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巻の二十九   弥生の昔語り

巻の二十九   弥生の昔語り


 直也と弥生の旅は続いている。

 東海道を辿ってきて、先頃遠州に入り、金谷宿を過ぎた。今は峠下の茶店で休憩中である。

「うむ、この草餅は美味じゃ」

「弥生、それで六皿目だぞ?いいかげんにしたらどうだ? さっきうどんを五杯食べたばかりだぞ?」

「直也、けちけちするな。路銀は大丈夫じゃから」

「いや、そうじゃなくてお前の腹具合が…」

「儂の心配は無用じゃ」

「……」

 苦笑する直也。そんな様子を横目に弥生は、

「お茶をもう一杯くれぬか」

 健啖ぶりを発揮している。

「お客さん、これから峠越えかね?」

 茶店の主人が茶を差し出しながら尋ねてくる。

「そうじゃ。ゆえに腹ごしらえをしっかりしておかんとな」

「悪いことは言わねぇ、今日はうちにお泊まんなせぇ。狭ぇ所だがお二人くれぇお泊めできっから」

「なにゆえじゃ?」

「最近この峠にゃ、夜な夜な狸だか狐だかが出るってこんだ。十日ほど前も、旅の商人が化かされて三日三晩山の中をさまよい歩かされた上有り金全部盗られっちまっただ」

「そんなもの怖くはない」

 それもその筈、自身が九尾の妖狐である弥生には、そんじょそこらの狐狸なぞ足元にも及ばない。

「そう言って通っていったお侍も化かされて頭の毛を全部剃られ、刀も竹光にすりかえられたっちゅうこんだ」

「まあ忠告はありがたく受け取っておく。この草餅を二十個ばかり包んでくれぬか」

「…知らんぞい、どうなっても…」

 そう言いながら竹の皮に草餅を包む主人。

「危ねぇと思ったら引き返して来なせぇよ」

 人の良い主人はあくまでも心配なようだ。

「さてと、直也、ゆくぞ」

「おう」

 頷いて直也も腰を上げる。

「ご主人、お勘定ここに置いたから」

「へぇ、ありがとうござい。お気を付けて」

 

 峠道を登っていく。かなりきつい勾配だ。

「なあ弥生、どう思う?」

「何がじゃ?」

「化けものの話さ」

「うむ、出るというのなら出るのじゃろう。おおかた低級な妖怪に相違ない」

「何でそう言い切れる?」

「やることが幼稚だからの。金を取るとか髪の毛を剃るとか、大妖といわれるようなあやかしのすることではないわ。マーラが取り憑いているならもっと凶悪なことをしでかすじゃろうしな」

