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巻の三十四   拝み屋直也

巻の三十四   拝み屋直也


 寒さが身に染みる底冷えの京の都。憑き物を落とすと言う触れ込みの祈祷師と巫女がいた。

 祈祷師が連れの巫女に話しかける。

「…なあ弥生、これで金が稼げるのか?」

「任せておけと言うたじゃろう。…この先冬を越すために金子が入り用なのに、心細すぎるから何とかしようと言いだしたのは直也じゃぞ?」

「…だからと言って…」

 祈祷師に扮したのは直也、巫女は弥生である。ついに路銀が尽きかけたので金策として弥生と共に、俗に言う「拝み屋」を始めたというわけだ。

「それでは儂に全て任せてくれるか?…男どもを化かして貢がせるならすぐに金が貯まるが…」

「わかったよ、やりゃいいんだろ」

 

 というわけで、弥生と共に京の町を練り歩く直也。

 弥生によれば、こういう古い町にはいろいろな妖が多いらしい。大抵は無害かそれに近いものだが、時折人に災いを成すものがいる。それを払うことで礼金を得ようと言うわけだ。

「む…」

 弥生が足を止める。割と大きな商家の前だ。看板には「菓子司 しのだや」とある。

「狐の臭いじゃ…」

「狐?…じゃあここの誰かに狐が憑いているのか」

「うむ。間違いない。守護狐はこのような臭いはせぬ。明らかに野狐じゃな」

「それじゃあさっそく」

「打ち合わせ通りにな」

 直也は威儀を正すと、店に入っていった。

「おいでやす」

 店の者が応対するが、直也はそれにかまわず、

「ご主人に話がある」

 とふんぞり返る。似合わない事この上ないが、弥生は無表情でそれに従っている。

「は?…あ、あの…」

「狐の事で話があると言えばわかります」

 弥生が言葉を添えると、番頭らしい男は急いで奥へと駆け込んで行った。すぐに主人らしき男を連れてくる。

「主人の伊兵衛でおます。…なんぞお話があるそうで…」

「狐の事でちょっと」

 直也がそう言うと、

「ここではあきまへん、奥へ来ておくれやす」

 そう言われて、奥の間へ通された。

「あんさん等、狐の事どこで聞かはりました?店の者かて手代より下は知らん筈やのに」

「この店の前を通りかかった所、狐の、しかもあまりたちの良くない奴の臭いがしたのでね」

「…!」

 その言葉に驚いた主人は、

「それがほんまなら是非見て欲しいものでおます。…じつはうちのせがれが何やら悪いものに取り憑かれて、日に日にやつれていきましてなぁ…」

「狐の仕業ですね。ご子息の精を喰らっているのでしょう」

 これは弥生。

「一刻も早く払わねば、命に関わりまするぞ」

 そう脅されて、伊兵衛は慌てて、

「そ、それではすぐに診てやっておくれやす。…こちらです」

 伊兵衛に案内され、離れへとやって来た。弥生はきょろきょろと、気配を探っているようだ。

「おはつ、わしや。…入るぞ」

 そう言って障子戸を開けると、

「どうぞ、お入り下さい。…おはつ、こちらは政太郎の狐を払って下さるという先生方や」

 部屋には布団が敷かれ、若い男が寝ている。これが政太郎と呼ばれたせがれであろう。顔色は悪く、意識もないようである。

 そしておはつと呼ばれた中年の女は伊兵衛の女房であろうか、折り目正しく辞儀をして、

「これはこれは先生方、ようこそおいでくだはりました。どうかせがれめをお助け下さい」

「それではさっそく。…弥生」

 直也は偉そうに弥生に指示を出す。弥生は黙ってそれに従い、政太郎の脈を診る。

「…まだ心脈はしっかりしておる。今なら助けられよう」

