巻の八十三 江戸(序) 到着
巻の八十三 江戸(序) 到着
霜月の終わり、直也と弥生はついに江戸の地を踏んだ。一年と二月ぶりか。
「やっぱり江戸は人が多いな」
「うむ、他の地とは一線を画しておる」
そう言いながら、二人が向かうは四谷、新宿。四谷追分稲荷社を目指している。
「…とうさま、おなかすいた」
「ん、そうか、そろそろ何か食べるか」
一緒にいるのは、仙台の石碑から生まれた石の精で化け猫の体に棲み着いたという妖。
直也の念で生まれたので直也を父と呼んで慕っている。名前は未那、見かけは十二、三歳の娘だが、中身は生まれたばかりの子供に近い。
それでも直也の言うことは必ず聞くし、弥生にも慣れ、三人でいると親子、と言うより兄弟姉妹のようにも見える。ぼさぼさだった髪は肩で切りそろえられ、おかっぱ風だ。黒い瞳は吸い込まれるように深く、誰が見ても美少女と言うだろう。
千住大橋を渡り、不忍池を横に見て、水戸藩上屋敷(現水道橋付近)を過ぎたところ。
このあたりはあまり賑やかではないが、何件かの店屋はあり、その中にそば屋があった。
この頃はそば切りの創成期であり、神田を中心に、江戸っ子好みの食として普及しつつあった。
「…おいしい」
「そうか、好きなだけ食べろよ」
腹っぺらしの割に未那は小食である。そば一人前で満足したようだ。因みに直也と弥生はそれぞれ二人前を平らげている。
そこから堀割沿いに歩き、四谷御門で右に折れれば、程なく内藤新宿である。
「やっと着いたのう」
「ああ、紅緒も待っているだろう」
「…べにお?…誰?」
初めて聞く名に、未那が怪訝そうな顔をする。
「ああ、紅緒は、…そうだな、未那の姉さんみたいなものかな」
「おねえ…ちゃん」
短い冬の日が暮れかかる頃、一行は四谷追分稲荷社に到着した。
「ちょっと待っておれ、環を呼んでくる」
そう言って弥生は口中で呪を唱え、境内に入っていった。そのまま社殿に消える。
前回は小半刻程待ったが、今回、弥生はすぐに戻ってきた。環も一緒である。
着物姿ではなく、神に使える狐らしく、浄衣姿だ。髪も日本髪から垂髪に変わっている。
「直也様、お久しぶりです!…まあすっかりごりっぱにおなりになられて。見違えましたわ」
「環さん、ご無沙汰しました。お変わりありませんか」
すると弥生が、
「環は野狐から寄方に出世したそうじゃ。今はこの四谷追分稲荷社を任されているそうな」
「へえ、それはすごい。環さん、おめでとう」
環はくすぐったそうに、
「…ありがとうございます。立ち話も何ですから、どうぞ中へ」
環に先導されて境内に踏み込む。と、喧噪が嘘のように消え、不思議な静けさに包まれた。
「結界の中じゃ。社の主が認めた者のみ入れる」
目に見える景色はそのままであるが、境内に何人かいた参拝客が一人もいなくなっている。
「さ、どうぞぉ」
社殿の戸を開け、環が手招きする。それに従って中に入った直也は、懐かしい顔に出迎えられた。
「直也さまーーーー!!」
満面に笑みをたたえ、飛び付いてきたのは紅緒であった。一年前、環に託したときは子猫の姿に戻っていたが、もうすっかり元通り。以前と同じく、直也に抱きついてくる。
「直也様ー、会いたかったー」
「紅緒、元気そうで何よりだ」
懐かしさに我を忘れ、直也の胸に頬ずりする紅緒。直也は落ち着くまで紅緒の好きにさせてやった。
やがて落ち着いた紅緒は直也から離れ、
「直也様…たくましくなった」
そう言って笑った紅緒は、直也の後ろにいる小さな姿を見つけた。途端、その顔が引きつる。
「誰…あれ…」
紅緒に睨まれ、未那は直也の後ろに隠れた。
「その子…も猫よね…」
