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第4話 この魔王城は建築基準法違反です



「見よ、愚かなる人間どもよ! 我が名は魔王ゼノン! 今ここに、絶望の象徴たる『魔王城』は顕現した! この脆弱な鉄とコンクリートの街を平らげ、我が新たなる帝国の礎としてくれよう!」


新宿、午後三時。

日本の大動脈たる巨大ターミナル駅の上空を、絶対的な闇が覆い尽くしていた。

分厚い暗雲が渦を巻き、血のように赤い稲妻が虚空を切り裂く。空間そのものがガラスのようにひび割れたかと思うと、そこから巨大な黒曜石で構成された浮遊大陸が姿を現した。


東京都庁を見下ろすほどの高度五百メートル。

滝のようにマグマを垂れ流し、無数のガーゴイルが空を舞うその禍々しい要塞は、先日いせあんが摘発した暗黒ギルド『黒の結社』が、莫大な資金と違法労働の魔力を注ぎ込んで建造した正真正銘の『魔王城』であった。


新宿の街はパニックに陥り、人々は悲鳴を上げて逃げ惑っている。

魔王ゼノンは浮遊城のバルコニーから下界を見下ろし、邪悪な高笑いを響かせた。

かつて勇者アーサーを苦しめた圧倒的な魔力。もはやこの世界に、我を止めることのできる武力など存在しない。この世界は今日、我が物となるのだ。


「フハハハハ! 泣き叫べ! 絶望に震えろ! 我が前にひれ伏すのだ!!」


『あー、あー、マイクテス、マイクテス。そこの空飛んでるトゲトゲの家の主、聞こえるかー』


ゼノンの高笑いを遮るように、下界から拡声器の間の抜けた声が響いてきた。

ゼノンが眉をひそめて下を見下ろすと、都庁の屋上に数人の人間が立っているのが見えた。

一人は、くたびれたベージュのトレンチコートを着た中年男。一人は、紺色のスーツを着た金髪の青年。

そしてその後ろには、『国税局査察部』や『国土交通省』と書かれた揃いの腕章やウインドブレーカーを身につけた、眼鏡をかけた真面目そうな男女が数十人、ずらりと並んでいた。


「な、なんだ貴様らは! 我が威光を恐れぬ愚か者どもめ!」


『警視庁異世界生活安全課の鮫島です。お兄さん、とりあえずその家、違法建築だから早く下ろして。危ないから』


「い、違法建築だと……!? 痴れ者が! これは暗黒の魔術の粋を集め、幾千の生贄の血肉を糧にして築き上げた、無敵の魔王城であるぞ!」


ゼノンが激怒してバルコニーの手すりを叩く。

しかし、鮫島は全く動じることなく、手元のバインダーの書類をペラペラとめくった。


『いや、だからさ。新宿区の上空にそんなデカいもん建てるための【建築確認申請】、区役所に出してないでしょ? 完全に建築基準法違反なのよ。それに、高度五百メートルで静止してるってことは、航空法にも引っかかる。羽田に向かう旅客機の進入ルートの邪魔になってんだよ。今すぐ退去しないと、自衛隊じゃなくて国土交通省がキレるよ』


「けんちく……こうくうほう……? 何を訳の分からぬことを!」


『それにさ。暗黒ギルドの顧問弁護士から全部吐かせたんだけど、この城の建築資材、全部ダミー会社経由で買ったやつだよね。脱税した資金で作った建造物ってことは、これ全部差し押さえの対象になるわけ』


鮫島が隣に立つ、銀縁眼鏡をかけた冷徹そうな女性にマイクを渡す。


『国税局査察部の鬼頭です。魔王ゼノン氏。あなたが代表を務める非公認組織による消費税および法人税の脱税額は、重加算税を含めておよそ三十五億円に上ります。また、この浮遊城を不動産と見なした場合、未申告の固定資産税も発生します。直ちに納税の義務を果たしていただきます』


「の、のうぜい……? 貴様ら、魔王に向かって税金を払えと言っているのか! この世界を征服する我に向かって!」


ゼノンはあまりの事態に混乱し、怒りで全身の魔力を暴走させた。

黒曜石の城が不気味な脈動を始め、ゼノンの両手に太陽のように巨大な暗黒のエネルギー球が形成されていく。


「ええい、黙れ黙れ! 我は魔王ぞ! 貴様らのような下等生物の定めた小賢しいルールなど、この絶対的な力の前には無意味だということを教えてやる! 消し飛べ、『究極殲滅魔法ギガ・ルイン』!!」


ゼノンが両手を振り下ろそうとした、まさにその瞬間。

鮫島の隣にいたカイルが、スッと前に出て、手元の電卓を猛烈な勢いで叩き始めた。


「魔王ゼノン! その魔法を放てば、新宿駅周辺の商業施設およびインフラ設備が完全に壊滅します! 被害総額はざっと見積もって数兆円! さらに数百万人の市民に対する損害賠償、および営業停止に伴う休業補償が加算されます!」


カイルの声が、拡声器を通して響き渡る。


「あなたのギルドの隠し口座は既に凍結済みであり、差し押さえた魔王城を競売にかけたとしても、到底支払える額ではありません! 破産宣告は免れず、あなたは一生涯、いえ、魔族の長い寿命の数万年をかけて、マグロ漁船かコンビニの深夜アルバイトで損害賠償を払い続けることになりますよ!!」


