6章 心
窓から眩しい光が差し込む。その光で、目が覚めた。
「ん…んん…」
目を開けると、白い天井。タイルでできた天井。そしてエチルアルコールの匂い。
「…目が覚めたようだね」
白衣を着た老人が顔を覗き込む。
「…病院…?」
「おや、よく分かったね」
優しい声の老医者を見る。その後ろには若い看護師らしき人がバインダーを持って立っていた。
「自分の名前はわかるかな?」
老医師の問に、答える。
「…高遠…"勝彦"…」
「うむ、よく言えたね」
自分の答えに、後ろに居た看護師が何かメモをしている。後でカルテとやらに書く時に使うのだろうと予想する。そして、周りが気になり上半身を起き上がらせた。
「おや、あまり無理しないでね」
「…はい」
プライベートを守るカーテンが自分と老医師、そして若い看護師を囲っている。そして、横にある窓から外を眺めると、ここは恐らく10階ほどだと予想した。遠くには東京スカイツリーが見える。
「今から、色々と説明していくね」
「…はい」
「君は、何故運ばれたのかは覚えているかな?」
過去の記憶を辿る。
「…覚えていません」
「ふーむ…」
老医師が自身の顎に生えている髭を撫でながら、何かを考えている。しかし、本当に何があったのか記憶が無い。でも、ふと思い出した。
「…兄さん…」
「…もしかして、高遠亮真くんのことかな」
目を見開く。今、この老医師が言った人の名前。自分と苗字が同じで、倒れる直前に見たあの人。
「僕の、兄です」
「それは、良い兄を持ったね」
「…そうなのですか?」
「そうだよ。君の兄は日本で結構有名になっていてね、怪物を何体も倒して街を救っているんだよ」
この老医師の話から、自分は兄の知らなかった情報を聞くことが出来た。まるで、街を守るヒーローみたいだと思った。
「…話が変わるけど、君はどうやら気絶していたみたいだ」
確かに、自分が気付いた頃には手に何かを持って、倒れた兄を目の前にして、そこから意識を手放したような気がした。
「かなりの時間、14,5時間くらいかな」
「…そんなに…」
「すまないけど、君が眠っている間に色々と検査させてもらったよ、怪我以外異常は無かった」
「ありがとうございます」
頭を下げる。老医師は優しい笑顔だった。
「それじゃ、お客さんが来ているから、私達はこれで失礼するね」
「…はい」
「何かあったら、周りの人を頼ってね」
「わかりました」
優しい老医師と若い看護師はカーテンから出た。再び窓の外を眺める。あの時、何があったのかまだあまり理解出来ていないが、記憶が曖昧なために何もわからない。すると、二人の人がカーテンの中から入ってきた。
「君が、勝彦くんかな?」
屈強な身体をした男。顔つきや服装から見て、歳は中年くらいだと予想した。
「…そうです」
すると、屈強な男の後ろから、見覚えのある顔がこちらを覗き込んできたのだ。
「…兄さん…!」
自分はあまりの興奮にすぐに飛び付いた。やっと、やっと会うことが出来た。
「兄さん…!」
「…痛い」
「あっ…ごめん!」
嬉しすぎて、少し強く抱きしめすぎたのかもしれない。相手が血の繋がった兄なのが不幸中の幸いなのかもしれない。普通の人だったら、恐らく骨折。最悪の場合は圧死しているかもしれないと思った。
「会いたかった」
「…んまぁな」
「すまないが、話をさせてくれ」
嬉しすぎたことで、もう一つ、隣にいる屈強な男の存在のことを忘れてしまっていた。
「何でしょうか?」
「単刀直入に言う、家族にならないか?」
「はい!」
「…え?」
屈強な男、源郎は戸惑った。
「あ、え、いいの?」
「はい!」
目の前の少年、勝彦は目を輝かせながら源郎の目を見つめる。いきなり知らない人に家族になろうと言われて、全くの戸惑いも迷いも見せずに決断する早さに、心の中で脱帽する。
「貴方と兄さんがもうすでに家族になっているのは知っています!テレビで見ました!」
「それは…話が速いな」
勝彦は病室のベッドから降りる。そして、勝彦の兄、亮真と源郎の手を取り、握手した。
「よろしくお願いします!」
「あぁ、それじゃ、着替えの服持ってきたから、取り敢えず君が居た孤児院に行って手続きをしよう」
「はい!」
渡された紙袋の中を覗き込むと、あの時亮真と戦ったときの服や装飾品が入っていた。お気に入りだったので、嬉しかった。勝彦はパッパと高速で着替えて、ピアスをつける。
