巻の十五 甲斐の国での刀騒動
巻の十五 甲斐の国での刀騒動
ここは山国、甲斐の国。そこを流れる一筋の川。
直也と弥生は、龍の子である翠を連れ、旅を続け、いま甲斐の国へとやってきていた。
「父さん、ほら、魚捕ったよ」
龍の子、翠が魚を手づかみにして川の中から投げて寄越す。
蛇から人型になった翠は、日に日に成長を続け、今では十歳くらいの子供なみに成長していた。
「あまり深いところへ行くんじゃないぞ」
「はい」
夏も終わりとはいえ、残暑はまだまだ厳しく、一行は河原でくつろいでいた。
いや、実はもう一つの目的があったのだが。
「ぷふう」
弥生が水の中から姿を現した。手には金の粒を握っている。いわゆる「砂金」である。
成長する翠を連れての旅は食料を初め何かと物入りのため、路銀にするために砂金を採っているのである。
金気の妖である弥生は、川の底にある砂金を集めることもできる。そこで直也に翠の世話を任せ、自分は川に潜って砂金を集めているのだった。
「もう少し集めるとするか…」
もう一度水底へ潜る。既に集められた砂金は、小さな袋に一杯になっている。
人間の山師なら一年かかっても集める事は出来ない量の砂金、それを一刻足らずで集めてしまう弥生。 やはり大妖である。
やがて日が傾き始めたので、水遊びを切り上げる直也と翠。弥生も砂金を集め終わって着物を身に着けた。
「さて、今日は町へ出て、両替屋で銭に変えて来んとな」
「母さん、砂金、きれいだね」
「すまないな、弥生、本当なら俺が稼がなきゃ行けないのに…」
「何、気にするな。翠の母親として当然の事じゃ」
そして三人は大きな町へ向かう。河原伝いに歩き、祠を目印に横の山腹に上がれば小道がある。そこから緩やかに下っていくとやがて街道に出る筈だ。
一行が山腹の祠に着いた時。
「待ちな」
両脇から、荒くれた男が飛び出し、道を遮った。荒くれは祠の後からも現れた。全部で三人。
「お前ら、砂金を持っているらしいじゃねえか。黙って置いていけば、命までは取らねえ。…おっと、そっちの姉ちゃんは一緒に来てもらうとすっかな」
「野郎と餓鬼には用はねえ。出すもの出してさっさと行っちまいな」
手に手に赤錆た刀を持っており、威嚇するようにゆっくりと振り回している。
「やれやれ…面倒じゃのぅ…」
弥生が一歩進み出ようとした、その時。
「ふざけるなっ! 山賊にやるような物は無いっ!」
そう叫んだ直也は、道中差しを抜き放ち、山賊に斬りかかった。
「直也!?」
驚く弥生。直也は一人目の賊を袈裟懸けに叩き伏せたところである。一応峰打ちにしてはいるようだ。
「こいつ、逆らう気か」
二人目の山賊が刀を振るって迎え撃つ。多少は使えるようだ。三合、四合、直也と山賊は打ち合う。
「直也、落ち着け、あせるでない」
そう注意しながら弥生は理解した。直也の心の中には未だにしずのことがまだ引っ掛かっている事を。山賊が許せないのだ。
その間に三人目の山賊が弥生と翠に掴みかかった。
「儂にさわるな」
弥生は賊の腕を取り、逆に捻ると、巻き込むような動作で足払いを掛ける。賊は顔から地面に叩き付けられ、気絶した。
「母さん、強い」
翠は全く動じた風もなく、弥生が賊を片づける様子を眺めていた。
一方、直也は苦戦していた。賊は元は侍ででもあったのであろうか、多少どころかかなりの使い手である。
直也は正式に剣術を習った事は無く、高崎で弥生に教わったとはいえ半ば自己流で刀を振り回している。おのずと動作に無駄が多い。持ち前の素早さで回避してはいるものの、やや押され気味であった。
「小僧、なかなかやるが、これまでだ」
山賊が大上段から唐竹割に斬りかかった。それを道中差しで受ける直也。金属音がして、直也の刀が根本から折れ飛んだ。
「し…しまった」
「これで最後だ、小僧」
返す刀で直也の胴を横凪に払う山賊。その動きが止まった。
「そこまでじゃ」
弥生の声が響く。弥生は素早く山賊の後に回り首の後ろの点穴を突き、動きを封じていたのだった。
くずおれる山賊。
「父さん、大丈夫?」
翠が駆け寄る。
「翠、父さんは大丈夫だ」
そう答えた直也は、
「また弥生に助けられたな…」
そう言って折れた道中差しを眺めた。