「な……さんちょうえん……? こんびに……?」


ゼノンの手に集まっていた究極魔法のエネルギーが、ピタッと止まった。

数万年の深夜アルバイト。

その具体的すぎる絶望のビジョンが、魔王の脳裏に生々しく浮かび上がったのだ。

勇者の聖剣で斬られるよりも恐ろしい、終わりの見えない『借金返済』という現実の恐怖。


「ま、待て……我は世界を征服しに来たのであって、べつに借金を背負いに来たわけでは……」


ゼノンの魔力が急速に萎んでいく。巨大なエネルギー球は、プシュゥゥゥと情けない音を立てて霧散してしまった。


『よし、抵抗の意志なしと見なす! カイル、突入だ! マルサの皆さんもお願いします!』


鮫島の号令とともに、都庁の屋上に待機していた警視庁のヘリコプターが飛び立ち、魔王城のバルコニーへと強行着陸した。

そこから雪崩れ込んできたのは、重武装の特殊部隊……ではなく、アタッシュケースを持った査察官たちの集団だった。


「はい、ここから先は証拠保全のため立ち入りを禁じます!」

「おい、そこの悪魔! その玉座からどけ! それは資産価値があるから差し押さえる!」

「この壁の装飾品の魔石、オークションに出せば高く売れそうだな。全部剥がせ!」


査察官たちは、恐怖の象徴であるはずの魔王城の中をズカズカと歩き回り、禍々しい玉座や、床に敷かれた地獄獣の毛皮、果ては壁の燭台に至るまで、手当たり次第に赤い『差押』と書かれた紙をベタベタと貼り付けていく。


「や、やめろ! それは我が代々受け継いできた呪いの武具! 触れると魂を吸われるぞ!」


ゼノンが悲鳴を上げるが、査察官たちは全く意に介さない。


「呪いだろうが何だろうが、換金できる動産はすべて差し押さえます。あ、この『絶望の魔剣』、装飾が見事なので美術品扱いでいけますね。タグ貼っといて」


「あああっ! 我が絶望の魔剣が、ただの美術品三十番に……!」


ものの数十分で、威厳に満ちていた魔王城は、そこら中を赤い差押シールで埋め尽くされた、ただの悲惨な競売物件へと成り下がってしまった。

魔力供給の要であった巨大なクリスタルにも無情な赤いシールが貼られ、機能を停止させられた魔王城は、ゆっくりと高度を下げ、新宿御苑の空きスペースに不時着した。


ドンッ、という鈍い音とともに、完全に地面に着陸させられた魔王城。

その正面玄関の前に、鮫島とカイルが立っていた。


ゼノンはもはや抵抗する気力もなく、力なく膝をつき、がっくりと項垂れている。

全身から放たれていた邪悪なオーラは微塵もなく、ただの借金を抱えた悲壮な中年の姿がそこにあった。


「……殺せ……。いっそ、ひと思いに勇者の剣で……我を滅ぼしてくれ……」


ゼノンが虚ろな目で呟く。

しかし、鮫島は咥えていたタバコを携帯灰皿にしまいながら、トレンチコートのポケットから一枚の紙切れを取り出して、ゼノンの目の前に突きつけた。


「殺すわけないでしょ。君にはこれから、生きてしっかり税金と賠償金を払ってもらわなきゃならないんだから。はい、これ」


「……なんだ、これは。降伏の誓約書か?」


「違うよ。マイナンバーカードの交付申請書。写真貼って出してね。あと、銀行口座の開設手続きも手伝ってやるから」


鮫島は、ポカンとしている魔王の肩をポンと叩いた。


「ここは異世界じゃない。日本国だ。伝説の勇者だろうが、暗黒の魔王だろうが、この国で生活するなら法律と税金からは逃げられないんだよ。さあ、大人しく署に来なさい。取り調べはカツ丼……じゃなくて、履歴書の書き方を教えながらやってやるから」


「りれきしょ……私が、働くのか……? この、魔王ゼノンが……?」


「当たり前だろ。幸い、君みたいに体力があって夜に強そうな人材は、深夜のコンビニや道路工事の警備員で引く手あまただからな。しっかり稼いで、社会に貢献してくれよ」


カイルも、かつては世界の敵であった魔王に向かって、にっこりと爽やかな笑顔を向けた。


「安心してください、ゼノン殿。日本の労働基準法は、魔族にも平等に適用されます。不当な残業や賃金未払いがあれば、私が必ず労働基準監督署に掛け合いますから!」


「……」


かつて世界を恐怖のどん底に陥れた魔王は、日本の冷酷で完璧な行政システムと、優しすぎる社会保障の前に、ポロポロと涙をこぼした。

それは絶望の涙か、それとも新たな人生への希望の涙か、誰にも分からない。


かくして、新宿上空を覆った未曾有の危機は、警視庁異世界生活安全課と国税局の合同捜査により、一人の死傷者も出すことなく、極めて事務的に処理されたのである。

空を覆っていた暗雲は晴れ渡り、夕暮れの陽光が、赤いシールだらけの魔王城を滑稽に照らし出していた。


「さて、カイル。とんでもない大捕物だったが、ゆっくり休んでる暇はないぞ」


鮫島が、パトカーに押し込まれていくゼノンの背中を見送りながら、大きく伸びをした。


「はい! 次の任務は何でしょうか、警部!」


「明日の朝イチで、多摩川の河川敷だ。近隣住民から『ドラゴンの鳴き声がうるさくて眠れない』って騒音トラブルの苦情が来てる。環境基準値オーバーで指導に行くぞ」


「了解です! 騒音規制法違反ですね。直ちに測定器の手配をします!」


伝説の剣も、禁忌の魔法も、彼らの前ではただの『ガイドライン違反』に過ぎない。


警視庁異世界生活安全課――通称『いせあん』の業務は、明日も終わらない。

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