「なるほどな…。いずれにしても何とかしてやらないと、ここを通る旅人が迷惑するな」

「またか。…直也はお節介じゃのぅ」

「困っている人がいたらほっとけないだろ?…手を貸してくれるよな、弥生?」

「お主一人では心許ないからの。…後見人の儂としては手を貸さざるを得ん」

 いつものことと溜息混じりに弥生は承知する。

「ありがとう、弥生」

「さて、そうとなれば出てくれぬと困るのぅ。退治のしようがない」

「退治するまでのことはないだろう。きついお灸を据えてはやればいい」

「お主はどこまで人がいいのじゃ。人々に悪さする化けものを退治しようと言ったかと思えばその化けものに情けをかけようと言う…」

「だって、弥生が言ったろ?…駆け出しの妖怪ならちょっと懲らしめてやれば十分さ」

「わかったわかった。殺さぬ程度に加減するよう心がけることにする」

「あまり手荒な事はするなよ…」

 そんな会話をしながら、山道を行く二人。いよいよ日も暮れ、あたりは真っ暗になってきた。

「提灯を出すか。…弥生、蝋燭を出してくれ」

「狐火ならすぐ灯してやるぞ?」

「それじゃむこうが警戒して出てこないかも知れないだろ…」

 そう言った矢先。闇の向こうに光が灯った。

「向こうからも人が来たのか?」

「…違う。あれは…」

 弥生の態度が目に見えて強張る。

「狐火じゃ」

 狐火。自身が妖狐である弥生が言うのだから間違いのあろう筈がない。二人はその場に立ち、光を見つめる。

 光はわずかに明るさを変えながら、ゆっくりと近づいて来た。

「どうする?」

「向こうの出方を見る。お主は刀をいつでも抜けるようにしておけ」

 その言葉に従い、直也は道中差しに手を掛けた。

 更に光が近づいてきた。見れば、小さな男の子と女の子の二人連れである。

 姉であろうか、少し大きな女の子が小田原提灯を持ち、弟の手を引いてやってくる。

 何も知らぬ者が見れば、思わず声をかけずにはいられない光景であった。

 黙って通り過ぎるのを見送る。二人の脇を通り過ぎた途端、ふっと提灯の明かりがかき消えた。

「見たか、儂らが乗ってこないので消え失せた」

「もう出ないのかな?」

「いや、そんなことは無かろう。別の手で来るに違いない」

 そう弥生が言った矢先、今度は後から足音が聞こえた。

「来るぞ…」

「おい、あれは…」

 足音の主は、先程の茶店の主人であった。

「ああ、やっと追いついた。お二人さん、忘れ物だあね。これ忘れちったら峠は越えらんねぇよ」

 そう言って竹の皮に包んだものを差し出した。

「あれ、草餅ならさっき受け取った筈だが…」

 そう言って直也が手を出そうとした時。

「下がれ!」

 弥生の声が響き、主人を突き飛ばした。

 突き飛ばされた茶店の主人は、にやりと笑う。ぞっとするような笑みであった。

「よく見破った。しかしこの峠は越えさせぬ」

 そう言うと、主人の姿がぐんぐん大きくなっていく。見る間にその辺の木の梢よりも大きくなってしまった。

「そこを動くな。踏みつぶしてやる」

 そう言った姿は、最早茶店の主人ではない。全身に針のような毛の生えた大入道であった。

 思わず道中差しを握りしめる直也。しかし弥生は落ち着いたものである。右手を前にかざし、小さな黄色の狐火を作ると、大入道めがけて飛ばした。

「な…こ、これは…!」

 狐火は大入道にぶつかると、全身を覆うように広がり、大入道を包み込む。見る間に大入道が小さくなっていく。それと共に包んだ光は明るさを増していった。

 黄色の狐火ーーー土気の狐火。相手の妖力や魔力を吸収してしまう弥生の術だ。

 ついに大入道は元の大きさを通り越し、子犬ほどの大きさにまで縮んでしまった。

「もうよかろう」

 弥生が一吹きすると、狐火は消えた。そこにいたのは一匹の子狐だった。

「子ぎつ…ね?」

 直也が驚いたように呟く。

「驚いたのう。こんな小さなうちから大きな術が使えるとは」

 そう言いながら、

「禁」

 定身の法をかける。これで逃げ出すことも、術を使うことも出来なくなった。

「もう一匹いるはずじゃ」

 そう言って弥生は、

「出てこい。出てこんとこやつの命は保証せんぞ」

 そう言いながら、手に白い狐火を灯す。

 白の狐火ーーー鉄すら溶かしてしまう高温の狐火だ。こんな子狐では骨も残るまい。

 まさか本気では無いだろうが、徐々に狐火を子狐に近づけていった。

「待って!」

 先程の女の子がいつのまにかそこにいた。

「弟を…許してあげて下さい…かわりに…あたしを…」

