聖女様を、怒らせないで。
暴力的な表現がありますので、苦手な方はご注意ください。
【お知らせ】
本作品のアリステアとヒナを主人公とした話で、連載版をスタートしました。
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扉がゆっくりと開いていく。
その奥の薄暗い空間から、女の声が響いてくる。
――魔道具の三日月堂へようこそ。私は店主のクロエです。
当店は絶大な力を持った魔道具を数多く取り揃えています。
あらゆる奇跡を起こすことから、私のことを『三日月の魔女』クロエ・アナと呼ぶ方もいらっしゃるそうで。
例えばどんな商品があるのかって?
それでは、こちらの魔道具をご覧ください。
……円滑な人間関係に、感情のコントロールは不可欠。
特に、怒りや悲しみといったネガティブな感情は、できるだけ表に出さないようにしたいものです。
ですがもし、自分のネガティブな感情をなくしてくれる魔法の道具があったとしたら、あなたならどうしますか?
参考までに、あるエピソードをご紹介しましょう……。
**********
「んぎゃわいいッ! キュートすぎます、お嬢様ッ!」
「でもさすがに子供っぽくないかしら、お人形さんなんて」
「そんなことありません! サイッコーにお似合いですッ!」
女の子の人形を抱えて戸惑いの表情を浮かべる伯爵家の四女、アリステア・ウィンズベリーの横で、その侍女ヒナ・ヒムラは鼻血を垂らして身悶えている。
長机の向こうから冷めた目でそれを眺めるクロエの存在に気が付くと、ヒナはハッとなって鼻血を拭き、居住まいを正す。
「し、失礼しました。お見苦しいところを。それで、この人形があれば本当に、お嬢様が怒りを覚えることはなくなるのですか……?」
クロエはうなずき、「ええ」と応える。
「これは、アンガードール。持ち主の怒りを肩代わりする人形型の魔道具です」
「怒りを、肩代わり……」
「はい。この人形は、持ち主の怒りを吸収して赤くなります。限界を超えると人形は壊れてしまいますが、その前に人形をなでれば色は元通りに。これはそうやって、怒りをやり過ごせる魔道具なのです」
それを聞いてヒナは「うん、なるほど、これなら……」とつぶやいてうなずく。
そのとなりで、アリステアは人形をじっと見つめている。
人形は金髪でまつ毛が長く、フリルがたっぷりの服を着ている可愛らしい女の子の造形だが、それを抱えるアリステアも同等以上に可愛らしい容姿をしている。
アリステアの服装は、細かい花柄の刺繍が入った黒のドレス。
黒であわせたハーフボンネットとそのドレスは、アリステアのまばゆい銀髪や白い肌と見事なコントラストを生んでいる。
ほとんどモノクロの全身の中で大きな瞳だけが紅く、体は華奢で手足は長く、並外れて顔は小さい。
それこそ人形のような美少女だ。
それを見て、クロエは「ところで」と尋ねる。
「そちらのお嬢様……アリステアさんは、そんなに怒りっぽい方なので?」
目をパチクリするアリステアの横で、ヒナが顔の前でブンブンと手を振る。
「とんでもないッ! お嬢様は本当に心優しいお方です。ご存知の通り、ウィンズベリー伯爵家は聖女の家系。お嬢様も例に漏れず、結界を駆使して人々を守る聖女なのですが、その御心も聖女の名にふさわしく清廉潔白なものです」
侍女だというのにメイド服で片眼鏡をかけて腰にカタナという妙ないでたちのヒナは、襟を大きく開いて右肩を露出した。
そこには古い傷跡が残っている。
「実は私は10年前にこの世界にやってきた転移者なのですが、森の中で襲われていた私を助けてくれたのが、当時まだ4歳のお嬢様だったのです」
「……ほう」
「その件だけでなく、お嬢様は目に入るものすべてを救おうとなさいます。本当に心が美しい人なのです。自分の力が及ばぬものにも立ち向かい、誰かを守ろうとする勇気と誇り高い精神をお持ちの、聖女の中の聖女なのです」
そう語るヒナの横でアリステアは顔を赤らめ、恥ずかしそうにうつむいている。
「そんなお嬢様に、どうして怒りを抑える魔道具が必要なのでしょうか?」
ヒナが「それは……」と口ごもってアリステアを見ると、アリステアは「わたくしは構いませんわ、ヒナ」と微笑む。
