第7章 魔導師ギルドからの召喚状
第7章更新しました。 いわれのない言いがかりには、論理と利益で倍返し。 エルゼ流の喧嘩の買い方をご覧ください。
「銀の麦亭」の裏手に増築された仮設ラボは、今や王都の女性たちにとっての「聖地」となりつつあった。 開け放たれた窓からは、ラベンダーとミントの清涼な香りが漂い出し、路地裏特有の淀んだ腐臭を力ずくでねじ伏せている。 中では、白衣をまとったエルゼ・ノイマンが、ビーカーを片手に真剣な眼差しで温度計を凝視していた。
「……結晶化プロセス、安定領域へ移行。 グリセリンの残留量も計算通りだ。 これでロット番号405、保湿成分強化版の出荷準備が整った」
「エルゼ様、すごいです! 貴族の奥様方からの予約、また倍に増えてますよ! 『王妃の口づけ』、生産が全く追いつきません!」
アリアが羊皮紙の注文書の束を抱え、目を輝かせている。 彼女の肌も、度重なる試作品テストと、衛生環境の改善によって、宝石のように艶やかになっていた。 かつて辺境で泥にまみれていた孤児の面影は、もはやどこにもない。
「需要過多だな。 ギルバートに伝えて、生産ラインの自動化を急がせろ。 これ以上の手作業は、私の研究時間を圧迫する非効率な労働だ」
エルゼは小さくため息をつき、白衣についた石鹸の粉末を払い落とした。 地下深くに眠る「排熱ダクト」の調査と並行しての石鹸製造は、彼女の睡眠時間を確実に、そして無慈悲に削り取っていた。 だが、研究資金の調達のためには、このドル箱を止めるわけにはいかない。
その時だった。ラボの扉が、何の前触れもなく乱暴に叩かれたのは。 ギルバートではない。あの腹黒い商人は、もっと慇懃で計算高いノックをする。 アリアが警戒して扉を開けると、そこに立っていたのは、豪奢なローブを纏った見知らぬ男だった。
「貴様が、エルゼ・ノイマンか」
男は名乗りもせず、一通の羊皮紙をエルゼの足元に投げ捨てた。 それは、これ以上ないほど傲慢な所作だった。 羊皮紙には、威圧的な金色の封蝋で、杖と炎を模した紋章が押されている。
「なんだ、これは。 紙資源の無駄遣いだな。音声言語で伝達できない要件なのか?」
「不敬な! これは『魔導師ギルド』本部からの正式な召喚状だ! 貴様が市井でばら撒いている奇妙な白い塊……あれについて、魔道具取締法に基づく査問を行う!」
男は唾を飛ばしながら喚き立てる。 エルゼは眉をひそめ、床に落ちた羊皮紙を拾うことなく、冷ややかな視線で男を見上げた。 その瞳は、失敗した実験データを読み取る時のように無機質だ。
「白い塊? 石鹸のことか。 あれは単なる脂肪酸ナトリウムの結晶だ。 魔力など1マイクログラムも使用していない。よって、魔道具の定義には該当しない」
「黙れ! 判断するのは我々だ! 明日の正午、ギルド本部へ出頭せよ。 拒否すれば、貴様を異端者として王都から追放処分とする!」
男はそれだけ一方的に言い捨てると、マントを翻して去っていった。 後に残されたのは、鼻をつくようなキツイ香水の匂いと、一方的な理不尽だけだ。 アリアが悔しそうに唇を噛み、拳を握りしめる。
「な、なんなんですか、今の! エルゼ様は、みんなを綺麗にして喜ばれているだけなのに!」
「……既得権益の防衛本能だ。 私の技術が、彼らの市場独占を脅かす『異物』だと認識したのだろう。 生物学的にも組織論的にも、非常にわかりやすい拒絶反応だ」
エルゼは足元の羊皮紙を拾い上げ、一瞥もせずにくしゃりと丸めた。 彼女にとって、根拠のない権威などというものは、検証不可能なオカルトと大差ない。 だが、無視すれば研究の邪魔になるのも事実だ。 むしろ、これは好機かもしれない。
「行くぞ、アリア。 売られた喧嘩だ。 論理的に、かつ高く買い取ってやろう」
翌日の正午。 王都の一等地、貴族街の中心にそびえ立つ「魔導師ギルド」本部。 尖塔が天を突き、外壁には無意味な装飾と魔方陣がびっしりと刻まれた、威圧的かつ悪趣味な建造物だ。 下町の悪臭とは無縁のこの区画は、一般市民を拒絶するような見えない壁に守られている。
