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巻の十二    夕立の落とし物

 新展開です

巻の十二   夕立の落とし物

 

 野沢を発った直也と弥生は、信州中野、小布施、そして鳥井峠を越えて上州へと戻り、今は浅間山を右手に眺めながら信州へと足を踏み入れたところである。

 黒雲が立ちこめ、今にも雨が降りそうな空模様だ。雷の音も遠くで鳴っている。ここは野原の真ん中。雨宿りできそうな木すら生えていない。

「やばいな、降ってくるな…」

 直也が呟く。

「うむ」

 弥生がそれに頷く。

「これは間違いなく…」

 直也がそう言いかけた途端、大粒の雨が降ってきた。

「うひゃーっ」

 篠つく様な雨とはこの事だろう。笠も蓑も道中合羽もあまり役に立たない。直也は走り出した。

 少し先に、小山の様に大きな岩が見えた。とりあえず、かなり雨を凌ぐことは出来そうだ。直也は岩の出っ張りを見つけ、その下に駆け込んだ。

 弥生が後からゆっくり歩いてくる。何故か弥生は笠も合羽も着ていないのに、雨に濡れていない。術を使って雨を除けているかの様だ。実際、そうなのだろう。

「そう急ぐな。昼飯を食ったばかりじゃろうが。横腹痛くなっても知らぬぞ」

 のんびりしたものである。

「お前はいいけどな、俺は濡れるの嫌なんだよ。夏とはいえ風邪引きたくないからな」

 益々雨は激しくなる。黒い雲がものすごい速さで流れ、渦を巻き、時々稲光が光る。それを見ていた弥生が、突然雨の中へ踏み出した。いつのまにか狐耳と尻尾が出ている。

「や、弥生?」

 弥生は答えず、地面に何か印を付けている。そうしながら何か呟いてもいる様だ。

 気が付くと、先程とはうってかわって、びしょ濡れである。ふさふさだった尻尾も、水を吸って重そうだ。岩を一周してくると、直也の横へ戻ってきた。

「弥生、風邪引くぞ。ほら、これで拭け」

 直也が手拭いを渡す。しかし弥生はそれを断ると、身体を一振り。湯気が立ちのぼり、あっという間に濡れていた着物が乾いた。

「な…」

 直也が絶句する。

「驚いたか?…ふふ、お主にちょっと教えてやろうと思ってな」

「何を?」

「お主は四大と五行の相生・相剋は知っておるな?」

「ああ。地・水・火・風が四大、木・火・土・金・水の順に生み出されるのが相生、木・土・水・火・金の順に剋するのが相剋」

「そうじゃ。およそこの世の理は五行と四大で説明される。

 儂すなわち狐をはじめ、毛虫けちゅうは金気、さらに狐は土性じゃからして、どちらにせよ金生水と土剋水、水に打ち勝つ性質を備えておるのじゃ。加えて土生金、金を呼ぶとして、敬われたりしておる」

「へえ。お稲荷様を祭ったりするのはそういうわけか」

「うむ。正確には稲荷神は狐ではなく、荼枳尼天だきにてんであったり宇迦之御魂神うかのみたまのかみだったりする。狐はそのお使いというわけじゃな」

「そうか、神様に取り次いでくれる役というわけだな」

「そう言う事じゃな。…話を戻すと、相生相剋の理を使った術というのは楽に使えるし、より効果が大きい。水気を操って蒸発させるのは楽なもんじゃよ」

「なるほど、そうやって乾かしたわけか。それで、さっきは何をしてきたんだ?」

「雷よけの結界を張ってきた。しかしこの雨では急ごしらえの呪は直に消えてしまいそうじゃな」

「なるほど、雷というのは木気だったよな、木剋土、弥生は雷が苦手なわけか…いや狐は金気、なら金剋木? あれ?」

「雷のように強い木気は、やっかいではあるな。…ん?」

 異様な気配に話を打ち切ると、弥生は耳をそばだて、目を天に向けた。相変わらず雲は渦巻き、電光がひらめいている。雨も風も止む気配がないどころか、更に強くなってきている。

