけ…」
古神道の祓言葉である。
「ぬ ぬっ!…ぐわあああ…っ…」
マーラがのたうち始めた。更に弥生は術を重ねる。
「あ ち め お お お …」
「おのれ、おのれ…このようなことで…吾が…」
弥生は重ねて、
「と ほ か み え み た め は ら い た ま え き よ め た ま え …」
地に伏したマーラの姿が薄れていく。
「直也、今じゃ!」
「応!」
弥生の声を受け、直也は翠龍でマーラを両断した。
「お お お ぉ ぉ ぉ ぉ ………」
マーラは叫び声を残し、文字通り消え去った。
「終わった…のか?」
ややあって、直也が口を開いた。弥生は慎重に辺りの気配を探っていたが、
「うむ。最早マーラの気配は感じられぬ、ようやく滅び去ったようじゃの」
そう言う弥生の顔は晴れ晴れとしていた。
「直也、紅緒、汐見、未那。…感謝する、おかげでマーラを倒すことが出来たようじゃ」
「水臭いこと言うなよ、弥生一人の敵じゃなかった、だからみんなで倒した、それだけさ」
「そうですよ、姉様」
弥生は深く肯いて、
「そうじゃな。だとしても礼を言わせてくれ」
やがて一行は、最後の石塔を探しに、境内の奥へと向かった。それはすぐに見つかる、だが。
「…これは…」
「マーラめの最後のあがき、じゃな」
直也達の目の前には、五つの石塔が立っていたのだ。
「一つが本物、残り四つは…罠じゃな」
弥生の見立てに寄れば、本物以外を壊すと、何らかの術が発動する可能性があるという。
「どれが本物かわかるか?」
石塔は五つ、星形に並んでおり、どれが中心、と言うこともないし、大きさ、形共に見分けが付かないくらいに似通っている。
ここで直也が未那に、
「未那、何かわからないか?」と尋ねる。石妖でもある未那なら何かわかるかも知れない、そう思ったのだ。
未那はしばらく石塔の周りを巡ったり、表面を撫でてみたりしていたが、
「…ごめんなさい。わからない」
しゅんとした様子でそう答えた。弥生はそんな未那に優しく、
「気を落とすでない。マーラめは一筋縄ではいかぬ相手じゃった。このくらいの仕掛けはしておって当然じゃ」
更に調べ、考える直也達、だがやはり本物は見分けられなかった。その時直也が、
「なあ弥生、こうなったら罠を覚悟でやってみるしかないんじゃないか?」
「うむ、そうじゃのう…そうとなれば一気に始末するか」
直也の意見に賛同した弥生は、
「皆、下がれ。…そうじゃ、三十間(約54m)以上下がってくれ」
罠が発動したとしても対処可能なほど離れた直也達。それを確かめた弥生は手に白い狐火を五つ灯し、石塔目掛けて投げつけた。一瞬、まばゆい光が溢れ、次の瞬間には四つの石塔は消えており、残ったのはただ一つ。
「本物は狐火程度では壊せぬ、か。…思ったより簡単じゃったな」
「でも何もおこらないぞ」
本物がわかったのはいいのだが、何もおこらないと返って不気味でもある。
「マーラの奴がいなくなったから罠も発動しなくなったんじゃないですか?」
紅緒が自分の推測を述べる。
「うむ、そうかもしれぬ。いずれにせよ、残った一つも壊さねばなるまい」
「よし」
翠龍を抜いて石塔に近寄る直也、それを弥生は制して、
「いや、直也、これは儂にやらせてくれ、最後のけじめとして儂のこの手でけりを付けたい」
「わかった。でも…出来るのか?」
これまで、弥生の力では石塔は壊せず、直也が翠龍で斬り崩していたのである。
「大丈夫じゃ。やり方に見当が付いたからのう」
それで直也は翠龍を鞘に収め、一歩下がる。弥生は静かに目を閉じ、霊気を高めた。それは次第に強まっていき、やがて弥生の体が光っているかのようにまでなったのである。
そうなった弥生は目を開くと手に霊力を溜め、石塔に近づいた。そして、
「消えよ!」
一気に高めた霊力を放つ。さしもの石塔もその力には耐えられず、ぼろぼろと砂の様に崩れ去った。
「これで…」
直也が弥生に声を掛けようとした時、それは起こった。
石塔のあった空間が歪み、黒い穴が生じた。一番側にいた弥生はあっという間に穴に呑まれる。
「弥生!」
直也は一足飛びにその穴へと飛び込んだ。二人を呑み込んだ穴は生じた時と同じように、一瞬で消滅する。
後に残ったのは途方に暮れる紅緒、汐見、未那の三人であった。