 弥生は狐火を消すと、手招きする。

「よし。こちらへ来い」

「はい…」

 女の子は震えながら近づいてくる。

「怖がらなくとも良い。儂もお主らと同族じゃ」

 そう言って、狐耳としっぽを出してみせる弥生。

「あ…」

 女の子が目を見開く。更に弥生は、

「解」

 子狐にかけた禁術を解く。

 自由になった子狐は、くるりととんぼ返りを打つと、これも先程の男の子になった。

「ごめんなさい、どうぞ命ばかりはお助け下さい…」

 二人揃って土下座しての命乞い。比べものにならないほど強い相手に出会った事がわかったのだろう、震えが止まらないようだ。

「怖がるなと言うたろう? お前達をどうこうするつもりはないぞ」

 二人が顔を上げる。

「ただ、聞かせてくれ。…何故このようなことをしている?…そしてなぜ妖力を使える?」

 俯く二人。直也が、

「なあ、わけもなくこんな事をしているんじゃないだろう?もしかしたら力になれるかも知れないぞ?」

 震える姿を見た途端、お灸を据える事も忘れ、二匹に同情さえ覚える直也。これでは弥生があきれるわけである。

「お父うと…お母あの…恨みを…」

 弟の方が口を開く。

「お前達の両親が? どうしたというのじゃ?」

「人間に…捕まって…毛皮にされた」

 この姉弟の両親は、昨年の冬、猟師に撃たれたということらしい。

「わけはわかった。しかし妖力は? お前達の歳では到底考えられぬ程の力じゃ…」

「…きつねの神様から授けてもらった」

「きつねの神様?」

 直也が問い返す。

「うん。僕たちが泣いている所に現れて、力をくれたんだよ」

「…もう少し詳しく話してくれぬか」

 弥生は何やら考え込んでいる顔だ。

 二匹の話をまとめると、

 両親を鉄砲で撃たれ、その側で泣いていると、どこからともなく現れた「きつねの神様」が、二匹を連れ去った。そのままでは両親だけでなくこの姉弟も人間に撃たれてしまうからだ。

 離れたところに連れてきたきつねの神様は二匹に、

「人間が憎いか。人間は我ら狐族を狩る。毛皮を取るためだ。また家畜を荒らすという理由でも狩る」

「しかし黙って狩られていては一族が滅びてしまう。お前達、両親の仇を討つのだ。力は与えてやる」

 そう言って二匹の首に、紐に通した宝珠を掛けてくれたのだという。

 その宝珠をもらってから、狐火を出したり化けることが出来るようになり、この峠を通る人間を化かしていたのだという。

「その…『きつねの神様』じゃが、どんな姿をしていた?」

「黒い着物を着た人の姿でした。きつねの耳はしていました。尻尾は四本でした」

「目の色は?」

「血のように赤い目をしていました」

「マーラじゃ…」

 弥生が絞り出すような声で呟いた。

「…お前達。その者は神などではない。悪魔じゃ。今すぐにその玉を捨てるのじゃ」

 そう言い聞かせるが、二匹は、

「でも…これを外したらもう化けることも出来なくなってしまいます…」

「何で…外さなくちゃいけないの?」

 弥生は、

「それでは、昔話を話してやるからな、よく聞けよ」

 唐突な物言いだったが、二匹は素直に、「「うん」」と言って聞き耳を立てた。

 弥生は、直也をちらりと見ると、語り始めた。

「今から五百年ほども前のことになるか…」


*   *   *


 紀の国の山の中に、天狐を目指して精進する娘狐がおった。

 おおよそ狐というものは三百年で金毛九尾となる。さらに年月を経ると白面となり、千年を経た善狐は天狐となる事が出来る。

 九尾から天狐になる間に、尻尾の数は減っていき、天狐は四本尻尾になるという。

 その娘狐は、天狐を目指してはいるものの、まだ九本の尻尾を持っておった。


 娘狐には幼馴染みの雄狐がおっての、その狐もやはり天狐を目指してはいたものの、尻尾は七本、九尾にはまだなっておらんかった。

 二人は好き合っておった。遠い遠い昔、まだただの狐だった頃、一度だけ天狐様のお姿を拝んだことがあっての、

 その天狐様は人間達からも慕われておって、祀られている神社はいつも大勢の信徒であふれかえっておった。

 山の様なお供え物が届き、それをまた貧しいものに配る。そしてまた感謝の祈りが捧げられる…。

 それを見、いつか自分たちも慕われる天狐となりたい、そんな夢を抱いたのじゃ。

 二人は伏見へと赴き、修行の毎日を送ることになった。修行は苦しい事もあったが、辛いとは思わなんだ。天狐になるという夢があったから。二人は励まし合って日々の修行をしておった。

 