「いかん」

 弥生が呟き、直也を引き連れ、岩の下から飛び出した。たちまち全身がずぶ濡れになる。

「お、おい、弥生…?」

「説明している暇はない! 急げ! この岩から離れるのじゃ!」

 弥生が叫んだその時。二人の背後、岩に雷が落ち、轟音と共にあたりが真っ白に輝く。 直也は気が遠くなった。


 直也が目を開けた時、空にはもう一点の雲も無く、晴れ渡っていた。

「うう…」

 頭を振ってみる。手を、足を動かしてみる。雨でずぶ濡れな事以外、どこも怪我はしていない様だ。ゆっくりと起きあがる。身体が重い。よく見ると、直也を庇うようにして弥生が気を失っていた。

「弥生…」

 そっと弥生を仰向けに寝かせる。どこにも怪我はない様だ。弥生一人ならどうとでもなったろうに、直也をかばったが故に気絶したらしい。

 ふと顔を上げると、さっき二人が雨宿りしていた岩がみごとに吹き飛んでいた。

 あらためて落雷のすごさを思い知った直也。もしあの下にいたら、今頃はどうなっていたことか。

 弥生はなんとか助かることも出来ようが、ただの人間である直也はひとたまりもなかったはずだ。

「また弥生に助けられたな」

 そう言って立ち上がり、散らばった荷物を拾い集める。笠が一番遠くへ飛ばされていた。

 それを拾い上げるために屈んだ時、懐に何かが入っているのを感じた。

「ん?」

 取り出して見ると、鶏の卵ほどの大きさの丸い珠であった。透き通る様な翡翠色をしている。しかし翡翠ほどの重さはなく、むしろ軽かった。

「何だろう、これ…」

 後で弥生に聞いてみよう、と直也は懐にしまった。

 弥生の側に戻る。もう弥生は気が付いており、身体も乾いていた。

「直也、無事か? あの雷はただの雷ではなかったからの」

「ただの雷ではないって?」

「そうじゃ。…龍そのものとも思われるほどのものすごい木気を感じたのであの岩から逃げたのじゃ。間一髪じゃったのう」

「ああ、…助かったよ、弥生。あの下にいたら今頃…へぶしっ!」

「…いかん、風邪を引いたか?」

「ずぶ濡れだったからな…ひっくしっ!」

「まずいのう。…いそいで次の宿場で宿を取るか」

 そして二人は宿場目指して急いだ。しかしやはり直也は体調を崩したらしく、足取りが目に見えて遅くなる。

「うう…寒気がする…」

 傍目にも辛そうな様子が見て取れる。

 直也を道脇の草の上に寝かせる。その先にあった道標を確かめ、弥生はため息をついた。

「いかんな…まだ三里もあるのか。直也が参ってしまうのう…誰も見ていないじゃろうな…よし、背に腹は代えられん」

 まだ日は高いが、直也を宿場まで運ぶため弥生は術を使おうと決めた。

 この場合、簡単な「式神」を造り、運ばせるのが適当と判断、弥生は土を捏ね、人型を作ると、妖力を込めた。

「起きよ」

 人型が起きあがり、見る見る大きくなり…六尺はある人間に似た姿になった。

 弥生の使役する土性の式神、「泥鬼」。

 それに直也の着物の替えを着せ、笠を被せる。なんとか遠目には怪しまれなさそうな格好になった。

