○【28・秘密】○
その真っ青な瞳の圧に、胃のあたりがギュッとなるのを感じた。
本物の魔獣は見たことないけど、魔獣に睨まれたらこんな感じになるんじゃないかと思う。小さな少女に過ぎないはずのミーニャさんが、巨大な魔獣のように感じる。
俺が、ウィリさんの正体に気づいていることに気づかれた気がする。
口に出したわけでもないのに、ミーニャさんは心も読めるのか?
これは、まずいんじゃないのか?
ウィリさんの視線は、いまだやいのやいの騒いでいるケイリスの三人に向いている。俺のことは気がついてないようだけど、たぶん時間の問題だろう。きっと後でミーニャさんが話す。
俺、どうなるんだろ。
詮索したわけじゃないし。たまたま気がついただけなんだけど、ウィリさんは隠して置きたかったんじゃないかな。貴族であるケイリスの連中にも言わなかったわけだし。
正体を知った者は生かしておけん、なんてことはないよな?
殺されなくてもクビだって嫌だ。俺はこのまま御者をやりたい。
俺が自分の考えにぐるぐるしている間も、騎士二人はウィリさんの正体を探ろうと色々話しかけてた。けど、ウィリさんは全部突っぱねてたよ。そしたら少し距離をとった場所で、三人輪になってこそこそ話し合いし出した。
その程度の距離なら小声でも、ミーニャさんにはしっかり聞こえているだろうけど。
三人は硬い顔で頷き合い、ピシッと姿勢を正した。
「わかりました、もう無理に隠されているご身分を聞き出すなどしません。きっと深い事情があるのでしょう。ですが、どうか我らとケイリス領へ来ることを御一考ください。ケイリス騎士団を味方につけられれば、それは貴方様のためにもなります」
何言ってんだろ、こいつ。
目つきのうさんくさい奴がうさんくさい事を言ってる。
「明日の朝、迎えに参ります」
そう言って、奴らは帰って行ったよ。
町に宿を取ってるそうだ。
なんか勝手な奴らだな。
そのまま帰して良かったのか少し心配な気もするけど、ウィリさんたちが止めなかったからそれはいいのかな。
その後は、お茶の片付けをして早々に寝ることにした。
ミーニャさんが言うには、あいつらは近くに繋いでいた馬に乗って町の方に向かったらしい。ああ、レレイナはロバな。
そうして。
すっかり夜もふけて空には幾分凹んだ月と星空。
俺は焚き火のそばに座り込んで、ちろちろと揺れる火をぼんやり見ていた。
ケイリスの三人はちゃんと町に帰ったし、ミーニャさんが結界を張ってくれたから火の番はいらないんだけどな。なんだか眠れなくってぼーっとしてる。
ウィリさんとミーニャさんは馬車で休んでいる。
あのお二人も、いつもは葉っぱの寝床で外で寝るんだけど、今日はたぶん二人で話すことがいくつもあるんだろう。皆に知られないような話がね。
デラとロームは焚き火と馬車の間くらいの場所で、野宿用に買った厚手の布に包まり寄り添って寝ている。
俺は小さくため息。
明日の朝には、何か言われるのかな……
ウィリさん次第ではあるけれど、御者を続けさせてもらえる方法がないかと考えながら、膝を抱えて項垂れた──その時。後ろから服を掴まれ引っ張られた。
声を上げる暇もなく体が浮いて一瞬で焚き火が遠かり、グルンと回されて今度は星空が視界に入る。そしてすぐにまた反転して正面から何かにぶち当たった。ぐらりと体が崩れそうになったので、慌ててぶち当たったそれにしがみ付く。
それは太い木の枝。
下の方に焚き火や馬車が小さく見える。
「ないしょのお話し、にゃんにゃんちゃんにゃーん」
歌うように呪文が聞こえ顔を上げると、白装束の少女が細くなっている枝先でくるっと回転してた。よく落ちないな。よく枝が折れないな。
被り物をつけてないから、真っ白な髪がなびいている。
「すまないな。誰にも聞かれないように話をしたかったので、こんな場所に招くことになった」
声をかけられ、枝にしがみついたままそっと振り向く。案の定、そこにいたのはウィリさんだった。木の幹にもたれる形で枝の付け根に座っている。
こんな場所、というのは木の上だ。高い高い木の上だ。俺はミーニャさんに服の背中を引っ掴まれて木の上に飛び上がられ、枝に叩きつけられたんだと思う。痛くないのは癒されたからか。魔獣聖女は癒しの使い方が乱暴だ。痛くないのはありがたいけど。
俺はのそりと起き上がり、枝から落ちないように体の向きを変えてウィリさんと対面する。
ウィリさんの少し上のあたりには白い小さな炎が浮かんでいた。鬼火と呼ばれていた、ミーニャさんが妖術で起こす火だ。
俺はこの異常な状態に飲まれないよう気合を入れて背筋を伸ばす。
「話……ですか?」
「そうだ。──ベイル、お前は何者だ?」
「何者? とは?」
「経歴に嘘偽りはないか。本当に行商人の子なのか。実はどこかの密偵ではないのか。とかだ」
それは予想外の質問だ。
「いやいや、密偵とか、どう見たらそんなのに見えます? 冒険好きの行商人だった両親と一緒にあっちこっち旅したことがあるだけの、今は雇われ御者をする成人前の未成年です」
俺は改めて自分の経歴を答えた。
「俺に隠していることはないと誓えるか?」
隠し事……
言ってないことはたくさんある。
「隠し事がないとは言えません。でも、ウィリさんが聞きたいと言うなら話しますよ。良いことから悪いことまで」
「良いこと? 悪いこと?」
