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巻の五十三   邪仙(壱) 戸隠

巻の五十三   邪仙(壱) 戸隠

 

「どうしたっていうんだろう、弥生」

 ここは信州、善光寺。寛永十九年(1642)に金堂を消失するなど、この時代は多難続きであった。

「うむ、儂が訪れた時はこんなではなかったが…火事じゃな」

 度重なる火災による伽藍焼失。再建が果たされるのはもう少し後、宝永四年(1707)である。

 直也と弥生が訪れたこの時はまだ、仮堂が多かった。

「参拝を済ませたら戸隠へまいろう」

 弥生の提案に従い、再建成った本堂に詣でるとその足を北へ向ける。目指すは山岳修験の地、戸隠である。

 道々直也は弥生に尋ねる。

「なあ弥生、弥生は伏見で修業していたんだろう?」

「…ん?…うむ、前世のことじゃがな」

「伏見の祭神は宇迦之御魂大神うかのみたまのおおかみだったよな?」

「そうじゃ。大分お主も勉強したようじゃな」

「なのに、何で弥生は術を使う時真言を唱えるんだ? あれって密教、つまり仏教のものじゃないのか?」

 弥生は笑って、

「いいところに気がついたのう。たしかに真言は真言密教、すなわち弘法大師空海が唐より伝えし教えじゃ。

 じゃが、前にも言うたろう、元となる力は一つじゃ。密教の真言も神道の祝詞も陰陽道の呪符もそれを使うための手段に過ぎぬ」

「うーん、なるほど」

「それでじゃな、伏見の近く、京の九条に何がある?」

「え?…いきなり言われてもな…」

 そこで弥生が、

「教王護国寺、つまり東寺じゃよ。空海が弘仁十四年(823年)に嵯峨天皇から賜った寺じゃ」

「そうか、そこで学んだのか」

「まあそう言うことじゃ。当時は今よりもっと神道仏教の区別は曖昧じゃったからの。付け加えるなら、真言は儂の性に合ったという事じゃな」

「どういうことなんだ?」

 弥生は少し考えてから、

「まず短い真言で大きな効果を発揮できる。元々真言とか陀羅尼だらにというものはお経と違って、元となった天竺の言葉の音写じゃ」

「ああ、そうだったな」

 そこで弥生は少し目を伏せると、

「じゃから…儂の前世も含めると…馴染みが深いのじゃよ」

 弥生の前世。それは九尾の狐として鳥羽上皇に取り憑いたこと。

 それはマーラと呼ばれる天竺、中国を荒らした悪霊に憑かれてやったことだが、弥生の重い過去であった。

 そのマーラの持っていた知識もある程度受け継いでいる弥生にとって、真言は馴染みのある法であったわけだ。

「あ…ごめん」

 弥生にいらぬことを思い出せてしまったと気付いた直也は侘びの言葉を口にする。弥生は静かに首を振り、

「かまわぬ。…マーラの持っていた知識も善きことに使えばそれは善根となる」

 二人はそんな話をしながら山道を登り続け、その日は戸隠詣での参拝者が泊まる宿坊に宿を取った。


 夕食後、二人は庭を見ながら話している。

「なあ弥生、弥生は戸隠に来たことがあるのか?」

「大昔に、な」

 直也は感心しながら、

「弥生って、行った事のない場所なんて無いんじゃないのか?」

「ふふ、そんな事もないが、天狐の修業の一つに、回国行があるのじゃよ」

「回国行?」

「そうじゃ。伏見を起点に、国の重要な土地を訪れて回るのじゃ。その時にここへも来たというわけじゃ」

「天狐になる修業か…大変なんだろうな」

 弥生は昔を思い出したのか、

「そうじゃな。…でも辛いとは思わなんだな」

 遠い目をしてそう答えるのであった。