「ほんまでっか!…ああ、よかった…」

 政太郎の頬は痩け、目も落ち窪んでおり、衰弱が激しい。

「…じゃが、腎の気が衰えておるから、油断は出来ぬ。…まずは部屋を移す事じゃ」

「は、はい、それでは別に部屋を用意致しまひょ」

 伊兵衛は番頭に命じ、離れではなく、母屋の二階に床を整えさせる。

 次いで、布団に寝かせたまま番頭、伊兵衛、はつ、弥生、直也の五人がかりで政太郎をそこへ移した。

「紙と筆を」

 用意させた紙に、弥生が護符を書く。それを部屋の四隅と天井、床の六方に貼ると、治療を開始した。

 着物をまくり、腎の上に灸を据える。これで腎臓の活性化を図る。同時に、腎は水気、かつ五味では塩辛にあたる。よって薄めた塩湯を少しずつ飲ませる。

 これにより、弥生によれば衰えていた腎の気が少し上向いたとのことであった。

「次は狐を払う事です」

 直也が切り出す。

「はい、ほなら早速お願い致します」

「いや、狐は今は離れています。おそらく毎夜通ってきているに違いありません」

「…確かに、夜通し付いていてやろうとしても、いつの間にか眠っており、気が付くと朝になってましてな、政太郎の容態が更に悪くなっている、とこんな具合なのですわ」

…と伊兵衛。

「そやけど、障子も雨戸も全て閉ざしてあるんやが…」

 これはおはつ。

「妖であれば、そのようなものは障害にはならぬ。…ご主人、政太郎殿の着物をお貸し下され」

 弥生は伊兵衛とはつに、政太郎の着物を着て直也が囮になり、狐を捕らえるという手順を説明した。

 元の離れに直也は政太郎の着物を着て寝ている。本物の政太郎は護符により狐には気取られない。

 直也のところへやって来た所を捕まえ、退治する。こういう手順である。

 念のため、いかにもここに政太郎がいるという事を匂わせるため、効果のほとんど無い護符を一枚、入口に貼る。

 これで準備は完了した。

 あとは夜になるのを待つだけである。


 夕食は離れで取った。なかなか豪勢な食事で、弥生も満足した。

 膳が片づけられ、二人きりになると、

「直也、もうそこに寝ておれ」

「うん」

 直也は政太郎の着物を着て、布団に横になる。だがまだ真夜中までは大分時間があり、暇なので直也は弥生に質問を始めた。

「なあ弥生、…狐ってさ、」

「うん?」

「…狐って何で人間の精を狙うんだ?」

 弥生は少し考えて、

「そうじゃな、狐は陰の気じゃから、陽の気の塊である精が好物なのじゃよ。たとえで言えば、狐にとって人間の精とは、菓子であり薬であるのじゃ」

「え?」

「その味は美味じゃが、食物と違って喰らわずとも困る事はない。…ここが菓子に似ておる点じゃな。そして、大量に摂る事で己の力を向上させる事が出来る。…ここが薬に似ているといえよう」

「ふうん…」

「…言っておくが前世ではいざ知らず、今生では儂はそんなものを喰らった事はないぞ?」

 なんとなく取って付けたように言う弥生。直也は、

「…そんなことまで聞いてないよ。…じゃあ、どうやって精を奪うんだ?」

「一つは交合じゃな、今ひとつは口吸いじゃ。口からだと生命力そのものまで吸い出す事が出来る。…直也、くれぐれも言うておくが、ゆめ化け狐と接吻なぞするでないぞ?」

「…心配性だな、弥生は。…じゃああと一つ、なんでこの狐は取り憑かずに通ってくるんだろう?」

「雌だからじゃろうな。雌狐は麗しいから、人の雄…じゃなくて男は容易にたぶらかされてしまう。そうなると精を奪うのは思いのままじゃ。死なぬ程度に奪っておき、回復してきたらまた奪う。この繰り返しじゃ。…男が抗えば、そうやすやすとは奪えぬものじゃからな」

