巻の九 鬼と山賊(前)
巻の九 鬼と山賊(前)
みちのくにも夏が訪れ、緑溢れる山道を辿る二人連れがいた。
「なあ弥生、いくら北国だっていっても涼しすぎないか?」
直也が不思議そうに尋ねる。
「まったくじゃのう、これは今年は冷夏になるやもしれぬな」
弥生はそう答える。
「これじゃあ作物も育たないんじゃないか?」
周りの木々の葉はまだ瑞々しい緑色をしてはいたが、蝉の声などはあまり聞こえない。
「うむ、聞くところによると昨年、一昨年も寒い夏だったらしい」
「それは大変じゃないか…弥生の力で何とかならないのか?」
「無茶を申すな。一時的、局地的なことならともかく、天候や気候を自由にするなどということは天狐様でも無理じゃ」
「やっぱり無理か…おや?」
直也が足を止めた。その先には、十歳前後の子供が倒れていた。髪はぼさぼさ、着ているものもぼろぼろで、全身埃と土で汚れ、男の子か女の子かもわからないほど。
「...おい、どうした?大丈夫か?」
「...ぅ...」
駆け寄った直也が抱き起こすと、まだわずかに息をしてはいる様だ。霍乱(日射病)か何からしい。
とりあえず木陰に横たえ、直也は腰の竹筒の水を飲ませた。子供はゆっくりではあるが、水を飲み込み、…やがてうっすらと目を開けた。
「気が付いたか?」
その声にびくっとして、身をすくめる子供。
「怖がらなくていいよ。俺たちは旅の者だ。俺は直也、こっちのお姉さんは弥生。君は?」
「…しず」
女の子らしい。
「しずちゃんか、お腹空いているのかな?」
こくりと頷くしず。そこで直也は干飯を出し、水に浸して戻してからしずに与えた。
よほどお腹が空いていたのか、文字どおりがつがつとそれを平らげるしず。咽も渇いていたらしく、竹筒の水を美味そうに飲み干した。
ようやくひとごごちが付いたらしく、ため息を一つ付くと、
「…ごちそうさま」
「うん、もう大分元気になった様だね。家は何処だい?送っていこう」
「……」
「?」
「家は…ないの」
とつとつとしずが語ったところによると、しずの家や両親、兄弟、親戚を含む集落は、三年前の飢饉の時、山賊の襲撃に遭い、全滅したそうだ。
しずはたまたま山に遊びに行っていて助かったという。
それからしずは、山に入り、春は山菜、夏は虫を、秋は木の実草の実、冬はそれまでに蓄えた木の実草の実を食べて飢えを凌ぎ、時々通る旅人に恵んでもらったりしながら生き延びてきたという。
「…何という事じゃ…」
弥生がため息をついた。
「今でもそんなことがあるのじゃな…」
まる大昔にそういうことがあったのを知っているような口ぶりだが、それよりもしずのことが気になり、
「しずちゃん、俺たちと一緒に来るかい?」
「え?」
「ここにいても駄目だ、どうやら今年も寒さでで凶作になりそうだし。もう少し住みやすい所を探そう」
優しく直也が言う。弥生は何も言わなかった。
「…うん」
「よし、そうと決まったら身だしなみをきちんとしなきゃな。弥生、着るもの何とか出来ないかな?」
「丈が合わんのう…」
子供用の着物は仕立てが違うので、おいそれと着せるわけに行かなかった。弥生の術でならどうにかできるが、しずの目の前で術を使うのははばかられる。結局、どこかこの次に立ち寄った町で手に入れることに決めた。
次は身体の汚れだが、しずによると近くには水場が無いらしい。今年の梅雨は雨が少なく、みな涸れてしまったというのだ。
「さっきのお水…すごくおいしかった…でもお兄ちゃん達のお水は…」
「大丈夫じゃ、心配するでない」
弥生は安心させる様に微笑むと、
「水を探してくる」
そう言い残し、竹筒を持って茂みに消えた。
直也達から十分離れたことを確認した弥生は、狐の耳と尻尾を生やす。術を使う準備でもある。
その弥生は竹筒を二本、それぞれ左右の手に持つと、目を半眼に据え、口の中で呪を称えた。