 その夜の事である。

「…?」

 微かな気配を感じて弥生は目を覚ました。

 外は月に照らされている事が障子越しにわかる。

 直也を起こさないようにそっと床を出た弥生は障子を僅かに開けた。

「そこにいるのは何者じゃ」

 すると影があらわれ、月光の元に跪いた。

「それがしは飯縄三郎いいづなさぶろう様配下の小天狗にて、弥生様をお招きするよう命じられた者です」

「何、飯縄三郎殿配下とな。しばし待たれよ」

 弥生は障子を閉め、僅かに考えたが、心を決めると直也を起こした。

「…弥生?…どうしたんだ?」

「済まぬが直也、一緒に来てくれぬか」

「…どこへ?」

「飯縄山の主、飯縄三郎殿の元へじゃ」

「え?」

 ようやく目が覚めた直也、身支度を調えると、弥生と共に庭へ下りる。そこには四体の烏天狗が控えていた。

「では、運んでもらおうかの」

 弥生が言うと、それぞれ二人ずつが弥生と直也を抱え、背中の羽を羽ばたかせて空へと飛び立った。

 そのまま月光の中、飯縄山へと向かう。水が湯になる程の時間で一行は残雪残る飯縄山山頂に降り立った。

 そこには飯縄三郎と思われる大天狗と配下の小天狗が勢揃いして迎えていた。

「ようこそ、弥生殿、直也殿」

「三郎殿、お久しゅうござる」

 弥生は飯縄三郎と面識があるようだ。

「一別以来、お変わりない様子、重畳、重畳」

 弥生が祝辞を述べる。飯綱三郎もそれに応え、

「弥生殿も転生後、無事正果を得られ、霊狐になられたようで、お祝い申し上げる」

 弥生は首を振って、

「堅苦しい挨拶は抜きにして下され。儂に何か用があるとの事。その昔、飯縄の法を伝授頂いた恩もござる。儂に出来る事なら何なりと」

 そこで言葉を切ると直也の方を振り返り、

「これは儂の主人、葛城直也様でござる。どうぞお見知りおきを」

 直也はいきなり弥生に主人呼ばわりされ、「様」付けで呼ばれたので面食らってしまったが、

「葛城…直也です。どうぞよろしく」

 なんとかそつなく挨拶する事が出来た。

「直也殿、お名前は聞き及んでおります。それがしは飯縄山の飯縄三郎、以後お見知りおきを」

 飯縄三郎も挨拶を返す。

 その後、飯縄三郎は腰掛けを持ってこさせると直也と弥生に勧め、自分も腰を下ろした。

「さて、お呼び立て致したのは他でもない、お力をお借りしたいがためじゃ」

「この日の本で太郎坊、次郎坊に次ぐ三郎殿がこんな妖狐に何を頼まれると言われるのじゃ?」

 飯縄三郎は少し俯いて、

「お二人の噂は前から耳にしておる。箱根の道了尊殿からもな。先だっては山ン本殿が立ち寄られ、話を伺う機会があった。

 それによると今この国はマーラという悪魔に狙われているという。お二人はあちらこちらでマーラの悪計を潰されているという事も伺った」

 そこで一息吐いてから更に、

「先日、赤城山の方からの知らせによると、妖人が現れ、一帯を荒らしているとの事。御助勢頂きたい」

 弥生は、

「…それだけの事で赤城の神も三郎殿も儂如きに助勢を頼むわけはないでござろう? 只の妖人ではござらぬな?」

「その通り。見た事もない術を使い、鬼神、竜神、悪天狗、狐狸、式神、あらゆる悪霊妖怪、魑魅魍魎ちみもうりょうを使役し、

 付近の土地神や精霊を皆殺しにしておるのです。…それがしの見たところ、唐国からくにの術に間違いござらぬ」

 弥生はそれで得心がいった。

「成る程、それで儂に」

 飯縄三郎は、

「転生なされた弥生殿が彼の国の術にも明るい事をお聞きし、ここにお願い致す」

「……」

 考え込む弥生。そんな弥生に直也は、

