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巻の三     山中の池にて

書き溜め分をアップします。

「いい天気だなあ」

 榛名山を彼方に眺め、直也が呟いた。

 今、直也と弥生は碓氷の関所を間道を使ってやり過ごし、高崎方面へと山道を辿っているところである。道はその大半が樹林の中であるが、伐採されるなどしてときたま展望がひらける事がある。そのような時には行く手左に榛名山が見え、しばしの目の保養となっていた。

「さて、そろそろ昼にするか」

 そう言って腰を下ろし、帯に下げた竹筒を手にした直也は、その中が空である事に気づく。

「しまった、さっき全部飲んじまったんだっけ」

 今持っている携行食は焼き米、水や湯で戻して食べるもの。もちろんそのまま食べる事も出来るが、ぼそぼそしているし、やっぱり食べていて水が飲みたくなる。

「仕方ない、もう少し行くとしよう。さすれば水も湧いていようものを」

 弥生はそう言って腰を下ろした直也をうながした。

 山中は遅い春を迎え、残雪も無い。道は山腹をたどっており、水の気配はなかった。少し行くと道は下りになり、

「おっ、これなら水がありそうだな」

 そう直也は声を上げた。そしてそれからじきに、大きな沼に出たのである。

「ここの水は飲めるかな?」

 直也がそう弥生に尋ねるが、弥生は難しい顔をしたまま、水面をにらんでおり、返事をしない。再度直也が声を掛けるとようやく弥生は顔を上げ、

「ここは駄目じゃ。急ぎ立ち去ろう」

 そう言って直也の袖を引いた。わけがわからない直也は、

「何で駄目なんだ? 水だって濁っちゃいないし、湧き口探せば…」

「そう言う事ではない。いいからここは黙って儂の言う事を聞いておけ」

 そう言ってずんずん歩いて行く弥生。直也も仕方なく付いていった。

 四半刻(約30分)ほど行くと祠があり、そばに清水が湧いていたのでようやく喉を潤す事が出来、焼き米も戻して食べる事が出来た。

「ふう、ようやく人心地が付いたよ。いったいどうしてあの沼は駄目だったんだ、弥生?」

 先ほどからの疑念を口にする直也。弥生はそれに答えて、

「…あそこにはたちの悪い妖の気配がしたのじゃ」

「妖?」

「そうじゃ。土気の妖、それも年を経たやつじゃ」

「土気…ってことは、裸虫(らちゅう、正しくは人偏に果)、だったっけ?」

「そうじゃ。儂のような狐をはじめとする獣は毛虫(けちゅう、もうちゅう)、金気じゃ」

「…えっと、…ああ、そうだったな」

 ちょっと考え込んだ直也を見て弥生は、

「お主も本は好きじゃがあまり学問は好まぬからな、里でも物語はよく読んでいたようじゃが学問書は儂がおらんと読まなかったじゃろうが」

 そう直也に小言を言う。直也はちょっと膨れて、

「こんな時になんだよ」

 そんな直也に弥生は真剣な顔で、

「妖を相手取る時は五行の理を理解せぬと手こずる場合があるからのう」

「そうなのか?」

 よくわかっていないらしい直也を見た弥生は、溜め息を一つ吐いて直也を睨み、

「五行の相生と相剋を言うてみい」

「…えっ、えっとだな、まず相生は、土生金、金生水、水生木、木生火、火生土…で、よかったか?」

「うむ、それであっておる。相剋はどうじゃ?」

「土剋水、水剋火、火剋金、金剋木、木剋土」

 弥生は大きく頷き、あっている、と褒めた。が、さらに続けて、

「それでは土気の妖にはどんな手立てが有効じゃな?」

 そう言われた直也は首を捻る。

「ええと、木剋土、だから木気が有効、ってことか?」

 弥生は首を振って、

「半分だけ正解じゃ。土生金、じゃから土気は金気を強めるため有利なのじゃ。…こういうことを瞬時に判断することが肝要なのじゃよ」

「うーん、こうしてみるとよくわかる」

「そうじゃろそうじゃろ。里にいては危険らしい危険もないからのう、真剣に考える機会もない。この旅の間にいろいろ学ぶ事じゃな」

「わかったよ、弥生。やっぱり弥生には頭が上がらないや」

 弥生は笑いながら、

「ふふ、仕方なかろう、何せ里ではお主のおしめを替えてやった事だってあるのじゃからな」

 そう言いながら立ち上がる。

「さて、腹も膨れた、先を急ぐとしよう」

 だが、考えて込んでいるのか、直也は立ち上がろうとしない。それを怪訝に思った弥生は、

「どうした? 早く行こうではないか」

 直也はゆっくりと立ち上がった。だが、その足の向かう先は今来た方角。

「直也? そっちは逆方向じゃぞ?」

 そんな弥生に、背を向けたまま、

「…なあ弥生、さっき感じた妖って、旅人とかに悪さするのか?」

「…それを聞いてどうするつもりじゃ」

 直也はゆっくりと弥生の方を向き、

