06 神威限定解放
名前を告げた瞬間、彼女――蛍火との間に確かな繋がりを感じた。
マリオネットにも感じていた一体感。
それには及ばないが――彼女の事がさっきよりも身近に感じられる。
「けい、か……私の、名前。私だけの」
「そうだ、君の名前だ蛍火」
そうやって口にすると忘れられない記憶が蘇る。
「ずっと昔……子供の頃、緋鞠と一緒に初めての場所で夏祭りに行った帰り迷子になったことがある」
田舎の神社。その帰り道は真っ暗だった。街灯もない道で自分たちがどっちに向かっているのかもわからない暗闇。
「その時に、蛍の光が俺達を助けてくれた。その光を追いかけて、俺たちは無事に帰ることが出来た」
あの光をずっと覚えている。緋鞠と一緒に手を繋いで、導いてくれた灯りを追いかけたことを覚えている。
覚えている。蛍火に照らされた彼女の横顔を。
その時に初めて抱いた感情と共に。
ずっと、忘れない。
「私が、その光……?」
「そうだ。暗闇に帰り道を作ってくれた光だ。だから――諦めるな。まだ、手はある」
スパイダーウェブのリングを見せる。
それをどう使うのか、そんな疑問が一瞬浮かんだ。
だが即座に打ち消され、蛍火の表情に力が戻る。
「信じます。主様」
瞳に輝きが灯る。
さあ、その輝きを追いかけよう。
あの夏と同じように一緒に帰り道を探そう。
「行こう蛍火! ――スパイダーウェブ!」
ニジイロカブトの角と砕けた岩を繋ぐ。
生み出せる最大の太さ。俺の小指程もある蜘蛛の糸。
奴がこちらに気づいて動き出す。それに引っ張られて動き出す岩。
糸はピンと張っているが、耐えた。これならばいける。
「蛍火! 奴に角を振らせるんだ!」
「……! 成る程!」
引き摺られる岩を見て、俺の狙いを察したらしい。
あの岩はニジイロカブトの角でも砕けずに残った箇所。
ならば――アレを奴の甲殻にぶつけられれば?
それも十分な速度を伴った状態で。
「うまく行ってくれよ……!」
蛍火ではまず持ち上げられない。俺にも無理。
ならば――奴に持ち上げてもらう他ない。
蛍火が挑発する様に角が届くか届かないかの辺りで火を放つ。
甲殻にアッサリと弾かれているが、注意は引けたらしい。
角で薙ぎ払おうと頭を横に振り回し始めた。
それに合わせて岩が引っ張られる。
さながらモーニングスター。
ただでさえ凶悪だった攻撃が更にその脅威を増している。
動かせはした。
しかし狙い通りアレで自滅させる前に蛍火がやられてしまったら意味がない。
彼女を捉えているニジイロカブトの視線。
角に着いた余分な物を武器として扱う知性。
これは駄目か……!
蜘蛛の糸を消すか。
一瞬の逡巡。
だがこれを消したところで状況は好転しない。
ただ、俺の失策が蛍火を殺したという結果にならないだけの自己満足。
「大丈夫です!」
避けながら蛍火は叫ぶ。その頬には破片が切り裂いた傷。
「信じてください!」
その裏にある、信じているというメッセージを俺は受け取った。
掠めたら。或いはもう少し大きな破片が飛んで来たら。それで終わり。
その状況であっても信じる/信じてと言えるのは蛍火の強さ。
今蛍火は回避に全神経を注いでいる。
あれをぶつける策を用意するのは俺の仕事。
奴の動きを観察する。
左右の振り回しでは狙い通りにはならない。
あれで自滅するのを期待しても、運の要素が強すぎる。
ならば……微かだが光を取り戻したウィンドブラストのリングと共に拳を握る。
失敗したら即座に打つ手が無くなる一か八か。
これがダメなら、蛍火はいずれ角に薙ぎ払われて――。
更なる博打に煩い心臓。
だが、気分は悪くない。
「蛍火、上だ!」
その指示に疑問を挟むこと無く、彼女は高く跳ぶ。
岩を足場にしての大跳躍。
それを追いかけて角が地面から迫り上がる。
そう、奴の攻撃はどうしたって角が基本になる。
振り回す、振り上げる……分かってしまえばあの蜘蛛や炎狐の方がバリエーション豊か。
だからこそ、俺たちが付け入る隙がある。
重りがついているのか信じられないような速度で迫る角をしかし蛍火はその眼でしっかりと見据えている様。
「遅い、です!」
蛍火の足裏が角に触れる。
互いに上へと向かっている今、相対速度はほぼ0。
三度、空を舞う銀閃。
蛍火は更に高く昇っていく。敵手すらも足場として。
地面から離れる岩。
彼女を追いかけていく。
だが追い付けない。
ニジイロカブトの力も利用した最後のジャンプは天井近くまで彼女を運んでいく。
岩は追い付けない。
その速度は徐々に0へと近付き、0となり、そして反転。
重力に引かれて落ちていく。
だがその位置はあくまで角の真上。
落ちても角が折れる程度。
蛍火は天井近く。
今、岩に何かすることが出来るのは……俺しかいない。
輝きが戻り始めたウィンドブラストのリングを翳す。
――スパイダーウェブを使った時の事を思い出せ。
俺のイメージ力で糸のサイズも軌道も変わった。
あれはあの魔法だけの性質なのか?
