表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/100

巻の三十九   弥生対鉄砲(前)

巻の三十九   弥生対鉄砲(前)


 ここは紀州、高野山の南。

 雪を嫌って南への旅を続けた直也と弥生は、古都・奈良を通り、紀州に入っていた。

「…まいったのう…」

「弥生にも道は判らないのか?」

 今、直也達は山の中で道に迷っていた。

「面目ない。…高野山を守る結界が強うて、勘が働かないのじゃ。もう二、三里も離れれば何とかなりそうなのじゃが」

「そう言う事か。とにかく南へ向かうしかないよな」

 流石の弥生も、弘法大師空海の開いた高野山、その近傍の結界の中ではその力を出し切れないらしい。

「済まぬ。…儂が妖狐でなければ良かったのじゃが」

「え?」

御先稲荷おさきとうがならば霊狐じゃから、こういう結界に影響は受けぬ。あやかしだけを封じる結界じゃからな…」

「そ、そんな結界の中にいて、弥生は平気なのか?」

 心配そうな直也。

「弱い妖怪ならいざ知らず、儂は多少力を殺がれるだけじゃ」

「それならいいが…」

 藪を掻き分け、沢を渡り、尾根を登り、谷を越えて二人は歩いて行く。夕暮れ近くになって、ようやく結界の影響から脱したようだ。

「ああ、すっきりしたぞ。もう大丈夫じゃ。…うむ、方角はだいたい合っておる。…じゃが、目指す南紀白浜はまだまだ先じゃ。今宵はこのあたりで野宿じゃな…」

 そう言った矢先の事。

 からんからん、鳴子の音が響き渡った。見れば、足元に縄が張り巡らされ、鳴子に繋がっている。

 流石の弥生も、結界から出た安堵で油断したのである。

 突然、銃声が響いた。

「くぅっ!」

 弥生がのけぞる。その右肩が朱に染まった。

「弥生!」

 駆け寄る直也。

「大丈夫じゃ。それより気をつけよ。身を低くするのじゃ。ミナモでは鉄砲は防げぬ」

 こんな時にも冷静に対処する弥生。

「囲まれておる…」

 周囲には鉄砲を構えた男達が十数名、直也と弥生を狙っていた。

「お前達は何者だ」

 その中の一人が尋ねてきた。

「俺たちは旅の者だ。道に迷ってこんな所に来ただけだ。それを何故撃ったりする」

 直也が答えると、

「旅の者だと?…ただの旅の者とも思えぬな」

 男は手を挙げて合図をする。すると、回りの男達は鉄砲で狙うのを止めた。

「とにかく、一緒に来てもらおう。嫌だとは言わせぬ。逃げれば撃つ」

「わかったよ、とにかく弥生の手当をさせてくれ」

「いいだろう、来い」

 それで直也と弥生は、謎の男達に連れられ、山の中の集落へとやって来たのだった。家は五十戸ほどか、山の中にしては大きな集落である。

 ところどころで湯気が上がっているのは、湯が湧いているのかも知れない。

「入れ」

 集落の中程にある大きな家、その中へ連れてこられた。

「名前を聞いておこうか。俺は孫七、この集落の長だ」

 見ればまだ三十前であろう、精悍な顔つきの男である。

「俺は直也、こっちは弥生だ」

「ふん、直也と弥生か、旅の者だと言ったな、その証拠は?」

「そんなもんあるかよ」

「手形も無しか。それでは信用できんな…おい」

 手下に命じて身体検査をさせる。一応弥生には女が任に当たった。

 道中差し、翠龍、ミナモ、金、天狗の秘薬などが並べられた。

 一方弥生からは紙入れ、筥迫はこせこ等が取り出される。

「ふむ、大したものは持っておらんな。だが一応預からせてもらう」

 そう言って、所持品が取り上げられてしまった。

「う…」

 弥生のうめき声。その右肩の朱い染みが広がっている。

