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巻の七十三   恐山(急) 決着

巻の七十三   恐山(急) 決着


 遠くから地響きが聞こえたかと思えば、一瞬空が光ったりする。直也と弥生が鬼と戦っているらしい。

「…な、なにごとでやしょう」

 こわごわと与次郎狸が呟くが、千草は返事もしない。相当苛立っているようだ。

「…ああもう、我慢できませんわ」

 そう言い捨てて千草は立ち上がり、駆け出そうとする。それを遮って博信は、

「駄目だ、千草さん」

「おどきになって、博信様。もうこれ以上待っていられませんわ。…先程から、あの少年の気配もしていますし」

 博信の制止を振り切って千草は駆け出そうとした、その時。

「遅くなり申した、千草様」

 空から金光坊の声がした。すぐに二人と一匹の前に舞い降りてくる。

「本当に、遅すぎますよ。いったい今まで何をしていたのです?」

「面目ない。…実は途中で力尽き、まる一日を潰してしまい申した」

 弥生が心配した通り、消耗していた金光坊、一時行動不能になってしまったらしい。

「それで、笛は?」

「はっ、ここに」

 差し出された笛を見て、千草は愕然とした。違う。自分が指示したものと違う笛を持ってきている。

「い…いったいこの笛をどこから?」

 声を震わせてそう尋ねる千草。

「はい、千草様のお部屋から」

「留守居役の座敷童は居なかったのですか?」

「居りました。その座敷童が渡してくれたのです」

 千草は思い出した。自分が居ない間に、部屋を片づけておくよう指示をしたことを。

 それゆえ、座敷童はある意味『一番良い笛』を渡したのだ...

「千草さん、どうかしたのか?」

 千草の顔色が変わったのを察した博信が尋ねる。そんな博信に千草は、

「博信様…金光坊が持ち来たったこの笛は...『鳴らない笛』なのです...」

「鳴らない笛?」

 いぶかしげな博信に千草は、

「はい、私を初め、祖父も、そして楽を好む私の知人、妖…誰もこの笛を鳴らすことが出来なかったのです…そんな鳴らない笛を持ってこさせてしまい、時間の無駄になってしまいましたわ…どうしましょう…」

