巻の三十八 宇治から大和へ(後)
しかしいつもながらタイトルのセンスが皆無ですね…
巻の三十八 宇治から大和へ(後)
茶店の奥から上がった悲鳴。それを聞いた茶店の親爺は急いで奥へ入っていった。そして、
「おさえ!」
親爺の悲鳴。ただごとではない、と直也と弥生も奥へ入っていった。
「いったい何が…あっ!?」
そこにいたのは、幽鬼のようにやせ細った娘。それが先ほど上がったおせんという娘の喉を締め上げており、親爺はそれを止めようとしている。
だが、異常に強いおさえの腕力に、親爺一人では為す術もなかったのであった。
「おお、いいところへ! 頼む、おさえを止めとくんなはれ!」
「やめるんだ!」
直也が手伝っておさえの手を離させようとするがびくともしない。
「くっ!」
それでも必死に、おせんの喉を締め付ける手をどうにかしようとする親爺と直也。おせんの顔は既に紫色になっている。そこへ、
「のうまく さんまんだ ばさらだん せんだまかろしゃだ…」
弥生の真言が響いた。それに伴い、おさえの手の力が緩む。それでなんとか二人がかりでようやくおせんを解放することが出来た。
おさえは手を離させると同時に意識を失い倒れ込んだ。おせんも気絶しており、急いで二人を横たえる。
「ふう…」
一息つく直也と親爺、そして真言を使った疲労で座り込む弥生。
「どなたはんか知りまへんが、助かりました。ありがとさん」
親爺が礼を述べた。直也は、
「いったいどうしたっていうんです? 今のはただ事じゃなかった…」
親爺はためらっていたが、
「あんたがたは只者じゃなさそうやね、娘を助けてくれへんか」
そして語り出した。
おさえのようすがおかしくなったのは一月ほど前からだという。どうも夜になると男が逢いに来るらしい。
そのことを問いただそうとしても、昼間のおさえはぼうっとしており、魂ここにあらずといった風で、埒があかない。
夜、通ってくる男を親爺が捕まえようとしても、いつも眠気に襲われて、目が覚めた時には朝になっているのだそうだ。
「何か魔性の物に魅入られたんじゃないかと心配でしてな」
その時、おせんが目を覚ました。
「あ…うち?」
「おお、おせんちゃん、気が付いたかや」
「おじさん、おさえちゃんどないしはったの?」
「……」
「…やっぱり、あの男の所為やの?」
「おせんちゃん、何か知っとるんか? 頼む、何でもええからおさえの事知っとったら話してくれや」
そう言って親爺は頭を下げた。
「知っとるゆうてもな、一月くらい前やったかな、夕方、おさえちゃんが長岳寺の裏手で男と逢うてはるとこ見かけたくらいで」
「どんな男だった?」
「さあ、この辺りでは見たこと無い男やったな。顔はなかなかの男前やった。着物もいいもん着てはったなあ、柄は確か」
事細かに説明していくおせん。直也は素直に感心して、
「よく見えたな」
そう言ったのだが、おせんはびっくりして、
「…ほんまや。もう薄暗くて、おさえちゃんの着物の柄は見えへんかったのに、なんで相手の男の着物は良う見えたんやろ」
「…その男が人ではないからじゃ」
「えっ!?」
驚きの声をあげる親爺とおせん。
「暗がりで顔が見える、着物の柄がわかる。これらは皆、化生の特徴じゃ。その男、妖じゃな」
そう言って腕を組む。親爺は泣きそうになって、
「ど、どないすればええんや…親一人子一人やのにこんなことになって…おさえ…」
考え事をしていた弥生は、組んでいた腕をほどくと、
「親爺殿、失礼する」
そう言って横たわるおさえの布団をまくり上げ、更に着物の裾を開いた。
「お、おい、弥生…」
「直也、お主は向こうを向いておれ」
そう言うと、慌てて横を向いた直也を尻目に、おさえの下半身を剥き出しにした。
おさえの白い腹部には、石碑に書かれていたのと同じ文字が浮かんでいたのである。
「やはり…」
「な、何ですねん、これ?」
険しい顔をする弥生、驚く親爺とおせん。
「神代文字と言うてな、仮名や漢字の無かった頃に使われていた文字じゃ」
「この所為でおさえがおかしくなってますのんか?」
「おそらく、な」
文字は痣のように皮膚に浮き出しており、簡単には消せそうにない。
「これは…元凶を見つけ出すしか無さそうじゃのう」
そう言って弥生は立ち上がり、
「長岳寺、と言うたな。直也、行くぞ」
直也と弥生は長岳寺へと向かった。もちろんそこに男がいるとは思わないが、何かの手がかりがあるやもしれない。
「…しかし、箸墓、とは趣味が悪いぞ、マーラ」
弥生がそう呟いたのを直也が聞きとがめる。
「弥生? 箸墓、って言ったのか?」
