第5話 探偵と食事を
歩き出そうとしたその時だった。
ぐうううう……
愛理がカフェの前から離れようとしたその瞬間、彼女のお腹が大きく鳴った。
「……あれ?」
愛理は顔を赤らめて、自分のお腹の音に驚いた。
和宏はその音に気づいてクスッと笑いながら言った。
「お腹が空いているみたいだね、愛理ちゃん」
「す、すみません……ちょっと調査に集中しすぎて、食事を忘れていました」
愛理は恥ずかしそうに微笑んだ。
和宏は苦笑し、少し考えた後に言った。
「じゃあ、せっかくカフェに来たんだし、ここで軽く食事でもどうかな? 調査をしてくれているお礼も兼ねて」
「え? でも、まだ調査が……」
「桜子を早く見つけたい気持ちは僕だって同じだ。でも、君に無理強いまでしたくない。少しは休憩も必要だよ」
愛理は少し戸惑っていたが、和宏の優しさに心が温かくなるのを感じた。
「そうですね。ここで食事をすれば何か桜子さんの気持ちが分かるかもしれません」
「それでこそ探偵さんだ」
和宏は穏やかに微笑んだ。
愛理は頷き、カフェに戻って食事を摂ることに決めた。
愛理は和宏と一緒にカフェのテーブルに座り、メニューを見ながら何を食べるか考えた。
「うーん、何にしようかな……。どれも美味しそうで、何でも食べたくなっちゃう」
「何でもいいですよ。僕が奢りますんで」
「そんな悪いですよ。私だって稼いでいる大人なんですよ」
「その代わり、愛理ちゃんには捜査の方を頑張ってもらえれば」
「そういうことでしたら」
愛理は少し迷っていたが、最終的にサンドイッチとスープを頼んだ。
「それだけでいいのかい?」
「はい、食べ過ぎると動けなくなって捜査に支障が出ますから」
「僕もサンドイッチにしようかな。あ、コーヒーも付けよう」
「私もコーヒーをお願いします」
「分かったよ」
和宏は軽く笑いながら、食事を注文した。
「君と一緒にいると、なんだかほっとするな」
「ありがとうございます。私も一人だと落ち着かなかったと思います」
お互いに笑みを交わし合い、食事が運ばれてくると、愛理はサンドイッチを一口かじった。美味しそうに食べる愛理を和宏は静かに見守っていた。
「桜子……」
その瞬間、和宏はふと桜子のことを思い出した。愛理の年頃が娘と同じぐらいに見えたからだろう。
もっとも彼女は大人だと自称しているし、実際に働いてもいるから何歳なのかは分からないのだが……
女性に歳を尋ねるのが失礼な事ぐらいは和宏も自覚しているので、その質問はしないでおいた。それよりも今は考える事がある。
桜子が最後にカフェで男と会ったとき、どんな会話をしていたのだろうか。あんなに無邪気に笑っていた桜子が、今は行方不明になっている。桜子の笑顔はどこに行ったのか、彼女は何を悩んでいたのか、和宏の心に疑問が湧き上がった。
「桜子は、あんなに明るい子だったのに……どうして行方不明になったんだろうか……」
疑問がつい口から出てしまう。
愛理はその言葉に反応して、食事を一時的に止め、和宏を見つめた。
「桜子さんはきっと、何か悩みがあったのでしょう。でも、彼女がそれを誰にも話せなかったのは、きっと深い理由があると思うんです」
和宏は静かに頷いた。
「それにしても、桜子のことを考えると、どうしても胸が痛い。僕は父親として、何もできなかったんだろうか……」
「そんなことないですよ。和宏さんがここにいて、桜子さんを探していることが、彼女にとってどれだけ大きな力になるか、私はよくわかっています。だから、私も全力でサポートします」
和宏はその言葉に、少し驚きながらも、安心したような表情を浮かべた。
「ありがとう、愛理ちゃん。君がいてくれて本当に良かった」
「なんだか照れますね。早く食べ終えて調査を続けましょう。大丈夫、桜子さんともきっとすぐに食事ができますよ」
「ああ、そうしよう」
愛理は頷くと、今度はサンドイッチを両手で取ってまとめて口に放り入れた。それは彼女の小さな口には無理だろうと和宏は思ったのだが、案の定だった。
「ふぐっ!」
「愛理ちゃん、無理しないで。慌てなくていいから、ほらお水」
「ありがとうございます。無理をしたら駄目ですね」
「慌てなくていいから。落ち着いていこう」
「はい」
再び食事を続けながら、愛理は心の中で桜子のことを思った。桜子は、きっと何かを抱えている。それを解き明かすのが自分の仕事だ。もし桜子がその男と関わっていることで困っているのであれば、自分が必ず助けなければならない。
「桜子と男もこのカフェで会っていたんだよな。それはもしかしてここの席だったんだろうか……」
和宏が呟いたその時、愛理の目がきらりと輝いた。桜子とその男は、ここで何を話していたのだろうか。その会話が、事件を解決する鍵になるはずだ。
「和宏さん、ここで少し私とお話ししてみませんか? 私を桜子さんだと思って」
「え!? 君を娘だと思えって!?」
「はい、そうです」
愛理は決意を新たにして、和宏に向かって言った。
「ここで桜子さんと男になり切る事で何か関係の糸口が掴めるかもしれません。和宏さんは冷たい男を演じてください」
「あ、そういうことね」
和宏は少し驚いた顔をしたが、すぐに微笑んで答えた。
「うん、君がそう決めたなら、僕も全力で協力するよ。頑張って冷たい男を演じてみるよ」
和宏は一度息を整えると、精一杯の冷たさを意識して言ってみた。
「愛理ちゃん、僕の娘にならないかい?」
「んんっ!?」
「探偵事務所なんて止めて僕のところにおいでよ。僕が君を養ってあげるよ」
「いや、それはちょっと……」
「逆らうなんていけない子だね。それとも無理やり攫われるのが好みなのかな?」
「あ、演技はこれぐらいにしましょう! 今は食事を……」
「つれないことを言わずに僕と付き合ってよ」
「ひええ! 手を! 手を触ってます、和宏さん!」
「手ぐらいなんだって……ああ、ごめん! 愛理ちゃん!」
和宏は我に返ると慌てて掴んでいた手を離して席に戻った。愛理は落ち着いて自分の手を拭いた。
「私の手、サンドイッチを触っていたので汚いですよ。和宏さんもどうぞ」
「いや、僕はいいよ。愛理ちゃんの手、暖かくて気持ち良かったよ」
「もう冷たい男はいいですから。桜子さんと男は付き合っていたんでしょうか」
「それは僕には……分からないよ……」
結局会話からは二人の足取りは掴めず、愛理は再び調査の道を進む覚悟を固めた。
桜子の行方を追うため、そしてその男が何を企んでいるのかを暴くため、愛理の調査はまだ始まったばかりだった。