「なるほど…じゃあ取り憑くのは雄が多いって訳か」

「雄は人間の女、それも美人に取り憑いて人の男を誘惑し、その精を喰らうのが一般的じゃな。もちろん何にでも例外もあるが、今回の場合は間違いなく雌狐じゃ」

 夜も更け、子の刻を過ぎ、丑の刻になる頃。

 一陣の狂風が雨戸を揺らした。

「来るぞ、じっとしておれ。教えた通りに振る舞うのじゃぞ」

 弥生はそう直也に念を押すと、自らの気配を消した。

 狂風は雨戸の隙間を抜け、障子戸を揺らす。だが、護符のためか、中へ吹き込む事は出来ないでいた。

「やれ、護符が貼ってあるか。誰ぞ拝み屋でも雇ったと見える。…無駄な事を」

 狂風は渦を巻き、形を取り…一人の女の姿になった。

「このような護符。効くものか」

 手を伸ばして護符を破り捨てる。次いで障子戸を開け、部屋に入ってきた。

 姿を見れば、絶世の美女である。流れる黒髪、切れ長の目、色は白く、しなやかな肢体。一糸まとわぬ姿である。

 その女は直也の布団に近づき、

「…政太郎、今宵も楽しませてあげるよ」

 そう言うと、布団に潜り込もうとして、身を強張らせた。

「政太郎じゃない!?…誰、おまえ!?」

 直也は瞬時に起き上がると、手にした護符を女の額に貼り付ける。

「あ、ああ、あああ…」

 女の耳が狐の耳に変わり、尻尾が生える。だが変化はそこまでで、女は自ら額の護符を破り捨てると、

「…拝み屋か。…小賢しい真似を。ならば今宵はそなたの精を喰ろうてやるわ」

 そう言いつつ、直也の胸元に手を伸ばそうとして、

「な…?…からだが…うごかない…?」

既に弥生が女の後ろに回り込み、尻尾に護符を貼り付けていたのだった。

「残念じゃな。直也の精をお前ごときにやるわけにはいかぬ」

「貴様も狐か…!…邪魔をするな!」

「そうはいかぬ。狐の評判を落とすような悪さを見過ごす事は出来ぬでな」

「くっ…!ううう…!」

 身体を震わせ、身を縛る護符の力を振り解こうともがく女。

「無駄じゃと言うのに。…不動結界!カン!」

「ぎゃっ!!」

 女の身体が硬直する。辛うじて口だけはきけるようだ。

「くぅ…あたしをどうする気だ?」

「お前を使役しているのは誰じゃな?」

「!!!」

 女の貌に驚愕が走った。

「なぜそれを…」

「ふふ、お前の額の印は何じゃ?…使い魔としての印じゃろうが」

「…!」

「儂がそれを消してやると言ったら?」

 更に女が驚きを見せる。

「まさかそんなことが…!真名を知られ、支配された魂を解放する事など出来るわけが…」

「そんな事はない。確かに真名を知られているという事は致命的じゃが、決定的ではない」

「どういう意味だ?」

「お前に命令を下す事が出来ねば、お前は縛られる事も無かろう。違うか?」

「…確かにその通りだが…」

「お前の主人を教えよ。…いや、やめておこう。こちらで調べる」

 そう言って弥生は女の尻尾の毛を一本抜く。

「痛っ!」

「済まんな、これからこいつに案内させるからのう」

 そう言うと、弥生はその毛を掌で揉む。見る見るうちに毛は形を変え…

 一匹の蛾になった。

「弥生、それ…」

「ふふ、紅緒の時、こういう蛾がいたじゃろう。こうして使うのじゃよ」

 そう言うと弥生は蛾を空中に放ち、

「お前の主人のところへ案内あないせい」

「直也、この女はしばらく預ける。…儂はこやつの主人のところへ行ってくるからの」

「大丈夫か?」

「心配はいらぬ。任せておけ。お主こそ情にほだされ、油断するなよ」

 その言葉を残し、弥生は闇の中に消えた。

 残ったのは直也と狐女。女は裸のまま座った格好で動けなくなっているため、直也は布団を掛けてやった。

「…?」

「寒いんじゃないかと思ってな」

