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巻の八十二   荒れ寺と心中未遂(後)

巻の八十二   荒れ寺と心中未遂(後)


 直也が完全に眠ったのを感じ取った弥生はそっと身を起こした。五炉も首を持ち上げる。が、それを押しとどめて、

「しっ、五炉、おとなしくしておれ、ちょいと野暮用じゃ」

 弥生がそう言うと五炉はおとなしく囲炉裏の縁に身を横たえた。弥生は音を立てずに外へ出る。

 満天の星空だが身を切るような風が吹いている。それをものともせず、境内の端を目指す弥生。

 そこにあったのは石塔が一基。まだ苔むしていないということは立てられてそれほど経っていないと言うことか。断面は五角形をしているという変わった石塔である。

 その変わった形の石塔の前で立ち止まった弥生は、表面をなで回していた。

「間違いない、これじゃ…」

 そうひとりごちると、懐から短刀を出す。抜き放ち、金気を込めた。短刀が淡く光を放つ。

 その短刀を握りしめた弥生は、振りかぶると石塔に斬りつけた。金属音がし、刃は弾かれてしまった。

「ぬっ?」

 再度金気を込め、更には、

「のうまくさんまんだ…ばさらたん…」

 真言も称え、斬りつける弥生。だが、今度も刀は弾かれてしまう。

「やはり…な、さて、どうするか」

 ちょっと考え込む弥生。

「その石塔に何かあるのか?」

 直也の声。さすがの弥生も驚いて狐耳と尻尾が飛び出した。

「直也か、…気づかんかった」

「弥生が出て行ったのを五炉が教えてくれたんだ。で、何かやっているので邪魔しないように見ていたんだけど…」

 弥生は苦笑いして、

「ふ、…五炉の奴、余計なことを。…しかし直也、本当に驚いたぞ。そこまで気配を殺せるようになったとはな」

「いや、今のは弥生がその石塔に気を取られていたからだと思うけどな。それより、何をしていたのか教えてくれよ」

「そうじゃな。…この石塔を壊そうとしていたのじゃ」

 直也もその石塔をしげしげと眺めて、

「変わった形だな」

 その形状が普通でないことに気がついたようだ。

「そうじゃ。これは結界の極なのじゃ。それも邪悪な結界じゃ…」

「何だって?」

「この地は江戸城から見て北にあり、玄武の気脈が通っておる。その気脈を断ち、横取りするためのものなのじゃ」

 弥生の説明に直也は、

「何だってそんなものが…」

「将軍家を衰えさせ、自らを太らせるためじゃ。…そしてそんなことを企む奴と言えば…」

「マーラか!」

「おそらくな。…多分江戸城の東、西、南にも同じものがあるはずじゃ。そして江戸城の中にも…」

 驚く直也。だが弥生は、

「直也が来てくれたなら話は早い。翠龍でこの石塔を真二つに切り割ってくれ」

 龍神から授けられた神刀、翠龍。直也は懐からその短刀を出し、鞘を払う。碧翠に光る刀身が姿を現した。

「はあっ!」

 気合い一閃。

 弥生の短刀を弾いた石塔も、翠龍の一閃の前にはあえなく断ち割られた。

 驚いたことに、二つになった石塔は、地面に倒れる事無く、煙となって消えていく。心なしかその煙は悔しさに顔を歪めた人の顔にも見えた。

「マーラ…貴様の好きにはさせぬ」

 虚空をにらみつける弥生。その弥生に直也は、

「なんで黙ってたんだ?」

 弥生は済まなさそうに、

「済まぬ。五炉の陰気を払って初めて感じられるほど弱い邪気だったのじゃ。うまく隠蔽されていたのじゃろうな。

 お主を起こす程のことでもないと思っておったのじゃが、実際はそうではなかったのう。

 しかしこうしてみると、五炉が五徳猫になったのもこの石塔から漏れるわずかな邪気のせいだったかもしれぬ」

「でもこれでこの土地の本当の災いの根は絶てたんだな」

 こうしてようやく二人は安心して眠りに就いたのである。


 翌朝、名主の清兵衛初め、村人が何人かやってきた。そして直也と弥生が無事なのを見て、胸をなで下ろす。

 直也は村人に、怪異の元は退治したと告げた。その元凶は隅にあった石塔だ、とも説明する。

