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巻の四十    弥生対鉄砲(後)

 珍しく一気に時間が進みます

巻の四十    弥生対鉄砲(後)

 

 正月になった。

 直也と弥生は新年をこの集落で迎えた。

「明けましておめでとう、弥生。今年もよろしく」

「うむ、おめでとう、直也。これでお主も十八じゃな」

 二人は初日を拝むと、寄寓している孫七の家へと戻った。その時、孫七が直也と弥生を宴席に呼んだ。

 出てみると、長老や村の主だった人も来ている。

「直也殿、」

 長老が切り出した。

「我等は隠れ住んでいる一族。その我等を探りに来た隠密と勘違いし、今まで疑っていて申し訳ない。桔梗と共に病人を診てくれている弥生殿、そして砂風呂を考案してくれた直也殿。最早疑っている者はおらん。どうか今までの無礼を許してもらいたい」

 その言葉に直也は、

「こちらこそ、旅の途中で偶々出会ってしまっただけで、他意がなかった事を判ってもらえればそれでいいんです。いろいろと勉強もさせてもらえたし」

「そう言ってもらえると助かる。…そして弥生殿には、誤って銃を射掛けるという、償いきれぬほどの過ちを犯してしまった」

 弥生も笑って、

「何の、もう傷は綺麗に治っております故、お気になさらぬがよい」

 直也に勉強をさせる事が出来て、弥生も満更ではなかったのだ。

「これはお返しする」

 翠龍、道中差し、天狗の秘薬、ミナモ。その他所持品が返された。

 その時、おみつの母親が飛び込んできた。

「桔梗様!…おみつが、おみつが…!」

「おみっちゃんがどうしました!?」

 腰を浮かす桔梗、そして直也、弥生。

「脚が動くように…」

 そう言って涙ぐむ。

「動かなかった脚が…動くように…ありがとうございました…」

「よかったですね、弱った脚の訓練をしていけば、遠からず歩けるようになるでしょう」

 新年早々の良い知らせで、その場は一層和んだものとなる。酒が回され、歌声が飛び交い、直也達の歓迎会的な様相も呈してきた。

「弥生さん、あなたのおかげです」

 桔梗が弥生に頭を下げる。

「どんなお礼をしたらいいか…」

「礼など入らぬ。…じゃが、もし良かったら、鉄砲の撃ち方を教えてくれぬか? 打ち方だけでよい。鉄砲をくれなどとは言わぬ」

「それなら、菊乃、お前が教えてやれ」

 孫七のお声掛かりで、精悍そうな女が選ばれた。女だてらに鉄砲組で五人長を務めているという。

「よろしく、菊乃殿」

 菊乃は見たところ二十歳前後、長身痩躯の男勝りと言った風貌であった。

「三が日が終わったら、さっそく教えましょう」 正月の四日、練習用の広場に直也と弥生はいた。

 この村では二十五人が鉄砲組として選ばれており、村の治安を守り外敵の侵入を防ぎ、平時には狩猟もこなすそうである。

 鉄砲組は五人を一組とし、一人が射手、四人が玉込めその他を請け負っている。

 これにより、連射が可能になるという、雑賀衆得意の戦法であった。もちろん長である菊乃が射手だ。他の四名も娘である。

 皆十代後半くらいの溌剌とした娘達であった。無言で長である菊乃に従っている。

「これが鉄砲です」

 弥生、そして直也は興味津々である。

「鉄の筒で出来ている、それは知っていたけれど、複雑なんですね」

 直也の正直な感想。

「まずこの火縄に火を付けておきます…」