「うわぁ……大きいですね。 ここで一番偉い魔法使いさんが待ってるんですよね?」
アリアが建物を仰ぎ見て、不安そうに呟く。 彼女の背には、いつものコンパウンドボウではなく、護身用のショートソードが控えめに吊るされていた。 ギルド内への「飛び道具」の持ち込みは、厳格に禁止されていたからだ。
「大きいだけだ。 容積に対する居住スペースの比率が悪すぎるし、断熱材も入っていない。 冬場の空調効率は最悪だろうな」
エルゼは呆れたように肩をすくめ、巨大な扉をくぐる。 中に入ると、そこはドーム状の巨大な広間になっており、数十人の魔導師たちが待ち構えていた。 彼らは一様に、エルゼたちへ侮蔑の眼差しを向け、ヒソヒソと嘲笑を交わしている。
「見ろ、あれが噂の……」 「魔力のかけらも感じないな。ただの田舎娘か」 「下賤な錬金術師風情が、ギルドの敷居を跨ぐとは」
その視線の集中砲火を、エルゼは柳に風と受け流す。 彼女の興味は、広間の中央、一段高くなった祭壇のような場所に向けられていた。 そこには、誰もいなかった。 いや、正確には「床の上には」いなかった。
「――よく来たな、迷える子羊よ」
頭上から、朗々とした声が降ってくる。 エルゼが視線を上げると、そこには一人の青年が浮いていた。 重力を完全に無視し、見えない玉座に座るような姿勢で、こちらを見下ろしている。
貴族然とした整った顔立ち。 金糸の複雑な刺繍が入った純白のローブ。 手には宝石が埋め込まれた長い杖を持ち、その周囲には微かな光の粒子が蛍のように舞っている。 宮廷筆頭魔導師、ベルンハルトだ。
「……高いな。 そこにいると、会話の際に首が疲れるのだが」
「フン、地を這う者には、この高みは理解できまい。 マナの愛し子たる我々魔導師は、常に天に近い場所に在るべきなのだ。 歩くなどという泥臭い行為は、貴様ら凡人に任せよう」
ベルンハルトは優雅に杖を振るい、ゆっくりと高度を下げる。 その動作の一つ一つに、過剰なまでの演出とナルシシズムが込められていた。 周囲の魔導師たちが、うっとりとしたため息を漏らす。
だが、エルゼの反応は違った。 彼女は懐から解析用の片眼鏡を取り出し、装着する。 そのレンズ越しに、ベルンハルトの周囲に展開されている術式の構造をスキャンし始めたのだ。
「……ほう。 風属性のマナによる局所的な斥力場形成か。 だが、構成があまりにも雑だな」
「なに?」
「常時浮遊を維持するために、周囲の大気を無駄に励起・加熱している。 エネルギー変換効率、わずか8%。 残りの92%は、熱と光と騒音として大気中に廃棄されているぞ。 そんな燃費の悪い飛び方をするくらいなら、梯子を使った方がマシだ」
広間が、水を打ったように静まり返った。 誰もが耳を疑った。 この国の最高戦力にして魔法の権威であるベルンハルトに対し、あろうことか「燃費が悪い」と言い放ったのだ。
ベルンハルトの端正な顔が、怒りでピクリと引きつる。 彼は着地することなく、エルゼの目の前、空中に留まったまま杖を突きつけた。
「……貴様、何を言っている? これは『飛翔』だぞ? 選ばれし者にのみ許された、神聖なる奇跡だ。 それを、燃費だと? 梯子と同じだと?」
「事実を述べたまでだ。 お前たちが『魔法』と呼んでいるものは、物理法則を魔力で無理やりねじ曲げているだけの現象だ。 しかも、そのプロセスを最適化できていない」
エルゼはポケットから、掌サイズの金属球を取り出した。 中央に一つのカメラアイを持つ、無機質な球体。 遺跡で拾い、彼女が修理・再プログラミングを施した古代の自律機、「ユニット・ワン」だ。
「ユニット・ワン、起動。 高度2メートルでホバリング維持」
『肯定。マスター』
エルゼの手から離れた金属球が、音もなくふわりと浮き上がる。 プロペラも翼もない。 静電気と反重力素子を利用した、古代の静音航行技術だ。
「見ろ。 これなら、お前が使っている魔力の100分の1以下のエネルギーで、同じ高度を維持できる。 奇跡などではない。 単なる流体力学と電磁気学の、初歩的な応用だ」