 その石塔は変わった形だったので皆覚えがあった。それが欠片も残さず、跡形もなく消えているのを見、直也の言うことを信じる気になった。

 何より、泊まり込んだ二人がぴんぴんしている。

「ありがとうございます。これでこの村も安心です」

 そのまま名主の家へ招かれ、朝食を馳走になった後、直也は一人、宗一郎とお峰を迎えに出た。

 弥生は古寺の掃除と片付けをするという。

 傷んだ床も張り替えねばならない。

 だがそれも何人もの村人が手伝ってくれたおかげで、直也が宗一郎達を連れてくる頃にはあらかた終わっていた。

 そこであらためて村人に宗一郎とお峰を紹介する。

 読み書き算盤は、これからの世において役に立つ、という意識が村人達にもあり、

「よろしくお願いいたします」

 そう言って来る者が多かった。やはり江戸にほど近い土地柄だからであろう。直也も一安心である。

 さてそうなると次に必要なのは机や筆、紙、硯、墨などである。

 机は村の大工が束脩そくしゅう(入門料)代わりに作ってくれるという。

 筆、紙、墨、硯はまだまだ高価、初めから皆が用意できるわけもない。そこで石屋が石板を用意、そこに炭で字を書くこととした。


「そう、そこをはねて…よろしい、それが『い』という字です」

「十から三を減ずると七、いいですね?」

 さっそく入門してくるお百姓もいて、直也と弥生は五日間留まり、寺子屋が形を整えるまで面倒を見ていたのであった。

 寺の脇に小さな畑もあったので、お峰は春になったらそこに野菜を作ると言い、耕し始めている。

 これで何の心配もなくなり、二人はいよいよ江戸に向けて出発することとした。まずは荷物を置いてある千住の宿に戻る。


「直也殿、弥生殿、なんとお礼を申し上げたらよいやら…」

 宗一郎が深々と頭を下げる。

「いいんだよ、これも何かの縁だ。機会があったらまた尋ねてくるから」

「本当に、お世話になりました」

 お峰も心からの礼を言った。

 二人に別れを告げ、直也と弥生は千住の宿へ向かう。空は夕暮れ、西の空に宵の明星が輝いていた。

「よかったな、弥生」

「うむ、幸せになれるといいのう、あの二人」


 そうして二人が千住宿の外れに差し掛かったときのこと。

 小さな橋のたもとにうずくまっていた影が立ち上がった。

「直也、気をつけよ。敵意はないようじゃが、人ではないぞ」

 弥生が警戒する。

 その影は一歩、二歩、直也めがけて歩いてくると、

「…みつけた」

 そう言って直也に抱きついた。そして、

「とうさま…会いたかった…」

 そう言って更にしがみつく。

「な…」

 驚く直也が見れば、年の頃十二、三歳の娘。ぼろぼろの着物にぼさぼさの髪。顔も手も泥だらけである。

「これ、離れぬか。誰じゃ、お前は?」

 弥生がそう注意しても、

「とうさま…とうさま…」

 そう言うばかりの娘。その様子に見覚えがあった。

「お前…仙台の石碑の精か?」

 その言葉にこくりと肯く。

「そうじゃったか…直也が恋しくて追ってきたのか…こんなになって…」

「とうさま…」

 ますます強くしがみつく娘。このままでは直也が歩けない。

 それで強引にでも娘を直也から引き離そうと弥生が肩に手を掛けようとしたとき、その娘は崩れ落ちてしまった。

 空腹なのか、疲れからなのか。今まであっけにとられていた直也がようやく口を開く。

「…困ったな」

「宿に連れ帰るしかないのう」


 石碑の精をおぶって宿に戻った二人は、まず布団を敷き、そこに寝かせてやった。

「しかし仙台からここまで来たというのか」

「余程お主に会いたかったのじゃろうな」

 しばらくすると石碑の精が身じろぎをし始めた。そしてほどなく目を覚ました精、目をしばたたかせて直也と弥生を交互に見ている。

 どこから見ても少女にしか見えない。そこで直也が、

「もう大丈夫だ、腹減ってるだろう? じきに食事が来るからな…お前、名前は?」

 ふるふると首を振る石碑の精。弥生は、

「直也、お主が名前を付けてやれ。親同然のお主が付ければそれは真名と同じ。この娘も本望じゃろう」