 手順を説明する菊乃。

 一通り説明をすると、的に向けて発射してみせる。

 的の半紙に描かれた丸、その中心を見事に撃ち抜いて見せた。

「さあ、とりあえず撃って見て下さい。反動があるので気をつけて」

 菊乃の配下の娘が火薬と玉を込めてくれる。菊乃は直也に鉄砲を渡した。

「よし」

 見よう見まねで構え、的を狙って引き金を引く。

 爆発音がして直也はひっくり返った。もちろん的には当たっていない。娘達が笑う。

「大丈夫ですか?」

 菊乃も笑って直也を助け起こす。

「思ったより反動がきつかったな」

「初めてでしたらみんなそうですよ。どうします? もう一度やってみますか?」

 直也は首を振って、

「いや、もういいです。どうもありがとう。勉強になりました」

「そうですか。…弥生さんは? 撃ってみませんか?」

「儂はけっこうじゃ。菊乃さん、皆さん、世話をおかけした」

 そう言った直後銃声がして、的が撃ち抜かれた。撃ったのはやはり五人組の長、万治である。

「菊乃、おままごとは終わりか?」

「万治さん、危ないじゃないですか、合図も無しに撃ち込むなんて」

 菊乃の部下の一人が苦情を言う。練習場とはいえ、山の中故、狭い。予告無しに下手な者が撃ったら危険もあろう。

 現に直也の撃った玉は明後日の方角へ飛んでいったのだ。

「へっ、俺がそんなへまをするものか。俺の腕はこの村で一番なんだぜ。…それより菊乃、例の話、考えてくれたか?」

「…あたしはまだ誰とも結婚する気なんか無いよ」

「そんな事言ってると行かず後家になるぜ。だいたいお前みたいな男勝り、俺以外に貰ってくれる奴がいるってのかよ?」

 菊乃は顔に怒気を顕して、

「大きなお世話だよ」

 そう言って鉄砲を担ぎ、練習場を出て行った。配下の娘達も慌ててそれに続く。

「ちぇっ」

 そう舌打ちをすると、万治は直也と弥生に一瞥もくれず、やはり鉄砲を担いで歩き去っていった。

「嫌な感じの奴だな」

 直也の率直な感想。一方弥生は、

「あやつ、菊乃のことが気になって仕方ないのじゃな。菊乃が直也に手を貸したのを見て妬いておったのじゃ」

「それっぱかりのことでか?」

「恋は盲目と言うからの、好いたおなごが他の男のそばにいるだけで気になるのじゃよ」

 現に弥生も、京で直也に焼き餅を焼いていたのだが、そのことは口に出さない。

 目つきの鋭い痩せた男が、直也と弥生をちらと見てから万治の後を追って行った。部下のようだ。

 直也は気にしてはいなかったが、弥生はその視線に含まれた毒を感じ取っていた。


 朝になれば戻っているのだが、夜中に目を覚ましたところ、隣に眠っているはずの弥生がいない、そんな事が何度かあった。

 気になったので何度目かの朝、直也は弥生に聞いてみる事にした。

「なあ弥生、このごろ夜中に抜け出してどこへ行ってるんだ?」

「ん?…気が付いたのか。…ふふ、この村の男と逢い引きを、な」

「ええええっ!?」

 直也が隣近所まで聞こえるような声を出した。驚いたのは弥生である。

「じょ、冗談じゃ。落ち着け、直也。済まぬ、ほんの軽口じゃ」

「おどかすなよ…」

「そんなに驚くとは思わんかった」

 そこへ足音が聞こえてきた。

「ほれ、お主が大声を出すから何事かと思われたぞ」

 やって来たのは孫七とその配下であった。その孫七は開口一番、

「隠密を捕らえた」

   

