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巻の五十六   邪仙(肆) 悪行

巻の五十六   邪仙(肆) 悪行


 家族にならないか、と問われて立ち竦んだ蓮香を見て直也は、

「…どうした?」

 聞かれた蓮香は体をもじもじさせ、

「…本気?」

 と恥ずかしそうに尋ねる。冗談半分だった直也は逆に驚いてしまった。そこで、

「…お前次第だよ」

 と答える。蓮香はなおももじもじしていたが、突然、

「…い、いっけない!…あ、あなた、あたしをたらし込もうっていうのね?…危ない危ない、うっかり騙される処だったわ」

 そう言って奥へ引っ込んでしまった。奥で何やらごそごそ始めたようだ。直也はくすりと笑うと、

「意外と擦れてないんだな」

 と心中呟いた。直也は寝台に戻り、寝転ぶと目を閉じ、朝からの考えに戻った。

 なんとかこの窮状を打開する方法。それだけを直也は考えていた。

 しかし、その考えは蓮香の声に破られた。

「…直也さん、あたしを見て」

 その声に目を開ける。そこには化粧し、着飾った蓮香がいた。

 顔を白く塗り、目には青い隈取り。唇は赤く、簪、笄をつけ、袖のたっぷりした薄緑のしゃで出来た裾の短い上着を羽織っている。

「どう、あたし、…きれい?」

 そう言ってくるりと一回転して見せる。直也は素直に、

「ああ、きれいだよ」

 そう答えてやる。蓮香は喜んで、

「ほんと?…弥生さんより?」

 直也は、

「弥生は化粧なんてしないからな。…蓮香も今は綺麗だけど、やっぱり素顔の方が可愛いと思う」

 そう言ってやる。蓮香はわからないといった顔をして、

「…お化粧する女は嫌い?」

 そう言って懐から小さな鏡を取り出し、顔を眺めた。その鏡には見覚えがある。ミナモに間違いなさそうだ。

「それは…!」

 思わず声が出てしまう。蓮香は済まなそうな顔をして、

「あ、これ?…えへっ、あなたの鏡、拝借しちゃったの。…お師匠様には内緒よ?」

 ミナモを蓮香が持っている…一筋の希望が見えてきた直也であった。

「男のくせに鏡を首から提げて…大事なものだったの?」

 その質問に直也は調子を合わせて、

「あ、ああ。…一族に伝わる鏡なんだ。当主の証の一つさ」

 三種の神器にも鏡は含まれている。その話を信じた蓮香は驚いて、

「そうだったの?…それじゃあ直也さんが隠れ里の当主を継ぐ時には返してあげなきゃね」

 そう言ってくれた。

 どうもこの蓮香は見かけよりも純なようだ。

 わざと摺れっからしの振りをしているだけで、本当は素直な狐なのではないか、そう思い始めた直也である。


 やがて日が暮れ、夜になった。弥生はどうしているだろう、そんな考えが頭をよぎる。

 夕食を運んできた蓮香が、

「…弥生さんが心配?…ねえ直也さん、あなた人間なのにどうして狐である弥生さんが好きなの?」

 そう尋ねてきた。直也は言葉に詰まる。何故だろう…。

 しばらく考えた直也はゆっくりと自分に言い聞かせるように、

「…人間も狐も同じ生き物だよ。共に生きるのにそれ以上の理由は必要ないだろ?」

 それを聞いた蓮香は何とも言えないほど切なそうな顔を一瞬見せた。

「…その言葉に偽りがないなら」

 そう言うとくるりととんぼ返りを打つ。

 と、蓮香は一匹の狐と化していた。

「蓮香なのか?…やっぱり狐だったんだなあ」

 素直に感心する直也。実は狐が化ける処は初めて見たのだった。

 弥生は着物は化けても姿までは滅多に直也の見ている前で化けたりしないから。ましてや狐姿の弥生は見たことがない。

「これでもあたしのこと平気なの?」

 その蓮香狐が口をきいた。

「…こっち来いよ」

 手招きする直也。蓮香狐はおずおずと近付いてくる。

 その頭に直也が手を置いた時、蓮香狐は一瞬ぴくっと首をすくめたが、すぐに力を抜いた。

「よしよし、…いい毛並みだな」

 そう言って直也は蓮香狐を抱き上げた。

「…あ」