すると、次第にあたりの空気が湿っぽくなり、靄がかかる。やがてそれは目に見える水滴となり、だんだんと一つにまとまり、最後には竹筒に吸い込まれていった。
「…はあ、はあ」
弥生は疲れた様にその場に膝を付き、荒い息を吐いた。実際、空気中の水分を集めるだけ集め、飲み水にするには広範囲の「水」気を操らねばならない。
それには膨大な空間に力を拡げるため、弥生ほどの大妖でもひどく消耗する。直也はそんなことを知るよしもないし、弥生もわざわざ直也に教える気は無かった。
そして弥生は少し休んだ後、何食わぬ顔で直也達の所に戻った。
「ほれ、水じゃ」
「ありがとう、弥生」
「お姉ちゃん…どこでお水を? このあたりの水場はみんなだめになってるのに」
「はは、弥生お姉ちゃんはすごいからな、普通の人じゃ行けない様な所から汲んできたんだろうね」
「…ふうん」
それで納得したのかしないのか、しずはそれ以上詮索することはなかった。
「さて、今夜寝るところを探すとしようか」
日の長い夏とはいえ、早めに見つけておくにしくはない。その時、
「…ほらあなならあるよ?」
「洞穴?」
「うん。…去年から住んでるの」
そこでしずに案内してもらい、その洞穴に案内してもらった。
街道から少し入った所にある大岩、その下に穴はあった。入口は狭いが中はそこそこ広く、湿っぽくはない。枯れ草が敷いてあり、夏の今頃ならまずまず快適に過ごせそうである。
直也は夕食の餅を焼くため、火をおこすことにした。いつもなら弥生が狐火をおこしてくれるのだが、しずがいるのでそれもできない。
火打ち石を使い、火口に火を付ける。それを木片に移そうとすると、
「手伝う」
そう言ってしずが何やら差し出した。見ると岳樺の樹皮である。これは鉋屑のように薄く油っ気があり火がつきやすい。さすがに一人で暮らしていただけのことはある。
直也よりも手際よく火を付け、種火を小枝に移していく。じきに餅を焼くには十分な火が燃え上がった。
餅を火であぶり、しずに差し出す直也。
「…いただきます」
おずおずとそれを受け取ったしずは、うれしそうにかぶりついた。
直也と弥生も餅を食べる。健啖家の弥生も今日だけは静かに食べている。冷え込んできた夕まぐれ、燃える炎の色が暖かかった。
ささやかな食事が済むと、もうすることがない。弥生も疲れた様な顔をしているので、休むことにする。
「お兄ちゃんはここ」
枯れ草と藁を整え、しずが寝床を作ってくれる。
「お姉ちゃんはここね。…そしてしずはここ」
そう言って、直也と弥生の間に自分の寝床を作り、ちょっと恥ずかしそうにしずは寝っ転がった。
ちりん。小さな音がした。
「…鈴?」
「うん。これ、たった一つ残った、お母ちゃんの形見なの」
そう言って、懐から小さな鈴を出して見せる。
「これがあれば、いつもお母ちゃんといっしょ」
そう言って、右手で弥生の、左手で直也の手を握り、
「…おやすみなさい」
弥生はそんなしずを優しい眼差しで見つめ、目を閉じた。まだ眠くなかった直也もなんとなく目を瞑っているうちに、眠りに落ちた。
* * *
朝は残った干飯を水で戻して食べた。これで直也達の持っていた食料は終わりだ。
これからどうするか相談した末に、それ以上北へ向かうのを止め、西へ向かうことにした。
弥生が言うには、
「この寒さは北東から『やませ』という冷たい風が吹いてくるからじゃ。じゃから西の方ほど影響を受けにくいはず」
それからしばらくは山の中を辿った。一つ峠を越えると、少し緑が瑞々しい感じになる。わずかだが気温も上がったような気がする。
昼食は、しずが見つけてきた、まだ早くて熟してもいない木通を食べる。熟してはじけたものは甘いのだが、これはほとんど何の味もしなかった。
「…不味いのう」
