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巻の七十一   恐山(序) 接触

巻の七十一   恐山(序) 接触


 朝。ここは北の果て、陸奥国下北半島。

 直也一行は時間短縮のため馬を使い、この地まで野辺地を発って二日目の夕方には辿り着いていた。

 だが、妖や鬼に有利な夜を避けるため、夜が明けるまでは乗り込むのを控えていたのである。

「この先が恐山でやす、そこに鬼達が集まっておりやす」

 案内役の与次郎狸が説明する。

「どうか津軽の妖を助けて下せえ」

 それを聞いた弥生と一緒の馬に乗っている直也は、

「いよいよか、…怖くないと言えば嘘になるが、なんとかしなくちゃな」

 と正直な感想を漏らした。それに対し弥生が、

「直也、お主は儂が命に替えても守ってみせる、お主はしずを救うことだけを考えていよ」

「うん、ありがとう弥生、なら俺は弥生を守ってみせるから」

「ばっ…馬鹿者…それでは矛盾してしまうではないか」

 そんな二人を見て千草は、

「いいですわね、あのお二人」

 千草と同乗している博信も、

「直也と弥生さんはお似合いだよな」

 そんな事を言っている。こちらの二人にはあまり緊張感が無いようだ。

「それにしても金光坊は遅いですわね、何をやっているのでしょう」

 その呟きを聞いた弥生は、

「千草殿、金光坊も手傷を負っていた上、力を吸われておったのじゃ、遅くなっても仕方がないじゃろう」

「…そうですね、…わたくしも少々焦っていたのかも知れませんわね」

「いずれにしても、気を引き締めてかからないとな」

 直也がぽつりと呟く。その時弥生は何を思ったか突然、前を行く与次郎狸に話しかけた。

「のう与次郎、言おうかどうしようかと思っていたんじゃが」

「へい、何でやしょう?」

「ここ下北は津軽ではない、陸奥じゃ」

「へ?…そうなんで?…似たようなもんじゃないですか?…」

 それを聞いた直也、

「まあまあ弥生、妖にしてみりゃ人間の作った国境なんて大した意味がないんだろ」

「へ、へへへ…」

 与次郎狸が照れ笑いをする。

「はははは」

 それに連られて直也も笑った。

 その様をみて千草は、弥生が直也のいつにない緊張を解こうと一見どうでもいいことを口にしたのだなあ、と感心していた。

 

 恐山は日本三大霊場、日本三大霊山、また日本三大霊地の一つに数えられ、貞観四年(864年)に慈覚大師が開山したと伝えられている。

 下北地方では、死者は皆恐山へ行くと言われており、硫黄臭気漂う火口原を地獄に、宇曽利湖うそりこを「極楽浜」に見立てている。

 今一行はその恐山へ近付きつつあった。

 