「…あんた、変な奴だね。あたしが動けるようになったら、またあんたの精を狙って襲いかかるかも知れないよ?」

「まあその時は俺も全力で抵抗させて貰う」

 女は笑って、

「只の人間に何が出来るって言うのさ。わかってるんだよ、あんたには何の力も無いって事。怖いのはあんたの守護狐さ」

「そうかもな。…話を戻すけど、寒くはないのか? 人間の姿だと毛がないから寒いだろう?」

「…確かにね。それについては礼を言っておく事にするよ」

「お前、名前は?…俺は直也」

「あんた、馬鹿?…化け物相手に名前を教えるなんて。例えばこんなことだって出来るんだよ?」

 女はにやりと笑うと、

「直也、あたしに口づけしな」

 直也はその言葉を聞くと、一瞬ためらうように首を振ったが、やがてゆっくりと女に近付き、その肩に手を掛け、顔を近付けていく…。

 女がにやりと笑う…

 と、直也は不意に身体を離すと、

「なんてな」

 直也が笑う。

「うそっ!?…なんで言霊縛りが効かないの?」

「さあなあ。この鏡のおかげじゃないか?」

 直也は首から提げたお守り、「ミナモ」をちらりと見せる。

「なによそれ。そんなお守りがあたしの術を防いだって言うの?」

「まあ、そういうことにしておこう。…で、お前の名前は?」

「あ、…あ…あ、た、し、は…ら、ん…」

「らん、か。どういう字を当てるんだ?花の蘭か?」

「…あらし、そう書いて『らん』」

「なるほどな。らん、か。いい響きだな」

 直也が笑って言うが、らんは驚きを隠せないどころか蒼ざめて、

「な…何であんたの言う事を聞かなきゃなんないの…?」

 直也はちょっと考えると、

「ああ、このお守りは術をはね返してくれるから、お前の言霊縛りとやらが逆にお前にかかったんだろう」

「なっ…そんなお守りがあるの?…あんたって何者?」

「俺は普通の人間だよ、お前が言った通りにな」

 嵐は首を振ると、

「普通の人間とは言ったけど、あんたからはどこか懐かしい匂いがするのよね。あんた、化け物の知り合いが多いんじゃない?」

「ああ、猫又とか、鴉天狗とか、御先稲荷おさきとうがとか…」

「…やっぱりね。あんたってさ、すっごくあったかい土の気を持ってるのよ。大地を思わせるような。化け物に好かれる体質ね」

 直也は苦笑して、

「なんか、あまり嬉しくない体質だな」

「ふふ、そうね。でも、その所為かな、あたしもあんたのこと、段々気に入ってきちゃった」

「そんな事言っても逃がしてはやれないぞ」

「わかってるわよ。…ここの若旦那、政太郎なんて、ほんっと大した事ないんだから。あたしの一撫でで骨抜きになっちゃったのよ」

「その政太郎さんを助けるためにこうしてるんだけどな」

「わかってるわかってる。…でも、『あいつ』の命令でなきゃ、あの程度の男の精なんて要らないもの。これは本当よ?」

 あの程度と言われている政太郎には悪いが、らんのその言い方に直也は思わず笑ってしまった。

「何がおかしいのさ」

「…お前、かわいいな」

「なっ!…」

 普段弥生と会話している直也には、らんの思考がよくわかって、なんだかおかしかったのである。弥生に比べたら思考は単純、隠し事の出来ない性格のようだ。

「解放、されるといいな」

「…あんたの守護狐、本当に大丈夫なの?」

「ああ、弥生は信頼出来る」

「…ふうん。でも、…あいつ…あたしの主人、…強いよ。狐専門の護符とか結界とか知ってるし」

「俺はむしろ相手の方が心配だよ」


 蛾の後について歩く事しばし、辿り着いたのは東山山麓にある古寺であった。

「ここか。…もうよい」

 蛾を消す弥生。そして寺の門に歩を進める。今は耳と尻尾を隠した巫女姿である。

「何用かな」

 門から十歩ほど入り込んだ時、古寺の中から声がかかった。

