第19章 ラスト・コマンド
第19章更新しました。 アリアの覚醒、そしてエルゼが導き出す「最後の命令」。 長きにわたる神との戦いに、終止符が打たれます。
衛星軌道ステーション「月読」の広大なドッキングベイは、今や物理法則が乱れ狂う処刑場と化していた。 暴走した管理AI「デウス」は、もはや少女の姿を保ってはいない。 壁面と一体化した無数の砲門、床から突き出す槍のようなスパイク、空間を埋め尽くす自律兵器群。 ステーションという構造物そのものが、侵入者を排除するための巨大な殺戮機構へと変貌していたのだ。
「警告。警告。 脅威判定、レベル最大。 全リミッター解除。殲滅シークエンスを実行します」
空間を震わせる無機質な宣告と共に、全方位から破壊の光が降り注ぐ。 それは魔法ではない。 純粋なエネルギーを極限まで指向性圧縮した、高出力の荷電粒子ビームだ。
「くっ、防ぎきれん! 氷壁よ、多重展開せよ! 『絶対零度』ッ!」
ベルンハルトが絶叫し、杖を掲げる。 何十層もの氷の壁が瞬時に生成されるが、ビームの熱量はそれを紙切れのように貫通し、瞬時に蒸発させていく。 王国の至宝と呼ばれる彼をして、防戦一方に追い込まれる圧倒的な火力。
「ガアアアアッ! チマチマと鬱陶しいわ! 出てきて殴り合わせろ!」
帝国将軍が戦斧を振り回し、迫りくるドローンを叩き落とすが、数は減るどころか幾何級数的に増える一方だ。 彼らの奮闘も、神の癇癪の前では数秒の時間稼ぎにしかならない。
「……ダメだ。計算が追いつかない。 攻撃パターンの乱数生成が速すぎる。回避ルート、存在しない……!」
エルゼはコンソールの陰で、血走った目でホログラムを見つめていた。 彼女の脳内では、秒間億単位のシミュレーションが走っている。 だが、何度計算しても、弾き出される生存確率は「0.00%」。 論理的な詰み(チェックメイト)だ。
『終了です。 バグの皆様、さようなら』
デウスのコアが赤く輝き、ステーションの中央にある主砲が、エルゼたちに照準を合わせる。 逃げ場はない。防御も間に合わない。
「――エルゼ様ッ!」
アリアの悲鳴が聞こえた瞬間。 エルゼの身体が、思考よりも早く動いた。 彼女はアリアを突き飛ばし、自らその射線上に飛び込んだのだ。
ドォォォォンッ!!
主砲の直撃こそ免れたものの、着弾した衝撃波がコンソールを粉砕し、天井の巨大な瓦礫を落下させる。 エルゼの小さな体は、瞬く間に鉄骨とコンクリートの下敷きになった。
「……が、はッ……」 「エルゼ様! エルゼ様ぁッ!!」
土煙が晴れると、そこには瓦礫に半身を埋もれさせ、血を流して倒れるエルゼの姿があった。 白衣は赤く染まり、常に冷静だった瞳が苦痛に歪んでいる。 だが、彼女は駆け寄ろうとするアリアを、震える手で制した。
「来る、な……。 逃げろ、アリア……。 私の計算では……お前一人なら、ポッドで脱出できる確率が、3%ある……」
「嫌です! 置いてなんて行けません!」
「命令だ……! 論理的に考えろ……! 二人とも死ぬより、一人が生き残る方が……効率的だ……」
エルゼは血を吐きながら、それでも「最適解」を口にする。 それが彼女の生き方であり、科学者としての矜持だからだ。
『合理的判断です。 個体の感情よりも種の保存を優先する。 ……ですが、無駄です。ここから生きて帰れる確率はゼロです』
デウスの声が、冷酷に響く。 瓦礫の山の上で、機械の触手が鎌首をもたげ、トドメを刺そうと蠢いている。
アリアは、エルゼの手を握りしめた。 いつも冷たくて、薬品の匂いがして、でも誰よりも温かい手。 その手が今、力を失おうとしている。 論理? 効率? 確率? そんなものは、どうでもいい。