「良いことは、これです」
俺は腰に下げている簡易鞄から手帳を取り出し、ウィリさんに渡した。
手に取った手帳を見て、ウィリさんは目を見開いた。
そこに書いてあることはたいしたことではない。
旅の道々で知ったことなんかを書いた覚え書き帳だ。けれど、ところどころ自分だけにしかわからない書き方をしているものがある。
それを、ウィリさんは読めたのだろう。
驚きに固まるウィリさんが心配になったのだろう、俺の後ろにいたミーニャさんがぽーんと飛んでウィリさんの側に着地。その振動で揺れる木の枝。
俺はまた枝にしがみつく。揺らさないでください。
その様子に我に帰ったウィリさんは視線を俺に向けた。
「なぜ、この言葉を知っている?」
「ニホン語ー!?」
ミーニャさんもびっくりしてる。読めるんだ。
「俺の母親が、たぶんミーニャさんのお母様と同郷なんです」
「なっ!?」
「にゃっ!?」
思ったより驚いている。
「俺もよくわからないし、本人もよくわかってなかったようなんですが、母は気がついたら父の住む村にいてそのまま故郷には戻れなかったそうです。もとより家出していて家には帰りたくなかったから、戻れなくても良かったと言っていましたが」
あまり説明になってないと思うけど、母親のことを話すのは難しい。簡単なことだけ言ってみたけど、ウィリさんとミーニャさんの驚きはよほど大きかったのか、まだぽかんとして固まっている。
「あの、でも『良いこと』は母の故郷のことではありません。ウィリさん、その手帳をよく見てください。それは俺がこれまで自分で見聞きしたことを記録したものです。手帳はそれだけじゃないですし、両親がつけていたものも大事に残しています」
はっ、として顔を上げたウィリさん。
俺はにっこりと笑う。
「ちゃんとまとめたら、ロゼロットの完全に近い地図が作れます」
地図って大事なんだよな。
領地を跨いで旅をする者には絶対必要だけど、売ってあるものはざっくりしたものしかなくて、旅をしながら自分で書き込むのが普通になっている。それに高い。庶民が買うとなれば結構大変だ。
でも俺の母親はなぜか地図を書くことができた。しょーがくこーと言うところで地図の書き方を教わったとかで、行く道行く道で記録をつけて自分で地図を作っていた。俺にも教えてくれたので少しは書ける。が、俺は絵心がないから下手だ。たぶん上手な人に書いてもらった方が完成度の高いものになると思う。
そんなことをつらつら話していると、手帳をパラパラと見ていたウィリさんは真剣な目で顔を上げた。
「近い? とは? これだけしっかり調べられたものをもとにすれば、完全な地図になるだろう」
「いえ、両親が残した資料は四年以上前のものですし、今は変わっている場所もあるかもしれません」
「……なるほど」
「これらはウィリさんに差し上げます」
「何!?」
あ、また目つきが厳しくなった。
「ウィリさんには、必要になることも多いと思って」
ウィリさんのこれからを思えば、道を、それぞれの土地のことを知っていることはいいことだと思う。
ウィリさんは、手帳を見て俺を見て、考える。
そして、口を開く。
「悪い方の話、とは?」
そりゃ、そっちも聞くわな。
「父親の敵討ちで、人を死に追いやったことがあります」
それにもウィリさんはギョッとした。
まあ、そうだよな。
「父は……酔っ払いの喧嘩に巻き込まれて死にました。犯人は逃げ出して捕まらなかったんですが、ある日しれっと俺の馬車の客として現れたんです。俺のことを覚えてなかったので、帰ってこれない場所に連れて行って捨ててきました」
ウィリさんはやっぱり驚いているけど、ミーニャさんはその話には関心がないのか「ふーん」な感じだ。
「すみません。一度だけですが、雇い人を裏切ったことがあるんです。裏切りを嫌っているウィリさんには申し訳ないと思っています。あんなことはもう二度とないので、できればこのまま御者として雇ってほしいです」
「うむ……」
顎に手を当て、目を閉じて考え込むウィリさん。
うあ……まさか、ダメ?
俺の秘密といえばそんなところだ。
母親の出自や父親の仇、ロゼロット王国の明確な地図が描ける記録。これ以外の秘密といえば、前まではイチゴが一番の好物だったけど最近ウィリさんの作ってくれたプリンの方が上になった、くらいか。
プリンの件も話すべきか迷っていたら、ウィリさんが「ふっ」と笑った。
「まだ、あるだろう? 秘密にしていることが」
「プリンのことですか?」
「プリン?」
「プリン?」
ウィリさんと一緒にミーニャさんまで首を傾げた。
思わず口をついて答えてしまったが、これは恥ずかしい。顔が熱い。
「プリンは苦手だったか?」
「い、いえ、好物になりました」
「それはなによりだが、俺が聞きたいのはそんなことではない」
それはそうだろうなとは思う。
何が聞きたいかも、なんとなくわかる。
言ってもいいものか……
俺は少し唾を飲んで、改めて問うた。
「ウィリさんは、自分のことを詮索するなと言いました」
「ああ」
「正体を、知られたくないようにも見えました」
「ああ」
「それでも、聞いても許してくれますか?」
「ああ、言ってみろ」
いいのか。
ならば、聞く。
「ウィリさんは、ウィリアル王子ですか?」
「そうだ」
ウィリさんは、大きくうなずいた。
 




