26 底の底にいる者
俺の呼びかけに答えて、緋鞠らしき人物は振り返った。
後ろ姿に違わず、その顔も緋鞠だ。
服装はこの前見た浴衣にも似た着物。
そこに浮かんでいる表情は――。
「誰だ。お前」
自分の表情が険しくなっているのが分かる。
無関心な視線だった。
緋鞠の顔で、俺に向かって、無関心な視線を向けていた。
「あいつは、俺にそんな顔を向けない」
敵意を向けて睨むと、緋鞠の顔をした誰かは漸く俺の顔に焦点を合わせた。
「そうなんだ。それは申し訳ないね。ただ……そもそも人違いだよ」
「人違い?」
「そう。私はひまり、という名前ではない。そう呼ばれている誰かも知らない」
これだけ瓜二つだというのに?
怒りのピークが過ぎると浮かんでくるのは困惑だ。
「じゃあ何で緋鞠と同じ顔をしているんだ」
「生憎自分の顔は長いこと見ていないけど、多分これは私の顔だよ。そのひまり、が私に似ているだけじゃないのかな?」
これ以上問い詰めても、似ているだけ以上の事は言わなさそうだ。
だったら質問の方向を変える。
「何者なんだお前」
「私は――」
歪んだような、耳障りな音。
名乗った所だけまるでノイズでも走ったように意味をなさない音になってしまっていた。
「なんて?」
言った本人も不快そうに眉を顰めている。
「君、今どこ?」
「え?」
「ダンジョンマスターを倒して、契約石に触れたんだろう? 何層のを倒したのかって聞いているんだ」
「10層、だけど……」
ああ、とワザとらしく嘆いた後お手上げと言わんばかりに手のひらを上に掲げたジェスチャー。
……義妹の顔でやられるとホント腹立つな。
「浅すぎる。せめて40層からじゃないと私の名前は届かないよ。とりあえずそうだな……みっちゃんとでも呼んでくれ」
「みっちゃん……?」
「そう。それで、そんな浅瀬から私の元に来た有望な君の名前は?」
階層を告げたあたりからぐいぐいと、無関心な目から変わった生き物を見るくらいに変わった視線で詰め寄ってくる。
それが見慣れた顔でやられるのだからたまったもんじゃ無い。
思わず距離を取りながら答える。
「ふ、藤島拓郎……」
「そう、藤島ね」
緋鞠の声で苗字呼びされると違和感が半端ない。
だというのに、緋鞠と似ていているというだけで警戒心が湧きにくい。
不穏な話しかされていないにも関わらず、自分が無防備すぎるという自覚はあった。
「さて、私の元に来たという事は君もダンジョンを踏破することを生業としているんだろう。確か……そう探索者」
「そうだ」
少し前なら、返事に迷ったかもしれない。
だけど今は。蛍火たちと共にダンジョンを一つ攻略した後ならば。
胸を張ってそう言い切れる。
「結局名前は分かったけど、何者なんだ」
「そうだね。今言える限りを言うならダンジョンの底の底にいる存在、かな。それ以上は言えない」
「……蛍火の母親?」
「また新しい名前が出てきたね」
しまった。蛍火じゃ通じないか。
「蛍火っていうのは俺がつけた名前で……ええっと、そう。契約石で契約したモンスターだ。母親を探している」
「契約済みだったのか。しかしそうなると一度は私と会っているハズなんだけどね」
「そう言われても」
「ああ。本当だ。契約済みだね……ふむ、となると困ったね。ここで私と契約して、新たな力を与えようというのが何時もの流れだったんだけど」
「いつもの流れなんだ。なのに何で……」
そんな何件も同じような契約をしている人間がいるなら……どうして調べた時に一切情報が出てこなかったんだ?