小さくうなずいて、ヒナが語り始める。
「実は、お嬢様は…………」
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街道沿いにポツンとあった魔道具店を出たアリステアとヒナは、しばらく馬を走らせてから町の入口へとやってきた。
「この町では、大人しくしててくださいよ、お嬢様?」
「心外ですわ、ヒナ。わたくしを猛獣か何かのように言って」
「……前の町で、神父様に何をしましたっけ?」
「あ、あれはだって、懺悔に来た信者さんの弱みにつけ込んでガラクタを売りつけたり、破産させた信者さんを奴隷商に売り払ったりしていたから……聖職者にあるまじき行為と、わたくしも、ついカッとなって……」
「まあ、いいですけど。とにかくその魔道具、なくさないでくださいよ?」
ヒナが視線をやったのは、アリステアの腕の中。
三日月堂で手に入れた魔道具の人形、アンガードールが抱かれている。
「やっぱり、子供っぽくて恥ずかしいですわ……」
「そんなこと言ってる場合じゃないですよ。それがなければ、また大変なことになるんですから。でも、さっきも言ったようにですね、そもそも厄介事に首を突っ込まないことが何よりも大切で……って、お嬢様!?」
ヒナが始めた説教を聞かずに、アリステアは町の入口に集まる人だかりに小走りで駆けていった。
町に入ろうとする人々の行列の最後尾に、大きな荷物を抱えた老婆がいた。
アリステアはその老婆に駆け寄ると声をかけて、老婆の背から荷物を受け取った。
荷物を背負ったアリステアはしばらくプルプル震えたあと、前のめりにべちゃっと倒れて荷物の下敷きになった。
「おやまあ、お嬢ちゃん、大丈夫かい!?」
慌てふためく老婆を見上げてアリステアは、
「あはは、大丈夫ですわ。これも聖女の修行の一環ですから」
と、荷物の下で笑った。
「まったくもう、お嬢様は……」
ヒナは苦笑しつつ、アリステアと老婆のいる方へ走っていく。
**********
アリステアとヒナの目の前に、湯気のあがるビーフシチューが置かれた。
「どうぞ、召し上がれ」
老婆はそう言って、カウンター越しのキッチンの中で微笑む。
「おばあちゃんが、お世話になったみたいで」
アリステアとヒナにシチューを出したのは、可憐な笑顔の少女だった。
老婆の名前はエマ、少女の名前はクロリア。
エマとクロリアは、祖母と孫娘の2人で小さな料理店を営んでいた。
「感謝いたしますわ……! はしたないのですが、ちょうどおなか、ペコペコで……!」
アリステアは胸の前で素早く十字を切る。
ヒナも「いただきます」と手を合わせ、2人はほとんど同時にシチューを口に運んだ。
「おいしい……! なんだか恐縮ですわ。結局わたくしはお役に立てなかったのに……」
「そうですね。確かに結局、荷物は私が運びましたね」
「……申し訳ありませんわ」
「いいんですよ。可愛いお嬢様のためですから」
「ヒナには、いつも感謝していますわ」
「いいんですって」
そんな会話を交わしながらも、アリステアとヒナはすごい速さでシチューを平らげていく。
「うふふ、たくさんあるからどんどんお食べ」
よく食べる2人に、エマは嬉しそうにおかわりをよそう。
孫娘のクロリアは阿吽の呼吸でエマからシチュー皿を受け取ると手際よくアリステアとヒナの前に置き、カゴにパンを補充しグラスに水を注いでいく。
「……ウチで食べていた料理よりも美味ですわ」
シチューの中の大ぶりな牛肉はよく煮込まれていて、スプーンだけで簡単にほろりと崩れた。
付け合わせのマッシュポテトの舌触りもなめらかで、シチューに溶かして食べると柔らかな風味が口の中に広がった。
しかし、料理店は昼時だというのに他の客の姿はなかった。
ヒナがそれを不思議に思って店内を見渡したのを見て、エマが言った。
「昔は、もっと繁盛していたんだけどねえ」
エマの言葉に、クロリアは寂しそうにうつむく。
「ごめんね、おばあちゃん。私のせいで……」
エマが「何を言ってるんだい、あんたのせいなんかじゃ……」と言いかけた時、その前でアリステアが空になった皿をにゅっと掲げた。
「おかわりを、所望しますわ」
これでもう8杯目だった。