「さぁ!行きましょう!」
先頭を勝彦が取り、その後ろに源郎と亮真がついて行く形となった。嬉しそうにする勝彦の髪は、雲のような白い髪をしていた。
「…勝彦って名前なんだな」
今日は雨が降っている。雨が降ると憂鬱だ。時には雨が好きだと言う人もいるが、雨は好きではない。自転車を漕ぐときにカッパを着なくてはいけないし、カッパは臭いし、カッパを着るとムシムシする。要するに、嫌いなのは雨ではなくてカッパなのである。
「高遠亮真とは違って良い子そうだな」
「ぶっ飛ばすぞ」
窓の外を見ると、雨の影響でグラウンドがまるで湖のように水浸しになっていた。この雨量だと、恐らくサッカー部も野球部も試合が出来ないだろう。仮に明日晴れたとしても、暫く水は残り続けるし、無くなってもグラウンドはグシャグシャである。
「勝彦くんって、亮真くんとどれくらい離れてるの?」
「確か中2だった気がする」
「気がするって…ちゃんと自分の兄弟のことくらい把握しとけよ」
一人っ子の綾野が言う。ちなみに、この五人の中で一人っ子は綾野、双葉、嬢子である。
「たった一人の、血の繋がった兄弟か…」
「でもさ、」
双葉に疑問が生じる。
「なんで勝彦くんは亮真くんに襲い掛かったのかな?」
「…さぁな」
あの騒動の後、警察が色々と調べていたらしいが、お互いに動機が無かったり、勝彦が記憶を失っていたりしてるため、原因は未だに不明だ。この騒動で切り込みだらけになった中庭や廊下は、嬢子が援助してくれた。
「う〜ん…何か引っかかるんだよな」
「お、名探偵綾野ンか」
「名前可愛いね!」
「ちょっと、集中させろ…」
綾野が額に手を付き、考え込む。あの時、亮真と勝彦が戦っていたときをよく思い出す。
「…黒い狐面」
綾野がボソりと言う。確かに、何故あの黒色の狐面を被っていたのかは誰も知らなかった。
「良い着眼点だ」
亮真は笑みを浮かべながら綾野に言う。
「実はな、あの黒い狐面、まだ見つかっていないらしい」
「高遠亮真、お前があのとき叩き斬ったモノが渡り廊下に落ちていないのか?」
「あぁ、無かった」
「そういえば、私達あまり黒い狐面のこと気にしてなかったね…」
「…俺と見てない…」
四人は考え込む。しかし、亮真だけはその素振りを全く見せていない。
「…もしかして、何か知っているのか?」
「あくまでも俺の推理だけどな」
「今度は名探偵亮真ンだね!」
雨の音がザァザァと耳の中に入る中、亮真は自分の推理について語り始めた。
「怪物だ」
「怪物?」
嬢子が亮真を睨む。
「怪物が高遠勝彦を操っていたとでも言うのか?」
「わからないが、少なくともそういう感じの怪物がこの街に潜んでいる可能性がある」
綾野と新羅が納得したような表情をする一方、嬢子は疑っている様子だった。双葉はそもそも理解してなかった。
「確かに、ショッピングモールにいた奴だって私達みたいな姿をして擬態していたからな」
「…ありえる…」
「除菌EX?」
亮真がギリギリのラインを攻める。多分、大丈夫だと思う。きっと。多分。知らんけど。
「でも、本当に人間を操作出来る怪物なんて居るのか?」
「どうだろうな」
怪物。それは何の前触れも無く急に現れる存在。人々を襲ったり街を破壊し尽くす存在である。それ故どのように現れているのか、どのような身体の構造をしているのかまだ謎なのである。怪物は倒してしまうとすぐに消滅してしまったり、捕獲する技術が今のところ無いのだ。
「本当にいるかわからない、けど、わからないことを逆手に取るんだよ」
「どういうことだ高遠亮真」
「怪物は倒されるとすぐに"消滅"する、もしかしてその黒い狐面が怪物に関するもので、斬られて消滅したんじゃないか?」
「成る程、消滅したところにスポットライトを照らしたんだな」
「高遠亮真、他に場から無くなる要因があるんじゃないか?」
「渡り廊下は屋内だし、すぐに警察関係者が来たから誰かが盗むことも出来ないだろう?」
亮真の推理は、筋が通っていて矛盾が何も無かった。まさに完璧な推理であった。あの騒動が怪物が仕組みこんだもので恐らく間違い無いと皆は思った。
「亮真くん、本当の名探偵みたい!」
「まだだ」
スマホを取り出し、亮真はラインを開く。
「この街に怪物が潜んでいる可能性がある以上、それを探し出さなけりゃならない」