「いい刀だったのに…」
残念そうに呟く。そう、金気の妖である弥生が選び抜いた刀であったのだ。が、当の弥生は、
「済まぬ。半分は儂の所為じゃ」
弥生曰く、先日蟒蛇を退けた時、その刀を使ってかの化け蛇に斬り掛かった時の無理がたたったのだろうと言う。
「そうでなければ、あれほどの刀が、こんな赤錆びた刀ごときに…ん?」
弥生が、山賊の持っていた刀を拾い上げる。
「これは…」
狐の目に戻り、刀をしげしげと眺める。
「まさか…」
「どうした弥生? その刀が何か?」
それには答えず、弥生は刀を右手で頭上にかざし、左手指を添え、
「おん まりしえい そわか…」
摩利支天の真言を三度称える。すると、刀の赤錆が振るい落とされ、刀身が現れた。
そこには、見事な皆焼の刃文が見て取る事が出来た。
「見よ、この脇差。さぞや名のある刀工の作に違いない。しかもまだ血に汚れておらぬ。何故にこんな山賊が手にしていたか知らぬが、良いものが手に入ったのう」
折れた道中差しの代わりに頂戴して、先を急ぐ。山賊の上前をはねるあたりしたたかな直也と弥生であった。
途中、疲れた翠は直也が背負い、道を急いだおかげで明るいうちに町へ着く事が出来た。
町外れに宿を取り、まず砂金を銭に換えるため、両替屋を訪れる。金の売買は幕府が管理しており、個人ではおおっぴらには出来ないが、甲斐は金の国、砂金の売買は日常茶飯事のようである。
計ってみると思ったより質の良い砂金で、銭一貫文と三両に換えられた。これで当分金に困る事はないだろう。
次いで刀屋を探す。拵えを作るには鞘師、白銀師、鐔師などの手を経なくてはならない。
山賊から頂戴した脇差の体裁を整えようというわけである。
刀に関しては金気の妖狐である弥生の得意とするところ、腕の良い職人を探し出す事が出来た。
「一両日で出来るそうじゃ、直也」
それほど傷んでいなかったので、短期間で直せるとのことであった。
「うん。さあ急いで帰ろう、翠が寂しがってるだろうからな」
仮とはいえ、すっかり父親ぶりが板に付いてきた直也であった。
宿に戻る。翠は大人しく部屋で待っていた。
「おかえりなさい、父さん、母さん」
「ただいま、翠」
さっそく食事を運んで貰う。何日ぶりかの御馳走に、弥生だけでなく、直也もおかわりをし、たらふく食べたのだった。
食事が済むと、翠の勉強だ。
弥生と直也が知っている限りの文字を教える。紙が無いので、宿から使っていない火鉢を借り、灰の上に書いていくのだ。
翠は乾いた砂が水を吸い込むように、瞬く間に憶えていき、しかも忘れなかった。流石は龍の子と言うべきか。
「明日からは文字以外の勉強も教えてやることにするか」
「はい、父さん」
「そうか、それじゃ今日はもう寝るとしようか」
三人は、中央に翠、その両側に直也と弥生が寝る。親子三人、いわゆる「川」の字である。どこからみても仲の良い親子であった。
翌日。
刀の拵えの修理が終わるまでは出立できないので、宿に荷物を置いたまま、三人は付近の見物へと出掛けた。
「あそこに見えるのが甲府じゃな」
直也達が立っている高台から見下ろすその先に城が見え、周囲に町並みが広がっている。
「今の城主は徳川綱豊と言うそうじゃ」
宿の者に聞いたと弥生が言った。
「さて、この上に眺めの良い山があると聞いた。行ってみよう」
そう言って弥生は直也と翠を誘う。否やはないので弥生に付いていくと、急な山道を一刻ほどで、小広い山頂に出た。
「うわあ、いい眺め」
翠が歓声を上げた。
御影石で出来たような岩山だが、その山頂からは甲府盆地が一望でき、その向こうには日本一の富士のお山が見えている。
「あれが富士の山じゃ」
「綺麗な姿をしているんだな」
三人とも時を忘れ、しばし山頂からの眺めを楽しむのであった。
その日の夕刻、直也の道中差しが仕上がってきた。町人の物らしく、地味な仕上がり、弥生はこれでいい、と代金の二分を支払う。
職人の店を出ると、短くなってきた夕日は早や山向こうに沈みかけていた。
「急いで戻るとしようか」
そう言って小走りに急ぐ弥生。その前に人影が立ちはだかった。手ぬぐいで頬被りをしたやくざ風の男である。
「ちょっと待ちな」
