巻の七十六 化鬼一族(前)
巻の七十六 化鬼一族(前)
夏の終わりのみちのくを直也と弥生は旅していた。
今は津軽半島を回り込んで、出羽の国へやってきたところである。
「ここにはのう、なまはげと言うて、大晦に、鬼の面を着け、家々を廻って歩く風習があるというぞ」
「ふうん、鬼というのはどこにでも怖がられているんだな」
しずを鬼から人に戻した今、直也の中にあった鬼へのわだかまりも消え、平静な心で鬼の話を聞くことが出来ている。
「古来、人知の及ばぬものや、人を超えたもの、と言う意味合いで『鬼』という形容をすることもあるからのう」
剣の鬼、などと使うのがそれである。直也もそれは理解していた。
そんな二人は海沿いに南へと向かっていた。天気にも恵まれ、文月(現在の七月だが当時は旧暦なので今の9月頃に当たる)
の半ばには久保田に宿を取っていた。その窓からは太平山が見える。
「あそこに祀られているのは三吉様というてな、破邪顕正を司る神じゃそうな」
弥生の語りは続く。
「 役の小角殿が創建し、征夷大将軍坂上田村麻呂殿が社殿を建立したと伝わるな」
そこまで弥生が語った時、
「あらまんつ、おぎゃくさん、よっくご存じだなや。前にも来なさったことあんのかね」
お茶を運んできた女中が感心している。弥生は、
「うむ、…少し前にな」
と言葉を濁す。「少し」とは言っても千年くらい前の事であろう…。
「太平山よりもっど奥には鬼の里があると言われているのは知ってっかね」
「いや、それは知らぬ」
弥生にしても初耳であった。最近の事なのだろうか。
「何でも、飢饉のとぎ、親兄弟、子供、孫、見境無く喰い合いした村があって、それからその村のもんは角が生えて鬼になったちゅうこんだ」
「……」
ひとしきりその女中はそんな言い伝えや村の事などを話して戻っていった。
「…なあ弥生」
窓辺にもたれて何やら考え込んでいた直也が口を開いた。
「しずちゃんの生まれた村って…」
「このあたりでは無いはずじゃ。もっとずっと東、出羽国ではないのう、陸奥国のはずじゃ」
「うん、…それはわかってる。…でも、なんだか今の話、引っ掛かるものがあるんだよ」
「角が生えて鬼になったという話か」
弥生も同じだったと見え、直也が思っていることを言い当てた。
「そうなんだ。しずちゃんもあの時角が生えた。『闇の契約』だって言ったよな?…それじゃあその契約をした相手はどこにいる?…そう思ったんだ」
「なるほど、つまりマーラがそのあたりにもいるのではないか、ということか」
腕組みをして考える弥生。
多少の危険はあるかも知れないが、マーラを討ち果たすという弥生の密かな悲願のためにも、ここは確かめておきたいところであった。
しかし、直也を巻き込むことは避けたい。いかにして自分だけで確かめに行くか、その口実を考えていると、
「明日から山に入ってみよう」
直也の方がそう言い出したのであった。
「じゃが、…危険じゃぞ?」
そういう弥生に、
「危険というなら、今までだって何度もあったさ。そしてこれからだって、危険のない場所なんて無いさ」
「それはそうじゃが、敢えて危険な土地に向かわなくても…」
あくまでも直也を危険に曝したくない弥生がそう言うと、
「…しずちゃんのような子をこれ以上増やさないためにも」
ぽつりとそう呟いた直也の心中を察し、弥生も無言で頷いたのであった。
翌日、二人は山道を辿っていた。三吉様へ向かい、参拝した後は道無き道を辿る。初めは漠然と東へ向かっていたのだが、夕暮れになって弥生が、
「…何かこの向こうに感じる」
と言いだした。何かとは何か、と直也が尋ねると、
「まだ遠くてはっきりとはわからぬが、自然にあるべきものではない気配がするのじゃ」
そう弥生が答えた。いずれにせよ、その日のうちには辿り着けそうもないので、適当な木陰を探して二人は休むこととした。用意の餅を狐火で焼いて食べる二人。直也は、
「なあ弥生、人ってそんな簡単に鬼になってしまうのかな?」
