第二話 チュートリアル
「これが、ダンジョン?」
谷中は、目の前にそびえ立つ近代的なビルを見上げて首をかしげた。
ダンジョンという響きから、山肌にぽっかりと空いている洞窟のようなものか、エジプトのピラミッドの入り口のようなものを想像していたのだ。
実際に目の前にあるのは鉄とコンクリートで出来た三階建てのビルである。
目の前にはガラスの両開きスライドドアがあり、『自動 手を近づけてください』というステッカーが貼ってある。現代的な自動ドアだ。
「これは管理センターですよ。ダンジョンはこの建物の向こう側にあります」
涼やかで落ち着いた声が、背中から聞こえてきた。
急に声をかけられて驚いた谷中が振り向けば、そこには三つ揃えのスーツを着た壮年の男性が立っていた。
「初めまして、糺と申します。初めてダンジョンに挑戦する方とお見受けしますが?」
「あ、あぁ。谷中だ。……初めてってわかるもんか?」
「初めての方は皆、この建物を見て困惑しますので。差し支えなければ色々ご案内いたしますが?」
きっちりとセットされた髪に無表情に近い真面目な顔の糺はそう言って谷中を追い越すと、自動ドアを開けて中へと入っていった。
「ま、待ってくれ!」
判決後、何がなんだか分からないまま車に乗せられ、気がついたらこの刑務所の個室へと押し込められた谷中は、一晩明けた今朝もまた、訳の分からないままダンジョンへ行けと部屋を追い出されていた。
看守の姿もほとんど見かけず、質問する相手にも困って途方に暮れていた谷中に取って、糺の背中は救世主にも等しい存在だ。谷中は慌ててかけだし、糺に続いて自動ドアをくぐりぬけた。
糺は、建物に入ると管理人から鍵を受け取り、谷中にも鍵を受け取らせて先へと進んで行く。
次の部屋にはロッカーがずらりと並んでおり、その一つを鍵で開けた糺は中からボウガンを取り出した。
「ダンジョン探索には武器の使用が認められています。しかし、このロッカー室より外側へは持ち出せません」
「あぁ……囚人に武器なんて持ち出させたら脱獄し放題だもんな」
食堂の料理人や清掃の担当者、監視員など囚人では無い人間もわずかだが刑務所内には存在している。それらを人質に取って武器で脅したり、看守を殴り殺すなどして勝手な要求をする姿を想像し、谷中はウンウンと頷いた。
「もちろんそういった懸念もありますが、ダンジョン産の武器は外へ持ち出すと消えてしまうのですよ。うっかり防止の為にも強制的にこちらに保管させる事になっているのでしょう」
そういう糺のボウガンはダンジョン産で、矢を継ぎ足さなくても撃てるのだと言う。その代わり、撃ち過ぎると非常に疲れるのだと説明してくれた。
「あなたは初めてですし、ご家族やご友人からの差し入れもないようですから、あちらからどうぞ」
谷中が開けたロッカーの中身が空だったのをみて、糺が指をさしたのは木刀や金属バットといった物が無造作に入れられている傘立てのような入れ物だった。新しい武器を手に入れるなどで不要になった武器は、ここに置いていく事になっているらしい。
「おそらくほとんどが地球産のお古ですが、もしかしたらダンジョン産のものが混じっているかも知れませんよ」
そう言われて谷中が武器の入った箱をのぞき込めば、入っていたのはどれも使用感がすごい年期物ばかりだった。
谷中は比較的綺麗そうな金属バットを手に取り、軽く振ってみた。こすれて塗装のはげている部分や擦り傷などは多いが、凹みが少なく重心のずれもさほどないようだった。
金属バットを脇に挟んで確保し、更に箱の中を探る。あまりかさばるものを持っていって動きに制限がかかるのも避けたいが、武器が金属ばっとだけというのも心許ないと思ったのだ。
谷中は目に付いた少し刃の欠けたサバイバルナイフを手に取り、ズボンのベルトに差し込んだ。
糺はその間にロッカーから取り出した丈夫そうな手袋や頑丈そうなヘルメットを装着して準備を進めていた。
ロッカールームのドアをでると、いよいよ『ダンジョン』という感じの場所に出た。石畳の床に石造りの壁と天井。
元々谷中がイメージしていたダンジョンのうち、ピラミッドの通路のような道がまっすぐと続いていた。
「ダンジョン内では経験を積んでいくと特殊技能を扱えるようになることがあります」
そう言って糺が『ライト』と口に出すと、差し出した手のひらの上に野球のボールサイズの光の球が現れた。
「特殊技能が発現したら、ダンジョン探索後に管理センターへ申し出る必要があります。……私たちは、囚人なのでね」
そう言って、糺は苦笑いを浮かべた。谷中は、無表情だった糺の初めての感情を見て「この人笑えるんだ」と驚いた。
覚える特殊技能は人によって違うこと、ダンジョンの外では使えない事など、色々と糺すに教えを請いながらしばらく歩いて行くと、ダンジョン帰りらしい囚人何人かとすれ違った。
「新人案内かよ、せいがでるな! 糺」
「おぅ兄ちゃん、糺に色々沢山教えて貰うんだぞぉ!」
みな、糺の事を知っているらしく、やたらと「親切にして貰え」とからかう調子で谷中に声をかけていった。
「なんか、皆凶悪犯罪者のはずなのに気の良い感じの人ばかりだな?」
拍子抜けしたようにそう言う谷中に対し、
「信じてはいけませんよ。みな、懲役二十年以上の凶悪犯罪者なのですからね」
そう言って糺はまた苦笑いを浮かべた。
二十分ほど歩いた所で、糺が突然立ち止まった。
「谷中さん。モンスターがいます」
「え? どこどこ?」
後を付いて歩いていた谷中は、その肩越しに前方をのぞき込んだ。
糺の指差す方向に視線を向ければ、壁の中程から床にかけて、べっとりと緑色の何かがくっついているのが見えた。
こけのようにも見えるし、しみ出した地下水で濡れているだけのようにも見える。
「スライムです」
「え?」