 直也達が捕まったあたりで、再び鳴子が鳴ったので近くを巡回していた菊乃の組が捕らえたらしい。

 が、捕らえて連行しようとしたところ、一瞬の隙をついて自らの喉を掻き切り、自殺したという。

 所持品を調べたところ、判じ物のような書状が一枚見つかったそうである。

「ほう、それはどんな書状だったのじゃな?」

 弥生が尋ねるが、

「悪いが教えられない。お前達が隠密の一味で、繋ぎを取ろうとした可能性が捨てきれないのでな」

「俺たちは隠密じゃないと何度言ったら…」

 孫七はそれに対して、

「済まん。感情では判っているのだがな、長としては村の者に少しでも不審を抱かせるわけにはいかんのだ。和を保つためにもな」

「まあ仕方ないの。孫七殿も辛いところじゃ」

「弥生殿、物わかりが良くて助かります。それで、悪いとは思うが、数日の間、お二人にはここでなく長老の家で謹慎していて貰いたい」

「疑いが晴れるまで出歩くな、というわけじゃな?」

「その通り」

 逆らっても良い事はないので、直也と弥生は孫七と配下に伴われて長老の家へ行く。

 道々、弥生が世話をした病人やその家族が心配そうな顔で眺めていた。


 長老の家には書物があり、長老自身話し好きなので退屈する事はない。

 その上最近歩けるようになったおみつがその訓練と称して、長老の家までやってくるようになった。

「こんにちは、弥生様、直也様、おられますか?」

「おお、よう来た、おみつちゃん。まあ上がってくれ」

 自分の家ではないが、弥生はにこやかにおみつを招じ入れる。長老も笑っている。

 山中とはいえ、暖かな紀州、梅の枝の蕾が膨らみ始めた日当たりの良い縁側に座り、長老、直也、弥生と話をする。

「お客が来てくれるというのは暇にしている老人には何よりじゃよ」

「これ、あたしが作った草餅です、召し上がって下さい」

「おお、どれどれ」

「おみっちゃんの作った餅は美味いな」

「ほんとですか、…うれしいです」

 ほんのり頬を染めるおみつ。

 そして日が傾くまで喋って帰って行く。

 その後ろ姿を見送り、直也は、

「しかし毎日、何かしら持ってきてくれるなんて、ありがたいよな」

 弥生はそんな直也に、

「直也、気付いておらぬのか。…おみつはお主に気があるのじゃよ」

「ええええっ!?」

 ここのところ驚く事が多くなった直也である。

「だって、おみっちゃんはまだ十三だろ?」

「あのくらいの年頃なら男を好きになっておかしくはない」

「ふむ、…直也殿、おみつを妻にしてこの村に留まるというのはどうじゃな?」

「…長老、…せっかくですが」

「おみつが嫌いかの?」

「いえ、そういうことではなく、旅の途中でもあり、いつかはここを…」

「出て行く、か。…しかし、難しいだろうよ。…万一よそでこの里の事を話されでもしたら、と皆思っておるからのう」

「そんなことは口が裂けても…」

「わかっておる、わかっておるが、皆が皆、信じておるわけでもない…」


*   *   *


 直也と弥生が長老の家に移ってから五日後の払暁の事であった。

 弥生が直也を揺り起こす。

「直也、起きよ。…何か起こった」

 飛び起きた直也は、

「何かって…何だ?」

「空気がざわめいておる。外へ出てみよう」

 いつもなら門のところにいる門番の姿もなかった。

「妙じゃな。村の様子を見てみよう」

 長老の家は村の一番奥、北側の山の中腹にあるから、見晴らしがよい。そこから村を見下ろすと、薄暗い中、眼下で戦いが始まっている。

「むう、外からの襲撃のようじゃな」

 今や、鉄砲の音が響き、誰にも判るほど戦闘は激化していた。

「いったい誰が攻めてきたんだ?」

 長老も起きだしてきて、

「こ…これは一大事!」

 と、家に飛び込み、刀と槍を担いで出て来た。

「長老…危険です、止めて下さい!」

 直也が止める。

「しかし、村人の危機じゃ。こう言う時は一人でも多い方がよい…」

「それは俺たちに任せて下さい。…弥生、行くぞ!」

「うむ、直也」

 そう言って二人は坂を駆け下りていった。


「きゃああっ!」

「くそっ、武器がない…」

「鉄砲が! 火縄が!…」