「そうじゃな、誰でも心に鬼を棲まわせているとは言うが、肉体まで鬼になるというのはただごとではないな」
「そうだよな…」
そんな直也に弥生は、
「じゃが、人の身体には可能性というものがある。鍛えれば強くなるように、悪しき力が働けばあるいは…」
「そうか、鍛錬の代わりにマーラの力が悪い方に肉体を作り替えるということか…」
「肉体の外見まで変わる例は少ないが、無いわけでもない。そもそも肉体とは魂の容れ物、魂すなわち精神力が強ければ肉体に影響を及ぼせるからのう」
「そうなのか…もしかして化けるってそう言うことなのか?」
弥生は笑って、
「そのために必要な精神の力は桁が違うがな。肉体を把握し、血の一滴、髪の毛一筋まで把握して初めて化けることは可能じゃ」
直也は驚いて、
「でもしずちゃんのときは…」
「そうじゃ、肉体の把握無しに変化したなら、元に戻ることは叶わぬ。異形のものとなりはててしまうのじゃ」
「ああ、そういうことか…」
そんな問答の後、弥生が結界を張って二人は眠りに就いた。何事も起こらずに夜は更けていった。
翌朝、食事を済ませた二人は、弥生が感じた違和感の源へと真っ直ぐ向かった。山を越え、川を渡る。
弥生が先導して進んでいく。その歩に無駄は無い。藪の薄い場所、歩きやすい地面を瞬時に判断し、森を抜けていった。
その弥生が、
「…む?…」
ふと立ち止まる。辺りを見回す弥生。狐の耳と尻尾も出、耳がしきりに蠢いている。
「そうか…」
一人納得する弥生に直也は、自分にもわかるように説明してくれと頼んだ。
「違和感の正体が解ったのじゃ。結界じゃった」
更に弥生は結界について説明する。
「この結界は、その内部を人の目から隠すもの。換言すると、人に感じさせなくする結界じゃ」
「まだ良くわからないよ」
「そこにあるのに、あると感じさせない。存在そのものを隠す結界じゃ」
直也は愕然とした。それはつまり…
そんな直也の考えを読み取ったように弥生は、
「隠れ里とは違うぞ。里は結界などと言うちゃちなもので守られているのではない。存在する『相』そのものが違うのじゃ」
更に続けて、
「この結界では意識を持つものだけを防いでおる。虫や獣には効かぬ。人や妖には効果があるがのう」
「それじゃあ何で弥生には効かないんだ?」
直也が当然の疑問をぶつける。
「簡単な事じゃ。儂の方がこの結界より高位にあるからじゃ。それともう一つ、この結界を知っておることも、な」
事も無げに言う弥生ではあったが、直也は『この結界を知っている』と言った時の弥生の僅かな表情の変化を見逃さなかった。
だがそれを口には出さず、
「それじゃあこの中に鬼の里があるのか?」
「鬼かどうかまではわからぬがな」
そして二人は静かに先へと踏み込んでいくのだった。
少し行くと、川に出会った。流れはさほど速くないが、幅はかなり広く、十間(約18m)ほどか。深さもありそうだ。
そこで無理に渡るのは止めにして、川に沿って上流へ向かうことにした。川沿いに細い道が付いていたこともある。
この道を辿れば、人の住む場所にたどり着くだろう。だがその反面、容易に発見されることでもある。
その点を直也が言うと弥生は、
「今のところ凶悪な意思は感じぬ。鬼の気配もない。しばらくは大丈夫じゃ」
それでそのまま川沿いを歩いていく。と、叫び声が聞こえた。
「きゃあああ!…だれか!…たす…け…」
走り出す直也。弥生も直也の横を警戒しながら走って付いていく。
ほんの僅かで悲鳴の主はわかった。十才くらいの小さな女の子。それが川にはまって溺れている。
弥生が何かいう間もあらばこそ、手早く着物を脱ぐと直也は川に飛び込んだ。
女の子を助けようと伸ばした腕、それに気が付いた女の子が直也にしがみついた。必死なのだろうか、その力の強いこと。
直也はしがみつかれた女の子の手を振り解くことが出来ずに、自らも水をしこたま飲みながら、それでも足だけで水を蹴って岸へと戻った。