「これでよし、泥鬼、直也を運べ」

 泥鬼が屈んで直也を持ち上げようとする…その時、泥鬼は崩れ去り、土塊に戻った。

「な…? いったいどうしたというのじゃ? 何故泥鬼が?」

 再度泥鬼を造り、直也を運ばせようとしたが、結果は同じであった。直也に触れた途端、泥鬼は崩れ去ってしまう。

「うむ…直也に何か呪術がかかっておるのか?」

 弥生は、横たわった直也を見つめる。瞳が、人間のそれではなく、瞳孔が縦に避けた狐のそれになっていた。

「呪術ではないようじゃが、何やら懐に入っておる…正体不明の物じゃ…」

 それを取り出そうと直也の懐に手を差し伸べ、

 …弾かれた。

 直也に触れることは出来るのだが、その正体不明の物を取り出すことは出来ない。

「困ったのう…」

 既に直也は高熱を発しており、意識不明になっていた。

「直也、しっかりしてくれ、直也!」

 弥生は直也の名を呼ぶしか術がなかった。

 と、そこへ、

「どうしなさった?」

 声を掛けた者がいた。それは背負子を背負った木樵姿の老人。

「病気かね? こりゃひどい熱だ、もしよかったらうちにお泊まんなせぇ」

「…済まぬ。恩に着る」

 木樵が直也を背負ってくれた。背負子を空にして直也を括り付け、軽々と立ち上がる。年は取っても、長年山で鍛えた足腰は確かだ。そのまま弥生を先導して脇道を歩いてゆく。

「ほれ、あれだ」

 指さした先には、小さな小屋があった。しかも小屋前には樋で水が引いてあるし、小さいながら畑もある。暮らしやすい様に、隅々まで工夫した住まいである。

「おら一人じゃで、気兼ねなくへえってくんろ」

 そう言って小屋の戸を開けて中に入り、狭い土間で直也を下ろした。

「ろくな布団もねえが、こうすりゃあったかかろ」

 山で獲ったのであろう、羚羊かもしかの毛皮を何枚も敷き、直也を寝かせる。上には着物を被せ、その上から毛皮を被せた。

 直也は既に意識が無く、寒いのか、がたがた震えている。額に触ると火の様に熱いのだが、身体は氷の様に冷えている。

「どうしよう…」

 途方に暮れる弥生。妖狐には他人を癒す術は無い。無性に自分の無力が腹立たしかった。

 水を含ませた手拭いを額に乗せ、温まったらまた冷たい水を含ませる、それを繰り返すしかない。

 老人はいろりに薪をくべて、部屋を暖めてくれた。健康な人間なら汗ばむくらいの温度である。それでも直也は震えている。

「こりゃあ身体の中からあっためねぇと駄目かも知れんねえ」

 そう老人は言って、鍋に湯を沸かし始めた。

 沸かした湯に葛の根から取った澱粉、すなわち葛粉を湯に溶きそれを湯飲みに入れて、少しずつ飲ませる。

 そんなことを根気よく続けていると、ようやく直也の震えが収まってきた。

「少し持ち直したようじゃね。娘さん、あんたも少し休まねえと、倒れっちまうよ?おらが火の番してっから、少し休みな」

「そうじゃな、お言葉に甘えて…」

 もう夜更けであった。昼間からの疲れが出、弥生も直也の隣に倒れ込む様にして眠りに落ちた。

 

*   *   *

 