「…しずちゃんは、こういうものを食べていたのかい?」
「うん、…そうしなければ生きられなかったから」
それでも、腹の足しにはなり、なんとかその日のうちにもう一つ峠を越えることが出来た。
その夜は、三人、大きな木の下でよりそって眠った。
翌朝、早く起きた弥生は、森の奥へ向かった。ひらりと木の枝に飛び上がる。
そして木から木へと飛び移って、鳥の卵を探すのだった。夏のことで、子育ては終えてしまった鳥が多かったが、なんとか六個ほど確保することが出来た。
一応、全部失敬するのではなく、一つの巣からは一個だけをいただいてきたのは弥生の気遣いである。
「ほれ、今朝は卵じゃ」
「わあ、弥生お姉ちゃん、すごい! どこでみつけたの?」
「そこら中の木から集めてきたのじゃ」
「ふうん」
卵を食べるのはあっという間だ。それで一行は日が高くなって暑くなる前に出発した。
時に獣道や踏み跡をたどり、ただひたすら西へ歩き続ける一行の前に、小さな流れが現れた。
「水だ…」
「うむ、ようやくまともな土地に近付けたという事じゃな。直也、これからどうする?」
「この流れに沿って下れば、川も広くなるし、人里に出るんじゃないかな? 川の側には必ず人間が住んでいると思うし」
「よし、ではそうするか」
それで一行は流れに沿って下り始めた。
時には流れの中を歩き時には迂回しながら下っていく。徐々に水量が増してきた。
それと共に、流れの音とは明らかに違う音が聞こえてきた。更に下り、そこで見たものは…
滝であった。落差二十間(約36m)程、弥生ならいざ知らず、直也としずにはとてもここを下りることは出来そうもない。
「まいったな…」
そう呟く直也に弥生は、
「川に沿って下るというのにはこういう危険もつきまとうと言うことを覚えておく事じゃ。今回は体力に余裕があるからいいが、道に迷った時は命取りになりかねんからのう」
その言葉に顔をしかめる直也。
「弥生、わかってて…」
「勘違いするな、滝があるかどうかは知らなかった。今のは一般論じゃ。運が良ければ滝に出会わずに人里に出られるとは思ったがな」
これも経験じゃ、と直也に諭し、一行は大きく迂回して滝の下に出ることとなった。
とはいうものの、夏の事とて、藪は深く、道は無く、結局午後になってようやく滝の下に出られたのだった。
それでも、悪いことばかりではなかった。滝の下には淵があり、沢山の魚が泳いでいたのだ。
「魚止めの滝というわけじゃな、直也、覚えておけ、今まで辿ってきた沢には魚がほとんどおらんかったじゃろう。この滝のせいで遡上できなかったのじゃ。つまり、魚のいない沢は、下流に魚が登れない大きな滝があると思って良いというわけじゃ」
「ということはここから下流には大きな滝は無いということか」
「そういうことじゃな」
安心した直也は、この付近で露営することを提案した。魚も豊富なので、食べるに困ることもなさそうだし。弥生も賛成したので、直也は大岩と大岩の陰に草を敷き、枝を集めて簡単な屋根をかけた。今夜の寝床の出来上がりだ。
次に直也は薪を集めてくることにする。川原には流木がたくさんあったので薪には事欠かない。
その間に弥生は埃まみれのしずの身体を洗ってやることにした。
「からだ洗うの、ひさしぶり」
そう言ってしずは裸になって淵に飛び込んだ。弥生も着物を脱ぎ、一緒に川に入る。冷たい水が心地よい。
身体にこびりついた泥や汚れを洗い流すと、しずの素肌が現れた。痩せこけてあばらは浮き、身体のあちこちに傷がある。見ていて痛々しいような身体である。
「苦労したんじゃな、よく生き延びたものじゃ」
そして髪を洗ってやる弥生。
「…きもちいい」
しずが嬉しそうな声を上げる。その髪を洗う弥生の手がふと止まった。
「これは…」
