第12章 死の商人と呼ばれて
第12章更新しました。 圧倒的な勝利。しかし、その光景は地獄絵図でした。 科学の力が生む残酷な結果と、それでも進むことを選んだ二人の決意をご覧ください。
戦場に漂っているのは、勝利の美酒の甘い香りではなかった。 それは、鉄と火薬が焦げ付いた鼻を刺す刺激臭と、人間の臓腑が外気に晒された時のむせ返るような生臭さ。 すなわち、濃密な「死」の臭いだった。
国境地帯の荒野は、数時間前までの静寂が嘘のように、地獄の釜の底と化していた。 王国軍の勝利を告げる勝鬨は既に止み、代わりに低く重苦しい呻き声が、乾燥した風に乗って絶え間なく響いている。
エルゼ・ノイマンは、血と油でぬかるんだ地面を踏みしめながら、その「結果」の中を一人で歩いていた。 足元には、かつて人間だった肉塊と、スクラップになった鉄屑が散乱している。
彼女が設計し、王国軍の工兵隊に配備させた「対人榴弾」と「指向性地雷」。 その効果は、計算通り――いや、シミュレーション以上に劇的で、そして残酷だった。
「……あ、あぁ……足が……」
瓦礫の陰で、一人の帝国兵が息絶えようとしていた。 まだあどけなさの残る少年兵だ。 顔の半分が爆炎による熱傷でただれ、両足は膝から下が消失している。 彼は白衣を着たエルゼを見上げ、恐怖に歪んだ瞳で何かを呟こうとして、そのままガクリと首を垂れた。
エルゼは立ち止まり、その死に顔を無表情に見下ろした。 彼女の脳内で、長年の癖である冷徹な損益計算が自動的に走る。 敵兵力の一掃率98%。自軍損害の最小化。作戦目的の完全達成。 全ての数値において、この戦いは「大成功」だ。
「……効率的だ」
彼女は乾いた唇から、自分自身に言い聞かせるように言葉を漏らした。 その声は、砂を噛むようにザラついている。
「従来の剣と魔法による泥臭い白兵戦なら、戦闘は数日続き、双方に数千単位の死者が出たはずだ。 だが、私の兵器はそれをわずか半日で終わらせた。 トータルの死者数は、統計的に見て十分の一以下。 ……これは、人類生存のための『最適解』だ」
論理は完璧だ。 感情を挟む余地など1ミリもない、数理的な正解。 だが、彼女が白衣のポケットに深く突っ込んだ指先は、自分の意志に反して微かに、しかし止まることなく震えていた。
周囲を行き交う味方の王国兵たちが、エルゼの姿に気づいてサッと道を空ける。 彼らの目に宿っているのは、救国の英雄に対する称賛ではない。 理解不能な爆発と轟音で、敵を一瞬にして肉片に変えた「魔女」に対する、底知れぬ畏怖と嫌悪だった。
彼らはエルゼと目が合うことを恐れ、俯き、彼女が通り過ぎた後でひそひそと囁き合う。
「……おい、見ろよ。あの方だ」 「あんな魔法、見たことがねえ……。一瞬で、あんなに大勢を……」 「ありゃ魔法使いじゃねえよ。死神だ」 「『死の商人』……そう呼ばれてるらしいぜ」 「関わるな。魂まで売り飛ばされるぞ」
背中に突き刺さる陰口は、エルゼの鼓膜にもはっきりと届いている。 彼女は顔色一つ変えず、背筋をピンと伸ばして歩き続けた。 だが、その一歩一歩は、まるで鉛の靴を履いているかのように重い。
科学は、人を救う光のはずだった。 汚れた水を清め、不治の病を治し、貧しい生活を豊かにするための知恵。 それがこの世界では、最も効率的で、最も残酷な「殺戮のシステム」として機能している。
(私は、間違っているのか?)