 突如襲い来た黒尽くめの集団。その正体は不明だが、里の人間を女子供の区別無く、無差別に襲っていた。

 それを目の当たりにした直也は激怒。道中差しを抜き、襲われている家に飛び込む。

「貴様ら!許さないぞ!」

 峰打ちに賊を打ち倒す。後の事はその家の者に任せ、次の家へ。それの繰り返し。

 弥生はというと直也の後方支援である。弓矢、鉄砲による攻撃がないか見張り、飛び道具を見つけると、弓なら『風刃』で弦を切り、鉄砲なら水を呼んで火縄を湿らせる。

 更に、直也への集中攻撃がないよう、気を配っていた。

 これにより、直也は一人か二人を相手にすれば良く、まず負ける気遣いはない。

 弥生は直也の成長を喜ぶと共に、無鉄砲な事をしなければよいが、と目を光らせていた。いつまでたっても弥生にとって直也は手の掛かる子供のようだ。

 空が明るくなってきた。相手の人数も見当が付いてくる。

 総勢百名といったところ。しかし一番の問題は人数ではなく、武器であった。

 あろうことか、村の鉄砲そのほとんどが火縄を湿らされて使い物にならなくなっていたのだ。

 辛うじて見回りに出ていた鉄砲組の持つ物だけが使えるという有様。そのため、村の者達の過半数が早々と戦闘不能になっていた。

「桔梗様、こちらをお願いします!」

「ちょっと待って下さい、今手が放せないんです」

 孫七の家は砦として、怪我人を収容し、襲い来る敵に対しての抵抗を続けていた。

「長、どうやら襲ってきたのは太田党の残党らしいです」

「太田党だと!?」

 太田党は、雑賀衆から別れた勢力である。雑賀衆と共に、戦国時代は鉄砲大名として名を馳せたが、どちらも関ヶ原の戦い以後、歴史の表舞台に名前が出る事はなかった。

「何故今頃になって…」

「長、それより手引きした奴がいるようなんです。その所為で鉄砲の大半が使用不能になってしまって…」

「何!?誰だ、それは?…まさか…」

 孫七の脳裏に、直也と弥生の事が浮かんだが、すぐに消えた。あの二人は長老の家からここ数日一歩も出ていない。

 様子を探らせるため、本人にも真の目的を知らせずに送り込んだおみつがそれを証明している。毎日、顔を合わせていたのだから。

「ぎゃあっ!」

 邸内に賊が踏み込んできた。孫七は数少ない無事な鉄砲で迎え撃つ。孫七の家は文字通り最後の砦として踏ん張っていた。


 一方、賊を撃滅しながら直也は集落内を移動していた。その直也へ声がかけられる。

「直也さん!」

 菊乃であった。後ろには怪我人が大勢付いてきている。

「菊乃さん、あなたか。戦況はわかりますか?」

「今、戦える者は長の家に立てこもっています。私は逃げ遅れた人達をまとめているところです」

「良かった、それじゃあ長老の家へ避難させて下さい。今、俺たちはそっちから賊を片づけながら来たところです」

「わかりました」

 菊乃とその部下達は手際よく人々を誘導していく。

 安心した直也は、炎上する家を避けつつ、激戦地である孫七の家へと向かおうとした。その足が止まる。足元に鉄砲が撃ち込まれたのだ。

「何!?」

「…貴様を見くびっていたようだな」

 炎を背に現れたのは、先日、万治の後を付いていった男。そいつが直也に鉄砲の筒先を向けている。

「動くなよ。…貴様の連れを以前撃ったのも俺だ。俺の腕は万治より上だぞ」

「何をするんだ!…賊を呼び込んだのは俺じゃないぞ!」

 男は不敵に笑い、

「わかっているさ。呼び込んだのは俺だからな」

「何!?…隠密はお前だったのか!」

「そうよ。太田党主領の弟、太田傳三だ。…どうだ、我等に味方する気はないか? 金ならはずむぞ」

 元々の雑賀衆ではない直也、その腕前を見て、金で味方につけようと言うのだ。

「断る。非道の輩に与するわけにはいかない」

「そうか、ならば…死ね!」

 引き金を引く傳三。しかし、何も起こらない。

「な、なぜ玉が出ぬのだ?」

 慌てる傳三。あろうことか、背後で燃えさかっていた炎もいつの間にか消えている。

「ふふ、ようやく出来るようになったか」

 弥生の声。振り返ると、狐の耳と尻尾を出した弥生が、手に黒い狐火…本当に火なのだろうか?…を灯していた。