「あ、ああ。聞こえたのか。そうじゃ、箸墓じゃ。
その昔、御諸山の神が夜毎、倭迹迹日百襲姫命の元に通ってきてのう、その姿を一目見たい、と願った倭迹迹日百襲姫命に驚いてはいけない、と前置いて、櫛笥の中に小蛇となって姿を現された。
それを見た倭迹迹日百襲姫命は念を押されたにもかかわらず驚きの声をあげてしまい、それを恥じた神は大空をかけて、御諸山に帰ってしまわれたのじゃ。
悔いた倭迹迹日百襲姫命は自らの女陰を箸で突いて死んだ。それを祀ったのが箸墓じゃという」
「それじゃあ、おさえさんも死ぬって言うのか?」
「このままじゃと危ないな。…集められていた邪気はおさえの体を通って吐き出されていたようじゃ。それが途絶えたために恐慌を来したと思われる。しかも…悪い事に孕んでおる」
「ええっ!?」
「箸で女陰を突くということは、宿った命を消す行為でもある。倭迹迹日百襲姫命は神の子を産むことを拒否したわけじゃ。ましてやおさえの腹の中にいるのはマーラの子とも言える、どうすべきかのう」
「……」
「橋姫、箸墓、さえ(塞)。マーラめ、冗談が過ぎるぞ」
弥生の顔が険しい。直也は言葉が出なかった。
「ここじゃな」
長岳寺の裏手で立ち止まった弥生。あたりは早や夕闇に包まれてきていた。逢魔が時である。
「…そうか…」
周囲の気配を探り、何か納得した様子。
「ここもかつては戦乱があったのじゃな。それをマーラめは利用したのじゃ」
「…そうじゃな?」
そう言って背後目掛けていきなり狐火を放った。
「弥生!?」
直也は驚くが、弥生は眉をひそめて、狐火を受け止めたその男を凝視した。
「貴様がおさえを誑かした男か」
だがその男はにやにやと薄ら笑いを浮かべているだけ。
「逢魔が時だからとて貴様を逃がすと思うか?」
狐耳と尻尾を生やす弥生。そして一気に距離を詰め、男の襟を掴んだ…と思った瞬間、男の姿が掻き消えた。
「しまった…あれは幻か。すると本体は…直也、茶店に帰るぞ!」
そう言って駆け出す弥生。直也もすぐに後に続いた。
四半刻(約三十分)足らずで茶店へと帰り着いた。冬の日はとっぷり暮れ、闇が迫っている。
「…………」
直也は大きく肩を上下させているが弥生は涼しい顔だ。が、茶店を見た途端、その顔が引き締まる。
「やられた…」
「?」
いつになく悔しそうな弥生に直也は驚く。
「おさえ、おせん、親爺が乗っ取られた」
「!?」
暗闇の中、三人がゆらりと茶店から出てきた。操られているようなぎこちない動き、いや実際に操られているのだろう。
「直也、気をつけるのじゃぞ」
その言葉が終わらないうちに、親爺が弥生目掛けて跳びかかって来る。間一髪それを避ける弥生。
一方直也はおさえとおせん二人に襲われていた。
斬るわけにもいかず、逃げるだけの直也。暗闇の中、その足が石につまずいた。
「!」
倒れた直也におさえとおせんが馬乗りになる。
「直也!」
助けようとする弥生、それを親爺が遮った。
「くっ、邪魔じゃ、どけ!」
だが、弥生の放つ木気の狐火を受けても親爺は平気であった。
「そうか…傀儡か。その身体を動かしておるのは自身ではない。とすると…」
ゆらりゆらりと上体を揺らしながら弥生に近寄る親爺を無視し、弥生は白い狐火を背後へと放った。
「ふっ!」
それを受け止めたのは先ほどの男。
「良く気が付いたな、さすがかつての九尾狐」
「貴様…」
男を睨み付ける弥生、その目に直也の窮地が写った。
「そうじゃ、直也が!」
「莫迦目!」
意識が一瞬直也へと向いた瞬間、男からの黒い波動が弥生に絡みつく。
「くっ!」
「ふふふ、こうなってはもう手も足も出まい」
「何の…」
弥生は黒い波動を振り解こうともがくが、がっちり捕らえられ、どうにもならない。
「無駄なことはよせ」
勝ち誇る男。
一方直也はといえば、懐から翠龍とミナモを奪われてしまっていた。
「ふふふふ、お前の連れも最早おしまいだ。先にあの世へ送ってやろう」
「直也!」
弥生が叫ぶが、直也は両手両足をおさえとおせんに押さえつけられており、身動き出来ない状態。男は、直也の懐から抜き取られた翠龍を手に取ると、それを鞘から抜いた。
「自慢の刀で殺されるのだ、本望だろう」
そう言って直也の心臓目掛け、一気に翠龍を突き立てたのである。
「!!」
深々と突き立った翠龍、直也は既に息をしていない。
「さて、お前の主人は死んだ。どうするね?」
「……」
「返事をしないか!」
無言の弥生に苛立ち、大声を上げる男、だが弥生は悠然と、
「おお、直也、遅かったのう」
そう言ったのだった。
「な、何!?」