「とにかく、手当をさせてくれ、頼む!」

 直也が懇願する。

「…そうだな、おい」

 弥生の身体検査をした女が薬籠やくろうを持ってやって来た。

「どこです?…右肩ですか」

 着物をはだけ、弥生の右肩をむき出しにすると、

「少し我慢して下さいね…」

 そう言って、火であぶった小刀を弥生の肩の傷口に突き刺した。

「あうっ…」

 顔をしかめる弥生。思わず直也は腰を浮かしかけるが、それが治療だと気付いて座り直す。

 小刀が動き、鉛の玉が転がり出た。

「これで大丈夫」

 女は焼酎を口に含むと傷口に吹き付ける。

「つっ!…」

 再び弥生が痛そうな声を上げる。女はさらしを使って手早く傷口を被うと、着物を直してやり、更にさらしで弥生の右腕を吊った。

「傷口が塞がるまで動かさないように」

 そう言って、薬籠を片づけ、奥へ引っ込んだ。

「さて、手当はしてやった。貴様らをどうするかだが…とりあえずこの村からは出ないでもらう。今日のところはここに泊まれ。明日、長老に処遇を決定してもらおう」

 そう言うと、手下達が直也と弥生を促し、奥の部屋へと連れて行った。

 窓のない、頑丈そうな板壁の部屋である。格子が無いだけで、牢屋みたいなものだ。それでも粗末ではあるが食事と布団が用意され、野宿よりは快適に一夜を過ごす事が出来そうである。

 戸が閉められると直也は弥生に、

「弥生、大丈夫か? 痛まないか?…くそ、天狗の秘薬も取り上げられちまったからな…」

「心配はいらぬ。…しかし、傷口が塞がらぬと思うておったら、鉛玉が食い込んでいたとはな。…鉄砲、か。…やはり侮れぬのう」

「弥生でもか…」

「うむ。弓矢や手裏剣ならなんとでもなるが、鉄砲の玉の速さは尋常ではない。撃たれてからでは避けられぬ」

「そうか…」

 しかし弥生は笑って、

「直也、とにかく休め。鉄砲の事は儂に任せよ」

 弥生がそう言うので、直也達は与えられた食事を平らげ、床についた。

 

 翌朝、食事が与えられ、それを食べてからしばらくすると、孫七が手下四名と共にやって来た。

「これから長老のところへ行く。一緒に来てもらおう」

 黙って付いていくしかない。

 長老の家は村の一番奥、山の中腹にあった。つづら折りの坂を登って辿り着いた長老宅は簡素な家である。

 そして長老は白い髪に白い髭、絵に描いたような好々こうこうや然とした人物であった。

「長老、こいつらが昨日結界を破って侵入した二人です」

 この場合の結界とは単に縄張り、文字通り鳴子で囲われた地域を指す。

「ふむ。名前は何と言ったかな?」

「直也、と弥生、です」

「そうか。…直也殿、わしらは雑賀衆さいかしゅうの生き残りじゃ」

「長老!…それは…!」

「黙っておれ、孫七。…驚かぬようじゃの?」

「…雑賀衆って、何ですか?」

 気の抜けた返事をする直也。

「雑賀衆とはな、紀州のこのあたりに居を構えていた集団じゃよ。鉄砲の技を持って、石山本願寺に加勢したが時利あらず、信長と戦い、秀吉に攻められ、一族は離散してしまった。…根来の忍びと同様にな」

「…で、その根来っていうのは?」

「……」

「本当になにも知らぬようじゃのう…孫七、やはりこの二人は隠密ではない」

「まだ分かりませぬぞ。ふりをしているのかも知れない。…今しばらく留め置く事にします」

「まあ仕方なかろうな」

 他に幾つかの質問をされ、それで長老との会見は済んだ。

「人を見分ける事では右に出る者のいない長老の言う事だ、信用したいところだが、その長老すら欺けるほどの者と言う事も考えられるからな、まだ完全にお前達を信用したわけではない。だがこの村の中なら自由に見て回る事を許してやる」

