20 月の無い夜
何を言われているのか分からなかった。
いや、それは嘘だ。
それは何時か来るべき物だった。
それが今だったというだけだ。
だけど。
「どうして」
ひび割れたような声が口から漏れる。
「この前の検査、結果良くなかったんだ」
その言葉に、今更後悔が沸き上がる。
自分の事で手一杯になっていてすっぽかしてしまった定期健診。
その時に、緋鞠は終わりを突き付けられていた。
そんなときに、一人にしてしまった。
そうはさせたくなかったのに。
「生活に支障が出始める前に、入院した方が良いって。だから、多分私二学期はもう学校に行けないと思う」
それは魔力欠乏症の末期症状。
本格的に、魔石からの魔力補給が無いと命が繋げない状態だ。
だというのに――俺の手元には今、1グラムの魔石もない。
「ほんとは」
そう言って苦笑する気配が闇の向こうからする。
「帰ってからしようと思ってたんだ。この話。夏祭りは楽しかった思い出として残して欲しかったから。でもつい、口から漏れちゃった」
「もっと……早くに言ってくれてよかったんだ」
「うーんでもほら」
次の言葉は何よりも俺の胸を引き裂いた。
「最近拓郎も忙しそうでなんか悩んでそうだったし。これ以上負担かけちゃいけないかなって」
不甲斐なさに噛み締めた唇が切れる。
緋鞠を支えたいと助けたいと思っていたのに。
その相手に慮られる。
その無様さ。今ほど自分を殴りたいと思った事は無い。
「今年になってからずっと考えてたの。拓郎が一人になったらどうなるんだろうって」
「俺は……考えた事無かったよ」
そうしない方法はずっと考えていた。
だけど一人になったら。
一人になってしまったら。
その先にある物を直視するのが怖くて、首を横に振る。
「そんなことにはならない。ならせない」
「……もしかしたら拓郎は、魔石を使った延命を考えているのかもしれないけど」
見抜かれていた。
いや、当然か。
やたらバイトばかりして、その癖何かを買った痕跡もない。
普段から見ていれば俺に大した物欲が無いのは分かる。
溜め込んだ金を何に使うのか。
毎日見ていれば予測位立てられる。
「無理だよ」
「無理じゃない」
「一年間で最低120万円……知ってる? 延命始めてからでも年数が経てば必要な魔石の量はどんどん増えていくんだよ」
もちろん知っている。
だから俺は、探索者としてもっと強くならないといけない。
「お父さんたちの遺産、全部食いつぶしたって6年位。その後はどうするの? 毎年何百万円って払い続ける? 大富豪でもなければ現実的じゃない」
雷蔵みたいなスポンサーのついた三級探索者。
そこまで上がれれば、年収はプロ野球選手並みになる。
魔石の収集量も増える。
そう言いたかった。
だけど俺にはまだ実績が足りない。
草野球を始めたばかりの人間がプロ野球選手になると言ってどれだけ現実味がある言葉と思ってもらえるか。
「だから、無駄だよ。私がわずかに生き延びるために拓郎の将来を狭めたくないよ」
「狭めてなんか――」
「高校に進学せずに、就職しようとしていたのに?」
言葉に詰まる。
確かに、緋鞠の事が無ければそんな選択肢は考えなかった。
今だって……探索者になろうとしたかは怪しい。
その選択自体が、緋鞠を苦しめる。
そこまで考えた事は無かった。
「ね? だから心配だったの。一人になった時に大丈夫かなって。だから思い出を一杯残したかった」
――この先何度思い出しても、心が温かくなるような、そんな思い出を。
緋鞠の囁くような言葉は、喧騒から離れたこの場所ではよく届いた。
「けーかちゃんを飼うっていうのも、良いなって思ったよ。私が居なくなった後きっと拓郎を支えてくれるし」
「やめてくれ……」
「本音を言えば彼女でも出来てればほんと最高だったね……今からクラスメート紹介しようか?」
「頼むから、やめてくれ……」
聞きたくない。
そんな風に。
もう終わりを、死を受け入れてしまった言葉を。
「そんな遺言みたいなこと、言わないでくれっ」
可能性が見えたんだ。
緋鞠を救う方法は見つかったんだ。
なのにそれを。その選択自体をしないでくれと言われて。
死んだ後の話を一方的にされて。
「でもいつかはしないといけない話だよ」
そうかもしれない。
だけどそれは今じゃない。
もっと先。70年80年生きた後にするべき話だ。
一匹の蛍が、緋鞠の顔を横切った。
仄かな灯りに照らされた緋鞠の表情。
この暗がりでは見えないと油断していたのか。
いつもとは違う、どこか疲れたような、だけど安堵の混じった微笑み。
見えたのは一瞬。
光の加減でそう見えただけかもしれない。
「緋鞠、俺は諦めてない」
「ダメだってば。そのお金、将来の為にとっておいた方が良いって」
「そうじゃない緋鞠。俺はもう――」
「ねえ拓郎聞いて――」
そう言ってお互いに一歩距離を詰めようと足を踏み出して。
緋鞠が前に倒れこんでいく。
咄嗟に身体が動く。
ダンジョンでモンスターと戦うのに比べたら簡単な物だった。
「緋鞠、どうした」
「嘘……やだ。もう少し大丈夫なはずなのに」
こちらに身体を持たれさせたまま、緋鞠は自分の足をペタペタと何度も触る。
しばらくして。泣き笑いの様な強張った表情で、俺を見上げて言った。
「ごめん、足、動かなくなっちゃったみたい」
口が開いては閉じ。
言うべき言葉を探し当てるのに時間がかかった。
「病院、行くぞ」
緋鞠を背負って、元来た道を引き返す。
「あ、待って花火……」
「行ってる場合か」
「でも、病院行ったら私――」
「来年、連れて行く。花火だって海だって、どこにだって。絶対に連れて行く」
有無を言わさずにそう言い切った。
「お前が言ったんだぞ。俺が未来担当だって。だったら先の事を決めるのは俺だ。緋鞠じゃない」
背中で、体重をこちらに預ける気配がした。
小さく。
「頑固者」
と言う呟きも。
「お互い様だろ、それは」
返事はなかった。ただ顔を首元に押し付けるだけ。
周囲に喧騒が戻ってくる。
傍からはきっと、鼻緒が切れたとか歩き疲れたようにしか見えないのだろう。
もしかしたらカップルがいちゃついているようにしか見えなくて、羨ましそうな視線を向けてくる人すらいた様に思える。
だけど俺の中でそれらはただ右から左に流れて消えていった。
聞こえていたのは砂時計が落ちる音。
遠くない終わり。
それがもう始まってしまったのだと。
嫌でも理解させられた。
100グラムの魔石。
それが必要だった。今すぐに。