ようやく足がつく深さになったので女の子を抱きかかえることができる。
心配そうな顔をして岸で待つ弥生に女の子を手渡すと、直也は思いっきりむせて、飲みかけた水を吐き出した。
女の子はと見ると、濡れた上衣を脱がせた弥生が手当てしている。腹部を押すとこれもまた大量の水を吐き出し、ようやく息を吹き返した。そして薄目を開け直也を見ると、ほっとしたようにまた目を閉じてしまった。
心配した直也が弥生に尋ねると、弥生は女の子の脈を見ながら、
「大丈夫じゃ、大して水も飲んでおらんかったし、少し休めば気が付くじゃろう」
そう言ったのでほっとした直也であった。
濡れた身体を拭き、着物を身に着ける。女の子の濡れた衣服は弥生が術で乾かした。じきに気が付くだろう。
それであらためて横たえた女の子を見つめた。髪は肩の下あたりで切り揃えられたいわゆる尼そぎ。着ている服は絹で、どこかの姫君といった感じではある。
だが一番目を引いたのは、その額、両のこめかみ近傍に盛り上がる二つの突起ーーーどう見てもそれは角であった。
「どう思う、弥生? この子が探していた鬼の一族なのかな?」
「うむ…じゃが、鬼の気配が感じられぬ…見た目は確かに鬼なのじゃがな…」
「俺もそう思う。すると…」
直也の言葉は、そこに響いた別の声に遮られた。
「何やつ!?…貴様、妹に何をした!!」
声のした方を見れば、十六、七の娘が、金棒を持った屈強の男二人を連れ、足早に駆けてくるところであった。
その娘の手には錫杖が握られている。そして見まごうこと無い二本の角が、娘と男二人の額に生えていたのである。
鉄で出来ていると思われる錫杖を軽々と振り上げ、娘が跳んだ。人とは思えないその跳躍力。五間(約9m)以上を跳んだ娘は鉄の錫杖を振り下ろす。地面が抉れた。
だが直也も弥生もそこにはいない。女の子を抱え上げる余裕はなかったが、娘の言葉からして妹を傷つける筈はないと判断。二人とも跳び下がって間合いを取った。
娘は妹の様子を窺い、生きていることを確かめると、あらためて二人に向き直った。頭の上で錫杖を軽々と振り回し、
「貴様ら、どうやって結界を越えたか知らぬが、只者ではないな。忍びか、陰陽師か。…化鬼一族が首領の孫娘、汐見が相手する」
錫杖を構え、直也に擬する汐見。
一方弥生は従者らしき二人の男と相対していた。
「俺達は旅の者だ。いつのまにかこんな所まで来てしまっただけだ」
そう答える直也に、
「そんな事が信じられると思うか!…あの結界を越えてきたという事実はどう説明する!」
錫杖を振りかざす汐見に向かって直也は、
「結界なんて知るものか…おっと」
汐見の振り下ろした錫杖を直也はかわす。
だがかわす度に汐見は焦れてくるようで、このままでは冷静な話し合いなど到底無理と悟った直也は刀を抜いた。
弥生はと言えば、男達の振り回す太さ二寸、長さ四尺程の金棒をかわしたところ。
八貫目(約30キロ)はあるその金棒、細い立木などは一撃で砕け折れてしまう。弥生とはいえ、まともに喰らえば無事では済まないだろう。
だが弥生は木立の間を縫うように動き回り、金棒の届かない距離を保ち続けていた。
「抜いたな、面白い。…そんな刀など叩き折ってやる!」
ますます猛り狂って錫杖で打ち込んでくる汐見を、直也は冷静に捌いていた。
自らを化鬼一族と名乗る汐見であったが、直也にはにわかには鬼であると信じられなかったのである。
下北で真の鬼と戦ってきた直也には、目の前の娘が、…たとえ自らを鬼といい、額には角が生えていても、あの凶暴な鬼と同一のものであるとは思えないのだ。ゆえに受けに徹する直也であった。
「うぬう、ちょこまかと動き回りおって…おい鹿角、お前はそっちから回れ!」
弥生を挟み撃ちにすべく、鹿角と呼ばれた男はもう一人の男と弥生を挟んで正対した。そうしておいて一気に打ちかかる。弥生と言えども逃げ場はない…筈であった。
男達の金棒が弥生を捉えた、と思った刹那、弥生は影を残して跳んだ。