きっと違う。
どんな魔法だって俺のイメージ次第で姿を変える。
手元からの突風ではない。岩の斜め上から、叩きつけるように。
その一念だけを抱えて魔法名を高らかに叫ぶ。
「ウィンドブラスト!」
突風が、俺の手から離れた場所で吹き荒れる。
岩が動く。
風に押されて。
だが、重すぎる。十分にチャージされていないウィンドブラストでは完ぺきとは言えない。
じれったくなるほどゆっくりと――軌道は変わった。
ニジイロカブトの甲殻を打ち砕かんと、宙から落ちていく。
生き物とぶつかったとは思えない轟音。
奴の背中に当たった岩の断末魔でもあり、奴の甲殻が上げた悲鳴でもある。
着弾地点は俺の場所からは見えない。
だが奴の甲殻に奔った虹色とは違う色が、ダメージの大きさを物語る。
全身に広がっていく亀裂。
倒れない。
それは想定通り。
頭上を仰ぐ。
「後は任せた!」
「ここまでお膳立てされれば十分!」
俺の耳に、届くはずのない蛍火の声が届く。
「ここに万物の根源は火であることを証明する!」
朗々と響く声に炎が蠢き呼応していた。
緩く目を閉じながら落ちる彼女。
言葉に合わせて俺を通して蛍火に何かが流れ込んでいく。
これは唄じゃない――詠唱だ。
僅かな動作で炎を出せる蛍火が入念な下準備をしてまで放つ魔法。
だが――間に合うのか。
ニジイロカブトが立ち直って角を振り回せばそれで終わる。
もう俺にも打てる手がない。
後は彼女に全てを委ねるのみ。
「流転せよ、対立せよ、そして万象調和せよ!」
名前を付けた時と同じ……いや、それ以上に熱く激しい奔流。
一節毎に俺を通した力が高まり、炎へと姿を変えていくのが分かる。
連なっていく炎はまるで――いつか見た蛍の群れの様。
岩を振り払ったニジイロカブトが立ち上がり、再び角を振るおうと、その視線を蛍火に定めた。
振るわれた角が、蛍火に迫る。
その先端が彼女の頬を僅かに掠めても詠唱は止まらない。
「絶えず変わりて、世界を成せ!」
無数の炎が、今か今かと解放の時を待ち詫びる。
蛍火が瞼を開いた。
その口が告げるのは、名も知れぬ神が持つ力の一端。その顕現。
「神威限定解放――狐の婚、天気雨!」
古き日の婚礼行列の様に炎弾が連なり落ちていく。
ニジイロカブトの背中に咲くのは炎の花。
俺の策も博打も、この光景の前にはただの前座でしかなかった。
爆発の中で、ひび割れていく音が次々と聞こえる。
「行け」
一発毎に亀裂が広がっていく。
「行けっ!」
そして遂に。
致命的な断裂の音が響いた。
砕ける甲殻。
破片が広間へと飛び散っていく。
その欠損へ突き刺さるのは。
落下した勢いのまま、まだ連なる炎を纏いて自らを砲弾とした蛍火自身。
柔い肉を抉り穿ち。
爆発と共に駆け抜け。
腹を貫いて地面へと着地した。
胴体を貫かれたニジイロカブトは角を振るおうとし――。
その輪郭を薄れさせながら光へと還っていった。
最後の悪あがきを止めたニジイロカブトが完全に消滅したのを見届けて、俺は張り詰めていた息を大きく吐き出す。
「やりましたね、主様」
蛍火が痛めた足を引きずりながらも、両足で立って微笑む。
「主様の作戦のお陰です。私一人ではあの甲殻は破れなかった」
「いいや、俺一人じゃ止めを刺せなかった」
遠目に、何かドロップアイテムがあるのが見えた。
だが、緊張の連続から解放された膝は情けなく震えていて、すぐに取りには行けそうにない。
それでも、精一杯の見栄を張って己の脚で立ったまま告げた。
「俺達二人の勝ちだ」
――これだ。このやり方がきっと緋鞠を救う事に繋がっている。
静寂が戻った広間で、背後から小さく鍵の開いた音が響いた。