自問自答がノイズとなって思考を乱す。 だが、即座に否定する。
(いや、違う。生き残るためには力が必要だ。 力がなければ、この村も、この国も、帝国の『神の鉄槌』に蹂躙されて終わっていた。 私は正しいことをした。正しく、敵を排除しただけだ)
エルゼは思考のループに陥りそうになるのを、強靭な理性でねじ伏せる。 今はまだ、立ち止まるわけにはいかない。 彼女は視線を上げ、黒い煙を上げて横たわる巨大な「鉄の巨人」の残骸へと向かった。
巨人の残骸の陰。 そこは、ひときわ血の臭いが濃い場所だった。 その中心で、一人の少女が血濡れた剣を布で拭っていた。 アリアだ。
彼女が身につけている革鎧は、返り血で赤黒く染まり、美しい赤髪にも煤と泥がこびりついている。 足元には、爆撃を生き延びたものの、アリアによってトドメを刺されたであろう帝国兵たちが転がっていた。 いつもの弓ではない。 確実な「死」を与えるための刃を、彼女は振るっていたのだ。
「……エルゼ様」
アリアは近づいてきた主人の足音に気づくと、すぐに作業をやめて駆け寄った。 そして、エルゼの顔を見るなり、その眉を悲しげに曇らせた。
「……また、そんな無理な顔をしていますね」
「アリアか。 無理などしていない。平常運転だ。 私はただ、兵器の運用データと、敵の装甲の損害状況を確認しているだけだ。 次回の設計にフィードバックが必要だからな」
エルゼは努めて事務的な口調で、早口にまくし立てる。 そうしていなければ、足元の死体を見て嘔吐してしまいそうだったからだ。 だが、アリアの澄んだ琥珀色の瞳は、全てを見透かしていた。 ポケットの中で白くなるほど握りしめられた拳も、能面のような表情の下で叫んでいる罪悪感も。
「エルゼ様の手は、未来を作るための手です」
アリアは唐突に言い、そっとエルゼの腕を取った。 血と鉄の臭いがする、戦士の手。 だが、その温もりだけは、凍りついたエルゼの心を溶かすように優しかった。
「美味しいパンを焼いたり、すごい薬を作ったり、壊れたものを直したり。 そういう、魔法みたいな奇跡を起こすための手です。 ……こんな、血なまぐさい鉄屑を触るための手じゃありません」
「……綺麗事だな。論理的じゃない。 現に私は、この手で図面を引き、数千人を殺す兵器を作った。 その事実は消えないし、私はその成果を誇らなければならない。 でなければ、実験台になって死んでいった彼らに失礼だ」
エルゼはアリアの手を振りほどこうとするが、少女は頑として離さない。 その瞳には、狂気にも似た、絶対的な忠誠と愛情が燃えていた。
「いいえ。 殺したのは兵器です。そして、その引き金を引いたのは私や兵士たちです。 エルゼ様は、生きるための道を示しただけです」
アリアは一歩踏み出し、エルゼとの距離を詰める。 彼女は知っていた。 この不器用で、賢すぎて、誰よりも優しい科学者が、自分一人で全ての業を背負い込もうとしていることを。 だからこそ、彼女は決めたのだ。 この人の「汚れ役」になると。
「汚れ仕事は、全て私が引き受けます。 誰かがあなたを『死の商人』と指差すなら、私がその指を切り落とします。 誰かがあなたを魔女と罵るなら、私がその口を塞ぎます」
「アリア……お前、何を言って……」
「私は、あなたの剣であり、盾です。 あなたが作る『科学』がどんなに残酷な結果を生んだとしても、 その責任も、罪も、全部私が半分背負います。 ……いえ、全部私が被ります」
アリアはエルゼのポケットから、震える手を強引に引き出した。 そして、自分の頬にその手を押し当てる。 戦場の煤で汚れ、こわばった少女の頬は、温かく、そして人間らしい柔らかさがあった。
「だから、エルゼ様。 あなたは胸を張っていてください。 堂々と、冷たい顔で、この世界の理を解き明かしてください。 ……震えるのは、私の役目で十分ですから」
エルゼは息を呑んだ。 自分の弱さを、迷いを、この少女は全て肯定し、その上で守ろうとしている。 かつて自分が遺跡の前で拾った、死にかけていた小さな命。 それが今や、自分よりも遥かに強く、逞しい魂へと成長している。 守られているのは、いつだって自分の方だ。
「……非論理的だ」
エルゼは震えが止まった指先で、アリアの頬についた煤を、不器用な手つきで拭った。
「責任の所在を曖昧にするのは、組織運営として好ましくない。 ……だが、パートナーシップ契約の更新事項としては、検討に値する提案だ」
「ふふ。素直じゃありませんね」
アリアがくすぐったそうに笑う。 その笑顔は、地獄のような戦場に咲いた、唯一の希望の花のように見えた。
エルゼは大きく息を吐き出し、背筋を伸ばし直した。 迷いは、まだ消えない。 死者の呻き声は、今も耳にこびりついている。 だが、隣にこの「共犯者」がいる限り、自分は前に進める。 そう確信できた。
「行くぞ、アリア。 感傷に浸っている時間はない。 帝国の侵攻はこれで終わりじゃない。奴らは必ず、より強力な兵器を投入してくる。 ……次はこちらから仕掛けるぞ」
「はい! どこまでもお供します、エルゼ様!」
エルゼは再び歩き出す。 その背中には、先ほどまでの悲壮感はなく、科学者としての冷徹な覚悟が宿っていた。 たとえ世界中を敵に回し、歴史に悪名を刻むことになろうとも。 彼女はこの世界を、論理の力で守り抜く。
その決意を新たにした二人の背後で、沈みゆく夕日が、戦場を赤く、赤く染め上げていた。 それはまるで、これから流れる血の量を予言するかのように。 だが、二つの影は長く伸び、決して離れることなく並んでいた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
周囲から「死神」「死の商人」と恐れられるエルゼ。 それでも「これは人類生存のための最適解だ」と言い聞かせる姿が痛々しくも強いです。 そしてアリアの「汚れ役を引き受ける」という宣言。 二人の覚悟が決まり、物語は守りの戦いから攻めの戦いへとシフトします。
次回、エルゼたちが仕掛ける次なる一手とは? 戦いはさらに激化していきます。ご期待ください。
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