紅緒の顔が歪む。だが妖の悲しさ、涙は流れない。代わりに直也に飛びかかった。
「直也様ー!もうあたいはいらないの!?…あたい役に立たないから用済みなの?」
そう叫びながら直也の襟を掴み、揺さぶる。突然の紅緒の激昂に直也は唖然とし、対処出来ずにいる。
「やっぱりあたいはいらない子なんだ…!」
そんな紅緒を押さえたのはなんと未那であった。
「…おねえ…ちゃん」
そう言って紅緒の着物の袖をつまむ。すると紅緒の動きがぴたりと止まった。
「え…?」
「お姉ちゃん」
うつむきながら袖をつまむ未那に、紅緒はどう反応していいかわからないようだ。
「紅緒、この子は未那と言ってな、化け猫に石妖が憑いて生まれた妖じゃ。直也の思念がきっかけになったので直也を父と慕っておる。お前のことは姉のようなものじゃと教えた、じゃからお前を姉と呼んでおるのじゃ」
「未那…」
「お姉…ちゃん」
紅緒は未那をまじまじと見つめる。未那も紅緒が同族だとわかるのか、少しずつすり寄っていった。
「紅緒、お前は俺たちの家族だ、そう言っただろう?」
そこに直也の一言。紅緒の顔に喜色が射した。
「…ごめんなさい…直也様…ごめんね、…未那」
「お姉ちゃん」
今や、未那は紅緒の膝にすり寄って甘えていた。胸をなで下ろす直也。
「やれやれ、一時はどうなるかと思ったわい」
弥生もほっと息を吐く。そんな直也達に向かって環は、
「直也様、今日はもう遅うございます。ささやかながら御膳を整えさせました。今夜はお泊まり下さいませ」
そう言ってくれたので、ありがたくその申し出を受けることにした。
環の配下の狐達が膳を運んでくる。少し前の環と同じ野狐の位階にある狐達だ。
「何もございませんが」
環はそう言ったが、鯛の尾頭付き、干し鮑、蓮根と油揚げの煮物、大根なますなど、なかなか凝った品が並んでいた。まあ元は神饌であろうが。
「どうぞ、おめし上がり下さいませ」
それからは歓談となった。食事をしながら、紅緒と別れてから今までの旅の話をして聞かせる直也。
晶子を助けた話、京で悪い狐使いを懲らしめた話、紀州で出会った雑賀集の話。
飛騨の山越え、戸隠、そして仙台、奥州路…話は尽きないが、夜も更けてきた。
「まだまだお話を伺っていたいのですが、もう遅うございます。床を延べさせましょう」
別室に布団を敷かせる環。行灯に小さな狐火を灯すと、
「それでは、お休みなさいませ」
そう言って部屋を出て行った。
「さて、では休むとしようか」
「直也さまー、一緒に寝よ」
「……」
紅緒と未那が直也の袖をつまむ。弥生は苦笑しているだけ。直也もあきらめて二人の間に横になった。
「…直也様の匂い」
そう言って直也の右腕にしがみついてくる紅緒。何も言わずに左手にすがっているのは未那である。
二人とも直也より早く眠りに落ちていった。直也はなんだか目が冴えて眠れないでいる。すると、
「直也、眠れないのか?」
弥生の声がした。
「ああ、なんだか目が冴えちまって」
「ふふ、そんな時は無理に寝ようと意識せぬ事じゃ」
小声で話をする二人。紅緒も未那も目を覚ましそうにない。
「弥生は眠くないのか?」
「うむ、霊狐になってから、普通なら睡眠は取っても取らなくても大丈夫じゃ。…環だって、これから町の見回りに行くはずじゃし」
「そうなのか。…これから、どうしようか?」
「まあ、どこぞに家でも借りて、年が明けるまで江戸で暮らすとしよう」
そして、春になったら里へ帰り、祝言…と、直也は心の中で続けた。
そのうちに眠気がさし、直也も眠りに落ちていった。
翌朝、朝食の席で環から話があった。
