巻の十四 森で出会ったもの
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巻の十四 森で出会ったもの
風も通らないほどに繁った森の中をたどる細い道を歩く人影があった。直也と弥生、そして龍の子である翠である。
「暑いな」
「まだ残暑が抜けきらぬな。しかし暑いと言うことはこのあたりの作柄はまずまずじゃろう」
「飢饉にならないのはいいことだけど暑いのはかなわないな」
直也は三歳くらいの年格好にまで成長した翠を背におぶっており、余計暑そうである。
「ごめんなしゃい、父しゃん」
そんな直也の気持ちを知ったのか、翠が謝った。
「翠、そなたは悪くない。…見よ、お主が弱音を吐くから翠まで済まなそうにしているではないか」
弥生はそう言って直也を叱咤する。
「わかったよ。…翠、まだお前は小さいからこの道を歩くのは無理だ。だから俺がおぶっている。遠慮なんかしなくていいんだぞ」
「はい、父しゃん」
どこまでも素直な翠であった。
直也一行は佐久甲州街道にほぼ沿いながら、人に遇わないよう山沿いの道をたどっていた。大きな町はないが、時折集落が現れ、弥生が交渉して食料を薬草などと交換してもらったりしている。薬草はもちろん弥生が山で見つけたものだ。
「甲州に入れば川で砂金を探すことも出来るのじゃが」
弥生の正体である狐は金気。金を探すことは得意らしい。
「さて、この辺りで野宿といくか」
「俺は敷きものにする草を集めるかな」
そう言って直也は道中差しで周辺の草を刈り集める。もう何度も繰り返し行っており、慣れたものだ。たちまち柔らかい寝床が出来上がった。
その間、弥生は土から土鍋を作り出し、交換した粟を煮て粟粥を作っていた。味付けは塩である。
「ほれ、翠、熱いから気をつけて食べるのじゃぞ」
「はい、母しゃん」
翠は直也と弥生を父母としてすっかり懐いていた。
残暑の季節とはいえ山の中、夜は冷える。直也と弥生は自然、翠を両側から包み込むように寄り添って眠っていた。
いや、弥生だけはまだ目を覚ましていた。
「今夜は何事も無さそうじゃな…」
龍の子である翠は、いろいろな妖、特に木気の妖から狙われやすい。これまでにも何度となく弥生はそんな妖を撃退していた。
「じゃが、苦労とは思わぬな…やはり儂も翠が可愛いと見える」
そう独りごちて弥生も目を閉じた。
その夜は何事も無く明けた。
翠は五日くらいすると急に成長するらしく、起きてみたら六歳くらいの少年になっていた。
「そろそろ自分で歩けるかな」
「はい、歩きます!」
元気に答える翠。
「そうか、よしよし、疲れたらおぶってやるからな」
直也もにこにこしながらそう声を掛ける。
朝食を済ませ、歩き出す。翠の足に合わせてゆっくりとである。初めは歩きづらそうだった翠であるが、次第にしっかりした足取りとなってきた。さすがは龍の子である。
昼頃、怪異な姿を見せる岩山が目に入った。
「あれが瑞牆山であろう」
草木の生えぬ岩峰を天に突き立てたその姿は遠くからでもよく目立つ。
「あの麓を行く峠道があると聞いたが…」
目指すは信州峠、それを越えれば甲斐の国である。が、あたりは夏草に一面覆われ、どこが道だか、弥生にさえよくわからない。
「とにかく誰かに聞けるといいのじゃが」
山の中、そう都合良く誰かが通りかかるはずもない。
「まずは甲斐の国がある南へと進んでみるか」
弥生は独特の土地勘を以て、歩きやすい所を選びながらも方角を違えることなく進んでいった。
昼近く、翠に疲れの色が見えたので大きな木の下で休憩する。
「翠、疲れたろう、大丈夫か?」
「はい、大丈夫です! まだまだ歩けます!」
返事は元気がいいが、やはり疲れたのだろう、息が少し荒い。
「無理するな、慌てる必要はないんだからな」
「はい」
その時である。
「直也、気をつけよ。何か嫌な気配がする」