 蓮香狐の驚いたような声。しかし決して嫌がってはいないのは、逃げようとしないところからも察する事は出来る。

「…あったかいな、お前」

 そう言いながら懐にかき抱いた蓮香狐の背を撫でる直也。

 蓮香狐はしばらくされるがままになっていたが、やがて身を捩って直也の手から抜け出すと、もう一度とんぼを切って元の娘の姿になった。

「なんだ、もういいのか?」

 そう声を掛ける直也に、

「…は、早く食事済ませちゃってよね。片づけられないから」

 そう言ってそそくさと奥へ引っ込んでしまった。

 それで直也も冷めかけた夕食の膳を平らげる。終わったと見るや、蓮香が足早にやってきて膳を掴むと、また足早に持ち去ってしまった。

「蓮香、またお茶頼むよ」

 後ろ姿にそう声を掛ける。びくっとした蓮香だが、立ち止まり、後ろをちらっと見て、

「うん」

 とうれしそうに頷いたのだった。


 膳を片づけた後、蓮香の淹れてくれた茉莉花まつりか茶を飲む直也。その顔を見つめて蓮香は、誰に言うともなく話し始めた。


「…あたしが生まれたのは明が滅んで清になったばかりの頃。

 あたしたちは狐にしては珍しく、一家で群れて暮らしていたんだけど、

 ホンタイジ(清の二代皇帝)とかいう奴が狩りであたしたち姉妹の両親を殺したの。

 みんな悲しんで悲しんで、人間を憎んだわ。

 そんな時、お師匠様がやってきて、あたし達にいろいろな術を教えてくれたの。

 上の姉さんたち…七姉さんから上の姉さん達はもう化ける事とか出来ていたから、すぐにいろいろな術も憶えたわ。

 でもあたしと…小姉さん…紅玉姉さんはなかなか憶えられなくてね。

 化けるのがやっと。他の術なんて憶えられなくて…悔しかった。

 …あたしと小姉さん、一度は嫌になって、お師匠様のところを飛び出しちゃった。

 それで人間に化けて、人間に紛れて暮らし始めた。

 そして何の因果か、小姉さん、人間の男を好きになっちゃってさ、一緒に暮らし始めたの。

 あたしはその妹という事で、一緒の家に置いてもらったたんだけど…

 ある日、姉さんしくじっちゃってさ、尻尾を見られちゃったの。

 さあ大変。旦那さん、包丁振り回すは、坊さん呼びに行くはで、あたしたち叩き出されちゃった。

 仕方なく姉さん達の処へ戻ると、みんなはもう大分術も憶えていて、仇のホンタイジを病死させていたわ。

 小姉さんももう必死になって術を憶え始めた。それでほどなくみんなと肩を並べられるようになったの。

 …でも…あたしといえば…化けるだけで…他には何も…出来ない駄目狐なの…」


 それを聞いて直也は弥生の過去を思い出した。

 人間が生き物を殺し、その報復を受ける。すると人間は妖怪としてそれらを退治する。憎しみの連鎖は途切れる事がない。

「…ごめんよ。…俺が謝ったってどうなるわけじゃないけれど」

 蓮香は目を皿のようにして直也を見つめた。

「何で…あなたがあやまるのよ…?そんなことされたら…憎む事出来ないじゃない…」

 そう言って俯く。そんな蓮香に向かって直也は、

「憎しみは…何も生み出さない。蓮香、生き物は皆、他の生き物の命を奪って生きているんだ。米だって野菜だって生きてる。お前達だって鼠や兎を食べた事あるんだろう?」

「そう…だけど…」

「両親を殺された事を忘れろとか言ってるんじゃない。…悲しむのはいい、怨むのは当然だ。

 だけどその心の隙を悪魔に利用されるのは不幸だ」


「悪魔?…お師匠様の事?」

 蓮香が信じられないといった表情で聞き返す。

「そうだ。他人を先導して業を深めさせ、言葉巧みに悪事を勧める。これを悪魔という」

「でも、お師匠様は!!」

 食って掛かる蓮香。

「悪魔は外見からは判別しがたい。決めるのはお前だ、蓮香」

 今までしおらしく直也の話を聞いていた蓮香とは別人のような形相で、

「そうさせてもらうわ」

 そう言い捨てると、蓮香は部屋の奥へ引っ込んでしまった。

「……」

 直也は再び寝台に横になると、

「弥生…夜明けまでに間に合うのか…?」

 そう心配しながら目を閉じた。

 

*   *   *

 