「直也様、これからどうなさるおつもりなんですのぉ?」
そこで、しばらくは江戸にいる旨の話をすると、
「ちょうどいいですわ。麻布に格好の家がありますのぉ。…普通の人では住めないかも知れませんが直也様なら大丈夫ですわ」
話を聞いてみると、直也達に限ったわけではないが、神社所縁の人を泊める場所が欲しいと探していたら、麻布永坂の竹長稲荷社に寄方として勤めている環の妹から、その家を紹介されたという。
そこは隠居所として建てられたものの、土地柄が合わなかったのか、うち捨てられて三十年になる。
もう寄りつく者もないため、どう使おうと自由らしい。それで傷んだ建物を直し、住めるようにしてある、とのことであった。
「妹の眷属が管理していますので、わたくしも一緒にまいりますわ」
そう締めくくる。こんなに早く住む場所が見つかるとは思っていなかったので、弥生も喜んだ。
「じゃ、じゃあ、これから直也様と一緒に暮らせるの?」
紅緒も大喜びである。そこで朝食もそこそこに、その家へ向かうことにした。
「世話になった」
弥生が一言、環の配下の狐達に礼を言う。環が先導して外に出る…と、そこは四谷追分稲荷社の境内であった。
「さあまいりましょう」
環の姿もいつの間にか島田髷に結った町娘になっていた。
もうそんな事には慣れっこの直也、環のあとに続いて歩き出した。
四谷から青山を経て永坂へ。あたりは草原、畑、田圃。あとは寺、墓地ばかりが目に付く。
「寂しいところじゃのう…」
「はい、静かでいいからと隠居所を建てたはいいんですが、あまりにも寂しすぎて暮らせなかったらしいですよ」
さもありなん。
そこから坂を下る。低い山と山に囲まれた谷状の場所に出た。北へ曲がり、少し行くと、やや開けた場所に出る。
「もうこのあたりが麻布です。そして向こうに見えるのが青山家の屋敷です」
現代で言う青山の地名はこの青山大膳の屋敷があったところからという。
そのあたりは窪地の中でも少し高くなっていて湿気はない。西には長谷寺の屋根が見え、東は小高い林、その裾を細い川が流れている。南は低くなって溜池となり、北はまた高くなって青山家の屋敷となる。
「なるほど、やや不完全ながらも四神相応の地、ということか」
「はい、そしてあれが隠居所ですわ」
環が指さしたそれは、柴垣に囲まれた板葺きの建物。庭は小広く、井戸もある。建坪は四十坪くらいか、十分な広さである。
「おう、これはよい、ここに住んで良いのか」
「はい、妹にはわたくしから断りを入れておきます」
「ならば儂も挨拶に行こう。…直也、荷物をほどいておれ」
そう言うと、環と共に、たちまちに弥生の姿が見えなくなった。
「それじゃあ俺たちは荷物を片付けるか。未那、紅緒、手伝ってくれ」
「はいっ」
「はい」
荷物と言っても旅の途中、たいした物があるわけでもない。すぐに片付き、あとは部屋を簡単に掃除する。
夜具は揃っていたから、縁側に干す。炭や薪は見あたらないが、弥生がいればどうにでもなるだろう。
そこまで終えたところで弥生が帰って来た。
「待たせたのう。…おお、もうすっかり済んでおったか。悪かったのう、みなやらせてしまって」
「お帰り、弥生。どうだった、環の妹は?」
「うむ、環そっくりの白狐でな、名は『桂』と言う。住むことを快く承諾してくれた」
それで心置きなく、ここに住むことが出来るというもの、と、
「あれ? 環さんは?」
「環は帰った。仕事もあろうしな。…そうそう、汐見達のことも言付けてきたから、江戸にやってくればすぐわかるじゃろう」
弥生の手際はよい。住処の事も、残る食料や燃料など、てきぱきと片付け、その日のうちに一行は、麻布の一角にあるこの地に、当面の安息を得ることが出来たのだった。