五人は窓の外を見る。相変わらず雨がザァザァと降る向こうに、自分達が住んでいる街が見える。その中に一人、怪物が混じっているのだと考えると、心の中に焦燥感がした。
「俺のお義父さんに連絡した、警察も多少は動いてくれると思う」
亮真はスマホの電源を落とした。
19時頃。昼間の雨よりは少し弱まってはいるが、それでもまだ雨は降っていた。もう夜なので真っ暗だが、降り止む気配は空を見なくてもわかった。
「亮真くーん!」
部活が終わり、駐輪場へと向かうと、駐輪場の屋根の下で双葉が亮真を待っていた。
「どうした?」
「一緒に帰ろ!」
「んまぁ…良いけど」
亮真はカッパを着るという行動に憂鬱を感じていた。カッパ嫌い。周りを見ると、カッパを忘れた生徒が猛スピードで自転車を漕いでいた。正直、カッパを着るか濡れて帰るかと言われたら濡れて帰ったほうがマシだと思う。
「雨、凄いね」
自転車を押しながら、歩いて帰る。
「本当に雨は憂鬱だ」
亮真は疲れたような声を出しながら言う。
「明日も雨らしいよ」
「ウゲッ」
「フフッ…」
思わず変な声を出す亮真。それを見て少し可愛いと思ってしまった。
「私の方が家近いから、泊まってっても良いんだけどなー」
「いや、自分の家の方が落ち着くから断る」
「じゃあ私が亮真くんの家に泊まろうかな〜」
「家族以外が家に居ると落ち着かなくなるから断る」
「泊まりたいな〜」
「…わあったよ…」
「えっ!いいの?」
「いつか、な」
「ありがとう!」
「…ったく…」
そうこう話しているうち、十字路の道に来る。ここでいつも別れているのだ。
「じゃあね亮真くん!」
「ん、またな」
二人は別々に帰っていくのであった。
(亮真くんと…お泊りか…)
そんなことを考えながら、自転車を漕いで帰る双葉。ふと、赤い信号機に止まる。
(亮真くんと…えへへ…)
「すみません」
「ひゃいっ!な、何でしょうか?」
後ろから黒いフードを被っている男に話しかけられる。信号はまだ赤で、周りに車や歩行者は居ない。
「ここから、最寄りの交番がどこにあるか、知ってますかね?」
「交番は…ここから左に曲がって大通りに出て、そこを左に進むとありますよ」
信号が青になる。左右からは車や歩行者が来ている様子は無い。
「では、さようなら〜」
自転車を漕いで進もうとすると、身体に衝撃が来る。
「待て」
どうやら、服の首根っこを掴まれたようで、自転車を前に進めることが出来ない。双葉は男に掴まってしまったのだ。
「な、なんですか…?」
「動くなよ」
双葉は振り返って男の方を見る。その手には出刃包丁が握られていた。
「動いたら刺す」
怖い。あまりの恐怖に双葉は怯えきっていた。信号が赤に変わる。車も人も、左右を見ても来る様子が無かった。
「自転車から降りて、俺について来い」
「…はい」
自転車を降りて、男が手招きする方へ黙ってついて行く。何も抵抗出来ないまま、双葉は男の指示に従うしか無かった。少し進んだ先に、車が停めてあった。
「乗れ」
双葉は少し躊躇う。ここで乗ってしまったら逃げれることが格段に難しくなることは、恐怖で支配されている今でも分かりきったことだった。
「どうした、早く乗れ」
この男の一声に、双葉の身体はつい車の中へと導かれてしまった。
バタン
車の扉が閉まる。車内は煙草臭く、雨降る夜なのでいつもより一層暗かった。そして、男が車の運転席に乗り込んだ。
「へへ…お前、良い体してんじゃねぇか」
男がニヤニヤしながやバックミラー越しに双葉を見る。嫌悪感と恐怖に襲われる。
「人質のつもりだったが…後でヤるのが楽しみだ…」
その言葉に、双葉は絶望をする。これからこの男に囚われながら一緒に過ごすと考えると、この男と体の関係を持つ未来を想像すると、耐えることが出来なかった。
(もう…いや…)
エンジンがかかる音がする。
「…ん?」
男が何かを見ている。しかし、双葉は全身を縮こまらせ、目を瞑り、頭を抱えていた。周りで何が起きているのか考えている余裕など無かった。
「おい、さっさとどけ、轢いちまうぞ」
前にいる人影は立ち退く気配を見せない。
「チッ、どうなっても知らねぇぞ」
男はアクセルを踏み、車を前進させた。
はずだった。
「…は?」
車が進まない。しっかりとアクセルを踏んでいる。ガソリン切れも起こしていない。
