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巻の六十    杜の都にて(前)

巻の六十    杜の都にて(前)


 北の都、仙台へと続く街道。

 直也と弥生は今、仙台へと向かっている。直也の服は町人の旅姿から武家風に変わっていた。前の宿場でなけなしの金子をはたき、古着屋であつらえたのである。大小の刀を差すにはやはり武家姿でないとおかしいからだ。

 歩きながら弥生は空を見上げて、

「日も傾いてきた、急がんと仙台に着くのは夜になってしまうのう」

 しかし直也は呑気に、

「そうなったらなったで仕方ないさ」

 二人とも夜目が利くので、直也はあまり夜道を気にしていない。

「じゃが泊まるところを探すのに困るぞ。もう金もないしの」

 先日、上田の郷の老人に金と米を与えてきたのと、直也の着物を整えたので弥生の持っていた最後の金も使い果たしてしまったのである。

「まあどうにかなるだろ、仙台は大きな町だと言うし」

 どこまでも直也は呑気である。


 やがて日が暮れかかり、黄昏時となる頃、ようやく仙台の町外れに差し掛かった。

 道端に石碑が建っている。道祖神か、庚申か。直也は何の気無しに手を合わせた。すると。

 薄闇の中に、ぼうっとした姿が浮かび上がる。若い女のようにも見える。

「何だ?」

 直也が弥生に尋ねる。弥生は足を止めてじっとその姿を見つめていたが、

「何ぞの精じゃな。…おそらく石碑の精じゃろう」

「石碑って…石が命を持つのか?」

 驚く直也。

「命というのとは少し違うな。…長いこと人に拝まれたりした物には人の念が籠もる。その念がちょっとしたきっかけで精になることがあるのじゃ」

「そうしたら仏像やお地蔵様とかにはみんな精が宿っているのか?」

「そんなことはない。念がいくら籠もってもそれだけで精になることはない」

「それじゃあ何で…」

 弥生は少し考えて、

「例えばじゃ、雪がいくら積もっても自然に雪玉は出来ないじゃろう?」

「ああ、そうだな」

「じゃが、人が丸めてやれば雪玉になる」

「うん」

「その雪玉を雪の積もった山の上から投げたらどうなる?」

「…小さければ雪に潜ってそのままだろうけど…大きかったら転がりだして更に大きな雪玉になるだろうな」

 弥生はにっこり笑って、

「正解じゃ。念と精もそんな関係じゃ。積もった念をまとめ上げる何かが有って初めて精が生まれる。弘法大師のような法力や、マーラの妖力みたいな、の」

「それじゃあ…」

 弥生は静かに首を振って、

「あれは邪悪なものではない」

 そう言う間に、姿はよりはっきりと形を取り、今や完全に若い娘の姿となった。

 その娘は直也を見つめてにっこりと笑った、と思った刹那、闇に溶けるように消えた。

「…やはり…」

 弥生は疲れたような顔をし、溜息を吐いて、

「お主はいろいろなものに好かれる質じゃのう…」

「え?」

 怪訝な顔をする直也に弥生は、今の精は直也の祈りがきっかけになって生まれた、と説明する。

 隠れ里の次期当主である直也は通常の人間よりも強い気ーーー裸虫である人間は土気ーーーを持っている。

 石碑は土の気であるから、直也の気に感応して精が生まれた、というのだ。

「じゃあ俺はやたらと拝んだりも出来ないじゃないか」

 弥生は笑って、

「そんな事はない。こんな事は万に一つも起こりえない事じゃ。偶々、方位や時間などの条件が良かったのじゃろう。もう一度やりたくても出来るはずはない」

「それで安心したよ」

 そう言って再度歩を進め出す直也であった。


