03 絶望の五層
通いなれたはずの中学校。
そこは避難所という非日常に支配されていた。
人が大勢いるのに、痛い位に静か。
体育館の床は、こんなにも冷たく硬い物だったか。
「……お父さん達、来ないね」
隣に座っていた緋鞠がそう言った。
「来ないな、母さん達」
避難所はここしかない。ここにいるのは分かるハズだ。
無事ならば。
「手、繋いで」
弱弱しい緋鞠の声に応じて、俺は彼女の手を握った。
冷たさと硬さの中で、ここだけが暖かく柔らかだった。
俺たちは一晩中手を握りしめていた。
何を言うでもなく。
それだけで十分だった。
俺は緋鞠を失いたくない存在だと、守りたい相手だと決めた。
きっとあいつも同じだと信じた。
あの日から互いに互いしかいない世界で生きてきた。
◆ ◆ ◆
そんな、三年前の夢を見たのはきっと。
ダンジョンの床の冷たさと、ブレスレットから感じる鼓動と温度があの時とよく似ていたからだろう。
「生きてる……」
身体に痛み等は特にない。殆ど無傷。
見上げれば落ちた高さは……20メートルくらい。
「どうして?」
身体を起こせば、その理由は直ぐに明らかになった。
「マリオネット!」
ボロボロだった。
特に足と左腕が酷い。
それを見ても思い出した。
「そうか、あの時咄嗟にマリオネットを操って……」
俺自身を抱えさせた。
そして腕を壁やらに突き立てて減速させたのだ。
「助かったぞ」
労わるように表面を撫でる。
こいつが居なければ良くて重症。下手したら死んでいた。
「第、五層か……」
突き抜けた層を数えて、自分の現在位置を把握する。
現状はかなり不味い。
ダンジョンは下層ほどモンスターが強くなる。
今の俺にとって五層はかなり背伸びをした領域だ。
心臓の鼓動が煩い。
呼吸が浅くなっているのが分かる。
どうしてこんなところに来てしまったのか。
後悔が頭の中をぐるぐる回って、立ち尽くしそうになる。
「っ……緋鞠」
ブレスレットから感じる鼓動――不気味だったそれが唯一の拠り所だ。
無ければ正気を失っている。
探索者用のスマホを取り出して、マリオネットをスキャンする。
簡易ステータス表示を見て俺は自分の表情が歪むのを自覚した。
「体力、残り二割……ボロボロだ」
本当なら数日は召喚せずにゆっくりと休ませないと消滅してしまう。
「すまん、もう少し頑張ってくれ」
だが他に頼れる存在がない。
救援は……俺の予約が終わって異常に気付くと考えると最短で三日。
「……違う」
これまであまり意識する機会がなかったが、ダンジョン内では時間の流れが異なる。
外で1日経つ間に、中では10日が過ぎる。
つまり救援は俺にとって30日後。
水も、食料も碌にない。そこまでもたない。
「上を目指すか、下を目指すか……」
この沈黙と恐怖に押しつぶされそうで小さく声を出す。
「階層移動に使う転移門からなら一発で使ったことのある転移門に移動できる……入り口にも」
だから目指すべきはそこだ。
「上層を目指す場合、ここの外周全域が探索対象となる」
層全体の広さも道も分からない。
何より……落下してきた今、上層への転移門が起動している保証がない。
「下層の転移門を目指すなら、傾斜に沿って行けばいずれ辿り着く」
階層はすり鉢状。その中心が下層の転移門だ。
多少は道標がある。
途中の層を飛ばしているが、転移門も正しい順番で起動できる。
上か、下か。
「……下だな」
上層行きは運が絡む。
それだったら。
まだ自力で助かる可能性がある下層を選びたい。
「こんなところで死んでたまるか」
あの家で、一人。
俺の帰りを待ち続ける――。
そんな未来を、緋鞠に与えたくはない
絶対に帰る。
その意思で洞窟めいた通路に一歩踏み出した途端。
闇の奥から響く遠吠え。
赤い眼光が3対。
生臭さと熱気を感じる荒い息。
「ヘルハウンド!」
炎を吐く犬型モンスター。大型犬サイズのそれが三体。
敵を意識した途端、またもやマリオネットと一体化したような感覚。
これならば――と期待した瞬間に俺の身体を激痛が襲う。
主に膝と腕。マリオネットの破損部位。
直感は正しかった。
だからマリオネットの痛みすらも俺は感じている。
痛みに怯んだ一瞬で、ヘルハウンドの一体がマリオネットの膝に食らいつく。
「この……離せっ!」
拳の一撃でその一体は引きはがせた。
だがマリオネットを押し倒すもう一体。
最後の一体は――俺の方へと向かってくる!