「ふふ、よく食べる聖女様だこと」
エマがそう笑った時、店の入口が勢いよく開いた。
「おいおい、こんなチンケな店に聖女だって?」
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「おいババア、今日はキッチリ払うもん払ってもらうからな」
いやらしい笑みを顔に張り付かせた長髪の男を先頭に、数人の男たちがドカドカと店の中に踏み込んできた。
「客じゃないなら出ていきな、ザルザ」
先ほどまで柔和な笑顔を見せていたエマが険しい表情でそう言うと、ザルザと呼ばれた長髪の男は「なんだとォ!?」と顔をしかめた。
「ここで商売したいなら、俺たちにショバ代を払えって言ってんだよ!」
「ふん、今月分は先週とっくに払ったじゃないか」
「今月分だ~~~~? おい、聞いたかお前ら、今月分だってよぉ?」
ザルザがそう言って、後ろに控える体格のいい男たちの方を振り向くと、男たちは一斉に「ギャハハハハ」と下品な笑い声を上げた。
「何がおかしいんだい」
「あのなババア、今日取りに来たのは今月分じゃねえんだよ」
「……? まさか、来月分とでも言うつもりかい」
「違うねぇ……今週分だよ」
「今週分……?」
ザルザは、椅子を蹴り飛ばして怒鳴り声を上げる。
「おめえらのショバ代は、たった今から毎月じゃなくて毎週になったって言ってんだよ!」
「そ、そんな無茶な……!」
「無茶もクソもあるか! この町でこの奴隷商人ザルザ様に逆らって生きていけると思うなよ! お前ら! やっちまえ!」
ザルザの合図で、大柄な男たちが動き出す。
テーブルをひっくり返し椅子を放り投げ、棚の酒瓶や窓際の花瓶などを手当たり次第に破壊していく。
「お待ちなさい!」
カウンターに座っていたアリステアがそう叫んで立ち上がる。
その腕に抱えられた魔道具の人形の肌が、次第に赤く染まっていく。
ヒナがそれを見て「お嬢様、なでて、なでて」とささやく。
アリステアは男たちの前に歩み出ながら、人形をなでる。
人形の色が赤から肌色へ戻っていく。
「なんだぁ……お前は?」
凄むザルザとアリステアの間に、ヒナが割って入る。
「こちらにおわすのは、ウィンズベリー伯爵家の四女、アリステア様。お嬢様の前で不埒な行為は、決して許されませんよ」
ヒナの言葉を聞いて、男たちは互いに顔を見合わせる。
「ウィンズベリー? そんな大物がこんな田舎町に?」
「それにウィンズベリーに四女なんていたか?」
「もしウィンズベリーの聖女なら、とんでもなくデカい結界を張れるはずだぜ」
「本当に聖女だって言うならよ、お前の結界を見せてくれや、お嬢ちゃん」
ニヤニヤ笑う男たちを見上げて、アリステアが「ええ、いいでしょう」とうなずく。
ヒナが慌てて「ちょ、お嬢様……」と止めに入ろうとしたが、時すでに遅し。
「ふっ」
目と口をぎゅっと閉じて全身をこわばらせたアリステアの体が光を放つ。
ザルザは「おっ?」と声を上げ、大男たちは身構える。
しかし結界が広がる様子はない。
アリステアは体の表面に、薄い光の膜をまとって言った。
「これが、わたくしの結界です。体から1センチしか広がりませんが……」
男たちはきょとんとした顔を見せてから、爆笑した。
「ぎゃははははッ! お前のどこが聖女だ!」
「たった1センチじゃ、結界とは言わねえんだよ!」
「出しゃばってんじゃねえぞ、ニセ聖女が!」
すると、ヒナが凄まじいスピードで男たちの間をすり抜けた。
そして静かに「お嬢様への侮辱はそこまでです」とつぶやく。
――――カチン……。
いつの間にか抜いていた腰のカタナをヒナが鞘に納めると、男たちの衣服が一斉に斬り裂かれ、ハラリと舞い落ちていく。
「い、いやあああああああんッ!」
下着姿になった男たちは悲鳴を上げて、我先に店の外へと逃げ出していく。
「お、覚えてやがれ! この借りは必ず返してやるからな!」
そんな捨て台詞を吐いて、ザルザも裸で走り去っていった。
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その夜から、アリステアとヒナはその料理店の2階の空き部屋に泊まらせてもらうことになった。