ドローンがベルンハルトの周りをクルクルと飛び回る。 まるで、彼の優雅さを嘲笑うかのように。 ベルンハルトは顔を真っ赤にし、杖を一閃させてドローンを弾き飛ばそうとした。 だが、ユニット・ワンはセンサーでそれを感知し、ひらりと回避する。
「お、おのれ……! 小癪な玩具を! 魔法を、神の御業を、小賢しい理屈で汚すな!」
「汚しているのではない。解明しているのだ。 原理を知ろうともせず、ただ『ありがたい奇跡』として崇めるなど、思考停止も甚だしい。 お前は、自分がなぜ飛べているのか、その揚力発生の機序を数式で説明できるのか?」
「説明など不要! イメージし、詠唱し、マナが応える! それが魔法だ! それが世界の真理だ!」
「それは『信仰』だ。科学ではない」
エルゼの言葉は、鋭利なメスのようにベルンハルトのプライドを切り裂いた。 筆頭魔導師としての誇り、積み上げてきた研鑽、その全てを「非効率な手品」と断じられた屈辱。 彼の全身から、青白い魔力が殺気となって噴き出す。 広間の空気がビリビリと震え、窓ガラスにヒビが入った。
周囲の魔導師たちが、悲鳴を上げて慌てて距離を取る。 アリアが即座にエルゼの前に立ち、剣の柄に手をかけた。 だが、エルゼはそれを手で制し、一歩前へ出る。
「……許さん。 我が魔法を愚弄した罪、万死に値する」
ベルンハルトの声が、地獄の底から響くように低くなる。
「決闘だ、エルゼ・ノイマン。 貴様のその薄汚い理屈と、我が崇高なる魔法。 どちらが世界にとって真実か、王都民の目の前で証明してやる」
「ほう。決闘か」
エルゼは少しも動じない。 むしろ、その口元には微かな笑みが浮かんでいた。 彼女の脳内で、瞬時に損益計算が行われる。
ギルドとの対立は不可避。ならば、陰湿な嫌がらせを受けるより、公の場で叩き潰す方が後腐れがない。 それに、王都民衆の前で科学の優位性を示せば、石鹸以外の製品――これから売り出す予定の調理器具や暖房設備の宣伝にもなる。 広告費換算で、数億ギル以上の価値がある巨大イベントだ。
「……いいだろう。受けて立つ。 ただし、条件がある」
「命乞いか? 今更遅いぞ」
「違う。 私が勝ったら、ギルドは私の研究と商売に、今後一切干渉しないこと。 そして、ギルドの購買部で私の石鹸を公式採用することだ」
「なっ……!?」
この期に及んで商売の話をするエルゼに、ベルンハルトは絶句した。 だが、すぐに侮蔑の笑みを浮かべ、鷹揚に頷く。
「よかろう。 どうせ貴様が勝つことなど、天地が引っくり返ってもあり得ないのだからな。 その代わり、貴様が負ければ、その命と『技術』の全てをギルドに献上してもらう」
「契約成立だ。 ……用意しておけよ、ベルンハルト。 涙を拭くハンカチと、敗北の言い訳をな」
エルゼは踵を返し、アリアを連れて堂々とギルドを後にした。 背後で、魔導師たちの罵声と、ベルンハルトの高笑いが響く。 だが、エルゼには聞こえていない。 彼女の頭の中は既に、明日の決闘に向けた「実験計画書」の作成で埋め尽くされていた。
「エルゼ様……本当にやるんですか? 相手は、国一番の魔法使いですよ?」
外に出たアリアが、心配そうに尋ねる。 エルゼはニヤリと不敵に笑い、愛用のドローンをポケットにしまった。
「問題ない。 彼は強いが、無知だ。 未知の現象(科学)を前にした時、人は恐怖し、判断を誤る。 ……明日は、最高の公開実験になるぞ」
王都の空に、決戦の気配を孕んだ風が吹き抜ける。 迷信と論理、魔法と科学。 決して交わることのない二つの概念が、今まさに激突しようとしていた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
「契約成立だ」 決闘すらも自社製品の宣伝の場に変えてしまう、エルゼの逞しさが光る回でした。 アリアも心配しつつ、エルゼへの信頼は揺らいでいません。
次回は派手なバトル回になる予定です。 魔法の火力が勝つか、科学の知恵が勝つか。 ぜひその目で見届けてください。
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