第九話 孤独な探索者
谷中がダンジョン刑務所に入所してから、半年が過ぎた。
相変わらず御手洗からの連絡は無く、当然のことながら差し入れも届いていない。
母と妹からはひと月に一回のペースで手紙が届くが、『御手洗さんに良くしていただいている』という文面を見る度に、大事な人を人質に取られているのだという事実に胸が痛んだ。
西野はあの一件以降も、谷中に対する態度を変えなかった。
ニコニコと笑顔を作りながら、すれ違えば挨拶をしてくるし、回収係の窓口で欲しいアイテムにちょっと届かないと谷中が嘆いていれば戦利品を譲ろうとしてくる。
ダンジョン内で怪我をしている時にも回復スキルを使おうと近づいてくるが、谷中はそれだけは断固拒否していた。回復スキルの悪用で人を殺せるのだと知っていれば、どれだけ傷が痛もうとも西野を頼る気にはなれなかった。
谷中のそんな態度を見て、西野を慕っている囚人達は谷中に白い目を向けるようになっていった。
直接ちょっかいをかけてくるようなことは無かったが、食堂や大浴場、娯楽室などでヒソヒソコソコソと陰口をたたかれ続けるのは気が滅入る事だった。
ダンジョンも四階層に入ると難易度があがり、一人では攻略がむずかしくなってくる。
犯罪者しかいないダンジョン刑務所内では、徒党を組むということは基本的にはないのだが、目的や利害が一致した時だけ行動を共にする、という事は度々発生していた。
谷中も、四階層の中程にある罠が一人ではどうしても解除することが出来ず足止めを食らっているのだが、西野事件以降、あらゆる人たちから遠巻きにされてしまっており手伝ってくれる人を見付けられずにいる。
「クッソ。他の奴らはどうやってここを通り抜けてんだよ……」
一見するとただの通路なのだが、近づくとパカリと地面が二つに割れて落とし穴が出現する。その上、落とし穴の底には鋭くとがった杭が上向きに刺さっており、落ちたら良くて大怪我、悪ければ死んでしまう凶悪な作りになっていた。
通路の両側にはこれ見よがしに目立つボタンが設置されているのだが、片方だけ押しても何も起きなかった。
押す順番が重要かと思って右から、左からと何度かやり直してみたが、地面は割れっぱなしでうんともすんとも言わなかった。
「お困りですか?」
「うわっ」
不意に声をかけられ、驚いた谷中は振り向きざまに木刀を振り抜いた。
「おっと。危ないですよ、谷中君。ダンジョン内も日本の法律は有効です。せっかく減らした刑期を暴行罪で増やしてしまっては元も子もありません」
「どの口が……」
後ろに立っていたのは西野だった。
ニコニコと人の良さそうな笑みを浮かべ、降参というように軽く両手をあげている。
あれから谷中は、西野の事を警戒していた。
手を触れられてはしまえば、治癒スキルの悪用で殺されるかもしれないと思えば当然の反応だった。
「ここは、左右のスイッチを同時に押せば元に戻って通れるようになるんですよ」
あの時の血まみれで笑う狂気に染まった姿とは結びつかないような、どこにでもいる人の良いおじさんといった様子で、西野が左側のスイッチの前へと進んでいった。
「さ、谷中君はそちらのスイッチを押してください。せーの、で行きますよ」
「ちょっ、まてよ。協力してくれなんて言ってないぞ!」
狂人で殺人者。そんなヤツとは手を組みたくないと思い、谷中は拒否の言葉を叫ぶが、
「嫌だなぁ、何もしませんよ」
と、西野はケラケラと笑った。
手首をスナップさせておいでおいでのように振りながら笑う姿は、むしろ井戸端会議に興じるおばさんっぽささえあった。
おじさんなのに。
「谷中君、今刑務所内で浮いてるでしょう? 良いんですか? 協力しくれる人にあてはあるんですか?」
「クッソ! 誰のせいだと思ってやがる!」
自分のスキルを悪用して殺人を犯している西野だが、普段はニコニコと人の良さそうな顔をして、話し方や態度も穏やかだ。
自分の成果を人に譲ったり、通りすがりに無償でけがを治してやったりしているおかげで、刑務所内での人望は厚い。
そんな西野を「殺人者だ!」と非難した谷中は、皆から距離を置かれ、白い目で見られるようになっていた。
この刑務所にいるのは全員刑期二十年超えの凶悪犯罪者ばかりではあるが、気性の荒い人たちばかりというわけでもない。
飲酒運転で多数の人をひき殺してしまった者は、酒を呑まなければ普通の人だし、ペドフィリアをこじらせて性犯罪を繰り返した者は、成人男性しかいない刑務所内では気弱な弱者でしかなかった。
囚人たちは基本的にダンジョンをソロで攻略しているが、協力プレイが必要な場面ではそういった性格が穏やかなもの同士が一時的なパーティーを組むこともある。
しかし、西野の件で浮いてしまった谷中はそういったことを頼める相手がいなかった。
「先に進んだ方が、刑期削減に有利ですよ? 谷中君は、僕と違って早く出たい人なんだから、利用できるものは利用しなくっちゃ。ね?」
「クッソムカツク!」
小さい子に言い聞かせるような口調で言われ、谷中はこめかみの血管がぶち切れるかと思った。
ブチ切れの勢いでズンズンともう一つのスイッチ前まで歩くと、手を添えて振り向いた。
「仕方ねぇから利用してやる! いいか、仕方ねぇからだ!」
ドスを利かせた声で叫ぶ谷中に、西野はおかしそうに笑いながら大きくうなづいて見せた。
西野の間延びした「せーの」の声に合わせてボタンを押せば、ゴゴゴという重たい音をさせながら割れた地面が元にもどり、何もない通路が目の前に現れた。
「三日も悩んだのに……」
ボタンの押す順番を工夫したり連打してみたり、色々と試しつつ自分には出来ない「同時押し」の可能性をわざと考え無いようにしていた谷中だ。
やっぱりね、という結果に心底がっかりした。
「じゃあ、僕は戻りますね。一緒に進むのは気が進まないでしょうし」
そう言って西野は手を振って来た道を戻っていった。
「何なんだよ。もしかして、ストーカーしてたのか」
西野の狂人っぷりを知っているのは自分だけ。そう考えれば、谷中が西野が自分を殺すタイミングを見計らっているのではないかと疑わしく思うのも仕方が無いことだ。
「そういえば、この罠。帰り道も同じ仕掛けってこたぁないよな?」
進めないのも困るが、帰れないのはもっと困る。
谷中は周りを見渡し、落とし穴の奥側の壁にボタンがないことを確認した。このダンジョンの罠には、必ず解除方法がセットで存在している。墓荒らしを排除する為の罠とは違い、招かざる客は排除したいが通路として使いたいとい意思がみえるようだと谷中は思った。
「まぁいい。余計なこと考えて居る暇はねぇな」
谷中の目標は早期出所と御手洗への復讐だ。ダンジョンの謎など考えている暇はないと思い直し、前に向けて足を進めた。