「貴様が呪術師か?」

「ほう、わしのことを知っているのか?」

 現れたのは薄汚れた水干に身を包んだ中年の男。

「しのだやに憑いた狐をあやつっているのは貴様じゃな?」

「なぜそれが?…ふん?…お前も狐か…禁!!」

 呪術師の掛け声と共に、弥生の頭から狐の耳が、尻からは尻尾が飛び出した。

「…狐封じの結界じゃな」

 弥生は慌てた風もない。

「…ほう?…わしの結界内でまだそれだけ人の姿を保てるとは、お前なかなかの年経た古狐だな?」

 弥生はにやりと笑い、

「女に齢の事を聞くものではないぞ」

 そう言って一歩を踏み出す。

「動けるのか。…これは驚いた。どうだ、わしの使い魔にならぬか?お前とわしが手を組めば栄耀栄華は思いのままだ」

 弥生は目を凝らす。

「…呪い玉…無いのぅ…貴様は只の人間か」

「何?」

「…こっちの話じゃ」

 そんな弥生に向かって呪術師は、

「…どうだ?狐、お前も人間の精を喰らい放題だぞ」

「生憎と儂はそんな物を喰らうほど落ちぶれてはおらぬ。…それより貴様の使っている狐達を解放してやる気はないか?」

「何を馬鹿な。大事なわしの商売道具を何故捨てねばならぬ」

「悪どい事は止めよと言っておるのじゃがな。さしずめ、使い魔の狐を適当な金持ちに取り憑かせ、頃合を見て祓ってやる振りをし、礼金をせしめているだけじゃろう?」

 呪術師は驚き、

「頭も切れるらしいな。…これが最後だ。わしの使い魔にならぬか?」

「断る」

「そうか、残念だな」

 呪術師はそう言うと、懐から呪符を三枚取り出し、

「出でよ、疾風はやてつむじ狭霧さぎり

 その声と共に、いずこからとも無く、三匹の狐が現れ、人型を取った。

「こやつらはわしの使い魔だ。わしの結界内でも自由に動ける。更にわしの力を分けている。お前に勝ち目はないぞ」

「そうかな」

 その不敵な表情に、呪術師は苛立ったのか、

「遠慮は要らん、やれ!!」

 その声に従い、三匹は跳びかかろうとする。それに向かい弥生は、

「お前達、使い魔から解放されたくはないのか」

 と聞いた。それを聞いた三匹の足が止まる。

「しのだやでお前達の仲間を足止めしてある。そやつも含めて、四匹か。…皆解放してやろうというのじゃがな」

 一匹が、

「そ…、そんな事、出来るのか?」

 もう一匹がそれを止め、

「よせ、疾風、口車に乗ってはいかん。今の我々は十分幸せじゃないのか?」

 疾風と呼ばれた狐は、

「はっ、…幸せ?…自由を奪われ、いいようにこき使われていて何が幸せだ?」

 疾風はもう一方の狐に向かって、

「狭霧、お前はどうなんだ?…解放されたくはないのか?」

 そう言われた狭霧は、

「…そりゃあ、自由はないけど、食べるのには困らないし、大した危険は無いし…」

 疾風はそんな二匹に向かって、

「俺はいやだ。狐は自由に生きるものだ。…あんた、本当に俺たちを解放出来るのか?」

「なにをぐずぐずしておる!」

 呪術師の叱咤が飛ぶ。

 その声に、つむじ狭霧さぎりが弥生に向かって跳びかかった。疾風はやては明らかにためらっている。

 弥生は二匹を軽々とかわし、

「…少し力を見せねば納得せぬか?…やむを得まい」

 そう言って爪の先に狐火を灯す。色は黄。木気の狐火である。

 ごく小さいものだが、それを跳びかってきた旋に投げつける。勢いの付いていた旋はそれをまともに喰らい、…気絶した。

「旋!」

 狭霧が驚いて旋に駆け寄る。

「安心せい。気絶しているだけじゃ。どうじゃ、もう止めぬか?」

「……」

 疾風が口を挟む。

「狭霧、この方の力は並ではない。結界内で俺たちより早く動き、術も使っているということは、結界がまるで用をなしていないと言う事。あるじの力を上回っているということじゃないか」