 夜明け間近のこと。

 二つの影が結界をくぐった。

「お帰り、紅玉」

 出迎えたのは芙蓉。

「お師匠様がお待ちかねよ」

 そう言って紅玉の後ろにいる弥生を見つめる。弥生の着物には返り血が点々と付き、左手にはまだ血の滴る包みを下げていた。

「何とか間に合ったようね、感心感心」

 そう軽口を叩いた芙蓉は、弥生に睨まれて口を噤んだ。弥生の目には今までと異なる鬼気が宿っていたのだ。

「お帰りなさい、弥生さん。…紅玉、ごくろうでした」

 そう声を掛けたのは奥から現れた大元たいげん道士。

「まずは指を見せてもらいましょうか」

 黙って弥生は包みを差し出した。

 芙蓉が代わってその包みを受け取り、中を確かめる。中には血にまみれた人間の指が十本、確かに入っていた。

「お師匠様、確かに」

 芙蓉がそう言うと、道士は徐にその包みから指を一本取り出すと、口で噛み、すぐに吐き出す。

「確かに人間の指。偽物ではないようですね。…どうです、弥生さん、人を殺した感想は」

 その道士を弥生は睨んだだけ。だがその目の鬼気を見た道士は、

「聞くまでもなかったですね。…疲れたでしょう、ご褒美に、人間の精を吸わせてあげましょう。…紅玉、弥生さんに家畜から生きのいいのを選んであてがってあげなさい」

「はい。…あのう、あたくしは…」

 道士は笑って、

「あなたは駄目です。…そうですね、当分あなたは弥生さんの監視役です。それを上手く果たしたなら精を吸わせてあげましょう」

 紅玉は顔を輝かせて頷くと、

「はい、おおせのままに!」

 そして弥生を伴って、地下へと続く扉を開けた。

 二人がその扉に消えると、道士は誰に言うともなく、

「…殺人、そして吸精。…これで弥生さんは妖狐、それもとびっきりの悪狐に生まれ変わるでしょう」

 その顔には暗い喜びが満ち溢れていた。

 

 扉の奥、地下室には若い男が数十人囚われている。皆、狐どもに精を吸わせるために飼われているのだ。

 紅玉は弥生に、

「どれでもいいわ。…好きなのを選びなさいな。…まったく羨ましいわね。…あたしなんてここ十年、精なんて吸っていないのに」


*   *   *


 しばらくの後、地下室から二人が戻ってくると、芙蓉が待っていた。

「紅玉、どうだった?」

「七姉さん、上々よ。こいつったらもう見境無く精を貪って。見ているこっちが顔を背けたくなるくらい。用済みの家畜は腐る前に土に埋めてきたわ。胆も役に立たないでしょうしね」

 芙蓉は満足そうに、

「弥生さん、ご苦労様。…どうする?…直也さんに会いたい?」

 そう弥生に尋ねるが、弥生は何も言わず、首を左右に振っただけ。

「そう、汚れた己の姿は見せたくないというわけね。…いいわ、あなたにも部屋をあげる。付いてらっしゃい。…紅玉、あなたもお疲れ様。ゆっくりお休みなさいな。…あ、その前に、直也さんに弥生さんが無事戻ってきた事を教えてあげるといいわ。…くわーしくね」

 その言葉に弥生は振り返り、何か言いたげにしていたが、結局何も言わずに芙蓉に付いていくのだった。

 

*   *   *

 

「蓮香、入るわよ」

 そう断って紅玉は扉を開ける。

「あ、小姉ちいねえさん、帰ってたの?」

「うん、さっきね。…直也さん、ただいま」

 直也は紅玉が入って来た瞬間に寝台から起き上がり、もの問いたげな視線を投げかけていた。

「弥生は?どうした?」

 紅玉はへら、と笑って、

「無事やり遂げたわよ。…沼田の城下に出て、ちょうど婚礼の行列に出くわしたから、こっそりと忍び寄って一人また一人と首を欠き斬った早業。あなたにも見せたかったなー」

「そんな事したのか!」

 直也は信じられないと言った表情である。

「そうよ。最後は花嫁さん。這いずって逃げようとするのに背中に馬乗りになって…」

「もういい!…聞きたくない」

 紅玉は残酷な笑みを浮かべつつ、

「駄目よ、弥生さんはあなたのために業を深めたんだから、最後まで聞かないと」

 そう言って事細かに弥生のした事を語って聞かせる紅玉。蓮香が「性格が悪い」と言ったのは誇張ではないようだ。

 直也は耳を塞ぎたくなるような弥生の所業をじっと聞くだけであった。

「…というわけ。あたしも監視役無事に果たしたから鼻が高いわ」

「それで弥生は?」

「ああ、お師匠様に復命した後、ご褒美にって、地下に飼っている家畜…人間の事よ、念のため。…その中から若くて生きのいいのを一人選んで、その精を吸い取ったわ。吸われた家畜は用済み、使い物にならないから土に埋めちゃった」

 直也は愕然とする。一方蓮香は、

「ああいいなあ、精の味ってどんななんだろう。あたしも味わってみたいなあ」

 そんな蓮香に紅玉は、

「あんたにはまだ早いわ。あたしだってここ十年ご無沙汰してるんだもの」

「だって小姉さんは昔旦那さんと…」

「蓮香」

 その言葉を聞いた紅玉がぴしゃりと言う。

「その話はしないで。あいつの事は二度と聞きたくないの」

「ご…ごめんなさい…」

 紅玉に叱られて小さくなる蓮香。そんな蓮香を尻目に、

「ま、もう弥生さんは戻らないわ。もう一押しでこっち側に引き込めるわね。そうなったら直也さん、あなたは用済み。覚悟しておく事ね」

 そう言い捨てて紅玉は部屋を出て行った。直也は最早言葉も出ない。

「まあ当然の結果ね。…ね、あたしの男になりなさい。そうすれば助かるから」

 黙り込んでしまった直也に向かって蓮香が優しげな言葉を掛けているが直也は返事もしないでいる。

「……」

「気持ちは分かるけどね。…まあ今日一日、ゆっくり考えなさいよ」

 そう言って蓮香は直也の傍をそっと離れた。

まだ続きます、今までで最長の話になりました

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