「何じゃ、急いでいるのじゃが」
立ち止まった弥生は不機嫌そうに返す。
「その刀を置いていけば何処へでも行っていいぜ」
「何じゃと?」
「ちらっと見たが、町人が持つには過ぎた刀だ。悪い事は言わねえ、素直に言うことを聞いた方が身のためだぜ」
気が付くと、後にも一人、男が立っている。こちらも頬被りをしていた。てには棍棒を持っている。
「刀の追い剥ぎか? やれやれ、面倒な」
そう言って弥生は狐耳と尻尾を顕した。それを見た男達の目が丸くなる。
「な…化け物か?」
弥生はにやりと笑い、掌に青緑色の狐火を灯して、
「そうじゃ。お前達も運がなかったのう」
そう言って一歩踏み出す。
「…う…」
弥生の前にいた男は数歩下がった。そして、
「うわあああああああ!」
叫び声を上げて一目散に逃げ出してしまった。
「何じゃ、尻腰の無い。お前はどうじゃな?」
振り向いて、後ろの男を睨み付ける弥生。
「ふん、お化けが怖くて悪さが出来るか!」
その男はそう言って、手にした棍棒で殴りかかってきた。
「ほう、少しは度胸があるようじゃの。じゃがそれは無謀というものじゃ」
無茶苦茶に振り回される棍棒を、易々と弥生は躱していく。男はますますいきり立って棍棒を振り回すが、大振りになった分、余計に躱しやすくなっている。
「ふむ、お前にも何やら憑いておるのう」
そう呟いた弥生は、一瞬の隙を突いて男の額に掌を当て、
「破!」
妖力を流し込んで昏倒させた。
「…やはり何やら得体の知れぬ木気に冒されておるのう」
倒れた男の額に手を当て、探っていた弥生。
「まあ、こ奴がどうなろうと儂の知ったことではない」
そう言って立ち上がり、倒れた男を尻目に歩き出す弥生であった。が、数歩歩くと引き返してきて、
「…この先また邪魔されても面倒じゃしな」
そうぶつぶつ言いながら、金気による治療を片手間ながら施してから今度こそ立ち去る弥生であった。
明けて翌朝、直也達は宿で朝食を摂り、ゆっくりと出立。直也の腰には誂え直した道中差し。
一行は甲州街道を行く。道々、いろいろな店や道標があるので、翠は興味津々だ。飼われている犬や馬、牛にも気を引かれているらしく、行程がはかどらないが、それは気にしない。
どうせ今日は峠下の宿場までだ、と決めているから、直也も弥生ものんびりしたものであった。
ふと思いついて、街道脇にあったお寺に参詣することにした。
柏尾山という山号のお寺で、なかなかの古刹である。境内にある石碑、石仏、そして本堂内の扁額など、翠は興味深げに目を凝らしていた。
ふと、翠の足が止まった。
「翠?」
それは八大龍王の像の前であった。
龍神の化身である翠は、何か感じるものがあるらしく、小半刻もそこから動かなかった。直也と弥生はそんな翠を少し離れて見守っていた。
やがて、参詣の人が増え始め、境内が賑やかになると、翠はそこを離れ、直也達の所へやって来た。
「父さん、母さん、行こう」
それは今までよりもずっと大人びた声音であった。
緩い登り坂になり、峠下の集落へ向かう。翌日の峠越えに備えて、多くの旅人はここ駒飼の宿に泊まる。
直也達も、宿場のはずれの静かな宿屋に泊まることにした。
夏の終わり、日暮れも早くなってきた。暮れてゆく空を、直也は一人見つめていた。
「直也、良い風呂であったぞ。お主も入って来い」
弥生が声を掛ける。直也は、部屋で宿にあった落書帳を読みふけっていた翠と共に風呂へ行く。
泊まり客は直也達とあと一組、ちょうど空いていたのでこれ幸いと風呂に入る。翠の脇には金色の鱗があるので、あまり他人に見られたくないのだ。
「ああ、いい湯だ」
「やっぱり水浴びとは違いますよね、父さん」
風呂に浸かる直也と翠。
「父さん、背中を流しましょう」
「おっ、そうか、頼むよ」
手拭いで直也の背中を流す翠。次は直也が翠の背中を流してやる。もうどこから見ても仲むつまじい父と子であった。
夕食は山の幸。地竹の子、薇の煮付け、独活の酢味噌和え、岩魚の塩焼き。
「うむ、美味いのう」
「この宿にして良かったな」
「はい、おいしいです。母さん、おかわりですか?」
翠が弥生に御飯のおかわりをもそってやっている。直也は目を細めてそれを見ていた。