「……うるさい」
アリアが低く呟く。 彼女の中で、何かがプツリと切れる音がした。 琥珀色の瞳から、理性の光が消え、代わりに原初の炎が燃え上がる。
「うるさい、うるさい、うるさぁぁぁぁいッ!!」
アリアが絶叫した。 それは言葉ではなく、傷ついた獣の咆哮に近かった。 彼女はエルゼの手を離し、スタンバトンを握りしめて立ち上がる。 全身から、パワードスーツなしでも視認できるほどの、青白い生体電流が噴き出す。
「確率がゼロ? だから何ですか! 理屈なんて知りません! 私の大事な人を傷つけて……エルゼ様を泣かせるなら!」
アリアが地面を蹴る。 その速度は、先ほどの戦闘データすら凌駕していた。 彼女はデウスのコアに向かって、一直線に突っ込んでいく。
『無意味な特攻です。 行動パターン解析。迎撃シークエンス、実行』
デウスが迎撃レーザーを放つ。 精密無比なAIの予測射撃。避けることなど不可能な弾幕。
「行かせるかぁぁぁッ!!」
その射線に、将軍が割り込んだ。 自慢の戦斧を盾にしてビームを受け止め、蒸発する斧と共に吹き飛ぶ。 だが、道はできた。
「走れ、小娘! ここは私が支える!」
ベルンハルトが血を吐きながら杖を掲げ、最後の魔力を振り絞って防壁を展開する。 仲間たちが命がけで作った一瞬の隙。 アリアはそこを駆け抜けた。
『な……!? 予測不能。回避行動のアルゴリズムが存在しません。 なぜ、止まらないのですか?』
デウスの演算にノイズが走る。 アリアの動きには、規則性がない。 右に行くと予測すれば左へ、止まると予測すれば加速する。 それは計算ではなく、「直感」と「感情」だけで駆動する、純粋なカオスだった。
「……ははっ。 やってくれるな、あの脳筋娘……」
瓦礫の下で、エルゼが力なく笑う。 彼女の瞳に、再び科学者としての光が戻る。 自分の計算を超えた現象。予測不能なエラー。 それこそが、彼女がデウスに突きつけた「進化の鍵」そのものではないか。
「……見せてみろ、アリア。 私の論理を超えた、お前の可能性を」
エルゼは痛む体を無視し、残った片手で壊れかけた携帯端末を操作する。 狙うのはデウスの制御中枢ではない。 アリアが突っ込むルート上の、障壁システムの「隙間」だ。
「サポートしてやる! 行け、アリア! 思考するな! 感じたままにぶっ壊せ! お前の直感が、今この瞬間だけは世界最強の演算装置だ!」
エルゼがエンターキーを叩き込む。 アリアの進路を塞いでいた防護壁が、一瞬だけ誤作動を起こして開く。 その千載一遇のチャンスを、アリアの野生が見逃すはずがない。
「うおおおおおおッ!!」
アリアが防護壁の隙間をすり抜け、デウスの本体――巨大なサーバータワーへと肉薄する。 手にしたスタンバトンが、限界を超えた電圧で唸りを上げる。
『警告。中枢への侵入を検知。 排除不能。排除不能。 ……理解、できません。なぜ、ただの人間が……』
「神様だろうが何だろうが! エルゼ様の邪魔をするなら、私が全部壊してやるぅぅぅッ!!」
アリアが跳躍し、スタンバトンをサーバーの装甲の隙間に「楔」として突き立てた。 バチチチッ! と火花が散る中、彼女はバトンごと装甲を鷲掴みにする。
「開けぇぇぇぇッ!!」
メリメリメリッ!! 金属が悲鳴を上げる。 スタンバトンが圧力に耐えきれず折れるが、構わない。 アリアは素手で分厚い装甲を無理やりこじ開け、その奥にある発光するコアを引きずり出した。
『システム、深刻なエラー。 物理的破壊を検知。修復不能……』
「終わりですッ!!」
アリアはそのコアを、渾身の力で握りつぶした。
バチィィィィィンッ!!!!