「もしもそうなら放っておけないと思って」

 そう言った直也の顔を見た弥生は大きな溜め息をつく。

「…なぜ余計な事をしようとする? お主に何かしたわけでは無かろう? このまま立ち去れば我々にはもう何のかかわりも無くなるんじゃぞ?」

「蜘蛛の化け物とか神楽面の付喪神とか、人に悪さしていた化け物は退治したじゃないか」

「あれはお主に手出しをしたからじゃ。よいか、儂はお主を守ることが一番大事なのじゃ。他の人間など知った事ではない」

「弥生…」

 直也の手を取って弥生が言う。

「ほれ、行くぞ。日のあるうちに街道へ出たい」

 そうして手を引っぱるが直也は動こうとはしなかった。

「直也?」

 直也は弥生を真正面から見つめると、

「そうじゃないんだ、妖だからといって退治すればいいなんて俺は思っていない。人に害をなすならそれだけの理由があるんだろう、それを聞いて、どうにかできるならしてやりたいんだ」

 そんな直也の言葉に半ば呆れ、半ば感心する弥生。

「そんなことを考えていたのか、お主は」

 そして今日何度目かの溜め息をつくと、

「…わかった。お主がそこまで言うなら、妖と話をしてみよう」

「ありがとう、弥生!」

 そうして二人は元来た道を戻り始めた。

 

*   *   *

 

 沼の畔に立つ二人。日は大分傾いていた。

「出てくるかな?」

「出てくるじゃろう。刻も逢魔が時、そしてここに二人もいるのじゃから」

 そう言っている間に、沼の水面がざわめき出す。

「ほれ、おいでなすった」

 水面が渦を巻き、その中心部から深緑色の装束を着けた男が姿を現した。その顔色は土気色で、髭はなく、若いのか歳を取っているのかうかがい知れない。

「何か吾に用があるのか」

 妙にくぐもったような声音でその男が問いかけてきた。その声に気を取り直した直也は、

「尋ねたい事がある」

 すると男はにやりと笑い、面白い、言ってみろ、と言った。そこで直也は聞く。

「あなたは人に害をなすのか?」

 それを聞いた男は突然笑い出した。その口は耳まで裂け、真っ赤な口の中が見えた。

「人と妖とは相容れぬもの。妖に向かって人に害をなすのかとは畏れ入る」

「俺はそうは思わない。人と妖が共存できる可能性だってあるはずだ。昔の物語にはそんな話があるじゃないか」

 笑いを収めた男は、それでもまだ面白そうな口調で、

「確かに絶無とは言えぬ。だがそうではない事の方が遙かに多いのだ。現に吾はこの地に七百年近く封じ込められていた。その恨みは深い」

「何だって…」

「陰陽師と呼ばれる者。そやつらがこの地に吾を封印した。つい最近、封印の岩が崩れ、吾は自由になったばかりだ」

「そうだったのか…」

 そこで、それまで無言で直也と妖の男との会話を聞いていた弥生が口を開いた。

「それで貴様は、目覚めてから何人の血肉を喰らった?」

「さてな。十までは数えていたが、面倒なのでやめた」

「封ぜられていた間、何を考えていた?」

「知れた事。再び自由になったならどう恨みを晴らしてくれようか、と、それだけの事をだ」

「…そうか」

 弥生は直也の肩を掴み、後へ下がるように言う。

「直也、これ以上は無駄じゃ。こやつは封印される前も、そして今もって、人を喰らう事しか考えておらぬ」

 それを聞いた妖の男は、

「ふははは、それ以外に何がある!」

 そう言って水面を踏み、畔に立つ直也達へと迫って来た。

「救えぬ奴じゃ」

 そう呟いた弥生は狐耳と尻尾を出し、手に狐火を灯した。

「貴様は狐だったか! 面白い、かつてはこの地の獣共を喰らい尽くした事もある吾。貴様も喰らってくれよう!」

 そう言って真っ赤な口を開け、そこから粘液を吐き出した。

「ふん」

 直也を抱きかかえ、それを軽々とかわした弥生は、

「直也、これでわかったじゃろう。こやつは最早救いようがない。速やかに退治せねばならぬ」

「…」

 無言の直也を安全そうな場所に残し、弥生は妖に向かっていく。その手から狐火が放たれた。

「ふん、このような火では吾の敵ではない」

 そう言ってその狐火をかわすでもなく、平然とその身に受ける妖。火はその身体に吸い込まれるように消えた。その途端、妖の身体が一回り大きくなる。

「…火生土、やはりお前は土気の妖じゃな?」

 そう言って更に狐火を灯す。

「よくぞ見抜いた。だがそれがわかっても貴様には狐火くらいしか手はあるまい」

「そう思うならこれを喰らえ!」

 そう叫んだ弥生が放った狐火は蒼い色をしていた。

「何!」

 その狐火の色を見た妖は明らかに動揺し、かろうじてその火をかわした。が、弥生は蒼い狐火を次々に放っており、ついにその一つが妖に命中する。焦げ臭い臭いがし、紫電が弾けた。