食事が終わり、一服した後は翠の勉強。今夜から、文字以外の勉強を開始すると言っていた直也は「荘子」の講義を始めた。
かつて里の家で読んだ憶えはある。それを思い出しながら、思い出せた部分を説明していく直也。
「万物すべて 道より生じて道に還りゆく しかあれば 天も地も人も悉く道のただ中にあるものにて 天と地の間に道にあらざる何ものもなし」
「天地は一指なり 万物は一馬なり 道は通じて一たり …内篇・斉物論」
「よくわからないです」
「はは、そうか。でもまずは憶えておけよ、いつか判る時が来るさ」
「はい」
そんな直也の父親ぶりを、今度は弥生が微かに微笑みながら見つめていた。
翌日、早立ちした直也一行は、昼前には笹子峠に着いていた。宿で用意して貰った握り飯を食べる。峠には心地よい風が吹き、登りでかいた汗が引っ込んでいく。
「さあ、あとは笹子宿へ向かって下るだけだ。足を捻らないように気をつけるんだぞ」
「はい、父さん」
「直也、少し急いだ方が良さそうじゃな。風が湿り気を帯びてきた。夕立が来るやも知れん」
「ん、そうか、それじゃ急ごう」
一行は早足で峠を下り始めた。しかし、弥生の予想は当たる。半ばまで下ってきた頃、空は黒雲に覆われ、遠雷の音が聞こえ始めた。もはや降り出すまでに時間がないのは明らかだ。
「まずいな、どこか雨宿りできるところを探さないと」
一緒に下ってきた旅人達数名も大急ぎで走っていく。
「確か、『矢立の杉』とかいう木があったと思うが」
弥生が言う。
「その木には洞があって、雨宿りできると思う」
探す。程なくそれは見つかった。先客が一人いたが、なんとか直也一行も洞の中に潜り込むことが出来た。
それから間もなく雨が落ちてきた。
「すごい降りになりましたね」
先客である、初老の男に直也が話しかける。
「そうですな、稲が倒れなければいいが」
「え?」
「稲が稔りの季節を迎えているのですよ、このあたりでは。じゃから今稲が倒れたら収穫できなくなってしまいます。それはなんとしても避けたいものですじゃ」
「あなたは?」
「これは申し遅れました。私はこの下の村で名主を務めております五平と申しますじゃ」
「あ、直也と言います。こっちは弥生、これが翠」
「おじさん、雨は振らない方がいいの?」
「坊や、翠君か、そうじゃね、時と場合によるんじゃよ、田植えの頃は水が欲しい、そして稔りの頃は陽射しが欲しい、人間の勝手かも知れんが、喰っていく為じゃからね」
「ふうん…」
外で稲光が光った。次いでものすごい轟音。近くに雷が落ちたらしい。
翠は耳を澄まし、遠い目をして何やら考え込むようであった。
「もうすぐ二百十日ですからな、これからは嵐が来ることが多くなりますで、心配の種は尽きませんのですよ」
「外つ国からやってくる悪龍を防がなければならないというわけだね」
突然翠が言い出した。
「え? 悪龍?」
「そう。秋になると、南の海を越えて、悪龍がやってきて悪さをして北へ去っていくでしょう?」
「ああ、そうじゃね、あれは悪龍の仕業かね」
「うん。水不足の夏に雨をもたらす龍神もいれば、おじさんが言うように悪さの限りを尽くす悪龍もいるんだ」
「なるほどなあ。坊やは物知りだね。…どうです、今夜は我が家へお泊まりなさらんか」
最後の言葉は直也に向かって言った言葉である。直也一行に興味を持ったらしい。
洞の外は土砂降りである。が、西の空が幾分明るくなってきている。
「坊や、いや翠君、この辺の雲の中にも龍神様がいるのかね」
翠はそれに答えて、
「いや、いません。…かろうじて小さな蛟がいたようですが、もう通り過ぎて行きました」
「へえ、そんなことまで判るのかね。大したもんだ」
外では雨の音が小さくなり始め、雨脚が弱まったことがわかる。それから程なく、雨が上がった。
四人は洞から這い出し、空を眺める。すっかり黒雲は無くなり、青空がのぞいていた。
「晴れましたな。それでは行くとしましょうか」
それで、五平に誘われるまま、直也達は下の村へと下っていく。
谷間にある村にはもう日の光は届かず、他より少し早い夕闇が迫って来ていた。
実際は次回と併せて一つの話なのですが長いので分割します。