「……」

 狭霧は返事をしない。考え込んでいるようだ。それに苛立った呪術師は、

「ええい、言う事を聞かねば、こうだ!」

 手にした呪符に呪をかける。狭霧、疾風の身体が跳ね上がった。

「ギャン!」

「どうだ、わしの言う事を聞かねばこういう目に遭うのだぞ」

 そう言う呪術師に向かって弥生が跳躍した。さながら風の如く、そこにいた者は誰も反応出来なかった。一瞬のうちに、呪術師の手から呪符を奪い去る。

「な、何をする!…返せ!」

 そう言われて素直に返す者はいない。弥生はその呪符を気絶から覚めた旋に手渡すと、

「ほれ、儂の言葉が偽りでない証拠に、まずこれをやろう。それぞれが持っているがよい」

「あ、ありがとう…」

 これにより、呪術師が狐達を強制する手段が一つ減った事になる。

「さて、けりを付けてやる」

 弥生は呪術師に真正面から向き合う。呪術師は印を組み、口中で呪を唱え始めた。

 弥生が再び跳躍。呪術師の鳩尾に正拳を叩き込む。

 てっきり術で攻撃してくると思っていた呪術師は防御の暇もなく、まともに喰らい、昏倒した。

「…あっけないのう…」

 息も切らしていない弥生は、呪術師の懐を探ると呪符をもう一枚取り出した。

「これが多分『しのだや』に送り込まれた狐の分じゃな」

「…そうです。『らん』の物です」

 疾風、狭霧、そして旋が弥生の後ろに跪いていた。

「我々は四匹、こやつに真名を握られ、いいように使役されてきました。はからずもお助け頂き、お礼の申しようもございません」

 そう言いながら、疾風は狐の貌に戻り、呪術師に近付いていく。

「待て、何をするつもりじゃ」

 弥生が制する。

「呪符を取り上げても、真名を知られている限り、我等に自由はありません。こやつの息の根を止めます」

 そう言って喉笛に喰らい付こうとした。

「駄目じゃ」

 弥生がそれを止める。

「何故ですか! ここまでしてくれたあなたが何故止めるのですか!」

 弥生は、

「無防備な者をいたずらに殺傷するのはよろしくない。それは魂を汚すだけじゃ。輪廻の業の環から抜け出られなくなるぞ」

「では、どうしろと…!」

「まあ、見ているがよい」

 そう言って弥生は気を失っている呪術師に近付いた。

 呪術師の髪を一本抜き取る。それに息を吹きかけ、指でひねくると、それは形を変え、小さな小さな、小指の爪に乗るくらいの狐になった。

 それを呪術師の顔に乗せる。小さな狐は呪術師の鼻の穴から潜り込んでいった。

「何を…?」

 疾風はやてが尋ねる。

「『飯縄いづな』の術じゃ。飯縄は体に潜み、人を操る。こやつの体の一部ーーー髪の毛から作った飯縄じゃから相性がいい。

 その飯縄にこやつの記憶を消させているのじゃよ」

「そんなことが…」

 驚愕する疾風、つむじ狭霧さぎり。やがて耳から飯縄が出て来た。

「これで終了じゃ。お前達はもう自由じゃ。好きにするがよい。ただし人に悪さはせぬようにな。そんな事をすれば狐の評判が悪くなるでの」

「ほ、本当に…?…ありがとう!」

「行こう、狭霧!」

 旋は狭霧を伴い、夜の闇に消えた。疾風だけ残っている。

「どうした、お前は行かぬのか?」

「…俺はらんを迎えに行く」

らん?…おお、しのだやに来た奴か。よしよし。一緒に行くとしよう」

 そう言って弥生は疾風を伴い、しのだやへと帰って行った。

 

