●【01・捨てられ王子と魔獣聖女】●
歩いてみると、その草原はずいぶん広いものだと思った。
そろそろ初夏だというのに、吹き抜ける風が随分寒々と感じる。
足は重い。
思い返せば、あれは四年前のこと。
俺はまだ十三歳だった。
大勢の護衛を引き連れ、王族専用の豪奢な馬車で、勝手について来た弟や婚約者とともに魔獣の森に続くこの草原へやって来た。
あの頃の俺は、貴族どもの争いの道具としての生き方を強いられていた。
ロゼロット王国、王位継承権一位の第一王子。
その後見の座を狙って大貴族たちは毎日のように争い、気の休まらない日々にうんざりしていた。
生まれた時から争いはあったようだが、弟が生まれてからは貴族同士の抗争が激化したとも聞く。
俺に付いた貴族は俺を利用することばかりに苦心し、弟についた方は俺を殺そうと暗躍した。
遅行性の毒を盛られるようになってからは最悪だった。
暗殺しようとしていた弟勢力だけでなく、俺を祭り上げていた奴らまで毒を盛られたことを喜びやがった。
毒のせいで体力を削られ、反抗できなくなったのがありがたいそうな。
死なない程度の治療しかしてもらえず、抵抗できないよう弱らせ言いなりになるよう育てるつもりだったのだろう。
ふざけるな。
奴らのいいように利用され続けた成れの果てが父である今の王だ。
政を放り出し、与えられる享楽に溺れ、奴らの言葉にうなづくだけの首振り人形。
俺はあんな風にはなりたくないし、奴らの横暴を止めたかった。復讐もしたかった。
何より、生き延びたかった。
貴族どもの手から逃れ、魔獣の森に逃げ込み生き延びたという噂の『聖女』。
その者を手に入れられれば毒に蝕まれた体を癒せるし、その先も暗殺の危険は減らせるだろう。なにより初代ロゼロット王の伝説になぞらえれば、聖女を伴侶に持つ者こそが王位を得るにふさわしいとされるのだから、反対者を黙らせるのにも都合がいい。
もちろんその目論見は妨害された。
それらをくぐりぬけやって来たものの、魔獣の森に入ることそのものがかなり危険な賭けだった。
……そもそも、本当にいるかどうかも怪しい情報だったしな。
死ぬつもりはなかったが、死ぬかもしれないとは思っていた。
ここで、聖女に会えなければ毒で弱った体がもたないと。
結局は、信じて選んだ護衛の中に裏切り者がいて、斬り殺されそうになったのだがな。
その時、俺は『聖女』とその養い親に救われた。
そして──今に至る。
草原を、半分ほど歩いたところで一息。
足は止めたが振り向かない。
背後には広大な森が広がっている。
魔獣の森と呼ばれ、人々に恐れられている場所だ。
その地に住う魔獣たちと、魔獣たちに育てられた聖女に……俺は命も心も救われた。
彼女はまさに『聖女』だった。
伝説に語られる通りの真っ白な髪に、怪我も毒も癒してくれる不思議な力を持つ少女。
少しばかり野性味が強い聖女だがな。
それに、人々が忌避する魔獣の森は俺にとっては楽園だった。
できることなら、ずっとそこで暮らしたかった。
なのに、大貴族がとんでもない馬鹿をやらかした。
放っておけば国の存亡どころか恩人たちの住うあの森にまで累が及びそうで、俺が帰って奴らを諫めねばならなくなった。
現王である父や、今は次期王の立場にある弟がそれをできればいいのだが、まったくもって期待できない。
死んだことにされ捨て置かれている第一王子が、今更帰って何ができるかは不安ではある。考えがないわけではないが……いや、気が滅入っている場合ではない。
何度も留まりたがる足を奮い立たせて歩き出すと、風に混じって声が聞こえた。
未練がましいと思って、振り向かなかったらまた聞こえた。
「ウィぃぃぃぃぃリぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」
「はっ!? ミーニャ!?」
聞き間違えようのない声に、驚き振り向き身構えた。