 不意に弥生が鼻をひくつかせた。

「この臭気…直也、博信殿、千草殿、馬から下りた方が良かろう」

 硫黄臭、いわゆる「毒気」を感じたのである。

「少々遠回りになるが風上から近付くしかあるまいのう」

「弥生にまかせるよ」

 風上から近付けば、毒気の影響は受けないものの、その一方で接近を勘づかれやすくなってしまう。

 いわば諸刃の剣。しかし弥生はともかく、直也を毒気に晒すわけにはいかない。弥生苦渋の選択であった。


 風上へ回ろうとすれば、道無き道を行かねばならない。

 土地勘のある与次郎狸を先頭に、直也、千草、博信、弥生の順で草を分け、藪を越えて進んでいった。

「待て」

 突然弥生が立ち止まる。

「どうした?弥生」

「…この先は闇の領域になっておる。…千草殿、博信殿、ここまでで結構じゃ。特に博信殿、まだ笛も届いておらぬ今、ここで待たれよ」

 弥生が言うには、この先へ踏み込めば、鬼どもに勘づかれてしまう可能性が高いという。

「…仕方ないな、わかったよ」

 渋々ながら博信が頷いた。千草はその博信と共に残る。

 弥生は周囲に小さな結界を張り、鬼どもに勘づかれないように配慮することは忘れない。

「あの小僧がまだ辿り着いておらぬようなのは助かる」

「そうだな、こっちは馬で来たからな」

 妖刀を持った源頼新みなもとのらいしんがやって来ればおそらく上を下への大騒ぎになりかねない。

 そうなる前に、何としても鬼達を退治し、しずを救い出したい。

「では、気をつけるのじゃぞ、博信殿、千草殿」

「弥生さん、直也、そっちこそ気をつけてな」

 直也と弥生は与次郎狸の先導で更に奥へと分け入って行ったのだった。


*   *   *


 三千尺(900m)にも満たない山とはいえ、勘づかれないよう進むには骨が折れる。

 宇曽利湖うそりこが樹間から望める所まで来た時、

「与次郎、ここまででよい。千草殿のところに戻り、一緒にいるのじゃ」

「へ、へい、それじゃ姐さん、直也様、ご無事で」

 鬼と対峙するのはよほど怖いのだろう、いそいそと与次郎狸は来た道を引き返していった。

 弥生はこの場所で少し休憩を取ることにする。直也の事を気遣ってのことだ。

 弥生がここでも小さな結界を張り、鬼どもに勘づかれないようにしてその中で休む。この先に鬼どもがいる、どう対処するかを打ち合わせする意味もある。

「まずは式を放って様子見じゃ」

 そう言って弥生は髪を一本抜いて自分の身代わりを作ると、湖へ向けて送り出した。

「鬼どもがどう出るか、それを見極めるとしよう」

 しばらくは待機である。二人は無言で待った。

 無言でいると緊張も高まる。弥生は更に結界をもう一つ重ねて張り、

「少しくらいなら話しても大丈夫なようにした」

 そう言った。そこで直也は考えていたことを口にする。

「なあ弥生、しずちゃんが闇の契約を交わした相手というのはマーラなんだろうか?」

「うむ、そうそう闇の大物がいるとも思えぬからな、十中八九間違いなかろう」

「じゃあ、源頼新が持っている刀は?」

「…あれもマーラの臭いがするのう」

「だとしたら、…頼新としずちゃんが対峙するというのはどういうことだ? どちらもマーラの仕業だとしたら、潰し合うというのはおかしいんじゃないか?」

 弥生はしばらく考え、

「…蟲毒こどくを知っておるか?」

蟲毒こどく?」

「そうじゃ。邪法の一種でな、例えば、瓶の中にいろいろな毒虫、さそり、毒蛇、百足、毒蜘蛛等を入れ、しばらく封をしておく。瓶の中では毒虫どもが殺し合い、一番毒の強いものが生き残る。その生き残った毒虫を式として使ったり、呪詛に使ったりするものじゃ」

「すると、頼新としずちゃんが戦うことになったら…」

「マーラの思うつぼじゃな」

「何としてもしずちゃんは助けないとな」

 その時である。弥生の狐耳が動いた。

「しっ。…餌に食いついてきたぞ」

「…身代わりが鬼どもに見つかった。…今、逃げておる。…二体の鬼が追っておるな」

 弥生は目を閉じ、式から送られてくる情報を分析する。

「…捕まった。…一体は頭から、もう一体は足から喰ろうておる…」

 そして、

「…もうよかろう」

 そう言って目を開けた。

「式は髪に戻した。鬼どもめ、面食らったことじゃろう」

「弥生、他にわかった事は?」

 直也がそう問うと、

「今現れた鬼は、屍鬼しきじゃな。…死人しびとに闇の力が取り憑いて鬼と化した奴じゃ。…こやつらを救うには成仏させてやらねばならぬ。闇の力を断ち斬る事じゃ。思う存分刀を振るうがよい」

「わかった」

「あの時と違って儂も消耗してはおらぬからのう、手加減無しで行くぞ」

 そう言って弥生は立ち上がり、

「…まだ日は高い、行くぞ、直也」

「おう!」

 二人は結界を出、湖畔の平原を目指した。途中、岩が露出し、地獄の様相を示す場所がある。

 そこにも毒気が立ちこめ、人間が長くいることは危険であったが、弥生は平然としている。

(…殺生石が吐く毒気と変わらぬのう…)