 それが孫七の精一杯の譲歩であるらしかった。


 早速、村の中を見て回る二人。狭い村の中、噂は既に広まっていて、行く先々で好奇の的になっている。

「ふむ、良くできた集落じゃ」

 一通り見て回った弥生が感心した声をあげる。

「北側は山、東に川が流れ、南には池がある。そして西には道が。…四神相応の地じゃな」

「里の家もそうだったよな」

「そうじゃ。この規則に則って作られた都市、建物は護りが堅い。京の都もこの四神相応の地なんじゃ」

「ああ、そうだったな」

 そこへ、昨夜、弥生の手当をしてくれた女が通りかかった。明るい光の下で見ると、二十代半ばというところか、

 山暮らしが長いため日に焼けているが、目鼻立ちの整った美人である。筒袖で丈の短い着物を着ているところは山暮らしの女という感じだ。

 こちらに気が付き、立ち止まって会釈したので、直也も、

「こんちは。昨日はどうも」

 と挨拶した。

 女も、

「もう肩は大丈夫ですか? 痛みませんか?」

 と尋ねてきた。

「うむ、もう大丈夫じゃ。世話をかけた」

「それはよかったですね。それじゃあ、私はこれで」

 直也が、

「もしかして診察ですか?」

「ええ、これでも一応医者なので…」

 そう言って、薬籠やくろうを下げ、歩き去っていった。

「ふむ、手際がよいと思うていたが、やはり医者じゃったか」

 そう言って女の後を付いて歩き出した。直也も黙ってそれに続く。

 着いたのは村の東の外れにある中くらいの家である。鍛冶屋らしい。直也達が付いてきたのを見ると、

「何か御用でしょうか?」

 と聞いてきたので、弥生が、

「いや、医術なら儂も少々かじっておるから、何か手伝えたらと思うてな」

「あなたも医術を…そうですか、それではお入り下さい、助言をいただくやも知れません」

 そう言って招き入れる。

「申し遅れました、私は桔梗、孫七の妹です」

 

 家の中には壮年の夫婦と、患者である少女がいた。

「これは桔梗様、毎日すまねえです」

 少女は年の頃十三歳くらい、山暮らし故、髪を肩で切る尼そぎにしたなかなかの美少女であった。足が悪いのか、布団に寝たきりである。

「おみっちゃん、今日はどう?」

「あ、桔梗ねえさん、いつもすみません。…後ろの方は?」

「おみっちゃんと言うのか。俺は直也、こっちは弥生。昨日この村に来た。何か役に立てるかと思ってね」

「はじめまして。おみつといいます。よろしくおねがいします」

「それじゃあ、ちょっと布団を捲るわよ」

 桔梗はおみつの寝ている布団を捲ると、おみつの脚を剥き出しにする。そして経穴を押したり、さすったりして様子を見ていた。

「…弥生さん、おみっちゃんは半年前、崖から落ちて以来、脚が動かせなくなってしまったんです。幸いこのあたりには温泉が出るので、毎日湯に浸からせたしていているのですが、一行に効き目が無くて…」

「ふむ」

 弥生が進み出る。

「おみつさん、落ちた時、背中か腰を強く打ったのかな?」

「え、ええ、腰をひどく打ちました。…でも、しばらくは歩けたんです。歩いて何とか家にたどり着けたんですもの」

 弥生が首を振る。

「いや、腰や背中の打撲による障害は後になって出てくるものなのじゃ」

 そう言って、おみつを腹這いにさせた。次いで、怪我をしていない左手で背中、腰を触っていく。その指が、腰の上で止まった。

「む?…」

「弥生さん、どうかしましたか?」

「ここに妙な塊がある。触ってみよ」

 腰骨から背骨に繋がるあたりに、明らかに異質な塊が感じられた。

「おそらく…折れた骨じゃ。背骨の一部が落ちた時に折れ、それが妙な位置で固まり、背骨を圧迫しているのじゃ無かろうか」

「それが原因だと?」

 桔梗が怪訝な顔をする。

「それは分からぬ。じゃが、背骨というやつは馬鹿に出来ぬ機能を持っておって、ここを傷めることで下半身不随になった例を知っておる」

「…なるほど…私は脚ばかり気にしていましたが、そのお言葉が本当なら、やってみる価値はありそうですね」

 そう言って桔梗はおみつの背中の経穴を刺激し始めた。

 弥生も手伝いたかったが、右肩の傷が完治していない事になっているので、見ているだけにする。本当はもう傷は塞がっているのだが。

「きもちいいです…」

 おみつが言う。感覚があると言う事は治る可能性もあると言う事だ。桔梗は希望を持った。

 