「弥生!」

「直也、もう鉄砲を怖がる事はないぞ。…この黒い狐火…『凍り火』が完成したでのう」

「『凍り火』!?」

「そうじゃ。鉄砲と言えど、所詮は火の力を借りておる事が判った。ならば全ての火を消してしまう術を使えばよい」

そう言って弥生は、手にした黒い狐火を、炎上する家へと投げ付けた。炎はたちまち消える。

「ふふ、こつを覚えれば何と言う事はないのう…」

「くぅ、…ば、化け物!!」

 鉄砲を投げ捨て、刀を抜いて傳三が突っ込んでくる。それを軽くかわした弥生は、おなじみの木気の狐火を投げ付けた。

 刀に紫電が走り、傳三は気絶。

「ふん、儂を撃ったのがこやつだったとはな、思いがけなく意趣返しが出来たわい」

 直也が傳三の帯を使い、縛り上げた。

「直也、黙っていて悪かったが、夜毎に抜け出しておったのはこの術を編み出すためじゃよ」

「そうだったのか、流石弥生だ」

 そこで二人は孫七の家へと急いだ。


 堅い守りに業を煮やした太田党は、火矢を放っていた。

 弾薬庫は分厚い壁の土蔵の更に地下にあるが、家全体が燃えてしまったらどうなるかわからない。

 守っている半数が消火に回った。守備が手薄になる。それを見計らって、数名が突撃。ついに扉の一つが破られた。

 孫七と配下の者は奮戦しているが、三倍以上の兵力の差に押されている。

「桔梗様!お逃げ下さい!」

「いいえ、怪我をした人達を見捨てていく事は出来ません。最後まで留まります」

「それじゃあ、桔梗様が…」

「私は長の妹。何かあれば、この里と共に滅ぶ覚悟は出来ています」

「桔梗様…」

 その回りに、鉄砲を構えた太田党の男達が押し寄せてくる。

「これまでですか…」

 桔梗が覚悟を決めた、その時。急に辺りが暗くなったような気がした。

 気が付けば、燃えていた火が一瞬にして消えている。

 その異常さに気付いた太田党の男達も振り返った。

「ぎゃっ!」

 振り返った男達は、二人は直也の刀で峰打ちに、もう二人は弥生の狐火を喰らい気絶した。

「桔梗さん、無事ですか!」

「直也さん、弥生さん…」

 桔梗は目を丸くして、弥生の耳と尻尾を見つめている。その桔梗に、

「桔梗さん、怪我をした人に、この薬を!…これは天狗の秘薬です」

 そう言って、蛤の貝殻の容れ物ごと、桔梗に手渡した。そして身を翻し、

「弥生、残党を片づける。手伝ってくれ」

「ふふ、お主が手伝うの間違いじゃろ?」

 そう言って凄味のある笑いを浮かべた弥生は、飛び込んできた太田党の賊どもに向けて特大の狐火を放った。

 雷が落ちたような音がして、目の前が真っ白に染まる。一瞬にして、庭で動いているものはいなくなった。

「無茶するなよ…」

 直也はあきれ顔だ。

「無茶ではない。せっかく治した病人や怪我人に再度怪我をさせてくれよって、そのお礼じゃ」

 弥生は弥生なりに、平穏なこの里での暮らしを破られたのを憤っていたらしい。

「さて、後は直也、任せた」

「え?」

 見ると、ただ一人、弥生の狐火にも平気で立っている男がいた。

 太田党の首領のようだ。

「おのれ、妖狐風情が邪魔をしてくれおったのか…」

 そう呟くその男のはだけた襟元から、見まごう事のない黒い玉がのぞいていた。

「マーラ…この騒ぎの元凶はマーラ、貴様だったのか!!」

「んん?…我をマーラと見破る貴様は只者ではないな?…退魔師ではなさそうだ。…まあ何者でも良いわ。邪魔をしてくれた礼だ。くたばれ!」

 そう言って、手から雷を直也めがけて放った。その眩しさに、一瞬直也は目を閉じる。

 再び目を開けた直也が見たのは、黒こげになって倒れている男。直也の持つ『ミナモ』が雷をはね返したため、全てを己が喰らう事になったのだ。

 翠龍を抜き、呪い玉を切り裂く直也。

「桔梗さん、この男にも手当を」

「え?…はい」

 一瞬ためらった桔梗だったが、医者として、瀕死の人間を放っておけないという思いから手当を始めた。

 それが済むと、他の怪我人のところへ。

 天狗の秘薬と直也が言った塗り薬、その効き目は素晴らしく、血が止まり、火傷が癒え、傷口が塞がる。

 残党を一掃してきた直也は、