 そんなある日。

「一大事です!」

 天狐様の元へ急報がもたれされた。

「どうしたというのです?」

「山狩りです! 大和国やまとのくにの貴族達が大規模な山狩りを始めました!」

 とある貴族が面白半分に、自分の領地の山にいる動物を見境無く狩っていく。食べるためではなく、毛皮を取るためでもなく、ただ面白いから、罪もない獣達を射殺していく。

 射殺される狼、鹿、猪、狸、兎、そして狐…

「わかりました、手の空いているものは一緒に来なさい」

 天狐様の号令の元、修行中の狐達がこぞって駆けつけた。

「そなた達は東へ。猟師どもの目くらましを。…そなた達は北。猟犬を迷わせなさい」

 殺生をすれば魂が汚れ、天狐にはなれなくなる。それで狐達は射られた矢を逸らしたり、猟犬を見当違いの方向に導いたりと、困難な仕事にとりかかる。

みくず、気をつけて」

「おう、千枝丸ちえまる、おぬしもな」

 娘狐、みくずは天狐様と同じく猟師を惑わす班。幼馴染みの雄狐、千枝丸ちえまるは猟犬を迷わせる班になった。

「突如 来如らいじょ焚如ふんじょ死如しじょ棄如きじょ。道は道に非ず。迷いは果無し」

初九しょきゅうかせいてあしぼつす。とがし。真は偽、偽は真なり」

 習い憶えた術を尽くし、娘は猟師達のねらいを逸らしていった。


上兌下、火剋金。悔亡ぶ。すなわち刃は虚し」

初九しょきゅう前趾ぜんしきずつく。往きて勝たざることをとがと為す」

 幼馴染みの千枝丸ちえまるも奮闘していた。

千枝丸ちえまる、そなたは七尾、力不足だ、無理はすまいぞ」

 先輩狐からの忠告が飛ぶが、

「はい、でもみくずも頑張っています、僕も頑張らないと」

 その時、

「危ない!」

「ぎゃっ!」

千枝丸ちえまる!」

 気が緩んだ一瞬、猟犬に脚を噛まれてしまった。狐火で犬を気絶させたものの、思ったより傷は深かった。

「うう…」

千枝丸ちえまる、大丈夫か!?」

 同僚が心配して駆けつけるが、

「大丈夫、これくらい。先に行ってて下さい、手当てしたらすぐに行きます」

 気丈にそう言う千枝丸ちえまる。それを気遣いながらも、本来の目的である山狩りの撹乱かくらんのため、先に行く同僚達。

 千枝丸ちえまるは応急手当を済ませ、後を追うために立ち上がった、その瞬間、運命の悪戯か、流れ矢がその背に突き立った。

「がっ」

 倒れ伏し、狐の正体を現す千枝丸ちえまる。その背にさらに四本、矢が突き立っていった…


 幸か不幸か、七尾の狐を撃った事に満足して、山狩りはそこで終わったのである。

 が、娘狐、みくずにとって、そんなことはもうどうでも良かった。

千枝丸ちえまる!…なぜ、なぜ、おぬしが…!! 約束したではないか、共に天狐になろうと…!!」

 みくずは泣いた。三日三晩泣き崩れた。共に天狐になろう、そう誓った幼馴染みはもういない。

 何のために天狐になろうとしたのか、人の世を守るためか。その人間は彼女らに何をしたか。

 罪もない獣達を狩り、かけがえのない幼馴染みを奪った。なぜそんな人間を守らねばならないのか。

 伏見を離れ、故郷の山中で泣いて泣いて、涙が涸れかけた時。

「悔しいか、娘よ」

 妖しきものが現れたのである。

 それは、みくずが昔見た天狐と似た姿をしていた。人の姿で、四本尻尾で。しかし身につけている装束は真っ黒だった。顔だけが白く、闇の中に顔が浮かんでいるかの様でもあった。

 それが言った。

「この世の中の生き物は、生きるために他の命を食らわねばならぬ。それは我等狐とて同じ。しかし人間は生きるためでなく、己の楽しみのために命を奪う。そんな人間には罰を与えねばならぬ。お前は人間の残酷さを知った。お前こそ我が使いに相応しい。我は暗黒の狐神である。我に従えば更なる力をやろう」

 そう言うその瞳は暗い炎のごとく赤く、その目に見据えられた娘は己の中の負の感情をもう止められなかった。

 その暗黒の狐神に従い、宝珠の付いた首飾りを受け取ると、娘は体中の血が凍り付くように感じた。燃えるような怒りは、氷のような冷たい怒りとなり、幼馴染みとの日々は別世界での出来事のように感じられたのである。