 とっぷりと日も暮れたが、直也も弥生も明かりは必要としない。

 弥生は元々夜行性の狐の化身だし、直也はその弥生の力の片鱗を受けて以来、夜目が利くようになっている。

…夜目だけで無く、妖なども見えるようになっているのである。

 そんな二人の行く先に明かりが一つ灯った。

「お?」

「…提灯のようじゃのう。誰か先を歩いているようじゃ」

 夜目が利くとはいえ、直也の視力は弥生には到底及ばない。

 弥生はきっと百間(約180m)先の虫でも見えるのだろう、そう思わないでもない直也であった。

「ちょうど良い。道を尋ねてみよう」

 まだ町外れ、他に歩いている者もいない。二人は足早に明かりに近付いていった、その時である。

「ひええっ」

 悲鳴が上がり、提灯の火がかき消えた。

「お、おたすけえっ!」

 次いで悲鳴が上がる。直也は駆け出した。

 悲鳴の主は商人のようであった。その左腕が朱にまみれている。

 斬ったのは、黒い宗十郎頭巾を被った男。手には大刀が握られている。

 必死に這いずって逃げようとするその背中を狙って、今にもその大刀が振り下ろされようとしていた。

「待てっ!」

 駆けつけた直也が遮る。男はものも言わずに直也に斬り掛かってきた。

「辻斬りか?」

 軽くかわした直也が刀に手を掛けようとしたその時、男の顔に石つぶてが当たった。

「うっ」

 一個、二個。どこから飛んでくるのか分からないその石は、直也には全く当たらず、頭巾の男にだけぶつかるようであった。

「ちっ」

 舌打ちをした男は抜き身を引っ提げたままその場を立ち去った。直也は追いかけようかとも思ったが、怪我人を放ってはおけないと振り返った。

 見れば、弥生が既に血止めを施している。直也は懐から天狗の秘薬を出すと、ごく少量、傷口にすり込んでやった。

 それだけで血が止まる。もう少し塗れば傷も塞がるのだが、この状況でそれは拙い。直也と弥生の素性を詮索されることになりかねない。

「あ、ありがとうございます…」

 商人は年の頃は四十くらい、恰幅の良い体格で、見るからに豪商といった態をしている。

「私は仙台城下で呉服屋を営んでおります青葉屋一兵衛と申します」

 一兵衛は反物を織ってもらっている村へ注文がてら視察に行ってきた帰りだという。それがいきなり辻斬りに襲われたというのだ。

「俺は…上田…直也、こっちは弥生です」

「上田様、ですか、…ご迷惑かも知れませんが、店まで送って頂けませんでしょうか。御礼もしたいと思いますし」

 また辻斬りに襲われても拙いから、直也はその申し出を二つ返事で承知した。

 提灯は燃えてしまったので足元が真っ暗であるが、直也は苦もなく歩いていく。それを見た一兵衛は、

「そうとうな御修業を積まれたようですなあ、私には真っ暗なのですが…」

 そう言われて少し歩調を落とす直也。弥生は苦笑している。

「さっきの辻斬り…やはり物盗りでしょうか?」

 直也が尋ねてみる。が、一兵衛は、

「いえ、ここのところ御城下外れに時々辻斬りが出るという噂はあったのですよ。私ももう少し早く帰るつもりだったのですが…」

 反物の柄のことを話していて遅くなったのだという。

「上田様、生国はこちらですか?」

 その質問にどう答えようかと少しとまどった直也であったが、弥生が助け船を出した。

「先祖は上田の郷の出身じゃが、直也は西の生まれじゃ」

「ほう、やはり上田家ゆかりの方でしたか」

 絶えたとはいえ、かつての名家である上田の名は今に伝わっているようだ。

 そんな会話をしているうちに、あたりは少しずつ賑やかになり、人もちらほら見かけるようになった。

 そして一軒の大店の前に来ると、