翌々日、直也は紅緒と未那を連れ、江戸見物に出かけた。紅緒は江戸で生まれ育ったのであるから詳しいわけである。
弥生は例のマーラの結界、その極になる物を探しに出た。
「直也様、どこへ行きます?」
「そうだな、両国へでも行ってみたいな」
「いいですよ。…ちょっと遠いですけど」
麻布と両国ではかなりの距離がある。行って帰るだけで一日つぶれそうだ。だがそこへ未那が、
「…まかせて」
そう言うと、直也の右手を取った。
「おねえちゃんも」
更に紅緒の左手を取る。そして、
「…行く」
歩き出す未那。ぐいっ、と体が引っ張られる気がしたと思ったら、三人は見知らぬ場所に立っていた。
「どこだ? ここ」
「えーっと、…あ、わかった。直也様、ここは秋葉が原ですよ。…ずいぶん家が増えたなあ」
「それはいいけど、今のはいったい何だ?」
流石に直也も驚いている。一瞬で数里を移動したのだ。人が見ていなくて良かった。
もし目撃者がいたら大騒ぎになっていたかも知れない。
「多分、『縮地』ですよ。未那は半分石妖ですから『土』気の力が強いのでしょう? だからこんな事が出来るんです」
「未那、すごいぞ。ありがとう」
そう言って未那の頭をなでる。直也に誉められ、未那は嬉しそうだ。そして、
「紅緒、すごいな。勉強したんだな」
そう直也が言うと紅緒も破顔して、
「えへっ、環さんに教えてもらいました」
「えらいな、大したもんだよ」
そう誉め、三人は歩き出した。秋葉が原から両国ならかなり近い。まずは浅草方面へ向かう。
浅草寺付近は人も多く、賑わっていた。はぐれないよう、直也は未那の手を引き、紅緒と並んで歩く。
「このずっと向こうが不忍池ですよ」
「ああ、紅緒が猫又になった場所だったよな」
「覚えててくれたんですか…」
思わず直也の顔を見る紅緒。
「もちろんさ、紅緒が話してくれたんじゃないか」
「はい。…でも、うれしいです」
そうこうするうちに雷門へやってきた。
この門は正しくは風雷神門といい、何度か火災に遭っており、この時の門は家光が寛永十二年に建てたもので、風神と雷神が配されていたことからこう呼ばれるようになった。
「…という由緒があるんですよ」
紅緒が得意げに説明する。環に教わったとはいえ、以前とは雲泥の差がある。そう言うと、
「少しでも直也様のお役に立てるようになりたかったから」
そう言って恥ずかしそうに笑う。言われた直也は嬉しかった。
門前の茶店で休憩。疲れたわけではないが、そこの客が食べている団子を未那が食べたそうに見ていたからだ。
団子を三皿頼む。小遣いは弥生からもらっているので十分だ。
「おいしい」
嬉しそうに団子をほおばる未那に、直也は自分の分も差し出すと、未那はそれも喜んで食べた。
直也と紅緒はそれを笑って見つめるのであった。
と、そこに、
「何するんですか! 放して下さい!」
声のする方を見ると、町娘がやくざものに絡まれていた。娘は十七、八。色白の可愛い娘である。
それに絡んでいるやくざものは五人。腰を浮かす直也。紅緒も黙って後に続いた。
未那は「何?」という顔で二人を見ていたが、つられて後を追って立ち上がった。
その直也の足が止まった。
「やいやいてめえら、観音様の門前で何やってやがる! そのきたねえ手を放しやがれ」
威勢のいい啖呵を切ったのは直也より少し若い、少年から青年になりかけといった年頃の町人である。
「何だ貴様、すっこんでいろ」
やくざものの一人が持っていた棒でその若者をこづく。若者はその棒を掴むと、無理矢理奪い取った。