今の動かし方、その最大の欠点がここで出た。
マリオネットと俺。その二つは同時に別の行動が出来ない。
地面を転がるようにして、俺はヘルハウンドの攻撃を避け――切れなかった。
幻ではない痛み。
ブレスレットが血に濡れる。
そしてその間、マリオネットは攻撃を無防備に受け続けている。
「あああああ!」
マリオネットはブレイクダンスじみた動きで、伸し掛かる二体を蹴り飛ばす。
次は俺を襲ってきた奴に目掛けて、折れた左手を突き出す。
それはさながら杭の一撃。
胴体を貫かれたヘルハウンドが消えて――いや、またもや強い輝きを放ち始めている。
「くそっ!」
マリオネットの影に入って、閃光を避ける。
さっきから何なんだこれは!
一体倒すたびにこれじゃあ、こっちが持たない!
そして防いでいる隙に、蹴り飛ばした二体は膝へと殺到。
完全に関節を破壊されて、マリオネットが膝をつく。
その痛みに耐えかねて俺も膝をついた。
隙だらけの姿。
マリオネットの喉笛目掛けてヘルハウンドが咢を開き。
そこへ俺は――マリオネットは両腕を突き入れた。
「息が」
そしてそのまま、一息で顎を上下に引き裂く。
「臭いんだよ、糞犬!」
二体目を撃破。
閃光を放ち始める死体を、残った最後の一体へと投げつける。
そして爆発。
「……やったか?」
ちらつく視界の中で――飛び出してきた影がマリオネットの喉元に今度こそ、食らいついた。
破断したような音と共に、その首が落ちる。
そして淡い光と共にその姿が消えていくのと同時、召喚石に罅が入り――光が消えた。
「マリオネット!」
マリオネットがやられた。
それは、俺への死刑宣告だった。
背を向けて走り出す。
万に、億に一つの可能性に賭ける。
「はっ……」
思わず笑ってしまった。
そんなの、何度奇跡が起これば叶うのか。
背後から、迫る足音。
更に正面からも、ファイヤーバードの鳴き声。少なくとも二体。
一瞬足が止まった。
その隙を逃さずにヘルハウンドが伸し掛かる。
自分と同じくらいの重量がある犬型モンスターを、俺は引きはがせない。
「まだ!」
スマホの角を叩きつけて、一瞬怯んだ。
諦めてたまるか。
俺はまだ。
「緋鞠を助けてない!」
――腕が爆発した。
そう思えるほどの赤い輝き。
それは腕のブレスレットから、ダンジョンの地面から放たれている。
床に刻まれたそれは、魔法陣。
まるで炎に包まれているような。そんな光景。
熱も無いのに。モンスターは怯んだように一歩下がった。
そして。
ヘルハウンドの頭が消し飛んだ。
「えっ?」
視界に、銀が入り込む。
薄暗い洞窟の闇を切り裂くような銀色の髪。
浮かび上がるような白い和装。
丈を切り詰めた短い裾は、しなやかな足の動きを妨げない為か。
ゆっくりと、振り上げた足を下ろして俺の方に振り向く。
年は同じくらい。
冷たさすら感じる美貌の少女が、月の様な金色の瞳で俺を見つめていた。
赤い光は既に消えている。
だがその残滓を集めたかのように、手のひらに炎が宿る。
「奔れ、狐火」
そう口にしながらふっと息を吹きかける。
飛び出していった火の玉一つ。
それがファイヤーバードに襲い掛かり、炎を纏った鳥を一瞬で焼き尽くした。
光源によって壁に映し出されるのは、腰から胸元へ続く柔らかな曲線を描いた影。
その真ん中を射抜くように――最後の一体が突き刺さった。
目にも止まらぬ一矢を、少女は己の膝と肘で挟み潰す。
一拍遅れて、立て続けに三体が光となって消えていく。
あの発光現象は、もう無い。
一瞬で三体のモンスターを倒した少女。
その頭頂部には人ならざる獣の耳。
そして腰からは上質な毛皮の様な尾。
狐の意匠を宿した彼女は、まだ地面にしりもちをついたままの俺を見下ろして問いかけた。
「貴方が私を呼んだ主様?」
その問いかけに、俺は応えることもできず呆然と見上げていた。