「ここが私の店です。…今帰ったぞ」

「大旦那様、お帰りなさいませ」

「お帰りが遅いので心配しておりました」

 丁稚や手代が出迎える。

「おお、あやうく辻斬りに斬られるところをこの方達に助けられてな。徳松、すすぎをお持ちしなさい。平吉、奥の部屋を開けておくれ。五助、食事の支度を頼むよ」

 怪我をしているのにもかかわらずてきぱきと指図をしていく様は流石、大店おおだなの主人の貫禄であった。

「あらためまして御礼申し上げます」

 直也と弥生が出された食事を食べ終わると、青葉屋一兵衛が、妻のお加代と共にやってきて頭を下げた。直也はそれを遮って、

「気にしないで下さい。大したことしたわけじゃありませんから」

「いえ、上田様がいらして下さらなければ、とうにあの世へ行っておりました」

 夫婦して頭を下げられて、くすぐったい直也であった。

「弥生様にも手当をして頂いて、…お医者様も適切な処置だった、と感心しておられました」

 一兵衛は左腕を肩から吊っている。

「傷が浅かったから良かった。…無理なさらず、休まれるがよい」

 しかし直也が塗った天狗の秘薬で元の半分以下に傷は治ってしまっているのだが。

「どうか何日でも我が家にお泊まり下さい」

 まだ宿も決めていないと言うと、そう申し出てくれた。ありがたくその申し出を受けた二人。

「それで、…あの、弥生様と直也様はどういったご関係で?」

 部屋を分けるべきかどうするか決めかねているのだろう。

「弥生は俺の許嫁です」

 直也はそう答えた。隣の弥生は瞬時目を丸くする。

「そうですか、では番頭さん」

 そう言って番頭に何か耳打ちをする。その番頭は二人を二間続きの部屋に通してくれたのだった。

「お疲れでしょう、ごゆっくり」

 そう言って番頭は出て行った。早速弥生は直也に文句を言う。

「直也、何故あのような出任せを言う?…儂はお主の許嫁ではないぞ」

「悪い。…でも以前のこと思い出しちまってさ」

「以前?」

 直也は、昨年、やはり北の国で世話になった漆器店、井筒屋の話をした。あの時は倅の市之助が弥生を嫁に欲しいと言い出したのだった。

「そんなわけで、ごたごたするのは面倒だったんだよ」

 弥生は不満そうな顔で、

「…しかし儂に余計な話は来ないじゃろうが、お主の嫁も探せぬではないか…」

 それに対して直也は、

(…俺は弥生がいてくれればそれでいいんだがな)

 そう心の中で呟いたのであった。しかしそんな心中はおくびにも出さず、

「そう言えば、あの石つぶて、ありがとうな」

 そう直也が言うと弥生は、

「つぶてなど知らぬぞ?…あの程度の相手、儂は安心して見ていたからのう」

「それじゃああの石はいったい?」

 弥生はそんな直也に、

「おそらくあの石碑の精じゃな。土精じゃからまず間違いない。お主を助けようとしたんじゃろう。なにせお主がきっかけになって生まれたのじゃ、お主が親のようなものじゃからな」

「そうか…」

 何とも複雑な直也であった。祝言も挙げていないのに親になるのか…などととりとめのないことを考えたりする。

「それよりのう、」

 弥生が言うには、

「お主もこれから武家として振る舞うからには、刀の手入れくらい憶えておかねばな。翠龍は人界の物で何とか出来る物ではないから置いておくとして、大小は放っておけば錆びるぞ」

「そ、そうなのか」

 そこで弥生は一通りのことを教える。

 刀を長いこと保管する時は白鞘、つまり朴の木で作った鞘に入れておくこと。丁字油ちょうじあぶらなどを付け、錆止めとすること。油を拭うために打粉うちこを付け、拭うこと。等、等、等。