その棒を振るって打ちかかる…が、
「馬鹿野郎、てめえのような青二才に俺たちが殴れると思ってんのか」
反対に殴られてしまう。何しろ一対五、多勢に無勢である。袋叩きだ。
周りの人間は、やくざもの達が怖いのか、黙って見ているだけ、
「いい加減にしろ」
それを止めたのは直也。
「何でえ、田舎侍はお呼びじゃねえんだよ!」
「すっこんでな、怪我するぜ」
直也はかまわず、
「見ていたがお前らが悪い。この娘さんに悪戯しようとしただろうが。それを止めたこの男をまた殴る蹴る、誰が見たってどちらに非があるかは明白だ」
「うるせえ、このあたりじゃな、風神組が法なのさ」
「…風神組?」
その名に聞き覚えがあった。確か、以前神隠し事件があった時、マーラが取り憑いた偽神官が牛耳っていた連中だ。またぞろ悪さを始めているらしい。
「へっ、風神組と聞いてびびりやがったらとっとと尻尾を巻いて帰りやがれ」
しかし直也は、
「生憎とびびってはいないんでね」
そう答えた直也の頭をめがけて背後から、やくざの一人が棒を振り下ろした。
だが次の瞬間、棒は虚しく地面を叩いていた。直也はわずかに動いて棒を躱したのである。
「問答無用、か。…なら、容赦しないぞ。…紅緒、未那、その男を頼む」
そう言うと刀を抜いた。それを見たやくざ達も刀を抜く。見物人達から悲鳴が上がった。
「よし、来い!」
直也は正面から斬りかかる刀を「太刀薙」で圧し折るや右横に跳んで、背後から斬りつけられた刀を躱すと同時に、右にいたやくざの鳩尾へ刀の柄で突きを入れる。
崩れる男には目もくれず背後から斬りつけた男の刀をも圧し折り、返す刀の峰で顎を打ち上げる。たまらず気を失う男。
四人目は娘の腕を捕まえていたが、その握った指の皮を切り裂いてやる。蒼白になった男は手を放す。
そこへ踏み込んで、唐竹割の一閃。男の着物は見事に上から下まで両断、下帯一つの姿となった。
髷も同時に切り落とされ、ざんばら髪に。蒼白になった男はもはや戦意喪失。
五人目は直也の手並みを見て逃げにかかったが、直也の踏み込みには敵わない。襟首を捕まえられ、地面に引きずり倒されてしまった。その鼻先に刀を突きつけ、
「仲間を見捨てて逃げるのは男らしくないな。こいつらを連れて帰れよ」
そう言うとこの男も髷を切り落とされた。
気絶した二人を連れ、這う這うの体で逃げていくやくざども。
刀を納めた直也に向かって、遠巻きに眺めていた見物人から賞賛の声が上がった。
直也はすぐに紅緒のところへ。若者は殴られて気を失っているだけのようだ。それを背負う直也、そして
「この男の家を誰か知らないか?」
すると周りにいた者の中から、
「確か駒形茶屋のせがれですよ」
そこで若者を背負って駒形茶屋へ向かう。紅緒は並んで歩きながら、
「直也様…強くなった」
と感心しきり。未那は無言で直也の袖をつまみ、付いてくる。
その駒形茶屋は駒形堂の側に建つ小さな茶店であった。
「兄さん!」
「辰治!」
直也の背に負われた若者を見て、茶店の娘と母親らしい女が声を上げた。店の中にある居間に寝かせ、直也がいきさつを話すと、
「…兄さん…弱いくせにいつもこうなんです」
この若者は名を辰治と言い、十七歳。娘は妹のおさえ、十五歳。母親はおきよ。
「…まったく…鼻っ柱ばかり強くて…弱いくせに」
母親としても心労が絶えないようだ。
「それじゃあ、これで。お大事に」
直也がそう言って店を出ようとすると、
「ありがとうございました。…あの、お名前を、是非」
そう言うので、
「直也。…上田直也」
そう告げて、店をあとにする。紅緒と未那も一緒である。
「さて、両国へ行くとするか」