 落胆する千草に向かい、

「見せてくれないか?……ありがとう」

 博信はその笛を千草から受け取り、しげしげと眺める。重すぎず軽すぎず、手に馴染む。

 深い色をしており、巻かれている桜樺皮千段巻きの色つやはしっとりと控えめ。

 蝉(頭部の裏側)には赤と青の葉の形があしらわれていた。

「良い笛には違いないのですが、音が出なくては博信様に吹いていただけませんわ…」

 千草のそんな言を尻目に、博信は無性にこの笛を吹いてみたくてたまらなくなっていた。

 それで、

「吹いてもいいんだよな?」

 そう聞いてみる。千草は、

「ええ、でも音が出なくては…」

 その言葉が終わらないうちに博信はその笛を口に当て、息を吹き込んだ。


*   *   *


 直也と弥生は二手に分かれ、鬼を攪乱している。二人の動きに、鬼はどちらを攻撃するべきか決められないでいるようだ。

 しかしそれも単なる時間稼ぎ、決め手のない今、何か突破口が無いか、考え、探す二人であった。

「弥生にも見抜けない鬼…闇の力の正体…そうだ!」

 直也は思い出した。遠野で、狼の長にもらった宝、「眉毛」のことを。これをかざして見ることで変化の正体を見破ることが出来る、長はそう言った。

 直也はそのことを弥生に告げると弥生は、

「そうか、試してみる価値はあるのう、よし、待っておれよ…」

 そう言って弥生は印を組み、

「ノウマクサマンダバザラダン…カン!」

 不動結界を張る。鬼の動きが鈍った。

「直也、急ごしらえの結界では鬼の動きを完全には止められないが、これならなんとかなるじゃろう」

「ああ、十分だ。…こらえてくれ、弥生!」

 そう直也は言って、懐からお守り袋を、そしてその袋から「眉毛」を取り出した。

 それは三寸近い長さの、銀色の針のような毛であった。それを目の前にかざす直也。

「これは…!」

「どうした、何が見えた?」

 印を組みながら弥生が尋ねる。

「鬼の中に…しずちゃんらしい人の形が見える…だけど全体の黒い靄のようなものに覆われてはっきりとしないんだ」

「そうか…やはりしずの心が目覚めねば何をしても無駄のようじゃな…」

 そこで印を解く弥生。途端に鬼の動きが元に戻り、いきり立った鬼はそこらにあった大岩を両手で掴み上げ、二人に投げ付けた。

「危ない!」

 直也を抱きかかえるようにしてその岩を避ける弥生、その表情は暗い。

「もう鈴もない。お主や儂の言葉も届かぬ。…しずの心を目覚めさせられるものと言ったら…」

 その時、闇を貫いて笛の音が聞こえてきた。


 澄んだ音色は月光の如く闇を照らし出すかのようである。音に色が見える。音が語りかける。

「これは…」

 弥生すら言葉を失った。その調べは魂の奥底まで揺り動かすかのよう。

「博雅どの…」

 弥生がぽつりと呟いた。

「博信の笛か...」

 直也も目の前の鬼を忘れ、笛に聞き入った。


 天地の間にある全てのものが笛の音に聞き入っているようでもある。

 大気に笛の音が満ちる。満ちた音は万物に染み渡り、何もかもを浄化するようでもある。

 気が付けば、泣きわめいていた源頼新は静かな眠りに就いていた。その顔には笑みさえ浮かんでいる。

 しずの化した鬼も動くのを止め、じっと笛の音に聞き入っていた。それに気付いた弥生は、

「直也、もう一度しずを見てくれ」

 そう言って直也を促す。それに応じた直也は再び眉毛をかざすと、

「見えた!しずちゃんが鬼の中にいる!…上手く言えないけど、しずちゃんに絡みついていた黒い靄のようなものが少し緩んでいるみたいだ」

 それを聞いた弥生は、

「直也、今が最後の機会じゃ。翠龍で、鬼の身体からしずを救い出すのじゃ!」

 それを聞いた直也は僅かに尻込みして、

「…出来るだろうか?…一つ間違ったら…」

 そんな直也を弥生は励ます。

「お主なら出来る!…今までの経験は無駄ではない! 自分を信じて、断じて行うのじゃ!…しずを救えるのはお主だけじゃ!」

 その言葉に直也は奮い立ち、

「よし!」

 動かない鬼に向かっていった。

 左手に眉毛をかざしながら直也は翠龍を振るった。鬼の身体が切り裂かれていく。だが血は出ない。飛び散る肉片は皆黒いもやとなって散っていく。

 そして。

 東の空がうっすらと明るくなり始める頃、そこに鬼の姿は最早無く、ただ横たわるしずの姿があった。

「……」

「…ついにやったのう、直也」

 しずの身体に着物を着せてやりながら弥生が感に堪えないようにささやいた。

「直也様、大願成就、おめでとうございます」

 いつの間にやってきたのか、千草がそこにいた。横には博信が立っている。その手に握られた笛を見て直也は、

「博信、ありがとう。博信のおかげだ。笛の音を聞いて、闇の力が弱まった。だからしずちゃんを助け出せたんだ」

「その笛、猶逸物かな」