 先祖からもらった刀はそのようにして、鞘と拵えが別々になっていたのだ。

「あれは錆びないようにってことだったのか…」

 感心する直也に、

「何かを斬ったら必ず刃こぼれなど無いか確認し、懐紙で拭ってから鞘に収めるのじゃ。間違っても血糊が付いたまま収めるでないぞ」

 そうすると鞘の中で錆び付いて抜けなくなる、と弥生は説明し、更に手入れの方法を教えていく。

 一通り直也が憶えたと見た弥生は行灯の灯りを落とし、それぞれの床に横になった。


 翌日。朝食が済むと一兵衛がやってきて、

「よくお休みになれましたか」

 に始まって、世間話や商売の話などとりとめもなく話をし、小半刻ほどで戻っていった。

「今のはお主の人となりを見に来たのじゃな」

 弥生がそう分析する。いくら命の恩人とはいえ、得体の知れない人間が家にいるというのは気になるのだろう。

「だったらどう思われたろう?」

「ふふ、気にせんでもよい。お主に邪気がない事は儂が一番よく知っておる。お主を悪人だと思う奴などおらぬよ」

 気恥ずかしくなった直也は、

「そ、そうだ、昨日の石碑に行ってみたいんだけどな」

「気になるのか。それも良かろう」

 そう言って直也と弥生が出かけようとすると、一兵衛の妻、お加代が、

「お出かけされるのでしたら道案内にこの者をお連れ下さい」

 と言って小僧を一人付けてくれた。名前は松吉だと言う。

 松吉は人なつこい性格で、

「上田様はお強いのですか?」

「諸国を旅してらっしゃるのですね、どこの国が気に入られましたか?」

 等々、道々尋ねてくる。直也は笑いながら一つ一つ答えてやった。

 そうこうしているうちに昨日の石碑に着いた。

「これは昔からあるそうなんですが何の神様でしょう?おわかりですか?」

 松吉の問いに、弥生は石碑の苔むした表、裏を丹念に眺めていたが、

「馬頭観音じゃな。畜生道を救済して下さる菩薩じゃ。馬が倒れた場所に祀ることもあるが」

 そこまで言って、一瞬顔をしかめる。直也には何かあった事が推測できたが、松吉が一緒なので聞くのは憚られた。

「弥生様は物知りですね。次はどこへまいりましょうか?」

 弥生はしばらく考え、

「そうじゃな、御城下を案内してくれぬか」

「はい」

 ということで、一行は仙台城下を見て回ることにした。


 仙台は伊達政宗が拓いた都市で、慶長六年(1600年)に青葉山に仙台城を築き、城下町が開かれた。

 伊達六十二万石は尾張藩と並ぶ大藩である。

 一行が八幡神社や輪王寺を見て回るともう日が傾いてきた。

 小腹が空いたので茶店で休憩。団子とお茶を注文する。青葉屋を出る時に小遣いを貰っていたのでそれで払いはまかなった。

 松吉は役得とばかり、団子や饅頭を頬張っていた。店では思う存分食べることなど出来ないのであろう。直也と弥生は笑ってその様子を眺めていた。

「ごちそうさまでした」

 礼儀正しく礼を言う松吉。

「さて、それでは帰るとするか。松吉、御苦労じゃったな」

「いえ、お役に立てたなら嬉しいです」

 そう言いながら、何か言いたそうだ。それを見て取った直也は、

「松吉、何か頼み事でもあるのかい?」

 そう言うと松吉はびっくりした顔をし、次いでもじもじしていたが、

「…あの、…刀を、…一度で良いですから持たせて頂けませんか」

 と言った。何だそんなことか、と直也。大刀は松吉には長すぎるので小刀を持たせてやる。

 黄昏時、ちょうどあたりに人はいなくなり、松吉は、

「えい! たあ!」

 と掛け声を上げ、刀を振り回した。

 ひとしきり振り回した松吉は顔を紅潮させながら、

「ありがとうございました」

 と直也に小刀を返した。

 その時である。

「おや、良い刀だな。ちょっと見せてくれぬか」

 と声を掛けてきた者があった。

 見れば、若い武士であった。大家の子息といったところか、お伴の中間を一人従えている。

 弥生の目が細くなった。と同時に、突然黒い影が襲いかかってきた。

「ぎゃあっ!」

 直也の前にいたその武士の喉から鮮血が吹き出した。身構える直也。

 弥生は瞬時に直也の傍に駆け寄り、辺りを窺う。

 その黒い影は五間程(約9m)先にうずくまり、こちらを伺っているようだ。

 夕暮れ、木の陰で良くは見えないが、人間のような形をしている。しかし四つんばいである。

「何の妖じゃ…?」

 弥生が一歩踏み出したその時、その黒い影は後ろへ跳躍し、姿をくらましてしまった。

 妖の気配が消えたことを確認すると、弥生は直也の方を向き直る。直也は若い武士の手当をしていた。

 掻き斬られた喉に天狗の秘薬を擦り込んでやるが、何故か完全には傷が塞がらない。

 一応血は止まり、命の危険は無くなったとはいえ、楽観は出来ない。そこで初めて一緒にいた中間が、

「…若様!」

 そう一言叫んですがりつく。それをやんわりと押しとどめて直也は、

「この人を早くお屋敷へ連れて行った方がいい。…戸板を借りてきた方がいいな」

 そう言うと、仰天して腰を抜かしていた松吉が立ち上がって、近所の家から戸板を借りて帰ってきた。気の利く小僧である。

「よし、それじゃあ静かに運ぶんだ」

 戸板に怪我人を乗せ、前に中間、後ろは直也が支えて歩き出す。弥生と松吉は左右について補助だ。


 幸いに武士の屋敷は近く、すぐに着いた。門には「千倉」と札が下がっている。直也達は屋敷内へと入っていき、出て来た使用人達に怪我人を預けると帰ろうとしたが、

「あの、旦那様が御礼をしたいと仰せですが...」

 さっきの中間が直也達に声を掛けた。

「何、大したことをしたわけじゃない、礼には及びませんとお伝えしてくれ。…弥生、松吉、帰ろう」

 直也はそう言って屋敷を出て行った。弥生と松吉も後に続く。

「…びっくりしましたよ。いったいあれは何だったんですか?」

 興奮した松吉が尋ねてくるが、直也には答えてやることが出来ない。

 弥生はうすうす勘付いているようだったが、松吉に迂闊なことを言えないという顔つきだったので直也も尋ねるのは控えていた。その弥生は答えを濁し、

「しかとはわからん。夜は出歩かん方が良いな」

 とだけ答えたのである。

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