ヒナは厄介事を避けるため早くこの町を出ようと主張したが、エマとクロリアが心配だからというアリステアの主張に折れた格好だ。
「まったく……お嬢様は、私が言っても聞かないんですから」
そう言ってヒナはため息をついたが、アリステアは「だって、仕方ないじゃありませんの」と頬を膨らませた。
「困っている方がいるのに、聖女が逃げ出すわけにはいきませんわ」
ヒナは渋々「まあ、そうですけど」とうなずき、アリステアの後ろを歩く。
――厄介事に巻き込まれても、あの魔道具があれば大丈夫か。
ヒナの目線の先で、アリステアは三日月堂で手に入れた人形を抱えている。
持ち主の怒りを吸収して赤くなる魔道具、アンガードール。
ザルザたちとの揉め事の際も、アリステアの怒りは抑えることができた。
アリステアとヒナは町を歩き回り、数日の間に何人かを助けていった。
迷子になって泣いている子供をあやして親を探してあげたり、杖をなくした老人に肩を貸して家まで送り届けたりした。
穏やかな日々だった。
アリステアの人形が赤くなることもなかった。
しかし、いつも通り町の巡回を終えて店に帰ってきたある日、エマは泣いて2人に飛びついた。
「クロリアが……クロリアが、こんな手紙を残して……!」
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おばあちゃん、そしてアリステアさんとヒナさん。
ごめんなさい。
私は、ザルザのもとに行きます。
ザルザなんか大嫌いだけど、そうしないと、お店が燃やされるって……。
ロッシュが帰ってきたら、私は死んだと伝えてください。
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「ロッシュってのはね、クロリアの恋人だよ……。今は戦場に行ってるけど、帰ってきたら2人は結婚することになってる。なのにザルザの奴はね、クロリアを自分のものにしようと言い寄ってたんだ。それでもクロリアが首を縦に振らないからって奴はこの店に嫌がらせを繰り返してきたのさ……」
泣き崩れるエマの前で、アリステアは人形を握りしめた。
あっという間に、人形が赤くなっていく。
「お、お嬢様! 人形、なでてください!」
あわてるヒナに「わかってますわ」とつぶやいて、アリステアは人形をなでる。
怒りは人形が肩代わりしているにも関わらず、その手は小刻みに震えている。
「行きますわよ、ヒナ」
店を出ていくアリステアに、ヒナは黙ってうなずいて、ついていった。
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奴隷商人であるザルザの根城は、町の裏通りにあった。
天井の高い倉庫に、ボロボロのソファがいくつか並んでいる。
大柄で人相の悪い男たちが十数人、思い思いの格好でくつろいでいる。
酒をラッパ飲みしている者や、カードゲームに興じている者もいる。
その一番奥の大きな一人掛けソファに、ザルザが座っている。
その足元の地べたには、後ろ手に縛られたクロリアが転がされている。
すると突然、倉庫の入口にいくつもの閃光が走り、鋼鉄の扉がバラバラに斬り裂かれて崩れた。
その向こうに、アリステアとヒナの姿があった。
アリステアは無表情で赤い人形をなで、ヒナは片眼鏡を光らせ抜き身のカタナを手に携え、倉庫の中へと歩みを進める。
「おいおいおい、ポンコツ聖女が何しに来たんだよ!」
ザルザが立ち上がって笑うが、男たちは「で、でも兄貴、あの女の剣は……」と怯えている。
「ビビってんじゃねえよ! こっちには先生がいらっしゃるんだ!」
ザルザの背後から、背が高く骸骨のように頬のこけた男が現れる。
「ふむ……少しは楽しめそうな相手ですな」
「お願いしますよ、先生!」
「今宵の報酬は、高くつきますよ」
先生と呼ばれた骸骨男は、両手にナイフを持って歩き出す。
緩やかに動き始めたかに見えた骸骨男は、一瞬で距離を詰め、ヒナのカタナと斬り結ぶ。
「くっ……!」
ヒナはギリギリと、骸骨男のナイフをカタナで押し返す。
「ほう……やはり少しはできそうだ」
両手のナイフで繰り出される斬撃を弾いて火花を散らすヒナを尻目に、アリステアは無言で歩いていく。
「へへへ……お嬢ちゃんは、俺たちが相手だ」