「ぐわあっ!」

「ふん、木剋土、これは効くようじゃの」

 狐火をくらった妖は顔を苦痛に歪め、膝を付いた。

「狐…五行を操るとは…まさか貴様の正体は…」

 その先を言わせず、更に三発、蒼い狐火が命中した。

「ぐわああああっ!」

 妖は地に伏し、動かなくなった。が、弥生はまだ緊張を解いておらず、妖から目を離さない。しかし。

「弥生、やったんだな」

 不意の足音に振り向くと、そこには直也が立っていた。

「駄目じゃ、まだ終わってはおらん!」

 無防備に近づく直也を弥生が窘めた、その時、背後から黒い影が襲いかかってきた。

「直也、危ない!」

 さすがの弥生も、直也を突き飛ばして影を避けるのが精一杯であった。

「くう!」

 影の正体は巨大な蝦蟇。人どころか牛馬をも丸呑みにしそうな巨体、その大きく裂けた口から伸びる長い舌。それが弥生の腰に巻き付いていた。

「弥生!」

 絡め取られた弥生を助けようと、腰の道中差しを抜いて駆け寄る直也に、

「来てはならぬ! こやつは儂が必ずなんとかする、じゃからお主は安全な所へ離れておれ」

 そう言いながら蒼い狐火を二つ、蝦蟇へと投げ付けた。

 だが、驚いた事にその蒼い狐火は蝦蟇を害することなく、そのぬめった体表に弾かれてしまったのである。

「…土侮木、か」

「そうだ。吾が真の姿を現した以上、貴様程度の木気で吾を害する事は出来ぬ。最早貴様の命運は尽きた。このまま呑み込んでやる」

 先ほどとは比べものにならないほど陰気な声で蝦蟇の妖が声を発した。

「そうやすやすと喰らわれてたまるものか」

 そう言いながら弥生は更に蒼い狐火で攻撃するが蝦蟇は意に介さない。必死に踏ん張る弥生であったが、ついに力負けし、蝦蟇の舌に巻き取られてしまった。

「く、離せ!」

 舌を巻き取り、同時に弥生の両手も封じた蝦蟇は、その巨大な口を開け、一気に弥生を呑み込んだのである。

「弥生!」

 ごくり、と蝦蟇の喉のあたりが蠢き、弥生の姿が見えなくなった。

「弥生!!」

 直也の声が響く。

「ふふふ、残念だったな、人間。次は貴様の番だ」

 そう言って蝦蟇はのそり、とその巨体を動かした。その瞬間。

 稲妻が飛来し、蝦蟇の身体を打つ。

「ぎゃああああ!」

 さしもの蝦蟇もたまらずに悲鳴を上げた。

「直也をお前ごときに触れさせるものか」

 そう言って蝦蟇の背後から現れたのはなんと弥生。

「弥生!無事だったのか!」

「心配掛けたようじゃな。このような奴に呑まれてはたまらぬ。呑み込まれたのはそこにあった岩じゃ」

 弥生はそう言って直也に向けて微笑んだ。

「ぐぅ…いつの間に…やはり貴様の正体は…」

 身体のあちらこちらから煙を上げながら蝦蟇が声を出した。

「ほう、まだ息があるか。せめてもの慈悲じゃ、この一撃で楽にしてやろう」

 そう言うと弥生は左手の薬指、小指を曲げ、伸ばした中指の背に食指を曲げて付け、印を組んだ。

「おん・いんどらや・そわか」

 それを聞いた蝦蟇が大声を発した。

「た…帝釈天の真言だとぉぉぉぉぉ!」

 その叫びが蝦蟇の最後であった。稲妻が閃き、蝦蟇に降り注ぐ。たちまちに妖は黒こげと化し、永遠に沈黙したのである。

「…封ぜられてもなお止まぬ破壊衝動。今生で正せなんだその業、来世で償うのじゃな」

 そう言い、弥生は目を閉じ…膝を付いた。

「弥生! 大丈夫か?」

 直也が駆け寄る。

「大丈夫じゃ。前にも言うたじゃろう、妖狐の身で真言などを使ったから少々疲れただけじゃ」

「俺の思いつきでこんな目に合わせて…ごめんよ」

 心底済まなそうに直也が謝った。が、

「ふふ、何を言うか。お主が謝る必要など無い。これは儂の役目じゃからな」

 そう笑って言う弥生に、直也の気も少しだけ軽くなる。

「そうか。…それで、もうここは安全なんだろう?」

「ん?…うむ」

「それじゃあ今日はこの沼の畔で野宿だな」

 そう言って直也は弥生をかばいつつ、周辺から下に敷く草などを集め、野宿の準備を進める。

 その夜は朧な月が懸かり暖かく、時折聞こえる梟の声を聞きながら二人は穏やかな一夜を過ごすのであった。

狐火(無属性)=青白、木気=蒼、と表記します。因みに五行、木火土金水はそれぞれ蒼、赤、黄、白、黒となります。

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