今まで横にしか避けていなかった弥生の縦の動きに男達は付いて来られず、振り下ろした金棒でお互いを殴りつけることとなる。
「ぐああっ…」
悲鳴を残して二人とも気を失った。
一方直也は、終始受けに徹し、汐見の動きを読んでいた。鬼と自称してはいても、あの源頼新の動きには到底及ばない。
そして何度か受け流した錫杖の威力も、しずの化した鬼の力の比ではなかった。
もう十分だと判断、一転して攻めに回る直也。袈裟懸け、逆袈裟、突き、横薙ぎ。直也の猛攻に汐見は驚きを隠せない。
「くっ、こいつ!」
焦った汐見は大降りに錫杖を振り下ろした。
刹那、直也の『太刀薙ぎ』が炸裂した。刀でなく、錫杖にも通じるかどうかはわからなかったが、先祖が遺し、弥生が霊力を込めてくれた直也の愛刀は、見事に鉄の錫杖を真二つに薙いでいた。
眼を皿の様にし、半分になった錫杖を呆然と見つめる汐見。その喉元へ刀の切っ先が突きつけられた。
「…私の負けだな。…突くなり斬るなり好きにするがいい」
だが直也は刀を収め、
「だから何度も言ってるだろう?…俺達はただの旅の者だって」
そこへ声がかかった。
「姉うえ、その方たちはわたくしがおぼれているのをたすけて下さったのです。…たびのかた、どうか姉をおゆるし下さい」
さっき助けた女の子が気がついたのだった。
「美春、…それはまことか!?」
「はい姉上、ほんとうです」
すると汐見はその場に土下座して、
「知らぬ事とはいえ、申し訳ない事を致した」
直也は、
「わかってくれればいいんだ」
そう言って土下座した汐見を助け起こし、弥生はと見れば、微笑みながらこちらへやって来るところであった。
* * *
「俺は直也、こっちは許嫁の弥生」
「この子は美春、私は汐見。化鬼一族の長の孫だ」
「汐見様にお仕えるする鹿角」
「同じく鉄山」
お互いに名乗り合い、話をしてみると、わだかまりも解けた。そこで直也が、
「汐見さん、出来れば君たちの里へ案内して欲しいんだけど」
「それは構わぬが…直也殿は鬼が恐ろしくないのか?」
直也は微笑んで、
「君みたいな美人の鬼だったら怖くないね」
そう言うと、
「…なっ!…からかわないでくれ」
そう言ってそっぽを向く汐見。それで直也は、
「悪かった。…でも、君たちのような人の里なら怖い事はないと思う。だから連れていって欲しい。そして長に会わせて欲しい」
「むう…それは構わないが…こちらからも教えて欲しい。本当に直也殿はただの人なのか?
直也は笑って、
「小野派一刀流を使うと言うだけだ。結界を越えた事を言っているのなら、もしかするとこのお守りのおかげかも知れない」
そう言って首に下げたミナモを見せる。
「いろいろな術を打ち消してくれる宝物なんだ」
そう説明したので、汐見もそれ以上聞く事はせず、先に立って案内を始めた。歩く事一刻、見事な杉の大木の並木に着いた。
「この奥だ」
そう言って先導を続ける。直也がそれに続き、弥生、鉄山、殿は鹿角。美春は鉄山の背中で寝息を立てていた。
不意に視界が開け、これが山の中かと思われるほど広い土地に出た。周囲は切り立った山に囲まれ、中央を一筋の川が流れている。川の両岸には広い田圃が開かれ、山沿いには畑が見える。その間には家が点在し、直也はちょっと隠れ里の事を思い出していた。
一行は川沿いの道を行く。野良に出て働いている人々は汐見を見ると挨拶をする。皆額の両端に一対の角を持っていた。
汐見と一緒にいる直也と弥生が明らかに気になるらしかったが、長の孫である汐見と一緒のためか、遠巻きに見つめるだけで別段何事もなく長の館に着いたのだった。
「美春様!…ご無事でしたか!」
美春付きの侍女らしい。その話すところによると、朝から美春の姿が見えないので里中を探し回っていたという。まさか里の外に出、川で溺れていたとは思わなかった、といい、美春を抱いて奥へと引っ込んだ。
直也と弥生は汐見に案内されて館の奥へ通される。
「ここでお待ちあれ」