「賊はもういないようです。…そもそも、悪い力にそそのかされて始まった争い、これで収まる事を望みます」

 そう言った直也に孫七は、

「直也殿、疑ったりして済まなかった。直也殿と弥生殿の働きがなかったら、この村は全滅していただろう」

「いえ、いいんですよ。俺もいろいろと勉強させて貰ったし」

「しかし、弥生殿が稲荷明神の化身だとは思わなかった…」

「え?」

 狐姿の弥生を見て御先稲荷おさきとうがだと思ったらしい。

「そうとも知らず、無礼の数々、お許し願いたい」

 孫七は弥生に向かって土下座をした。そんな孫七に弥生は、

「お手を上げられよ。済んだ事じゃ。…ありがたく思うのなら、このまま儂らを旅立たせてくれ」

「はっ、仰せのままに」

 それで弥生は耳と尻尾を引っ込め、桔梗と共に怪我人の手当に取りかかった。

 

 手当が早かったため、死者は敵味方通じて一人もなかったのが救いであった。

 一日留まり、怪我人の手当を終えた直也と弥生は、翌日、長老、孫七、桔梗、菊乃、おみつ、そして歩ける村人全員に見送られて旅立った。

 旅立ちに際して弥生は孫七に、

「孫七殿、いつまでも隠れ住むのでなく、世に出る事も考えられたがよい。幸いにして、この紀州を治める紀州公はなかなかの名君、きっとよく取りはからってくれようぞ。…そして、太田党の者とも和を結び、平穏を、な」

「はい、有難き仰せ、きっと実行致します」

「直也さん、あたし…」

「おみっちゃん、元気で。またいつか」

 何を言っても辛くなるだけ、そう思ってわざとぶっきらぼうに別れを告げる。

「弥生様、お世話になりました」

「桔梗殿、その医術の腕、これからも人々を救う為、精進するのじゃ。…菊乃殿、そなたのおかげで鉄砲に対抗する術を考案する事が出来た。礼を言う」

「畏れ多い事でございます」

「…直也様、お預かりした天狗の秘薬、申し訳ありませんが使い切ってしまいました。容れ物のみですが、お返し致します」

「役に立って良かった。…薬は使うためにあるんだから、仕舞っておくためにあるんじゃない。気にしないで」

「さて、それでは皆の衆、世話になった」

「長老、お世話になりました」

「お元気で」

「お元気で」

 いつまでも名残は尽きないが、新たな旅へと立つ直也と弥生。

 弥生が少し残念そうに、

「直也、天狗の秘薬、無くなってしまったのう。少しだけ取っておきたかった」

「いいさ。人助けになったんだから」

 そう言って、容器だった蛤の殻を手で弄ぶ。

「…ん?」

「どうした?」

「…これ」

 蛤を開けてみると、無くなったはずの秘薬が一杯に詰まっていたのだった。

「…流石秘薬だけの事はあるのう。…私心無き場合には使っても減らぬと見える」

「これからも人助けに使おう」

「それが良い」

 二人の声は森に響き、新年を迎えた紀の国に吹く風はどこか柔らかく、春の香りがした。

 ついに年が明けました。正月をどういう形で迎えさせようかと思っていたのですが、図らずもこんな形で。

そして、鉄砲対弥生。「凍り火」は水気の技です。今のところ弥生だけが使える狐火です。

以前、水気の狐火は無いと書きましたが、ここにその狐火が加わり、木火土金水、五行全ての狐火が揃いました。

 そして天狗の秘薬。「マヨヒガ」でもらったおにぎりがいつまでも減らないとか、マヨヒガに招かれたのに何も持ってこなかったため、

後日川を流れてきたお椀で米を量っていたところ、いつまで経っても米が減らなかったとかありますので、参考にしました。

 

 雑賀衆は実在の集団で、その長、雑賀孫一(孫市)は、織田信長とも戦った事が知られています。

作中に書きましたように、内部分裂や秀吉の弾圧などでちりぢりになり、各大名に仕えたという事です。

紀州徳川家に使えたという記録はありませんが、水戸藩に仕えたという話、伊達政宗に仕えたという話もあるようです。

 さあ、いよいよ作中は新年を迎え春になりました。これから直也達はどこへ行くのか。

 

それでは、次回も読んで頂けたら幸いです。

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