「故障か…?…違う…」
男は前を見る。前にいる人影が車に手をついて車を止めていたのだ。
「なんだ?車を素手で?」
すると、その人影は車のフロントガラスをパンチで破った。
「なっ…強化ガラスだぞ!」
「強化ガラス?知らねーよ」
男はアクセルを踏もうとする。しかし、
「おっと、させねーぞ」
その人影は男を殴り、気絶させた。そして、車内に入り、言った。
「…?」
双葉は突然現れた人影に目を向ける。暗くてよく見えなかった。声も聞いてる余裕も無かったが、次の声で誰か一瞬で分かった。
「おーい、双葉?」
「り…亮真…くん…」
高遠亮真。彼が現れたのだった。その瞬間、安心感が身体から溢れ出した。
「亮真…くん…」
抱きしめ合った。亮真は双葉の頭を撫でる。
「怖かったよな、もう安心していいぜ」
雨の音が響く中、パトカーのサイレンが近付いてくるのがわかる。恐らく亮真が通報してくれたのだろう。
「よく頑張った、偉いぞ」
ただ抱きしめ合う二人。パトカーのサイレンの音がどんどんと大きくなっていく。少しずつ落ち着いて、心に余裕が出来た双葉の心の中は、安心感と何かが詰まっていた。
(もうだめ…好き…)
息が荒くなる。何故かわからないが腰が勝手に動く。身体が何かを求めているようだ。
「…双葉?」
しかし、サイレンの音でハッとする双葉。
「お二人さん、大丈夫ですか?」
「あぁ、運転席で気絶しているやつが加害者だ」
「わかりました」
警察官は運転席のドアを開け、気絶している男に手錠をかけた。
「19時21分49秒、現行犯逮捕する」
「ん…あぁ…?」
目覚めた男は警察官に歩かされ、パトカーの中に入っていった。男は終始何が起きているのか理解出来ていない状態だった。
「高遠亮真さん、毎度御苦労様です」
「おう、お疲れさん」
警察官が亮真に挨拶をし、パトカーに乗り込む。そしてパトカーは警察署へと向かっていくのであった。
「さ、一旦家に帰ろうぜ」
まだ抱きしめ合ったままの二人。しかし、双葉は一向に離す気配を見せない。
「…ったく…仕方ねぇな」
「…」
「…そりゃ、あんなに恐怖に怯えて、安心して、疲れるわな」
外には黄色い規制線が張られている。この後、この車を軽く調べてレッカー車で運ぶのだろう。
「…案外、悪くねぇかもな」
雨は、今も外で降り続けている。
ザァザァと音が聞こえる。その音と共に目が覚める。すると、聞き覚えのある声が聞こえる。
「起きたか」
「亮真くん…」
辺りを見渡すが、暗くてよく見えない。
「ここは…」
「車の中、ちなみに今20時半くらいだ」
身体を起き上がらせる。外は雨が降っている。
「…帰らなくちゃ」
「…そうだな」
二人は車の外に出た。自転車が外に停められているままだ。
「お前の家までついていくからな」
「…ありがとう」
自転車を押し、雨が降る暗い夜の道を歩いていった。
「…」
無言でベッドの上でスマホを眺める。
(亮真くん…)
スマホの電源を落とし、寝ようとする。
(…私は…)
あの時、双葉は安心感が溢れて他に考える余裕が無かった。しかし、今になってわかった。
(私は…無力だ…)
きっと、亮真が来なかったら双葉はあの男に滅茶苦茶にされていたのだろう。いつも、助けられてばっかりだった。勝彦との戦いでも、見ていることしかできなかった。他の皆も、今までの戦いで活躍してきた。しかし、そんな中何も出来ていない双葉は自分に劣等感を抱いていた。
「…っ…」
苦しさが溢れる。無力過ぎる。自分はあの四人と一緒に居るべきなのだろうか。自分はただの四人の足枷なのではないか。亮真は刀、綾野は義手、新羅は銃、嬢子は戦斧を持っている。でも、自分だけ、武器すら持っていなかった。どんどん自分が嫌になっていく。
(もうだめ…)
双葉の目には、光は無かった。
「はぁ」
亮真はいつも通り自転車に乗って登校する。天気予報では今日も雨が降る予定だったが、白い雲が空を覆っているだけで雨は降っていなかった。それでも、空気がジメジメしていて亮真は憂鬱だった。
「帰りたい…」
亮真が呟きながら正門を通る。すると、
「…は?」
校舎の屋上。誰かが足をかけていた。誰がどう見ても飛び降りようとしているようにしか見えなかった。
「…双葉…!」
虚空を見つめる双葉。そして、
飛び降りた。
(マズい…!)