 弥生が芝居がかった物言いで褒めた。

「役に立ててよかったよ」

 博信がそう答えた、その時であった。

「うあ…っ」

 その博信が突然にくずおれた。見れば脇腹に刀の切っ先が食い込んでいる。先程直也が折り飛ばした妖刀の切っ先だった。

「博信様!」

 千草が慌てて博信を支える。弥生はその妖刀の切っ先を抜こうと手を伸ばした。が、博信の血を吸って赤く染まった妖刀はひとりでに抜けると、青白く輝き始める。

 すると周りに黒いもやのようなものが集まってきた。

「これは…!もしや鬼の気か…? そうはさせぬ!」

 弥生が狐火を飛ばしたが、黒いもやは折れた刀を包む込み、当たったかどうかわからない。さらにもやは大きくなり、形を取り始めた。

「何だ…?」

「妖刀の力と鬼の力が一つになろうとしているのじゃ。…まさかこんな形で蟲毒こどくが完成するとは…!」

 妖気、怨念、鬼気に加え、博信の血を糧として、今、蟲毒こどくが完成しつつあった。

 それは巨大な鬼の姿を取ろうとしている。しずが化していた鬼よりも更に一回り以上巨大な鬼である。

「こいつ…よくも博信を…!」

 直也が翠龍を抜いて構えた、その時である。

「直也! こっちへ!!」

 突然弥生が直也を抱えるように横っ飛びに跳んだ。その直後。

 大地を揺るがす地響きと共に、目の前にいた鬼が地面にめり込んだ。

「な…!」

 直也が驚きの声を上げる。今の今まで鬼のいた場所が、まるで巨大な拳で殴りつけたかのように巨大な穴が空いていた。

 直径は三間(約5.4m)くらい、深さはちょっと見にはわからないほど深い。

「鬼め…!…博信様を傷つけた報いと知れ…!!」

 その声に振り向けば、鬼気迫る形相で千草が立っていた。この巨大な穴は千草の仕業だったらしい。

 岩の地面がめり込むほどの巨大な力。その中心にいた鬼は跡形もない。

 今更ながらに怒った千草がどれほどの力を発揮するかを思い知った直也であった。

「ありがとう弥生、下手したら俺まで巻き込まれていたよ。…それにしても千草さんの力は物凄いなあ」

 その千草はといえば、博信の手当をしている。

「博信様、博信様!…わたくしを置いて逝ってしまわれては嫌です!」

「…大…丈…夫…だよ…千草…さん…」

 幸いにも急所は外れていたらしく、命には別状無さそうだ。

 直也が秘薬を塗ってやろうと立ち上がろうとしたその袂を、弥生が押さえた。

「弥生?」

「博信殿は千草殿に任せようではないか」

 そう言って弥生は微笑んだのであった。


*   *   *


 朝の光の中、一行は疲れた身体を、金光坊の案内でやって来た恐山山中の温泉で癒していた。

「朝っぱらから湯に浸かるのは箱根以来だ」

「俺も入りたかったなあ。…直也、そっちの湯加減はどうだ?」

 残念ながら博信は脇腹の傷が深いため、脚だけを湯に入れている。

「千草殿、あれだけの力を出したからには相当消耗されたことじゃろうのう?」

「…はい、仰る通りです。つい、我を忘れてしまいました」

「はは、それも博信殿を思うあまりのこと。儂にも憶えはあり申す」

「弥生様も直也様のことになると我をお忘れになるのですか?」

 別の湯小屋では弥生と千草が湯に浸かりながら談笑していた。


*   *   *


「千草様、直也殿、弥生殿、鬼退治、感謝致しまする」

 金光坊が深々と頭を下げた。

「姐さん方、ありがとうございやす。これで下北の妖も安心して暮らせやす」

 与次郎狸も一行に礼を述べる。

「そう言えば、頼新は?」

 直也がそう尋ねると、

「小僧なら眠っております」

 金光坊が答えた。

「しずちゃんもまだ眠っているみたいだな。…いつ目を覚ますだろう?」

 その直也に答えて弥生が、

「…うむ、その事じゃが…二人ともおそらく当分目覚めることはあるまいな」

「何故?」

「…闇に囚われていた魂というものには休息が必要なのじゃ。傷ついた魂を癒すのは安らかな眠り。魂の傷が癒えれば目を覚ますことじゃろう」

 昔、闇に囚われていたこともある弥生の言葉、直也は素直にそれを信じた。

「それじゃあ、二人をどうしよう?」

「そうじゃのう…」

 隠れ里へ連れていきたいが、まだ直也は旅の途中、当主になるのはまだ先のこと。

「わしが預かりましょうぞ」

 突然の声。

 その声の主はと振り向くと、一人の翁が立っていた,その容貌に見覚えがある。

 彼は正に妖達の長で千草の祖父、山ン本五郎左衛門であった。

「お祖父様…」

「山ン本殿…」

「千草の気配がしたのでまさかと思って来てみれば、こんな所で何をしておる」

 孫の千草に問いかける山ン本五郎左衛門。だがけっして怒っているわけではないのはその顔を見れば判る。

「まったく仕方のない孫娘じゃ。…直也殿、弥生殿、博信様、孫のお守りをしていただきまして、礼を申します」