「憎い人間どもめ、思い知らせてやろうぞ…」

 

 その狐は、若く美しい娘に取り憑くと、時の朝廷に仕え始めた。

 持って生まれた美貌に加え、狐の賢しさを併せた娘はいつしか帝の、そしてその帝が退位して上皇様になっても変わらぬ寵愛を受けるまでになった。

 そうして国のまつりごとを乱し、人間どもを苦しめる、それが狙いじゃった。

 実際、飢饉に乗じて行った課税では大勢の民衆から怨嗟の声が上がった。

 都を一歩出れば飢えかけた人間がそこかしこに溢れ、もう一押しか二押しで、反乱が起きかねないところまで行った。

 しかし、邪魔が入った。

 陰陽師安倍晴明六代の孫、天文博士播磨守安倍泰親てんもんはくしはりまのかみあべのやすちかが正体を見破り、宮中を追われることとなったのじゃ。

 八万の軍勢と三浦介、上総介、安倍泰親らに追われ、那須野で討たれることとなった。

 じゃが娘が討たれると同時に、娘がもらった宝珠が娘の魂を吸い込むと巨大な石と化した。

 そして、毒気を吐いて周辺の生き物を見境無く殺すようになったのじゃ。

 供養にやって来た名僧も倒れたという。人は名付けて『殺生石』と呼んでおった。

 しかし百数十年の後、玄翁という和尚が仏法を説くと共に金槌でその石を砕き、

 同時に九尾の狐の執着も解いて、ようやく娘は悪業から脱することが出来たという。


*   *   *


「儂の昔話はここまでじゃ。

 この娘の悪行は、心の隙につけ込んだ「暗黒の狐神」と名乗るマーラによるものであったのじゃ。

 玄翁和尚はそれを見破り、マーラの呪縛である首飾りの化した巨石を砕く事が出来た。

 しかし、そのような名僧はそうそうおられるものではない。ましてや末法の世とも言われる今となってはな。

 お前達の持つその宝珠、いや呪い玉は持つ者の憎しみや怒りなどの負の想念を糧として力を発揮する。

 と同時にお前達の生命力も奪っていくのじゃ。

 その証拠に、お前達の姿を見てみよ。先程の狐の姿じゃった時、肋は浮き、毛もばさばさじゃった。

 このままでは遠からず倒れてしまうじゃろ。そして呪い玉に吸い込まれ、第二第三の「殺生石」となるじゃろう…」

 