 そんな感慨を少しだけ抱いた弥生であったが、突然、

「直也、来るぞ!」

 そう叫ぶと狐耳と尻尾を出し、懐刀を抜くと、自らの霊気を込めた。

 直也も弥生の声で刀の柄に手を掛けた、その時。

 身の丈八尺(約2.4m)はありそうな鬼が四体現れ、物も言わずに二人に襲いかかってきた。

「とうっ!」

 直也が抜き打ちざまに胴を薙ぎ払うが、その斬撃は鬼の腕で止められてしまった。

「直也、それでは駄目じゃ!…僅かの躊躇いも許されぬ、…そうじゃ、太刀薙たちなぎの気合いを思い出せ!」

 危うく鬼の爪を逃れた直也に、弥生からの檄が飛ぶ。

 再び直也は刀を握り直し、

「はあっ!」

 裂帛れっぱくの気合いを込めて振り下ろす。

「…がぁおあぅっ!…」

 ついに鬼の身体が切り裂かれ、そこから黒い何かが吹き出し、消えていった。

 倒れた鬼の身体は見る見る縮んでいき、骨となり、骨は灰となって風に散る。

 一方弥生は、霊気を圧縮した気の玉を作り、それを襲いかかってくる鬼目掛けて投げ付けた。

 霊気は鬼に吸い込まれ、中で弾ける。すると鬼の身体から黒い煙が吹き出してくる。それを手にした懐刀で薙ぐことで闇の力は消滅。それで鬼は浄化され、同様に土に還った。

 もう一体ずつ、同様にして倒した二人だったが、息つく暇もなく、もう六体の鬼が襲いかかってきた。

「くそっ!」

 苦戦しながらもそれらを倒したが、直也の息が荒い。僅かながらでも毒気を吸いながらの戦いは無理がある。それを見た弥生は、

「直也、一時引くぞ!」

 そう言って、霊気を爆発させた。直也と弥生には何の影響もないが、鬼達は目が眩み、一瞬動けなくなる。その間に弥生は直也を連れ、鬼の気配がない所へと移動した。

「はあ、はあ…」

 直也の息が荒い。毒気を吸いながら激しい動きをしたため、僅かとはいえ全身に毒気が回ってしまったのだ。

 弥生は宇曽利うそり湖畔にある地蔵堂に辿り着くと、中に直也を横たえ、ここにも小さな結界を張った。

「直也、今日はここまでじゃ、じっとしていよ」

「だいじょうぶさ、このくらい…」

 そう言って起き上がろうとする直也を制して、

「いかん。毒気を甘く見ては。…この毒気はまず肺を、そして肝を冒し、次いで腎を冒す。…儂のように妖気を持つ者は何ともないが、人間が長く吸ったら命取りになりかねん」

「…くそっ…」

「この地を選んだのは偶然ではないようじゃな。三方は海、陸地の幅も狭い。そして毒気が吹き出る地。…おそらくこの地そのものが蟲毒こどくの瓶にあたるのじゃ…」

 そう言った弥生は一心に考えを巡らす。

 しばらくして、

「これしかあるまい…」

 そう言って直也に、

「ここでじっとしておれ。日が沈む前に済ませねばならぬからのう」

 そう言って直也の返事も待たず、急いで外へと出て行った。

 