「え?」
「翠を背負っておけ。…翠、直也の背におぶさるのじゃ。よいな?」
「はい、母さん」
素直に背負われる翠。弥生は狐耳を顕し、気配を探る。不意に背後の茂みが音を立てた。
「そこか!」
牽制の赤い狐火、火気の狐火を放つ。茂みから現れた影はそれを弾き返した。
「直也、避けよ!」
巨大な影は弥生をかすめ、直也へと向かっていた。なんとかそれをかわす直也。影は背後の大木に衝突した。大木が軋み、葉が飛び散った。
影の正体は巨大な猪である。体長一丈あまり(約3m)、体毛は黒い針のよう、背中には苔や草が生えている。
「この辺りの森の主か? 主なら話を聞かぬか!」
だが大猪は荒い鼻息をあげるだけ、言葉は通じそうもない。
「うむう…錯乱しておるのか?」
大木に激突した衝撃から立ち直った大猪は再度直也に狙いを定める。いや、実際の狙いは直也の背の翠であろうが。
「直也! そこの木に登れ!」
弥生が指示する。直也は翠を背負ったまま、急いで木に登ろうとするが、大猪は既に走り出していた。
「邪魔はさせぬ、土壁!」
土気の術で土壁を作り出す弥生。だが大猪はそれをあっさりと突き破ってしまった。それでも直也が木に登るための時間稼ぎにはなったようで、間一髪大猪の牙が届かない高さまで登ることが出来ていた。
「直也! 大丈夫か!?」
「ああ、なんとか間に合った。弥生、気をつけろ!」
直也達が安全圏に達した事を知り安心した弥生は大猪に向き直った。大猪は直也の登っている木に体当たりを繰り返している。先ほどの大木よりは細いその木ではそのうち折れてしまうだろう。そこで弥生は急ぎ猪を惹きつけることにした。
「お前の相手はこっちじゃ!」
白い狐火を投げ付ける。流石にこれは効果があり、大猪の背が少し焦げた。
背を焼かれたことに怒った大猪は弥生に狙いを変える。先に弥生を倒さねば龍の子が手に入らないと悟ったようだ。
「ふん、そうじゃ、かかって来い!」
挑発する弥生。大猪は鼻息も荒く、土を蹴立てて弥生目指し疾駆する。その牙が弥生に触れる一瞬前、弥生は地を蹴った。背後には大岩。大猪は岩に突っ込んだ。
だが、大猪は大岩を微塵に砕いてしまったのである。
「なんという化け物じゃ…」
呆れる弥生。怒る大猪は再度向きを変え、弥生を目掛けて駆けてくる。
「土よ! 拘束せよ!」
土気の術。大猪の足元に穴が開き、そこに脚を突っ込んだ瞬間に穴が閉じる。四肢を大地に絡め取られる大猪。
「さて、何故錯乱しておるのか」
ゆっくりと大猪に近づく弥生。そこに直也から声が飛んだ。
「弥生! 危ない!」
大猪の後ろにいた直也には、脚を捕らえている地面にひびが入っているのが見えたのである。
「くっ!」
大地の拘束を破った大猪は三度弥生目掛けて突進。紙一重でかわす弥生。
「やっかいじゃのう…」
そう呟いた弥生は、足を止め、大猪の正面に立つ。
「来い」
駆け寄る大猪。弥生が跳ね飛ばされたかとも思える程にぎりぎりで弥生が跳ぶ。そして大猪の背に飛び乗った。
突然目の前から弥生が消えたので慌てる大猪。走りながら首を左右に振り、弥生を捜すが、見つかるはずもない。
「硬そうな毛皮じゃのう」
そう呟き、掌を大猪の短い首筋に当てる。そして、
「破!」
妖力を一気に流し込んだ。
* * *
前脚後脚全てを藤蔓で縛り上げられた大猪が転がっている。流石に直接浴びせられた弥生の妖力にはまいったようだ。
「弥生、どうするんだ、こいつ?」
腕組みをした直也が尋ねる。
「うむ、こやつほどの大猪、おそらくはこの辺りの主と見た。本来猪は草食中心で、肉食と言っても沢蟹や蚯蚓程度しか食べぬはず。それが襲ってくるというのは異常じゃ」
「じゃあ、弥生は何か理由があると?」
「そうじゃ。妖としての言葉も通じぬ所を見ると、何者か、あるいは何物かに操られている可能性が高いと見た」
「それを何とか出来そうなのか?」