 翌日も、直也の意識は戻らなかった。

 弥生は前の日と同じく、葛粉を湯に溶かして飲ませ続けた。その合間に、柴を集めてきてはいろりにくべた。いつまでも老人の好意に甘えてばかりはいられない。

 薪は山で暮らす者の必需品である。夏頃から蓄え、冬に使う。雪で閉ざされた冬、もし燃料が無くなったらそれは死を意味する。

 その薪を惜しげもなくいろりにくべ、直也を暖めてくれている老人には感謝だけでなく、形で示さねばならない。

「そんな、気ぃ使ってくれんでもいいのによぅ」

 老人はそう言ってくれているが、そういうわけにもいかない。受けた恩は返す、それが狐族の誇りでもある。弥生はせっせと柴を集めた。


 三日目。

 身体を温め、頭を冷やす、そんな事の繰り返し。しかし薄紙を剥がす様に、少しずつ容態は良くなってきている。


 四日目。

 額を冷やす手拭いを取り替えた、その時。直也の意識が戻った。

「や…よ…い…?」

「直也!気が付いたか! どうじゃ、気分は? 寒くないか?」

 喜びに顔を輝かせ、直也をのぞき込む弥生。

「ここ…は?」

「親切な木樵の家じゃ。お主は四日間意識が無かったんじゃぞ。もう、心配かけるでない…。何か食べるか?」

 頷く直也。弥生は、老人が用意してくれた雑炊を少し椀に取り、直也に差し出す。直也は自力で床の上に起きあがり、少し雑炊をすすった。

「あまり食べ過ぎるな、またしばらくしてから食べるがよい」

 そう言って直也を横たえる。まだ少し身体は冷たい様だが、もう峠は越えた様で、意識を無くすことはなかった。

 老人が帰ってきた。直也の意識が戻っているのを見ると、

「お、気が付いたかね、よかったよかった」

「あらためて礼を言う。おかげで直也が助かった」

「なーに、困った時はお互い様さね」

 老人はそう言って、背中に背負った荷を下ろした。

「仲間から猪肉を少し分けてもらった。これを食えば精力が付くでな」


 五日目。

 普通の食事が咽を通る様になった。

 弥生は前にも増して、柴集めに精を出した。加えて、今の時期の山菜、山独活うどや遅い蕨を見つけるとそれも採ってきた。一緒に山で働いていた老人は感心して、

「おまえ様は働きもんだねぇ、ご亭主は幸せもんだ」

「べ…べつに儂は直也の妻ではない!」

 珍しく慌てる弥生。まさかそんな言葉を聞かされるとは思っていなかった様だ。顔が赤い。

「おや、そうかね。…じゃあ姉さんかね」

「…ま、まあ、そんなところだ」

「そうかね、おまえ様を嫁さんにする男衆は幸せもんだなぁ。おらがあと三十若かったら嫁っこになってもらうのによぉ」

「……」

 さすがの弥生も返事に窮したのであった。


 六日目。

 ようやく平熱になり、床を離れることが出来る様になった。そこで弥生は、これ以上世話になるのも心苦しいので出発しようとしたのだが、

「もう一日、お泊まりなせぇ。そうすりゃ直也さの体力も戻るし、明日も天気は間違いないでなぁ」

 そう言ってくれるので断りづらく、もう一晩泊まることになった。

 その晩。

「なあ弥生、これ、なんだと思う?」

 そう言って直也は懐から翡翠色の珠を取り出した。弥生が取り出そうと思っても取り出せなかったあの珠だ。

 弥生が受け取ろうとしたその手が弾かれた。

「何じゃ?」

 何度試しても、弥生には珠に触れることが出来ない。

 老人が、

「どれどれ、おらにも見せてくんねぇ」

 と言って手を差し出し、…その手に掴むことが出来た。

「何故じゃ…何故儂には触ることさえ出来ぬのじゃ…」

 悩む弥生。おそらく、泥鬼が崩れてしまったのも、この珠の所為ではないかと推測される。

 弥生が考え込んでいた、その時。

「これは…龍の卵だ」

 老人が言った。

「龍の卵!?」

 弥生と直也が同時に叫んだ。

「んだ。間違いねえ。あんた、これをどこで見つけなすったね?」

「…あの大雨が降った日、雷が俺たちの雨宿りしていた岩に落ちて、その後、雨が止んだ時に見つけたんだっけ」

「六日前じゃね。あの日、龍神と悪龍が雲の中で戦っておった。悪龍は退治されたんじゃが、龍神もひどく傷ついて、一旦卵に戻ってやり直そうとなさったんじゃねぇ」

「…何故そんなことがわかる?」

 弥生が殺気を漲らせた。妖狐である自分も知らないことを事も無げに口にする老人が、急に不気味に見えたのだ。

「人間長くやってっと、いろんなことを覚えるもんさね」

 そんな言葉で納得する弥生ではない。妖狐である自分は、人間より遙かに長い時間を生きてきた。その自分が知らなかった事を知っている老人、どうにもわからない。

 そんな弥生の刺す様な視線を気にする風でも無く、老人は続ける。

「龍の卵は自然に置いておけば、天地の気を吸って、一年で孵化ふかする。そして生き物が温めれば、七日で孵化すると言われているから、明日には孵化するじゃろうな」

 そう言って、直也に珠を返した。

「もうすっかりあったまってるから、体温を奪われることも無かろうて。あんたの病はこれに体温を奪われたからだったんじゃね。助かったのは運が良かった…いや、そうじゃないな、この弥生さんの献身的な看護があったからじゃな」