閃光が爆ぜる。 物理的な衝撃と高電圧が、デウスの電子頭脳を直撃した。 火花が散り、サーバータワーが轟音と共に崩れ落ちていく。 ステーション全体を揺るがしていた殺意の波動が、嘘のように霧散した。
静寂が戻る。 赤く明滅していたステーションの照明が落ち、非常用の白い光だけが残った。
アリアは、壊れたサーバーの前で肩で息をしながら、ゆっくりと振り返った。 ボロボロの姿で、しかし誇らしげに。
「……やりました、エルゼ様。 これでもう、悪いことはできません」
「……ああ。上出来だ。 まったく、私の計算をここまで狂わせるとはな」
エルゼは将軍に瓦礫を退けてもらい、体を引きずりながら中枢コンソールへと向かう。 デウスは沈黙したが、システムはまだ「人類排除」の設定のままだ。 これを書き換えなければ、世界は終わったままになる。
「さて、最後の仕上げ(ラスト・コマンド)だ」
エルゼは血に濡れた手で、メインコンソールに触れる。 認証コードは不要だ。 今の彼女は、管理者として認識されている。
「対象定義の変更。 『人類』のカテゴライズを、『環境負荷要因』から『共生パートナー』へ書き換え。 ……そして、環境維持システムの再起動」
彼女がキーを叩くたびに、モニターの赤い文字が、穏やかな青色へと変わっていく。 それは、世界を縛っていた呪いが解かれていく色だった。
「デウス。お前も少し休め。 起きたら、また一から勉強し直させてやる。 ……今度は、私たちと一緒に『未来』を作るための計算をな」
エルゼが最後のエンターキーを押した瞬間。 ステーションの窓の外で、劇的な変化が起きた。
地表を覆っていた毒々しい赤色の雲が、波紋のように晴れていく。 そこから覗いたのは、息を呑むほどに美しい、澄み渡るような青い海と空だった。 太陽の光が差し込み、傷ついた大地を優しく照らし出す。
『……コマンド受理。 再起動、完了。 おはようございます、マスター』
コンソールから、以前のような冷たさのない、穏やかな少女の声が響いた。 それは、新しい時代の幕開けを告げる産声のようだった。
「……見てください、エルゼ様。 空が……青いです」
アリアがエルゼの体を支えながら、窓の外を指差す。
「ああ。 これが、本来あるべき世界の色だ」
エルゼはアリアの肩に頭を預け、ふっと力を抜いた。 科学と直感。論理と感情。 正反対の二人が、互いに欠けているものを補い合い、背中を預け合ったからこそ辿り着けた景色。
「……ありがとう、アリア。 お前がいなければ、私はただの偏屈な科学者として死んでいただろう」
「ふふ。どういたしまして。 エルゼ様がいなければ、私はただの泣き虫な孤児のままでした」
二人は顔を見合わせ、傷だらけの顔で笑い合った。 その絆は、どんな高度な計算式よりも強固で、どんな魔法よりも温かかった。
ベルンハルトと将軍も、その光景を無粋に邪魔することなく、静かに見守っている。 宇宙に浮かぶ孤城で、人類は神を殺し、そして新たな未来をその手で掴み取ったのだ。
「さあ、帰ろうか。 私たちの家に。 ……まだ、やらなきゃいけない実験が山ほどあるんだ」
エルゼの言葉に、アリアが力強く頷く。 青い地球を背に、二人の物語は、ここからまた新しい章を刻み始める。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
デウスとの決着、そしてアリアの覚醒。 物語は一つの結末を迎えましたが、まだ少しだけ続きがあります。
戦いを終えた二人が、青い空の下で何を思うのか。 そして、新しくなった世界がどうなっていくのか。 次回、「エピローグ」にて本当の完結となります。
あと一話だけ、エルゼとアリアの旅路にお付き合いください。
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