こめかみの辺りの肉が小指の先程の大きさに、わずかに盛り上がっていたのだ。腫瘍や出来物ではないようだが、何となく弥生の心に引っかかるものがあった。
そこに直也の声がした。
「弥生ー、もうそっち行っていいか?」
弥生としずが水を浴びている間、直也は茂みの中から出るに出られず、暑い思いをしていたのだった。
「うむ、もう少し待て。今着物を着るからの」
そう言ってしずの身体を拭いて着物を着せ、自分も身につけた。
「もう良いぞ」
その声で直也が茂みから現れる。手には沢山の枯れ枝を抱えていた。焚き付け用である。
「…見ておったのか?」
「な、何を!?…弥生としずちゃんの水浴びしているところなんて見てないよ!…お、俺も水を浴びてくる!」
そう言って直也も水を浴びに駆け出していった。
「…見とるのではないか」
弥生はにやりと笑う。そんなところはいかにもいたずらな狐の表情であった。
直也は汗ばんだ身体を冷やすように淵に飛び込み、しばらく泳いだ後、さっぱりして着物を着る。そしてそろそろ夕飯の支度だ。
直也としずが火を熾している間に弥生が魚を取ることにした。
真っ直ぐな木の枝の先を尖らせた即席の銛で、次々に山女魚や岩魚を突いていく。あっという間に魚が山になった。
まだ明るいうちに支度が調い、一行は久しぶりに腹一杯の食事をすることが出来た。
「…おいしい」
「うむ、うまい」
塩も何も付けずとも、空腹は一番の調味料。今夕は弥生も遠慮無く次から次へと焼き魚を平らげた。
それでも魚が余ったのでもう一度良く火を通し、翌朝の分にとっておくことにする。
腹がくちくなると、今日一日の疲れが出たのかしずがうつらうつらし始めたので、直也が寝床へ連れて行って寝かせる。
立とうとすると袖が引っ張られた。見ると、しずが直也の袖をしっかり掴んでいた。
「ふふ」
直也もそこに横になり、しずの頭をそっと撫でてやるのだった。そこへ弥生もやってくる。
「懐かれたものじゃな」
「ああ。…俺は一人っ子だったから、妹が出来たみたいで嬉しいよ」
翌朝、残しておいた焼き魚を食べる。冷えた焼き魚は硬くなって美味くないが、腹の足しにはなった。
「さて、もう少し下れば人里に出られるだろう」
そう言って歩き出したのだが、川原が狭くなったり、藪に覆われていたりして、なかなか人里が近いという雰囲気ではない。
それでも、次第に川幅が広くなり、水辺で跳ねる魚も、山女魚や岩魚から、石斑魚や鮎になり、中流域にさしかかったことが感じられた。
そして昼頃。川原に焚き火の跡を見つけた。ここ数日で初めて見た、人間がいた痕跡だ。
「ここらで休もう」
そう言って直也は平たい石に腰を下ろした。弥生としずも横に座る。
「昼にするか。…おや?」
弥生の視線を追っていくと、何やら黄色い実が一面になっている。木苺らしい。
「いちごだ!」
そこで三人で木苺を摘む。黄色いのでまだ熟していないのかと思ったが、これはこういう種類らしく、食べてみると美味しい。
「甘酸っぱくておいしいね」
「うむ。これはなかなか」
棘が邪魔だったが、それにもめげずたらふく食べて三人とも満足した。
しかしこれだけでは腹持ちが悪そうなので、弥生がまた即席の銛で石斑魚を少し捕る。
「弥生お姉ちゃんって何でも出来るんだ…」
しずはあこがれるような目で弥生を見つめていた。
焚き火の跡から少し行くと、踏み跡が見つかった。それを辿っていくと、やがて細い道になり、細い道はしっかりした道となって、ようやく人里の気配が近づいてきたのは夕方だった。なんとなく足早になった三人の前に、蕎麦畑が広がる。
「畑だ…」
「うむ、やはりこの辺は作柄はまずまずの様じゃな」
遠くに、畑仕事をするお百姓の姿が見えた。久しぶりに見る人影に、つい近寄っていくと、後から、
「おはな? おはななの?」