「お帰り、弥生」

「何も変わった事はなかったか?」

「ああ、そっちは?」

「簡単じゃった」

 そう言いながら、呪符を差し出す。同時に禁術も解き、らんは動けるようになった。

「ほれ、らんと言うそうじゃの。これはお前の分じゃ。そして外に疾風という奴が待っておるからの、一緒にどこへでも行くがいい」

「…それじゃ…本当に『あいつ』から解放されたの…?」

「うむ、もう旋と狭霧はどこかへ立ち去ったぞ」

「そ、それじゃあ…自由なんだ、あたしたち!…疾風、疾風、…どこ?」

 嵐は表へ飛び出す。そこには狐姿の疾風が待っていた。

 嵐も狐の姿へと戻り、疾風の傍へ飛んでいく。二匹は鼻を舐め合い、尻尾を絡ませ、じゃれついていたが、

「ありがとうございました!」

 二匹揃ってお辞儀をすると、一跳びで塀を跳び越え、いずこかへと立ち去った。

「済んだか…」

「うむ、マーラの仕業かとも思ったのじゃが、只の人間の仕業じゃった」

「手荒な真似はしなかったろうな」

「もちろんじゃ。もう罪を増やすのはこりごりじゃ」

 そう言って弥生は、

「さて、まだ夜明けには間がある。冷えてきたし、休むとしよう。…直也、も少しそちらへ避けよ」

「え?…一緒にこの布団に寝る気か?」

「そうじゃ。…お主が小さい時はいつも儂の懐で温めてやったじゃろうが。…ほれ、寒い。掛け布団をよこせ。…うむ、これでよい」

「……」

「ふふ、あったかいのう」

 弥生はすぐに寝息を立て始めた。直也は弥生の寝顔を見ながら溜息をつき、眼を瞑った。

 

 翌朝。政太郎の意識が戻り、粥を口に出来るようになった。取り憑いていた狐が離れ、もう安心である。

「ほんに、おおきに。…これはお礼です」

 朝食を食べた後、礼金を貰い、しのだやを後にする二人。

「直也、いくら包んである?」

「ええと、…二十両」

「うむ、それだけあれば当面は困らぬのう。もうこんな格好する必要も無い」

 そう言って、体を震わせる。着ていた巫女装束は見る間にいつもの着物に変わっていった。

「いつもながら、…どうやってるんだ?それ」

「どうと聞かれてものう…やり方の説明など出来んのう…単に儂の意志で服地の形を変えているだけじゃから…」

「俺の方も何とかしてくれ」

「ちょっと待て。…うむ、よし」

 弥生が掌を当て、念を籠めると、直也の着ていた祈祷師然とした着物は、直也のいつもの服に戻った。

「ふう、これで落ち着くよ」

「さて、それでは京の都をゆるりと見物するとしようかの」

 朝の光の中、直也と弥生は京の街中へと消えていった。

 京都編開始です。

 とりあえずお金が無くなった直也達、手っ取り早く稼ぐためには、ということで拝み屋です。

 弥生が男どもを化かすのが一番早いのでしょうけれど、弥生はもうそう言う事から足を洗ってますので。

 京都弁は難しいです。東京生まれの東京育ち、関東もんなので間違っていましたらご指摘下さい。

即、直したいと思います。

 

 さて、呪術師相手に呪術ではなく体術で対抗した弥生。思いがけない攻撃にあっけなく終わってしまいました。前回、伏見稲荷で話されたように、京の都近辺でのマーラは一掃されていますので。

 

 そして狐が人間の精を奪う理由と方法。これはオーソドックスです。

 

 最後に服装。弥生の力で、只の布を服に変えているという設定です。木の葉とかでもいいのですが、やっぱり元は布のほうがいいかな、と。ですから破れてもすぐ直せますし、柄とか色を変える事も出来ます。同様に直也の服を変える事も出来ます。

 もっとも、直也が着ているのはちゃんとした和服で、拝み屋の格好に変えただけです。

 話の上で語られる事はないですし、ストーリー展開上も問題にされない設定なのであえてここで語ってみました。


 それでは、次回も読んで頂けたら幸いです。

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