「……」

 直也は言葉もなかった。昔話と言ってはいたが、間違いなく、弥生の前身の事に違いなかったからだ。

 弥生が、いや弥生の前身がどうして人間を憎んでいたのか。それを知った。

「さ、その珠を外すのじゃ」

 そう弥生が言うと、今度は素直に、

「うん…」

 二人とも頷いて、首から珠を外すと、弥生に手渡そうとした。

「いや、そこに置くのじゃ。不用意に触れることはならぬ」

 そう言って、前に置かれた珠に向かって、白い狐火を放つ。

 さしもの呪珠も、鉄をも溶かす高熱の前にはひとたまりもないかと思われたが、逆に白い狐火を吸収してしまった。

「やはりな…」

 弥生は直也に向かって、

「頼む、翠龍で切り割ってくれ」

 確かに、呪いの珠は妖力でどうにか出来るものでは無いことを今、あらためて目の当たりにした。

 直也は翠龍を抜く。弥生はまだかろうじて人の姿をとっている姉弟をかばうように抱きしめる。

「いくぞ」

「うむ」

 翠龍一閃。

 さしもの呪い玉も、神刀の前にはあえなく真二つになった。と、そこから黒い煙が吹き出し、固まるとその中に顔が浮かび上がる。

「やれ残念、もう少しで大きな災いを成すことが出来たのに」

 それはマーラであった。

「滅べ!」

 直也が翠龍で薙ぎ払う。声にならない声を上げると、煙は四散した。

「やっ…た…のか?」

「いや、あれもマーラの影に過ぎぬ。本体はどこかで今も災いの種をまき散らしているに違いない」

「そうか…」

「しかし、この姉弟は救うことが出来た。礼を言う、直也」

「なんか変だな、元はといえば俺が化けもの退治するから弥生に手伝ってくれと頼んだのに」

「細かいことを気にするでない」

 そして姉弟に向き直ると、

「そなた達は朝には狐の姿に戻ることになろう。そうしたなら山深く分け入って、もう人と関わるでないぞ」

「はい、ありがとうございました」

「これは俺からの餞別だ」

 直也は草餅を渡す。

「元気でな」

 その後は何事もなく、峠を越えた。麓近くまで下りてくると、夜が白々と明けてくる。

「おう、もう朝じゃな。あの姉弟はもう山奥に行ったじゃろうか」

「……」

 直也は項垂れたまま、何かを考え込んでいる。

「直也、どうかしたのか?峠を越えている間、一言も喋らんかったろう?」

「…弥生」

「うん?」

「気軽に化け物退治しようなんて持ちかけて本当に済まなかった」

「どうしたのじゃ、急に?」

「…俺があんなことを言ったばかりに、辛い昔を思い出させてしまった」

「そのことか。…お主にはもう大分知られておるからの。いつか話さなくてはと思うておった。中途半端はいかんかと思ってな」

「弥生がそんな過去を持っていたなんて今日まで知らなかった…」

「まあ自慢できる過去ではないからな」

 弥生の目が笑っている。弥生は強いな、そう思わずにはいられない直也であった。それで、

「人間として謝らなくちゃ気が済まない」

 そう言った直也に対し弥生は、

「お主に謝ってもらう筋合いはないぞ」

「しかし、弥生…」

 弥生はそんな直也を遮り、

「むしろ今回の件については儂が感謝したいくらいじゃ」

「え?…それは…あの姉弟の件か」

「そうじゃ。マーラの呪いから解放することが出来たのもお主のおかげじゃからな」

「マーラの呪いか…」

息を吸い込み、直也があらたまった様子で尋ねる。

「なあ弥生、もう弥生は天狐にはなれないのか?」

「…なれぬな」

「どうして?」

「儂は多くの命を殺めすぎた。たとえそれがマーラにそそのかされ、とりつかれてやったことだとしてもじゃ」

「そうか…」

 がっくりと肩を落とす直也。

「何を気にしておる?」

「弥生の…そして弥生の幼馴染みの夢だったのだろう?」

「昔の話じゃよ。それに…夢は無くしてもまた見つければいい」

「夢を…見つける?」

「そうじゃ」

「弥生は…見つけたのか?」

 問われた弥生はこの上なく優しい眼差しで、

「そうじゃな…直也、お主が一人前になるのを見届けることかのぅ」

「何だよ、それ」

「今はお主と旅をしておる。それでよかろう?」

「まあ…そうか。これからもよろしくな、弥生」

「まかせておけ。儂はお主の後見人じゃからな」

 鳥の声が聞こえてきた。いよいよ朝である。

(お主は…少し似ておるのじゃよ、幼馴染みの…あやつに。人一倍優しかった…あやつに)

 その言葉を声に出す事は無く、朝日の中を歩き出した直也に向かって心の中だけでそっと弥生は呟いた。

 弥生の過去話です。短めです。

 まあ自分の過去をあまりくどくど語りたがる者はいないだろうと。

 前回では九尾の狐譚に重点を置いたので、今回は(前世の)弥生の生い立ちです。前世では「藻

みくず

」と呼ばれていました。(巻の十八参照)

 そして土気の狐火登場。土気なので吸い込む力があるという設定です。

 これで、

 青白(基本)陰火。ものを照らす

 赤(火気)ものを燃やす

 白(金気)高熱。金属をも溶かす

 青緑もしくは蒼(木気)ようするに雷

 黄(土気)妖力を吸い取る

 紫(空)存在を消滅させる

 

 の6つが明らかに。残るは水気なのですが、「火」なので狐火には水気は存在しません。


 作中に呪文めいたものは易経より。


 さてこれで弥生の過去や正体が明らかになりました。物語は更に面白く…できるといいんですが。

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