そう言い残して汐見も奥へ消えた。いきなりやってきたので待たされる事は覚悟していたのだが、予想に反していくらも待たないうちに侍女がやってきて茶を出してくれ、それを飲んでいると、
「孫の命を救って頂いたそうですね。お礼の申し上げようもありません」
そう声がして、見れば正面の御簾の中に品のいい老女が座るところであった。御簾の外には、着替えたのだろう、すっかり女らしくなった汐見が控えている。
「わたくしは真砂子、この化鬼一族の長です」
「葛城…直也です」
思わず直也は上田でなく葛城姓を名乗っていた。
「弥生です」
「直也殿、弥生殿。委細は汐見に聞きました。わたくしに何用でしょう?」
そこで直也は、
「俺は諸国を巡っています。久保田の宿で、山に鬼がいるという話を聞きました。それで山に入り、歩いていたら、美春さんが溺れているところに出くわしただけです」
「鬼。…あなたも鬼退治をしようというおつもりですか?」
「いいえ、…といいますか、あなた方は鬼では無いと思います」
その言葉を聞いて、隣にいた弥生も驚いた。
「何と言われる?」
真砂子が驚いた様な声を上げた。
「直也殿も見たでしょう、孫やお付きの者達の力、それに何よりこの額の角、鬼でなくて何であろう」
しかし直也はかぶりを振って、
「いいえ、人の身体というものは鍛錬すればあの程度のことは出来るようになるものです。俺は旅の間に忍びの者や修験者を見る機会がありました。彼等は数間を跳び、何貫もの得物を振り回します」
「ではこの角は」
直也は静かな面持ちで、
「人は誰しも、他人とは違った所があるものです。外見の差違は大きいですが決定的ではありません。俺は正に鬼と呼ぶべき者にも出会いました。それらに比べたら…あなた方は『人』です」
「……」
しばらくは誰も口を開かなかった。真砂子と汐見は自分たちが『人』であると言われたのは初めてのことであったし、弥生は直也の真意を知ってその深さに驚嘆していたのであった。
「…もしよろしければ、」
最初に口を開いたのは直也だった。
「あなた方の事…例えばご先祖のことなど、お話し頂けませんか」
それに答えて真砂子が、
「…そうですね、我らが人であると言ってくれたのは直也殿が初めてです。その好意を汲んで…お話しいたすとしましょう」
そう言って化鬼一族の過去を語り出した。
「およそ六百年前、奥州に栄えた国がありました。小さいながら、領主はよく国を治めていたし、領民は争いごともなく日々を暮らしていました。
でもある年、飢饉が襲ったのです。夏が来ず、作物は皆実らぬまま枯れていきました。
その年だけならまだ何とかなったのです。家々や領主の館には少しの蓄えがあったから。だが不作は翌年、翌々年も続いてしまいました。
食べられるものは道端の草まで食べ尽くし、果ては壁の藁まで食べるという有様。そしてどうにもならなくなった彼等は、
人として許されない行為に及んだのです。つまり、死んだ者を、そして老人や赤子まで...」
そこで真砂子は言葉を切った。その先を聞かなくとも直也と弥生には理解できた。
「人にあらざる行為を行った彼等の額からは角が生え、いたたまれなくなった彼等はその土地を離れ、この山中に隠れ住んだと言います。
…それが鬼となった我ら、『化鬼』一族ですのじゃ」
直也はそんな真砂子をまっすぐに見据えて、
「でもそれはあなた方のご先祖の罪。あなた方には何の罪も無いはずです。なのに何故、いまだに鬼の姿になっているのですか」
「…ご先祖の犯した罪は子々孫々にまで及ぶという事なのでしょう」
しかし直也は納得できず、
「そんな馬鹿な!…生まれた子供に何の罪があるって言うんです?」
そう言い放っていた。真砂子は微笑みながら、
「直也殿、我らのために憤って頂けて、感謝の言葉もない。じゃが現実にこの角は存在しております。それは紛れもない事実」
しかし直也は到底納得できなかった。しばらく黙考した後、
「…生まれた時から角は生えているのですか?」
そう聞いてみた。すると、