アリステアの前に、大柄な男たちが立ちふさがる。
「おどきなさい」
そう言ってアリステアは体の表面を光の膜で覆う。
それを見て男たちが下卑た笑みを浮かべる。
「たった1センチの結界が、何の役に立つのかなぁ?」
「小娘だからって手加減してもらえると思うなよ」
「俺たちみんな、女を殴るのが大好きな変態だぜぇ~~?」
言い終わると同時に先頭の男が、アリステアの小さな鼻を拳で殴る。
拳が「ガキン!」と金属質の音を立てる。
アリステアは微動だにしない。
男が間の抜けた顔で自分の拳を見ると、指の骨が折れて皮膚を突き破っている。
「ア! アレレェ~~~~ッ!?」
血が噴き出る拳を掲げて、男は目に涙を浮かべる。
「わたくしの結界は、たった1センチ。ですが、決して誰にも壊せませんわ」
アリステアがそう言うと、男たちは「て、テメェ!」「ざけんじゃねえぞ!」などと口々に叫び、棍棒や長剣を手にして襲いかかる。
すべての打撃や斬撃が「ガガガガガキンッ!」と弾かれ、武器は折れたり砕けたりして使い物にならなくなってしまった。
それを見て「ほ、ホントに聖女なのかよ……」と目を丸くする男たちの後ろから「バカか、てめえらは」とザルザが歩み出てアリステアの前に立つ。
「こういうのはな、こうするんだよ」
ザルザはアリステアの首をつかみ片手で力任せに持ち上げる。
ネックハンギングの格好だが、結界で守られているアリステアの喉は絞まらず、呼吸は止まっていない。
それでもアリステアは身をよじって抜け出そうとするが、非力なアリステアではザルザの手を振りほどくことはできない。
結界をまとった足で蹴っても、ザルザはビクともしない。
ザルザはアリステアを持ち上げたまま、水飲み場の方へ歩いていく。
「力で絞められなくても、こうすりゃ一丁上がりだ」
水の溜まった桶に、ザルザはアリステアの頭を突っ込む。
ガボガボと水しぶきを上げながら、アリステアがもがく。
「アリステアさん!」
後ろ手に縛られて転がされたまま、クロリアが叫ぶ。
「お嬢様ッ!」
骸骨男と剣を交わしながら、ヒナが叫ぶ。
「ざまあねえなぁ……ポンコツ聖女が……!」
ザルザがアリステアの頭を水の中に押し込む。
「失神したら、お前もあのクロリアと一緒に、散々犯してやるからなぁ……」
歯をむき出しにしてザルザが笑う。
アリステアはもがき続けるが逃れることはできない。
しばらくすると、アリステアの四肢が力を失ってだらりと垂れ下がった。
その手から、真っ赤になった女の子の人形が転がり落ちる。
持ち主の怒りを肩代わりする魔道具の人形、アンガードール。
「見たか、お前ら。簡単だろ。力だけじゃなくココを使うんだよ、ココを」
アリステアから手を離したザルザは、手下の男たちの方を向いて、自分の頭をトントンと指で叩いた。
「で、でも兄貴……後ろ」
部下の一人が指さしたのを見て、ザルザは振り返る。
そこには、水飲み場の上に立つアリステアの姿があった。
「え、お前……なんで……」
ザルザのつぶやきに応えるように、うつむいていたアリステアが顔を上げ、
「チョーシくれてんじゃねえぞ……このクソガキがぁ……!」
と鬼のような形相でつぶやき、ザルザの胸ぐらをつかむ。
「え……え……?」
胸ぐらをつかまれたザルザは、凄まじい力で持ち上げられ体が宙に浮く。
アリステアの細い腕に込められた膂力とは思えずザルザの顔が青ざめる。
「聖女なめてっと〝解体〟しちまうぞコラアッ!」
アリステアはそう怒鳴り、持ち上げたザルザの額に自分の額を打ちつける。
「ぐはあッ!」
強烈なヘッドバットで額がカチ割れたザルザは、吹っ飛んで床に叩きつけられる。
そのまわりで、部下の男たちが「ひ、ヒイッ!」と悲鳴を上げる。
「ココの正しい使い方は、こうだぁ……!」
ニイッと笑ってアリステアは先ほどザルザがしたように、自分の頭をトントンと叩いた。
「あ~あ、出ちゃいましたか。お嬢様のアレが」
骸骨男と剣を合わせたまま、ヒナがため息をつく。
「あ、アレとは……?」
眉根を寄せた骸骨男に、ヒナは頭を振って応える。
「実はお嬢様は、二重人格なんですよ」
「二重人格……?」
「ええ。お嬢様は、感情がたかぶると……」
「どうなるのです……?」