 隠形おんぎょう法を使い、宇曽利うそり湖畔に出た弥生は、周囲の地形を観察する。

「…ふむ。…周りの峰、八峰が八葉に見立てることが出来るのじゃな」

 そう呟き、印を結んだ。

「一切本性悉有仏性、オンダキニギャチギャカニエイ…」

 すると弥生の身体から光が放たれ初め、その光は九つの尾を持った巨大な狐の姿となった。

 更に弥生の真言は続く。

「…キリカクソハカ…」

 その真言が終わると、光の九尾狐は九つに分かれた。それぞれが光る一本の尾を持ち、うち八体が八方へと散っていく。

 残った一対は弥生の側に控えている。

「…よし」

 八体の分身がそれぞれの山頂に着いた事を感じ取り、弥生は再び印を組んだ。

「ノウボバギャティ…タレイロキャ…ハラチビシシュダヤ…ボウダヤ…」

 真言が唱えられ、それと共にそばにいた光の狐は広がり始める。

「…アビシンシャトマン…ソギャタバラバシャノゥ…」

 その光は次第に地に移り、地面そのものがうっすらと光り始めた。

 鬼が弥生に気付き、集まってきたが、光る地面に触れた途端、くずおれてしまう。

「…バラチニバラタヤ…アヨクシュディ…サンマヤ…」

 やがて周囲の山からも光が下りてきて、弥生を中心にした辺り一帯が光の海と化した。

「ビボウダヤ・ビボウダヤ・サンマンダ…」

 更に弥生の真言は続き、ついに、

「ジシュチタ・マカボダレイ・ソワカ!」

 真言は完成した。

 それと共にあたりはまばゆいばかりの光に満たされたかと思うと一瞬でその光は消え去り、

 ただ湖畔に佇む弥生がいるのみであった。

 周りにいた鬼どもは影も形もない。あたりは夕暮れの静けさに包まれていた。

 弥生は大きく息を吸うと、少しよろめく足取りで直也の待つ地蔵堂へと向かったのだった。


「直也、今帰った」

 そう声を掛けた弥生は、

「お帰り」

 直也の返事を聞き、ほっとして地蔵堂の扉を開け…息を呑んだ。

 直也の顔色が土のようだったからである。明らかに毒気に肝を冒された兆候である。

「直也…苦しかったのじゃな…何故言うてくれんかった…」

「これくらい、何ともないさ、それより弥生、何をしてきたんだ?」

「仏頂尊勝陀羅尼を使って一帯の浄化をな…それよりもお主の身体じゃ!…どうすれば良かろう…」

 時間を掛ければ治す手段はいくらでもあるのだが、今はその時間がない。少なくとも明朝までに直也を回復させないと危険だ。となると方法は一つ。

 弥生は直也の正面に座ると、直也を抱き寄せながら、

「直也、しばし目を瞑っておれ」

 そう言い、直也が目を瞑ると、そっと顔を寄せていく。唇が触れあう寸前で僅かに躊躇った弥生であったが、その逡巡も束の間、直也と自分の唇を重ねた。

「…!」

 驚いた直也であったが、すぐに身体の中から違和感が消えていくのを感じる。

 弥生が毒気を吸い出していることを感じた直也は素直に弥生に身を任せた。

 四半刻の更に半分ほどの時間、そうしていた弥生は、直也の身体から毒気が完全に抜けたことを感じ取ると、今度は逆に霊気を吹き込んだ。その霊気は直也の身体の隅々まで行き渡り、弱った身体の各部を癒していく。

 始めてから四半刻で全ては済んだ。

 弥生は唇を離すと、吸い込んだ毒気を吐き出す。それは毒々しい黄色の塊となって床に転がった。

 それをつまむと、扉を少し開けて隙間から外へ放り出す弥生。その姿勢のままで、

「直也、いきなり済まなかった。あのままでは腎が冒され、容易には治せぬところまで行きそうだったのでな。…非常時じゃ、許してくれ」

 直也は背中を向けたままの弥生に向かって、

「ありがとう、おかげで身体が軽くなったよ」

 そう礼を言うと、弥生は、

「礼など入らぬ、儂はお主の守護狐じゃでのう」

 そう、少しぶっきらぼうに答えた弥生だったが、

「!?」

 直也はそんな弥生を後ろからそっと抱き締め、

「…弥生…これからもずっと…」

 そうささやいた。

 一瞬、直也に体を預けそうになったものの、気を取り直した弥生は急いで直也を振り解くと、

「な、何を浮かれておる!…この一帯は浄化したとはいえ、逃れた鬼も数十体はおるじゃろう。それに屍鬼以外の鬼には効いてはおらぬはず、まだ油断は出来ぬ」

 そうぴしゃりと言い放つ。直也は素直に、

「うん。…ごめん。…それじゃあ、明日の朝までここで籠城だな?」

「そうじゃ。もう日が落ちる、夜はこちらにとって不利じゃからな、朝まで休息じゃ」

 そう言って直也の隣に座り、壁に背をもたせかけた。暗闇の中、赤くなった頬を見られずに済んだことに安堵しながら。

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