「弥生、俺たちで出来る事なら引き受けよう。この国をそんな奴の好きにさせたてたまるものか」

「直也殿、かたじけない」

 飯縄三郎が頭を下げた。弥生は渋い顔で、

「直也、お主がそう言うのなら」

 そう言うと飯縄三郎に向かい、

「直也の事、くれぐれもお頼み申す」

 と言った。直也は慌てて、

「弥生一人に任せて置くわけになんかいくかよ。俺ももちろん手伝うよ」

「馬鹿を言え、只の人間に何が出来る? お主は危なくないようここに残り儂の帰りを待っておれ」

 直也はかぶりを振って、

「来るなと言っても行くぞ」

 弥生は大きく溜息を吐いて、

「お主ならそう言うじゃろうな。…分かった。じゃが、決して無茶をするでないぞ」

 その様子を見ていた飯縄三郎は、

「それではお二方を配下に送らせましょうぞ」

 そう言って先程の烏天狗を呼んだ。

「そなた達、お二方を赤城姫の所へお連れするのだ」

 簡潔に命じる。

 赤城姫は赤城山中、大沼の主と言われる。

 烏天狗は命を報じ、先程のように二人を担いで空へと飛び立った。

 浅間山を遙か下に見下ろしながら飛んでいく。歩いて行く何倍も速い。

 が、榛名山を越えんとした時に、一陣の狂風が吹いてきた。

 それは渦を巻き刃となって一行を翻弄する。

 さしもの烏天狗も振り回され、三体が羽を傷つけられてしまい、直也と弥生は空中へと放り出されてしまった。

「うわあっ!」

「直也!」

 落下していく二人、慌てて無事な烏天狗は二人を再度抱えるべく後を追う。弥生は、

「儂より直也を頼む!…直也は只の人間じゃ。落ちたらひとたまりもない。頼む、直也を!」

 その叫びに応じ、まず直也を捕まえるべく急降下する烏天狗であったが、再度襲い来た狂風は凄まじく、目を開けていられないほど。一瞬目を閉じ、風をやり過ごした後に目を開けると、直也の姿は何処にも見えなかった。

 一方弥生は、直也に見られていないことを確信すると、落下の途中術を使い、むささびに変化。風を捉えて滑空、無事に地上へ降り立った。

 そこへ無事だった烏天狗も降り立ち、

「直也殿を見失いました、申し訳もございません」

 土下座して詫びる。元の姿に戻った弥生は色を失い、

「直也…!」

 名を呼びながら駆け出したその足を止めて、

「天狗殿、そなたも直也を捜してくれぬか。見つけたら赤城の大沼に来るよう伝えて欲しい」

 そう言うと、天狗の返事も待たずに駆けて行った。

「直也…!…やはりこの依頼、受けるのではなかった…」

 心中そう呟きながら直也が落ちたと思われる方へ急ぐ。

「お主に万一の事があったら、儂も生きてはおれぬ」

 感覚を総動員して網を張り、直也の気配を探る弥生。だが、十里四方を探っても直也の気配が感じられない。

 が、同時にそれは直也がただ落下したのではないことも示している。

 地上に落ちたのなら、直也の肉体を感じ取れるはずだ。直也の生き死ににかかわらず、直也を感じ取れる、弥生にはそんな自信があった。

 弥生は感覚の網を狭め、より詳しく探ると共に高速で移動し、広範囲を探る事に決めた。

 人が走る十倍もの速さで山を登り、谷を下り、野を横切り、林を駆け抜ける。

 それでも直也の気配は感じられない。弥生は今回の相手が容易ならぬ相手である事を再認識した。

 短めですが切りが良いので壱はここまで。

 飯綱三郎はカラス天狗のような姿で白狐の背に乗っていたりして、狐と縁のありそうな天狗様です。

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