振り向くと、村のおかみさんらしき人が、しずの方へ向かって駆け出してくるところであった。
「おはな!」
そう言ってしずを抱きしめる。
「あたしは…しず。おはなじゃないわ」
しずがそう言うと、おかみさんはまじまじとしずの顔を見ると、がっくりと肩を落とした。
「そうよ…ねえ。…ごめんなさい、おしずちゃん。おはなが生きていたらちょうどあんたぐらいの年格好だったろうからつい…」
「ううん、いいの。…おばちゃん、おはなちゃんって…」
「あたしの娘。二年前に神隠しに遭ったの。ごめんね、間違えて」
「ううん」
おかみさんが落ち着いたのを見計らって直也は、まず名乗った後に自分たちは旅の者だと説明し、村の事などをいろいろと尋ねた。
それによるとこの先に百戸ほどが集まった大きな村があり、山の中ながら割合豊かに暮らしているという。
おかみさんはおけいと言い、わりと大きな家の主婦だそうだ。
宿のことを尋ねると、自分の所に泊まれと言う。しずの着物のことも相談すると、おはなのお古で良かったら、と言ってくれた。
「ありがとうございます」
そう言って、村への道を一緒に辿る。また林の中に入った。今度の林は杉林、植林のようだ。農耕、林業、牧畜など、多彩な収入源があるらしい。山村とはいえ、そこそこ豊かに暮らせるわけである。
あと少しで林を抜けるという、その時、矢が目の前の木の幹に突き立った。
「直也!」
弥生が直也をかばう。直也はおしずとおけいをかばった。
そこに現れたのは荒々しい顔に伸びた髭、手に刀や弓を持ち、明らかに山賊とわかるいでたちの男が四人。
「ほう、女が二人、…っと、そっちの餓鬼も娘か、まあいいだろ。そっちの小僧は用がないからやっちまいな」
弓を持った兄貴格の男が手下の一人に指示を出した。もう一人がおけいとしずを、残りの一人が弥生に刀を突きつける。
「動くなよ、動いたらばっさりだからな」
「小僧が切り刻まれるのを見物してな」
「お兄ちゃん…」
しずは泣きべそをかいている。
「くたばんな、小僧」
直也に向かって山賊の刀が振り下ろされた。
直也は咄嗟に体をかわした。
「こいつ」
横薙に振り回される刀。直也はそれもかわした。
「すばしっこい野郎だ」
今度は二人がかりで斬りかかってきた。楽に、という程ではないにしろ、直也はすべてかわしていく。弥生はそれを見つめていた。
弥生の素早さは人間の比ではない。剣の達人であっても弥生の速さには付いて来られないだろう。
その弥生と幼い頃から一緒にいた直也は、常人より素早く動けるのが当然と言えば当然と言えた。
それに加えて、高崎宿では剣術の手ほどきまでしたのである。故に弥生は手を出さずに見守っているのだった。
「馬鹿野郎、何もたもたしてやがる」
兄貴格の男の気が逸れたその時。弥生が動いた。
手刀一閃、弓の弦を切断する。これで弓矢による攻撃は出来なくなった。
あわてて刀を抜く山賊、だが既に弥生は後に回っており、男の右手を掴むと、一気に捻り上げる。
ごきっと鈍い音がして、肩の関節が外れた音がした。
「ぐああああああ!」
痛みに悲鳴を上げる山賊、その左腕も容赦なく捻り、関節を外す弥生。まったく手加減なしである。
両肩を外された痛みにのたうち回る兄貴格の悲鳴に手下二人が振り向く。しずとおけいを捕らえていた山賊も気を取られた。
その隙に直也は一気に間を詰めるとおしずを抱き取り、同時に山賊の鳩尾に蹴りを叩き込んだ。声もなく崩れる賊。おけいも自由になる。そのおけいにおしずを預けると、残った二人の山賊に向き合う直也であった。
しかし、
「直也、ようやった。こやつらは儂にまかせい。お主はおしずちゃんとおけいさんを守っておれ」
弥生に言われ、二人の側に駆け寄る。べそをかいたおしずが直也に抱きついてきた。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん…」