「やってみるくらいの価値はありそうじゃな」
そう答えて弥生は大猪の横に腰を下ろし、目を閉じた。
「しばらく話しかけるでないぞ」
そう念を押した弥生は意識を切り離し、大猪の意識の中へともぐり込ませる。わずかに抵抗があったが、それを破るとあっさりと入り込むことが出来た。
そこは薄暗く、嫌な雰囲気が漂っていた。
「この暗さはやはり何かの影響を受けておるな…」
黒い霧のような悪想念は、いつか翠をねらってやってきたものと同質である。
「金気で退散させられれば良いが、まさかにここで狐火を焚くわけにもいかぬしな」
少し考えた弥生は、
「やはりこれしかないか…おん しゅきゃら しゅり そわか」
九曜星のうち、金曜星の真言。金曜星すなわち太白金星である。
金気の術としてはそれほど強力なものではないが、先日の小物蛇には効き目があった。
「…駄目か」
が、やはり大物妖怪を操る程のものにはさほどの効果が無い。
「ならば…」
弥生は食指と中指とで指刀を作り、宙に八卦を切りながら、
「西なるは太白。すなわち兌。六三、来たりて兌ぶも凶。九四、商りて兌ぶも、未だ寧からず。介疾は喜び有り。金気はすなわち木気を剋すべし。急急如律令」
そしてぱあん、と一つ掌を打ち合わせた。
たちまちあたりは金気すなわち白色の光に覆われ、黒い霧は文字通り霧散したのである。
そして弥生は意識を自分の体へと戻した。
* * *
「かたじけなし、妖狐殿」
「なに、正気に戻られて良かったわい。して、貴殿ほどの妖を操らんとせしは如何なる相手か?」
弥生のおかげで正気に戻った大猪、いまやいましめの藤蔓も解かれ、直也達の前に四つ脚を折り曲げて座っている。
「それがわからぬ。いつの間にか心中が黒い闇に閉ざされ、気が付けば貴殿に助けられておった」
「ふむ…」
「だが、意識が閉ざされる刹那、蛇のような物が見えた気がする」
「やはり蛇か…」
「それもしかとはわからぬがな」
うむ、と難しい顔で弥生は腕を組み、考え込んだ。そんな弥生を現実に引き戻したのは翠。
「母しゃん、おなかすいた」
無邪気にそう継げる翠の顔に、弥生も相好を崩し、
「おお、そうか。そういえば昼がまだじゃったな」
そう言って考えを一時中断し、昼餉の準備にかかる。
「猪殿、貴殿も召し上がるか? 大した量でもないが」
土鍋を準備しながら弥生が尋ねると、
「いや、我はこの図体ゆえ、遠慮しておこう。それよりも、この後どうされるつもりか」
その問いに、土鍋で粟を煮ながら弥生は、
「甲斐の国へ向かうつもりじゃ。出来れば金峰山へ行きたいと思うておる」
「なるほど、金気の強い貴殿のこと、なにがしかの益はあろうな。それならば助けられた礼代わり、峠までそれがしが送って行こうではないか」
土地の主である大猪の案内ならば願ったりかなったり、弥生は即座にそれを受け入れた。
* * *
「それでは、ここで失礼致す」
「助かった、感謝する」
昼食後、大猪は直也達三人を背に乗せると、道無き山の中を風のように踏破して、一刻(約二時間)足らずで信州峠まで一行を送り届けてくれたのである。
「お達者で」
そう告げて大猪はまた風のように去っていった。
夕日に照らされた信州峠、そこからは眼下に甲斐の国の山々が見下ろせる。
「さて、今宵はどこで寝るとしようかの」
「たまには宿に泊まりたいけどな」
そう直也が言うと、
「ふふ、金策が出来るまでもう少し待っておれ」
そう言って弥生が歩き出し、直也と翠もそれに続く。
長い影が山道に伸び、三人は暮れゆく山道を甲斐の国目指して歩いて行くのであった。
弥生が使った術は易教の言葉です。兌は八卦では沢、西です。六十四卦では58番目が兌。あまり深い意味はありません。ただ金気に関連して称えさせただけです。「西遊記」にも易の言葉と道教の呪が混在したりしていますしね。
それでは、次回も読んでいただけたら幸いです。