 そう言われて考え込む直也。石碑の精の娘も布団に起き上がって、期待に満ちた目で直也を見つめている。

「そうだなあ…みな。…未来の未に、那智の那で未那」

「…みな。…みな。未那!」

 喜ぶ未那。弥生も、

「未にはこれから、の意があるし、那は美しい、という事じゃ、なかなかよい名じゃな」

「とうさま。…未那、ついていく、いい?」

 直也の腕にすがる未那。

「わかってる、大丈夫だ、連れて行ってやるから」

「うれしい」

 にっこりと笑う未那。あまり感情表現は上手くないようだ。まあ石碑の精だから無理はない。

 だが弥生は、

「直也、一度、『眉毛』で未那を見てみよ」

『眉毛』。遠野の狼の長からもらった宝で、正体を見破る力を持つ。

 弥生の言に従い、『眉毛』を取り出して未那を見つめた直也は、

「これ…は…」

「どうじゃ?」

 直也が見た未那の正体、それは化け猫であった。それを弥生に話すと、

「やはりのう…こんな遠方までやってくるからもしやとは思ったが…」

 弥生の推測によれば、あの時、化け猫が石碑の精の力を取り込んだ後、恨みを晴らして成仏したため、今度は逆に石碑の精、すなわち未那が、魂の抜けた化け猫の体を支配した、ということらしい。

「石猫、とでも呼べばいいのかのう…こんな妖はこやつだけじゃろう」

 当の本人はよくわかっていないのか、にこにこ笑って直也に寄り添っている。猫っぽい仕草と言えばいえようか。

紅緒べにおが見たらまた嫉妬しそうじゃのう…」

 そう、江戸の四谷追分稲荷にいる神使、たまきにあずけている紅緒は猫又なのである。

「まあ紅緒の方が年上なんだし、ちゃんと説明すれば大丈夫さ」

 直也は暢気のんきである。

 そこへ膳が運ばれてきたので食事にする。よほど腹が減っていたのだろう、未那は手づかみで食べ始めた。

 というより、まだまだ獣っ気が抜けていないようだ。

「これこれ、そんな行儀悪ぎょうぎわるするでない」

 弥生が言ってもどこ吹く風、しかし直也が、

「未那、だめだぞ、ちゃんと箸で食べないと」

 そう注意すると、

「…わかった」

 渋々肯き、見よう見まねで箸を使い始めた。直也の言うことはよく聞くようである。

 それで直也は、

「未那、俺と、この弥生の言うことはちゃんと聞かなきゃ駄目だからな」

 そういうと、弥生の顔をじっと見つめた後、

「わかった。未那、とうさまの言うとおりかあさまのいうこともきく」

「か、かあさま…」

 流石の弥生もちょっとだけどぎまぎした。

 しかし未那の物覚えは良く、ちょっと教えただけで一通りの所作は出来るようになった。これなら連れて歩けそうである。

 食事後、未那は弥生に連れられて風呂へ行く。その間に直也は、古着屋で着物を整えてやるべく外に出た。

「うーん、やっぱり子供らしく赤い着物がいいかな…帯は黄色にするか。ああ、草履も欲しいよな」

 にわか父親気分の直也。

 着物を買って戻ると、ちょうど風呂から二人が出てきたところ。さっそく着物を着せてみる。

「…おお、似合うのう」

「…とうさま、ありがとう」

 くるりとその場で回った未那。

 直也に着物を買って貰えたことが嬉しいようだ。直也も自然に頬が緩む。

 短い晩秋の日はすっかり暮れ、満天の星が瞬いている。明日も晴れであろう。

 まもなく冬、木枯らしの季節はもう目の前であるが、心の中には温かいものが溢れる直也であった。

 後篇がちょっと短めでしたが今回は江戸入り前の小さな事件です。心中未遂の二人は正直上手く描けなかったと反省しています。

 が、一番書きたかったのはあの二人に自分たちを投影させた弥生と、その迷いを晴らす直也でした。

 そして、最後の山場への布石も含まれていたり、新しい登場人物が一行に加わったりと、意外と話が発展した回になりました。これからは伏線がどんどん回収されていく...筈です。

 次回、ようやく帰って来た江戸で何が待っているのか。


 それでは、次回も読んでいただけたら幸いです。

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