そこにいたのは直也。走ってきて息が上がっており、
「ぜい、ぜい、…弥生が速すぎるんだよ」
やっとのことで答える。一方、翠龍で貫かれたはずの直也はといえば、切り抜かれた紙の人形と化していた。翠龍と見えたのはただの木の枝である。
「それは済まぬ。じゃが、ちょうど良い時に来た。…六三、我が生を看て進退す。九五、我が生を看る。君子は咎無し」
おさえ、おせん、親爺の三人は糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
「なっ!…我が傀儡の術を破ったか」
「そんな初歩の術、破れんでどうする」
笑って言う弥生に向かい、男は、
「うぬう、もう許せん、死ね!」
そう言って弥生を捕らえている黒い波動の力を強めた。
「弥生!」
直也が叫ぶ。
「今自由にしてやるぞ!」
懐から本物の翠龍を取り出そうとする直也。それを弥生は制して、
「大丈夫じゃ。見ておれ」
そう言うと、
「剥。往く攸有るに利あらず」
呪を称えた。すると忽ちにして弥生の体は黒い波動の外にあったのである。
「何!」
男は流石に驚いたようで、
「ぬうう…」
弥生を睨みつつも及び腰になっていた。弥生はゆっくりと右腕を挙げ、男へと向ける。
「貴様は人ではないな?…ふむ、実態を持った幻、か。昼間は姿を見せられぬ筈じゃ」
「俺の正体を!」
弥生は凄味のある笑みを浮かべながら、
「莫迦目、マーラの手の内、儂が一番よく知っておるのじゃ。不動結界、禁!」
「う、ぐっ」
男の動きが止まる。
「直也、奴を翠龍で斬り払え。遠慮は要らぬ、マーラの分身じゃ」
「わかった!」
翠龍を抜いた直也は、ためらいも見せずに男を脳天から唐竹割に斬り裂いた。
「ぎゃああああああっ」
男は悲鳴を残し、黒い霧となった。それをもう一度薙ぎ払う直也。霧は跡形もなく消滅したのである。
「御苦労じゃったな、直也」
「まったく、途中で弥生がもう一人の俺を作り出した時は目を疑ったよ」
「ふふ、すまぬ。じゃが時間がなかったのでのう、詳しい説明をしてはおられなかったのじゃ」
それから直也と弥生は、気を失った三人を茶店に運び、様子を見ることにした。
「ふむ、親爺は少々打ち身はあるが、あとは何でもない。おせんはかすり傷程度じゃ」
「おさえさんは…どうなんだ?」
弥生は少々時間を掛け、おさえを看る。
「衰弱しておるが、もう大丈夫じゃ、悪想念からは解放された」
続けて、
「うむ、お腹の子は…まずいのう」
「どうした?」
「魔の子供じゃ、このまま放っておけば母体を食い破って生まれるじゃろう」
「何とか出来ないのか?」
弥生は腕組みして考え、
「そうじゃのう、無理に堕胎すれば母体が危ない。かといって放っておくわけにも行かぬし」
そして意を決したように、
「直也、翠龍を用意せよ」
「おう」
直也が翠龍を手にしたのを見届けた弥生は印を組み、真言を称えた。
「おん どどまり ぎゃきてぃ そわか 鬼子母神、訶梨帝母その霊験を以て魔の種を祓う」
するとおさえの臍から黒い煙が立ち上る。それを指し、
「直也!」
それで察した直也は、黒い煙を薙ぎ払う。声にならない悲鳴をあげ、煙は消え去った。お腹の文字も綺麗に消えている。
「ふう…」
がっくりと両手を付く弥生。真言でかなりの力を使ってしまったようだ。
「弥生、大丈夫か?」
それを心配する直也に、
「大事ない。さて、最後の仕上げじゃ」
そう言うと、髪を一本抜き、ひねくって小さな狐を作り出した。
「飯綱か…」
それはいつか見た弥生の術。
「そうじゃ。この三人から、今回の事件に関する記憶を消しておこうと思う。儂らがいなくなれば、もう誰も知るものはいない。それがこやつらの為じゃろうて」
「そうだな…」
確かに、魔の胤を孕んだなどという記憶は無い方がいい。今は浄化されたのだから。
飯綱を操り、三人の記憶を消した弥生は、
「さて、儂らは消えるとしよう」
そう言って立ち上がる。直也は慌てて、
「弥生は大丈夫なのか?」
そう声を掛けるも、
「何、あれしきのことで。それよりこやつらが目を覚ます前に消えねば」
そう言うので弥生を気遣いながらも直也は茶店を出る。上弦の月が空に架かり、それなりに明るい。
「さて、まだ宿は開いておるかのう」
「昨日泊まった所なら近いし、泊めてくれるんじゃないのか?」
「ふむ、そうじゃのう」
それで二人は来た道を急ぎ足で三輪方面へと歩いて行く。
そんな二人を見下ろす月は冴え冴えとして、静かに二人の行く手を照らしていた。
今回は調子に乗った感が。箸墓伝説とか三輪山の神とか…