「弥生さん、今日はありがとうございました」

 夕方、家に帰りながら桔梗が礼を言った。

「何の、お役に立てたら嬉しい。…ところで、桔梗さん」

「はい、なんでしょう?」

「書物はここに無いのかな?…直也に読ませてやりたいのじゃが」

 桔梗は笑って、

「四書五経なんてものはありませんが、医術に関する本や、薬草の本とか、多少なら…」

「それで良いから、直也に読ませてやってくれぬか?」

「かまいませんよ」

 今日一日、直也も一緒について回っていて、もっと知識が欲しいと思っていた矢先であるから、有難く読ませてもらう事にした。

 

 翌日から、直也は桔梗の部屋で本を読む事にする。分からないところは、桔梗や弥生に聞いた。

 そんな直也はたちまちのうちに、桔梗の部屋にあった医術書三冊、薬草絵図二冊を読んでしまった。

(ふふ、里にいた時は書物を読ませるのに苦労したが、今は自分から進んで読むようになったとはのう…)

 弥生も、直也の成長を密かに喜んでいた。

 その後は、長老に頼み込んで、所蔵の書物を読ませてもらう事が出来た。これは、弥生が毎日桔梗と共に村の病人や怪我人を看ている効果が大きい。

 この村へ来て一週間、ようやく直也と弥生は村人に受け入れられるようになった。

 弥生も肩の怪我が治ったと言う事でさらしを外し、堂々と両手を使っている。


 そんなある日。

「直也、読書の方はどうじゃ?」

「ああ、毎日楽しく読ませてもらってるよ。…正直、旅に出る前はこんな事知って何になるんだ、という感じだったけど、今はどんな事でも知っておいて無駄にはならないんだって思う」

「ふふ、そうか、それは良い事じゃ」

「でな、弥生」

 直也が思いついた事を話し始める。

「温泉というのは温かいお湯に浸かるわけだが、どうしても長い時間浸かる事って出来ないよな?」

「うむ、まあそうじゃな。のぼせてしまう」

「そのくせ、表面が温まるけど、体の芯から温まるというのとはちょっと違う」

「…それで?」

「炭火とか、石を焼いてその上で魚や肉を焼くと、火で直接炙るよりも熱が通るらしいじゃないか」

「何じゃ、料理の本でも読んだのか?」

 弥生が笑って尋ねる。

「混ぜっ返すなよ。…それで、ここには温泉がせっかく湧いているんだから、お湯だけじゃなくて、砂を温めてその中に潜ったらどうかと思うんだ」

 いわゆる砂風呂である。指宿いぶすきが有名であるが、この時代、砂風呂はまだまだ一般的ではない。

河豚ふぐの毒を抜くのに、砂に埋めるというのから思いついたんだ。河豚だけじゃなく、いろんな毒が抜けるんじゃないかな、って」

「なるほどのう…桔梗殿に話してみるか」


 直也の提案はすぐに受け入れられた。孫七の指示で、工事が進められる。指揮をするのは直也と弥生、そして桔梗。

 お湯の湧く場所を大きく、深く掘って石で囲み、川砂で満たす。

 湯が砂を流すことなく、湿らせるだけで流れ出すようにするのに工夫が要ったが、あとは単純な工事だった。

 最後に丈夫な小屋がけをして完成。

 最初は一棟だけだが、具合が良いようなら順次増やしていく予定だ。

 一番目の利用者はおみつである。湯帷子を纏ったおみつを寝かせ、その上から砂を掛ける。

 湯に入るのと違い、息苦しくなったりのぼせたりする事もない。

 現代で言う遠赤外線により、体の芯まで温まる。

「どう?おみっちゃん」

「すごく…きもちいいです…なんだか…腰のあたりがほぐれるようで」

 一人が利用するのは大体一刻、交代で老人や病人に優先的に利用させる事になっている。

 この砂風呂は好評で、更に二棟が増設された。


「直也殿、なかなか良い物を考えてくれたな」

 孫七が直也に礼を述べる。

「年寄りを初め、疲れが溜まった者にも効能があるそうだ。長年ここに暮らしている我らではなく旅人のそなたに教えられるとはな」

 そう言って笑った。

「お役に立てたなら嬉しいですよ」

 直也も、この集落が好きになっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