亮真は咄嗟に刀を取り出す。
その瞬間、青い閃光が双葉が地面と激突する寸前に受け止める。そして、その勢いのまま校舎の壁に激突した。
「…はぁ、はぁ」
あまりにも急過ぎて、どっと疲れが来る。帥曹流 青躑躅を応用して高速移動して受け止めた。
「双葉…お前…」
双葉を見る。目から涙が溢れていた。そして、亮真を見て言う。
「私…なんで…」
「なんでって…」
「私は、無力なのに、助けられてばっかだったのに、足手まといになのに、なんで…」
泣き崩れる双葉。
「…否定しない」
亮真の言葉に、双葉は絶望した。
「私を…殺して…」
双葉は亮真に懇願した。また助けられることはわかっていた。しかし、これが最後の助けとなると考えると、心の痛みと幸福の両方を感じた。しかし、亮真は言い放った。
「断る」
一瞬、亮真が何を言っているのかわからなかった。けど、一息おいてやっと理解した。
「…どうして…」
何故かわからない。自分が居なくなれば四人から足枷が消えるはずだった。それなのに、亮真はそれを断ったのだ。
「それは…」
亮真は言う。
「お前のことが、大切だからだ」
「嘘つかないで!」
「嘘なんかじゃない」
その事実を受け入れたら、また助けられてばっかりの自分に逆戻りする気がして怖かった。すると、
「証明してやるよ」
亮真は刀を取り出す。あぁ、やっとこの世から消して貰えると思うと、やっと役に立てたと幸せな気持ちになる。そして亮真は、
自分の腹に刀を突き刺した。
「…え?」
亮真の腹から血が溢れ出す。刀は深く、いや亮真の身体を貫通しているように見える。
「…何…してるの…」
あまりの光景に頭が混乱する。
「がはぁっ…」
亮真の口から血が噴き出した。そして、息を荒くしながら言う。
「俺は…お前の為なら…死んでもいい」
亮真はさらに刀を抉る。
「…やめて…」
その手を双葉が押さえる。
「…もうやめて…お願い…」
すると、口から血を垂らしながら亮真はニヤリと笑った。
「わかったか、これが、証明だ…」
亮真は刀を抜き取る。すると、更に血が溢れ出してくる。泣きながら双葉は亮真の腹と背中を押さえつけた。
「いいか…お前が、生きてることは…枷なんかじゃ…ない、生きてることは…誰かの…為なんだ…」
「いいから!もう…喋らなくて…」
亮真は横に倒れる。
「安心しろ…死にはしない…」
「でも…!」
「本当にそうでしょうかねぇ?」
後ろから声が聞こえた。振り返る。
(黒い…狐面…!)