草原を猛然と駆けてくる白い姿が目にとまる。
彼女は必ず飛びついてくるから、足を踏ん張り受け止めなければならない。
案の定。
彼女は速度を落とすことなく突進して来た。
数歩手前から地を蹴り、ネコのように跳ぶ彼女。
両手を広げ全身に力を込め、なんとか転ぶことなく受け止めた。
腕の中にすっぽりおさまる彼女は、キッと俺を睨んで声を上げる。
「ウィリのうそつきー! ミーニャを持ってけー!」
追って来てくれた嬉しさに頬が緩みそうになるが、笑っていられる状況じゃない。俺はしがみつくミーニャの肩を押して剥がし、厳しい顔で言った。
「ミーニャ、森へ帰れ。森の外ではミーニャはいろんな奴に狙われて危険すぎる」
「ウィリの方が危険! でもミーニャがいれば死なない! 死なせない! いなくて困るのはウィリ!」
「う……」
少し言葉が詰まった。確かにミーニャがいてくれればどれだけ助かるかわからない。けれど、今の俺にはミーニャを守りきる自信がない。
どう言って帰らせようかと迷ったが、ふとミーニャの装いが俺の着ている服と似ていることに気がついた。森で過ごす楽な服ではなく出掛けるための装いだ。そして、その背には大きな背負い袋を背負っている。
「ミーニャ……もしかして、養母殿が来させたのか?」
「うん! ウィリといっしょに縄張りを取ってこいって! あ! おかあさまからお手紙!」
そう言うと、ミーニャは上掛けの懐から巻き四つ折りの手紙を取り出し差し出した。それを受け取り開けてみる。
「…………」
養母殿は異国から来た方だからこの国の文字は書けない。
それでも、異国の文字で色々と記録したりして書物にされていたので、読ませてもらうために養母殿の国の言葉を教えてもらった。が、難しすぎて完全に覚えることはできなかった。
それでも、なんとか手紙を読み解く。
『ひとつ、自分の体力を過信しちゃダメ。毒は抜けても油断禁物』
『ひとつ、落ち着いて考えればあなたは賢い。短気は損気』
『ひとつ、娘をよろしく。暴走は止めてね』
『ひとつ、成人までは手を出すな』
『ひとつ、子を成すのは縄張りを取ってから』
等々。
養母殿…………
目の中に、毛足の長い二本の尾っぽがゆらゆら揺れる姿が浮かぶ。
そして最後に
『優しい王様を目指しなさい』
それは、どうだろう。
復讐したい奴らはごまんと居るが。
いや、目指すべきだ。
ミーニャとともに生きる国だ。良い国にしたい。
難しいとは思うけれど──
俺は小さく息をついた。
「……ウィリ?」
心配そうに顔を覗き込むミーニャを、俺はゆっくり抱きしめた。
「本当について来るのか? 苦労をかけるぞ?」
恐る恐る問えば、ミーニャは答える。
「ウィリがいない方がイヤ!」
ギュッと抱きしめ返してくれたミーニャ。
俺を慕い追いかけて来てくれた、ミーニャ。
胸が熱くてたまらない。
出会った時は断られたが──今は違う。
俺は、願いを込めて昔願った言葉になぞらえ告げてみる。
「……聖女ミーニャ。俺は王座を取りに行く。それが成った暁には、俺の妻になって欲しい」
「わかった!」
あの時と同じように元気に答えてくれたミーニャ。俺は少し笑って追加で言う。
「勝負は無しな」
「惚れた方が負けって、昔おかあさまが言ってた! だからミーニャの負け!」
養母殿。
それなら俺の負けだろう。と、までは顔が熱くなりすぎて言えなかった。
俺が見つけた至宝の聖女。
彼女がいる、その心強さは計り知れない。
そして、彼女が王妃として隣に立つなら、俺は恨まれるような王になってはいけないんだ。
俺は彼女の手を取った。
「ありがとう。行こう」
「うん!」
こうして、俺たちは再び歩き出した。
ミーニャと二人で歩く草原は、先ほどまでの寒さを感じなかった。
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