 そう言って軽く頭を下げた。

「さて千草、マヨヒガに帰るぞ」

「はい…」

 項垂れつつも、祖父である山ン本五郎左衛門の言葉に従う千草。

「直也殿、弥生殿、お二人は旅の途上、この娘と少年は目覚めるまでマヨヒガで預かりますのでな」

「くれぐれもよろしくお願いいたします」

 深々と頭を下げる直也。隠れ里の当主になったなら、しずを迎えに来よう、そう心に決めて。

 頼新の方は目覚めたら本人に残るか人界に戻るか判断させる、という。

 これで安心である。心に深く巣くっていた気がかりという名の澱も消え、直也は晴れ晴れとした顔を上げた。

 一方の千草は浮かない顔つきである。

 これで楽しかった旅も終わり、直也や弥生、そして誰よりも博信と別れねばならないのだから。

 そこへ山ン本五郎左衛門は、

「博信様、もしよろしければ当方で傷を癒されてはいかがか?」

 そう言ったもので、

「えっ」

 博信と千草は二人して聞き返した。

「千草がいろいろとお世話になりましたし、その傷では旅はまだ無理でしょうからのう。珍しい楽器や昔の譜面もありますし、何より千草が喜び申す」

「お、お祖父様!」

 慌てる千草だが、誰が見ても赤らんだ顔が全てを物語っている。

「喜んでお世話になります」

 そう答えた博信を千草は恥ずかしそうに見つめていた。

「…俺も千草さんとこのまま別れたくなかったし」

 そう付け足したとき、千草は我慢できないといった面持ちで、

「博信様、嬉しゅうございます」

 そう言って博信の手を取ったのだった。

 博信は直也達の方を向いて、

「直也、弥生さん、どのみち俺は今のところ旅を続けられない。だから千草さんと一緒に行くよ。短い間だったけど楽しかった。またいつか会おう」

 直也もそれに返して、

「俺も楽しかったよ。元気でな、博信」

 弥生も、

「博信殿、ご健勝で。…千草殿をよろしく」

 いきなり自分の名前が出たので千草は頬を赤らめたが、ふと思い出したように、

「そうだ弥生様、約束致しましたようにこれを差し上げますわ」

 千草は弥生に財布を差し出す。あの、小判が尽きない財布である。

「ありがたく受け取らせていただく」

 弥生は笑ってそれを受け取った。

「それでは名残は尽きないけど、またいつか、どこかで」


*   *   *


「また二人旅だなあ、弥生」

「うむ。…じゃが、つくづくえにしというものの不思議さを感じたわい」

 今、直也と弥生は下北を後に、津軽へと向かっていた。

「しずを鬼から人間に戻す、儂どころか、山ン本殿も、竜神様ですらわからなかったというのに、とうとうやり遂げたのじゃからな。それもこれも直也、お主の想いあればこそじゃ」

「俺自身は何も出来なかったよ。翠龍と、狼の眉毛と、なにより弥生がいてくれたからこそだ」

 空を仰いで直也がしみじみと呟く。

「翠龍も、眉毛も、お主が呼び込んだものじゃ。…龍の卵、わしは捨ててしまえと言った。捨てずに翠を育てたのはお主じゃ。…白銀丸を子供達から助けたのもお主の優しさじゃ」

 直也は頭を掻いて、

「博信の笛が無かったら結局駄目だったろうし」

「博信殿か…」

 遠い目をする弥生。その弥生に向かって直也は、

「そうだ弥生、確かあの時、『博雅殿』って言わなかったか?」

「…よくもあの最中、聞き分けたのう」

 感心したように直也を見つめる弥生。

源博雅みなもとのひろまさ殿。…あの名器、『葉双はふたつ』の正当な持ち主じゃよ」

「知っているのか?」

「うむ。…その昔、まだ儂が天狐になる修行をしていた頃の知り合いじゃ。笛の名手でのう、儂だけではない、

 多くの狐が博雅殿の笛を聞きに、夜な夜な京の都へ繰り出したものじゃ。

 そんなある夜、羅城門で笛拭く鬼と会い、持っていた笛を交換されてのう、その笛があの逸物、葉双じゃ。

 あれを吹けるのは天下に並び無き笛の名手だけじゃ。それでつい、な…」

「そうなのか…」

「もしかしたら、博雅殿の生まれ変わりなのかも知れんのう…」

 そんな二人は北の海を眺めながら津軽へと歩いていく。

 北の国の夏もそろそろ終わり、秋が立ち始めた文月の初めであった。

 ついにしずを人間に戻すことが出来ました。直也もほっとしたことでしょう。

 これで旅の懸念はあと二つ。そう、直也と弥生の行く末と...マーラです。

 物語もその二つの課題の収束を目指すことになります。

 

 蛇足ながら、源博雅みなもとのひろまさは今昔物語などにも名前が出ている、平安時代の音楽の名手です。

「陰陽師」の博雅と言った方が通りがよいかも知れませんね。

「水無月」は「水な尽き」、すなわち「水な元」である「源」への対比でした。

 

 それでは、次回も読んで頂けたら幸いです。

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