「大丈夫、大丈夫だから」
直也はそっとしずを抱きしめてやった。
一方、山賊二人は、兄貴格をやった弥生を許せないらしく、怒号を上げて斬りかかっていく。
弥生はひらりひらりとそれを紙一重でかわす。更にむきになって左右から斬りかかる二人。挟み撃ちである。
刹那、弥生が跳び退る。勢い余った賊二人は振り下ろした刀でお互いを浅くではあるが傷つけ合った。
「ぐあ…」
「…惜しいのう。もう少しで共倒れじゃったのに」
「…舐めやがって、このあま…」
傷ついたことで更に凶暴化する山賊二人。今度は同士討ちを恐れて、同じ方向から斬りかかる。しかしそれでは弥生の速さに付いていける筈もなく、いたずらに刀を振り回すだけであった。
「ぜい、ぜい、…」
力任せに刀を振り回す山賊の息が上がる。それを見た弥生はまず片方の賊の懐に踏み込んだ。刀を持つ右手を、左手で押さえ引き寄せると共に、その勢いで右肘を鳩尾めがけて突き上げた。
「ぐえっ」
潰された蛙のような声を上げると、賊は悶絶した。
もう一人はそれを見ると戦意を無くしたのか、刀を担いで逃げ出そうとした。その襟首を右手で捕まえると、後ろに引き倒しざま、顔面に左肘を打ち込む。こいつは物も言えずに昏倒した。
山賊四人を藤蔓で縛り上げた頃、畑仕事を終えたお百姓達が戻ってきた。
「お、おけいさん、こりゃいったい…」
「この人達は山賊です…」
驚く彼等に事情を説明するおけい。山賊の扱いは男衆に任せ、おけいと直也達は村へ向かった。
* * *
おけいの家はかなり大きな家であった。亭主は百姓でなく、喜平という商人で、麓の町とこの村を行き来し、塩や醤油などの生活必需品を初め、櫛や紅白粉まで幅広く扱っていた。その為に馬も何頭か飼っている。
「女房を救って頂きましたそうで、何とお礼を申し上げたらよいか…」
喜平が直也と弥生に深々と頭を下げる。商人らしく、人当たりの良い人物だ。
「どうぞ、何日でもご逗留下さい」
女中も何人かおり、直也達は歓迎された。
風呂を浴びさせてもらい、くつろぐ。そしてしずの着物も貰うことが出来た。
「わあ、うれしい。…おばちゃん、ありがとう」
「いいのよ、おしずちゃん。…とってもよく似合ってるわ」
「見て見て、お兄ちゃん!」
「おお、きれいだね、しずちゃん」
「見て見て、お姉ちゃん!」
「うむ、よく似合っておるぞ」
「うふふー」
何年ぶりかで着るきれいな着物に、しずははしゃぎまわる。そんなしずをおけいは優しい眼差しで見つめるのであった。
その夜は山賊を退治した直也と弥生の噂を聞いた村人達も集まって、一大宴会となった。
弥生は上機嫌で酒をあおり、ものすごい勢いで肴を平らげている。直也も酒を飲み、いい気持ちになってしまった。
そんな直也の膝の上では、しずがうつらうつら始めている。それを見たおけいは、そっとしずを抱き上げると、隣の部屋に敷いた布団に寝かせるのだった。
宴会が終わった後、おけいは直也と弥生に向かって居住まいを正し、
「お願いがあります…おしずちゃんを…養子にいただけないでしょうか」
しずを養子に。それはしずの幸せを考えれば、願ってもないことであった。
「おしずちゃんは…いなくなった娘に、とても良く似ているのです。…どうか、お願いします」
「…明日一日、一緒に過ごしてみて、お気持ちが変わらなければ、そしてしずちゃんがいいというなら…」
直也はそう答えた。
その夜、あてがわれた部屋で二人きりになると弥生は、
「お主、あれでよいのか?」
何が、と聞き返す直也に、
「しずの事じゃ」
「だって、しずちゃんのこと考えたら一番いいだろ?…あとはしずちゃんの気持ちを明日聞いて、良いと言えばばんばんざいだ」
「…そうか」
それきり弥生は黙り込み、夜は更けて行くのだった。