 弥生は、その看護の間、老人が良くしてくれたことを思いだし、殺気を消した。そして、

「直也、そんなもの、捨ててしまえ」

 とだけ言った。しかし直也は、

「あんな辛い思いをしてここまで温めたんだ、最後まで面倒見るさ。それに、龍の子供って見てみたいしな」

「……」

 弥生はため息をついて、

「直也、お主は…どこまで行っても直也じゃのう」

 とあきらめた様に言った。

「さあ、そうとなったら、夕飯にすっぺぇ」

 老人はそう言って、もう煮えている鍋の実を椀に取り分けた。

「しっかり食べて、明日に備えなせぇよ」

「はい」

 素直に頷き、黙々と食べる直也。

(まったく…直也めときたら…相変わらず太平楽なんじゃから…儂がどれだけ心配したか…)

 ぶつぶつ言いながら、おかわりまでするあたり、弥生もどこまでいっても弥生だ、と直也は思った。


 夜中。

 何かの気配を感じて弥生は目を覚ました。例えようのないくらい邪悪な感じがする。

「これは…」

 嫌な予感がして、起き上がる。山賊との死闘以後携えている直也の道中差しを持ち、外に出た。

 月の無い、真っ暗闇。風も無く、ねっとりとした空気が漂っている。

 その時、闇の中に、更に「黒い」「何か」が姿を現した。いや、現したというのは正しくない。その「何か」は決して目では見えないほど暗いものだったから。

「何やつじゃ」

 答えはない。ただ、「悪意」が近付いてくる。

「直也に用があるのか?それとも儂にか?…まさか…龍の卵に?」

 その「何か」が突然飛びかかってきた。弥生は咄嗟に飛び退き、かわす。 

「木気の塊の様じゃな…」

 弥生は冷静に分析している。

「何か」はそのまま小屋に入ろうとしている。

「させぬ!」

 弥生が道中差しを抜き放ち、斬りつけた。

 金剋木、形のない「何か」が切り裂かれた。弥生の力あればこそであろうが、金気が木気を剋した。

 その「何か」は向きを変え、弥生に向かってきた。どうやら弥生を倒さねば小屋内に入れない事を悟ったらしい。

「狙いが何であろうと、小屋には直也がいる。手出しはさせぬ」

 その「何か」と弥生は互いを探るように向かい合った。

(実体の無い、悪想念の塊のような奴じゃ)

「下がれ。今の儂は手加減してやるほど甘くはないぞ」

 弥生の最終勧告にも耳を貸さず、そもそも耳があるのか無いのか。その「何か」が襲いかかってきた。それをかわす弥生。

「そうか、ならば…滅びよ!」

 言うが早いか、弥生は道中差しに金気を込め、

「せいっ!」

 一閃。金気の塊のような剣圧が飛び、「何か」に吸い込まれ、それを切り裂いた。

 声にならぬ声が悲鳴となって響き渡る。

 更に弥生は赤い狐火…「火気」であり、「木生火」すなわち木気を燃やす狐火を大量に放った。

「何か」に狐火が吸い込まれていく。

「何か」は火によって徐々に蝕まれていく。更に弥生は、頭上に「白い」狐火…「金気」の狐火を作り出す。

 その一抱えもある「白い」狐火を「何か」に向かって放った。

「何か」は声なき断末魔の叫びを上げ、消滅した。

「…終わったか…」

(木気の化け物か…おそらく龍の卵を狙って来たものじゃろうな)

 弥生は道中差しを鞘に収め、もう何の気配も無い事を確かめると、小屋に戻った。

 直也は何も知らずに眠っている。弥生はその隣に横たわり、やがて眠りに落ちた。

 