「…………スケバンになります」
「はい?」
目を丸くする骸骨男に、ヒナが苦笑いを浮かべる。
「どうやら、お嬢様の前世がスケバンだったようでして。それも武闘派の。怒りの頂点で、その人格が顔を出すんです。武器を〝ドーグ〟と呼び、出発を〝デッパツ〟と言い、敵を〝解体す〟まで止まらない、恐怖の最強ヤンキーです」
「スケバン……? ヤンキー……?」
「わからなくて結構。いずれにせよ、あなたたちはもう終わりですよ」
再び深いため息をついたヒナの向こうで、アリステアは凶悪な笑みを浮かべている。
「よぉ~~し、てめえらぁ……! 今夜は死ぬまで、アタシと〝踊ろう〟ぜぇ……!」
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出発の準備を終えたアリステアとヒナは、町の門の外でクロリアとエマの見送りを受けていた。
「また……やってしまいましたわ……」
昨晩の惨劇を思い出し、アリステアはうなだれている。
それをジトリと見つめながら、ヒナは腕組みをする。
「本当ですよ、まったく。奴隷商人の倉庫が、あれじゃあ食肉処理場ですよ」
「はあ……人々を救う聖女として、失格ですわ……」
「そんなことありませんよ!」
ため息をつくアリステアに、クロリアは言った。
「私にとってアリステアさんは最高の聖女様ですよ! 大暴れするアリステアさんだって、カッコよくて素敵でした!」
その横で、エマもうなずいている。
「あたしにとっても、そうさ。ずっとこの町にいてもらいたいくらいだよ。シチューなら、いくらでも作ってやるからね」
エマのシチューの味を思い出したアリステアとヒナは、よだれを垂らしそうになるのをどうにかこらえる。咳払いしてヒナが言う。
「そうしたいのはやまやまですが……あまりのんびりもできませんから」
遠慮がちにクロリアが尋ねる。
「……お二人の、旅の目的は何なのですか?」
ヒナが応える。
「魔大陸の対岸にある『約束の地』に行かなければならないのです。ウィンズベリー家の当主、女伯爵にして最強の聖女であるカサンドラ様のご命令で……まあ、まともな結界を張れないお嬢様を家から追い出す、実質的な『追放』だと思いますが」
アリステアが「何を言っているのです、ヒナ」と割って入る。
「これは、お母様やお姉様たちにはできない大切な仕事。わたくしが、一人前の聖女になるための修行の一環ですわ」
胸を張るアリステアに、ヒナが苦笑する。
「前向きなのはいいんですけどね……私は、お嬢様がいつか、あのスケバンに人格を乗っ取られないか心配なんですよ……」
アリステアは「まったく、ヒナはいつも心配しすぎですわ」と言って、馬にまたがる。
ヒナも続いて、もう一頭の馬にまたがる。
クロリアとエマに手を振って別れ、アリステアとヒナは無人の荒野を駆けていく。
土煙に混じって、二人のこんな会話が聞こえてくる。
「次の町まで競争ですわ、ヒナ!」
「そんなにスピード出したら危ないですよ、お嬢様」
「行きますわよ、ピリオドの向こうへ!」
「や、やっぱり影響されてるじゃないですかッ!」
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クロエ・アナが、薄暗い店内で佇んでいる。
――今回ご紹介した魔道具は、いかがでしたでしょうか。
喜怒哀楽。
人間の感情には、それぞれの役割があります。
ネガティブな感情はなるべく抑えたいものですが、時にはそれが必要な場面もあるのかもしれませんね……。
当店では、他にも様々な魔道具をご用意しています。
ですが、あいにく本日はそろそろ閉店のお時間。この他の商品のご紹介は、もし次の機会があればということで。
それでは、またのご来店を心よりお待ちしています……。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
本作品のアリステアとヒナを主人公とした話で、連載版をスタートしました。
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アリステアとヒナの旅立ちから書いていきますので、もしよろしければぜひ……!