そんな俺の疑問を読んだかのようにみっちゃんと名乗った奴は言う。
「多分全員殺されたんじゃないかな?」
あっさりと。
一言で切り捨てた。
「殺、された?」
「そう。契約した相手がここを再訪したことがない物でね。そう考えるのが自然だ」
殺されたという言葉の現実味がない。
死に対する現実感はある。
それは三年前からずっと抱いている。
だけど殺されたというのはつまり。
契約者たちに殺意を持った何かが居るという事だ。
「私は私の力を貸す代わりに、一つ依頼をしている。私をこの底の底から解放して欲しいと。さあ私の知らぬ契約者君に質問だ。じゃあ何故、私はダンジョンの底の底にいる?」
その問いかけに一瞬悩み。
答えは直ぐに出た。
「誰かに……閉じ込められている?」
「正解だ。そしてその監禁者が、私を解放しようとした契約者を殺している」
まさかと気付いた。
にやりと彼女が笑う。緋鞠が決して笑わないような。
上から、下を見下ろす笑み。
「そう、契約者である君も例外じゃない」
心臓に杭を打ち込まれたようだった。
誰かに殺されそうになっているなんて経験は、当たり前だけどしたことがない。
実質的な殺害予告。
どういうことなのか問い詰めようとしたところで。
ぴしりと、空間に亀裂が入った。
空中に裂け目が出来るという異常事態。
だがみっちゃんは動じることも無く面倒くさそうに視線を向けるだけ。
「ああ。もう来た。いや、早すぎるな……君、もしかしてここに来る前から狙われていたね?」
気になることが多すぎる。
だが一番聞くべきは――俺を殺しに来るという何かの存在。
モンスターとの戦いは命懸けだった。
だけど、明確に俺個人を狙ってくるのは初めてだ。
「来たってまさか、お前を監禁してる奴か? 何者なんだ?」
「正直申し訳ないんだけどこんな浅い階層じゃ私も喋れることが制限されている。例えば■■■■とか……ほら、ダメだ」
「何でもいい! 訳も分からず殺されるのはごめんだ!」
そう叫ぶと記憶を探るように斜め上を見つめて。
「……思い出した。君たちが呼んでいる名前でいうと、ユニークモンスターだ」
そう一つの情報を残した。
「ユニークモンスター……」
それは、組合の情報で確かに見た覚えがある。
ランダムで出現する固有種。
計6体確認されていて――その痕跡の大半は死傷者数という形でしか残っていない。
「さて、そろそろ繋がりが切れるね。無事生き延びられてまた会えることを祈っているよ。まあ、今のところ0だけど」
そう言ってどこかへ立ち去ろうとする背中へ俺は声をかけた。
何も考えていない咄嗟の言葉だった。
「そう思うなら、新たな力ってのをくれ!」
「うん? ああ、そうか。そうだね。別に二重契約でも良いか」
何か納得したように頷く。
「元々君がどっかでした契約で得た力と今する契約で与える力。二つあればもしかしたら生き延びられるかもしれないね」
そう言いながら指を一つ鳴らし。
「じゃ。サービスだ。期待しているよ。藤島君」
その声が耳に残っている。
気付けば俺は屈んで契約石を拾おうとした姿勢に戻っていた。
「主様。どうされましたか?」
「けい、か?」
「はい。そうですけど……?」
見渡せばジャイアントビートルもいる。
ここは、10層だ。
「俺は、今どうなっていた?」
「ドロップアイテムを拾おうとして、一瞬固まっていましたけど……やはりお疲れですね。早く外に出ましょう」
一瞬? 数分は話し込んでいたにも関わらず?
あれは白昼夢だったのか?
あれが現実だったのかと疑うが、それは自分がつまんでいる物を見て直ぐに霧散した。
「リングになってる……」
指先で摘まんでいたはずの契約石。
それが炎の揺らぎを見せるスペルリングに変わっていた。
契約で与える力。
それが現実の物としてあった。
ならば。
それが必要となる脅威もまた――。
「蛍火、周囲を警戒してくれ。何か」
来る。
そう告げるよりも早く広間に蝶が現れた。
掌サイズの、薄く透き通った蝶。
ダンジョンにはあまりに場違いな美しさ。
そして。
「目標補足」
ダンジョンの中で初めて聞いた意味のある言葉。