「…いや、赤子は普通に人の姿をしております。じゃがしかし、生まれて一年を過ぎると額から角が伸びてくるのです。
…で、この角は切ってもまた生えてくるのです。...わしも若い頃、思い切って小刀で切り取ってみた事があるのですが。
おびただしい血が噴き出し、耐えきれぬほどの痛みでして、片方を切り取ったものの、もう一方を切る気力は出んかったのです。
そして五日もすると元のように角が生えておったというわけです」
「…そうでしたか…」
肩を落とす直也に、真砂子は、
「直也殿、一族でもないそなたが、我らの事を案じてくれました、その事は忘れませぬ。...今日はもう日が暮れます、ゆっくりしていってくだされ。...汐見」
「はい」
「お二方の持てなしを、な。そなたに全て任せます」
直也と弥生は手厚く持てなされた。山海の珍味が膳に並んでいる。この山の中でどうやって魚を調達したのか、それを汐見に聞くと、
「里の者は時々、角を隠し、変装して人里へ行くのです。我々の足なら一日で行って帰ってこられますから」
「それで、今の風俗も知っておられるのじゃな」
弥生が感心したように言う。
「そうです。…たまに角を見られる事もあって、『山に鬼がいる』と言われるようになってしまったのです」
それで、久保田の宿で聞いた噂の謎が解けた。しかしもう一つの疑問が残っている。『闇の契約』であるが、それはどうやって調べるか、まだ見当が付かなかった。
「それではお休みなさいませ」
食事後、いろいろと話をしていたが、頃合を見て汐見が下がっていき、二人きりになった時に弥生は、
「直也、お主…成長したのう…」
としみじみ呟いた。それを聞いた直也は、
「何だよ、いきなり」
「…もう十分に当主の資格が出来たのう」
「だから何でいきなり?」
すると弥生は微笑んで、
「…人を見る目が出来たということじゃよ」
「え?」
「…わからぬか。まあ、意識して身に付くものではないからのう。
…よいか、当主の権限である『里への招き』は、里に相応しいかどうかを見極める目が無くば行使出来ぬ。
不逞の輩を里に入れるわけにはいかないからのう。
…歴代の当主はそのため、事の本質を見る目を持っていたのじゃ」
そこで一旦言葉を切ってから、
「…お主は儂を越えた。…お主がここの者達を鬼とは思えない、と言うた時、心底驚いた。外見に囚われず、本質を見抜く目。それこそが当主の持つ目じゃ。…儂は嬉しい」
直也はなんだかくすぐったくて身の置き所がないような感じを憶えた。それで、
「…やめてくれよ、弥生に褒められたのは嬉しいけど、そんな大層なもんじゃないさ。…しずちゃんの時に対峙した鬼、あれらに比べてあまりにも人に近かった…と言えばいいのかな、とにかくそれだけだよ」
弥生は笑って、
「それこそが自然に本質を見抜いたと言う事じゃ。まあお主がそう言うならこの話は止めよう。とりあえずお主が知りたいと思っておるもう一つの疑問じゃがな」
「うん、何かわかったか?」
流石弥生、『闇の契約』について、その感覚で探りを入れていたらしい。
「あの角はまず間違いなく、マーラによるものじゃ。六百年ほど前と言うておったな、…玉藻前じゃった前世の儂が退治された頃じゃ」
玉藻が退治され、その魂がマーラが分離した頃。マーラがその力の大半を失っていた頃だ。
「やはりそうか…でもしずちゃんの時とは随分違うな?」
「うむ。ここの者達にはしずと違い、『怨み』や『怒り』などの悪想念が無い。それで角を生やすのが精一杯のようじゃ」
直也は納得した。
「そうか、それなら元に戻す事も出来るかも知れないな」
「じゃが気になるのは、今持って角を持った者が生まれてくる事じゃ」
「…赤子の時は角がないと言っていたぞ?」
「儂の推量じゃが、この里にマーラの力が残っているのかも知れん。あるいは…マーラが」
直也は一寸考えて、
「明日、汐見に頼んで里を案内してもらおう」
「それが一番じゃな」
そして二人は床に就いた。