 翌朝。

 弥生が目覚めると老人の姿はなく、いろりには火が入り、雑炊の入った鍋が掛かっていた。

「?…もう仕事に行ったのか? これ、直也、起きよ」

「ん…弥生?」

「朝じゃ。龍の卵はどうなった?」

 直也が懐から龍の卵を取り出す。それは昨日までの翡翠色ではなく、金色に光っていた。

 そして見ているうちに、表面にひびが入り、ぱらぱらと殻が剥がれ落ちて、中から…

 二寸ほどの金色の蛇が姿を現した。

 その蛇は、直也の顔を見ると、ぱちぱちっとまばたきをしたので、弥生は驚いた。

(まばたきをする蛇か…人間の目をしておる…なるほど、ただの蛇ではなく、龍の子供だというのがわかるのう…)

 金色の蛇、いや龍の子供の目は、殻の色と同じ、翡翠色に澄んでいた。

「…かわいいな」

  直也が呟いた。

「…どうするつもりじゃ?」

「…どうするって…飼ってみたいな」

  直也がとんでもないことを言い出した。古今、龍を飼った人間がいただろうか。

「いや、飼うっていうか、この龍がもう少し大きくなるまで世話をするっていうか」

 龍の子供はその言葉がわかったのか、直也の掌でとぐろを巻き、頷いている…様に見える。

「ほら、こいつも嫌がっているようじゃないし。…そうしたら名前付けてやろうか。

 …『みどり』ていうのはどうかな。卵も、こいつの目もきれいな翡翠色してるし」

「…好きにせい…」

 弥生は鍋から勝手に雑炊を椀によそって食べ始めた。直也も、翠を膝の上に置くと、雑炊をよそう。

「食べるかな?」

 ちょっぴり掌に乗せて、翠の前に差し出したら、旨そうに翠は全部平らげたではないか。

「何でも食べるみたいだな、これなら旅に連れて行っても大丈夫そうだ、な、弥生?」

「そうじゃな。…翠の面倒は直也が全部見るんじゃぞ?…どうも儂は嫌われているようじゃからな」

 弥生には理由がわかっていた。鱗虫りんちゅうである龍は木気。毛虫けちゅうである弥生は金気、それもものすごく強い。

 五行で言えば金剋木、金気の弥生が嫌われるのは当然なのだ。

 人間である直也は土気ではあり、木剋土、龍にとって相性が良いから、直也は何事もなく翠のそばにいられるのだ。

 それに。

(これで直也が少しでもしずの事を忘れられるのなら…)

 弥生なりに考えて出した結論なのであった。

 

 食べ終わり、しばらく待っても老人が帰ってこないので、二人は旅立つことにした。礼を言えないのは心苦しかったが、致し方ない。

 翠は柳行李やなぎごうりに入れ、それを更に直也の袂に入れて運ぶことにした。

 心付けの金を置いて、小屋から一歩踏みだし、戸を閉めようとして、気が付く。

 今まで小屋だと思っていたのは小屋ではなく、土地神の祠であった。

「あの老人はこの土地の神が姿を変えていたのか…」

「その龍の子供を守る為じゃろうな」

「それじゃなおさら、翠が育つまで守ってやらなきゃな」

「翠…か。よい名じゃ。翠、青は東方の色じゃ。ものごとの初めの色でもあり、仁の色でもある。直也、しっかりやれよ」

「ああ。やってみるさ」

 そうして二人は、朝露の降りた山道を、街道に向かって歩き始めるのだった。

 龍の卵というのは完全オリジナルです。ただ、身体が傷ついたため、子供に戻ってやり直し、と言う設定はいくつかの作品で見られますよね。

 まあポピュラーなところでは「DB」の「セ●」が現代に来た時、卵だったこととかが思い浮かべられるでしょうが、自分が一番最初に読んだのは「超人●ック」なんです。不死に近い彼は、何度か傷ついた身体を癒すため赤ん坊や子供からやり直しています。自分だけでなく、時には他人をそのようにして癒したこともあります。あとはF●SのL●Dドラゴンとかかな?

 おそらくその辺の記憶があったため、傷ついた龍神が卵からやり直す設定に繋がったものと思われます。

 

それでは、是非次回作もお読み下さい。

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