曇り空の下。突然現れた黒い狐面の男。いや、人間にしては大きすぎる身長、異様に長く鋭そうな爪を見て、怪物だと悟った。
「貴方は…」
「おっと、自己紹介が遅れてしまいました」
コホン、と目の前の怪物が言う。
「私はマダー様三人衆の一人であります、ブルタレと申します。以後、お見知り置きを」
深く礼をする怪物、いや、使徒。
「テメェ…」
倒れていた亮真が起き上がり、刀を構えた。
「あまり動かない方が良いですよ、貴方は今大怪我をしているじゃないですか」
ブルタレは亮真に近付く。そして、わざとらしく心配する。
「ほら、ここから出血しているじゃないですか!」
そして、ブルタレが亮真の腹をその鋭い爪で突き刺した。
「があっ!」
亮真が叫んだ。
「もうやめて!」
双葉がブルタレに向かって叫ぶ。
「おや?元はと言えば貴方がこうしたんですよ?」
ブルタレは亮真を指差す。
「貴方の存在証明と言って、自ら腹に風穴を開けさせたのをもう忘れたのですか?」
すると、亮真がブルタレに斬りかかる。しかし、簡単に避けられてしまう。
「やはり、動きが鈍くなっているようですねぇ」
ブルタレは亮真の腹を蹴った。
「が…はっ…!」
「高遠亮真さん、パウラの件ではお世話になったそうですねぇ」
ブルタレは続ける。
「実に滑稽だ!自ら腹に風穴を開けるとは!私がこんなチャンスを見逃すわけが無いでしょう!」
ブルタレは移動し、大声で言う。
「さぁ皆さん!あの高遠亮真が死ぬ瞬間をとくとご覧あれ!」
ブルタレは亮真の方を見ると、
「…おや?」
倒れる亮真の前に、双葉が立っていた。
「そこに立っていると危ないですよ、貴方は"無力"なのですから」
「…そんなの…わかってるよ…」
「なら、早くどきなさい」
「…嫌だ…」
双葉は自分の中から何かが込み上げていくのが自分でもわかった。
「何故ですか?無力の貴方がこの私に、使徒の私に立ち向かったところで結果は丸わかりでしょう?」
合っている。ブルタレの言うことは合っている。このまま立ち塞がっても、簡単に自分を殺すことが出来るのだろう。
「私は…私は…!」
どんどんと込み上げていく。気の所為だろうか。双葉の周りがピリピリし始める。
「それでも亮真くんを守るんだ!」
ピリついていく空気。
「実に滑稽だ!無力な貴女が守るだって?馬鹿にもほどあります!」
嘲笑うブルタレだが、それでも双葉は揺るがなかった。込み上げる。どんどんと。周りがビリビリし始める。
「…貴女…その周りのものは…」
「…五月蝿い…!」
ビリビリする。自分の長い髪が段々と逆立っていくのがわかる。次第にビリビリはバチバチに変わっていく。
バチッバチッ
「…おのれぇっ!」
ブルタレが双葉に突撃する。
バチッ!
「がっ!」
ブルタレの全身に痛みが走った。まるで…
"電気"みたいに
「な…なんなんだ貴様はっ!」
双葉の手に重い、想い物が握られる。その姿はまるで、大きな和太鼓のような物。
「…私の…武器…」
"槌"
「あ…ああっ…」
ブルタレは後退りしようとする。しかし、何かがおかしかった。
(か、身体が…動かない)
激痛が走った。しかし、叫ぶことも逃げることも出来なかった。そして、自分が感電してることに気付いたのだ。
(私が…この私がぁっ!)
感電するブルタレの目の前に双葉は立つ。そして、その大きな槌を両手に持ち、精一杯振り上げる。
「…これが、私」
全力で槌を振り下ろす。ブルタレの身体はその大きな槌で潰れ、ぐしゃぐしゃになった。
「お前…」
血だらけで倒れている亮真。ブルタレの死体はやがて消滅し、一粒の光が空へ舞い上がり、遥か彼方へ消えた。
「亮真くん!」
双葉が亮真に駆け寄る。
ピーポーピーポー
救急車の音がする。
「双葉…」
「待ってて、今…」
双葉は傷口を押さえつける。
「…"ありがとう"…」
双葉はハッとする。
「…どういたしまして…」
使徒 ブルタレ
神 マダーが生み出した三使徒の一人。しかし、実はマダーが生み出した訳では無く、自らの志願で使徒となった。
相手の心の中にある小さな感情や思考を増大させる能力、そして相手を自由に操る能力の二つを持ち、それぞれ発動条件が違う。前者はブルタレ自身が相手に取り付くことで増大させる。後者は相手に黒い狐面を被せることで発動が出来る。
比較的身体能力は低いが、これはブルタレは心を操り相手を弱らせてから仕留めるタイプなので、身体能力を上げる必要が無いからである。しかし、並の人間なら弱らせずに仕留められるのだ。