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青春記憶喪失症


 はじめてソレを自覚したのは、姪っ子が中学生になった春先、実家に制服で遊びにきたときだった。私はそのときはじめて、姪っ子を見て嫌悪感を抱いた。姪っ子のことを今までずっとかわいがってきたはずなのに、だ。


「ごめん、ちょっと知り合いに呼び出されちゃった」


 私は通知ゼロのスマホを手に立ち上がると、負い目を感じながら実家を後にした。


 近所のショッピングモールに入って、フードコートの空いている席を探した。土曜日で比較的混雑していたけれど、二人用の席が空いていた。そこに急いで腰かけると、ひとりの人物に連絡をした。長いコールの末、相手は不機嫌そうに通話口に出た。


『ケーコじゃん、なに?』

「ムカイ、今どこ」

『どこって、家だけど……』


 たしかに電話越しのムカイの声はぼんやりしているように聞こえる。つまり寝起きってこと。だが、ムカイにはたくさん貸しがある。遠慮はいらない。


「ショッピングモールのフードコートにいるから、十分で来て」

『はあ? ムリムリ、今パジャマだし』

「五分遅れるごとに貸し、増やすからね」

『たんま! 急いでいくから!』


 私は電話をきって、うで組みをしながら目をつむった。たくさんの人の声が耳に入っては出ていく。本当はこんな喧騒の中にいたくない。でも、ムカイと会うのにここで待っていないといけないから、私はガマンの子でここに座り続けた。




「お、お待たせ」


 電話をきってから十三分でやってきた。私は笑顔で「やあ」とあいさつした。


「やあ、じゃねえ。人をなんだと思ってるんだ」

「私に借りを作りっぱなしのムカイには言われたくないねぇ」


 ムカイは男勝りの口調だけど、ショートヘアーの似合う美女だった。薬科大を卒業した彼女は現在、実家の薬局で働いている。土日祝日はおやすみ。だから呼び出した。


「で? ケーコお嬢さまは何をご所望で?」

「とりあえず、移動したい。レストラン街にでも。何食べる?」

「パスタ。カルボナーラの気分」

「オッケー」


 私はムカイと並んでフードコートを出る。すると、待ってましたとばかりに女子高校生二人組が私の座っていた席に座った。紺の制服、黒いソックス。ポニーテール。


「ケーコ?」

「ううん、なんでもない」


 私はいつからか、制服姿の若い子が苦手だった。それも決まって、中学生や高校生の学生服が。目に入ると、視線を反らそうとする。視界から消えないと、だんだん息苦しくなる。――なぜ?


「あー、それってトラウマじゃない?」

「トラウマ? なんの?」

「なにって、高校時代の」


 パスタのおいしいレストランに入り、ランチセットを頼んだ私たちは、セットのサラダをフォークで突きながら、私がムカイを呼び出した理由を思うままに話していた。


 姪っ子にはじめて嫌悪感を抱いたこと。それはおそらく、中学校の制服を見たからだ、ということ。そして社会人になったころから、学生服姿の若い子たちを見ると、視線を反らすクセがあること、など。


「ケーコって、一時期不登校だったじゃん」

「そうだったっけ?」

「二年の……後半?」

「覚えてない」

「思い出したくない、んだろ?」


 ムカイは先に来たカルボナーラを食べ始める。私はアイスティーを飲みながら高校生だったころの自分を思いだそうとした。けれど、自分のクラスさえ、何組だったのかあいまいだった。


「ムカイとわちゃわちゃしてたのは、なんとなくはおぼえてるんだけど、なあ……」

「ケーコとアタシは高校からの付き合いだもんな」


 ムカイは口の端にクリームを付けながらモグモグとカルボナーラを食べ進める。おいしそうだなあと思っていたら、私のパスタが運ばれた。トマトソースパスタ。スプーンは使わず、フォークだけで巻いて食べていく。


「っていうか、ムカイと私は三年間ちがうクラスだったのに、よく仲良くなれたよね」

「同じ課外授業に参加したとき、意気投合した……気がする」

「もう十年も前だと、忘れるよね」

「忘れたな」


 ムカイは先に食べ終わってしまい、デザートにケーキを頼もうかアイスにしようかとメニューとにらめっこしはじめた。


「あ」


 するとムカイが顔を上げた。そして私の顔を見て言った。


「トラウマの原因、分かったかも。ケーコが不登校になった理由」

「なんだっけ? 夏休み明けて、通うのがめんどくなったから学校に行かなくなったって理由じゃなかったっけ?」

「その前。夏休み直前にさ、あったじゃん、事件が」

「事件?」

「飛び降り自殺」


 私はフォークをガチャンとお皿にぶつけてしまった。




 シィと私は二年生で同じクラスになって、気づいたら仲良くなっていた。シィとケーコでCKコンビって言われていた。私はどうもとっつきにくい人柄らしく、ほとんどのクラスメートからは三年間、名字にさん付けで呼ばれていた。私をケーコと呼んだのはムカイとシィぐらいだった。


 シィは、学校では明るくて、私と違ってみんなに好かれている子だった。なんで私と仲良くしてくれるんだろうと思ったことも、一度や二度じゃなかった。


 けれど、同じクラスになって三か月。シィは突然、校舎の屋上から飛び降りた。




「シィのこと、ずっと忘れてた」

「忘れてもしょうがないよ。あのあと夏休み明けたら転校してたんだもん」

「そうだったっけ……」


 そう、シィは一命をとりとめた。重傷だか重体だったか、定かではないけれど、幸いにも後遺症もなく、そして別れの言葉もなく、夏休み明けの私のクラスから姿を消した。


「なんで自殺したんだろう?」

「家庭の問題、とかじゃなかったか?」

「シィと仲良かったから、私、高校生がトラウマになってたのか……」


 ムカイは店員さんを呼び止め、モンブランを注文すると、首を横に振った。


「ちがうだろ」

「え?」

「家庭の事情だって分かったのは、ずっと後だった。シィって子と仲良かったケーコが、実は裏でその子をイジメてたんじゃないか、ってクラスでウワサになってたんだろ? それに耐えきれなくなった……ってアタシは思ってたけど」


 思いだそうとすることで、だんだん疲れて重くなってきた頭を私はゆっくりとさすった。 夏休み、文化祭の準備でクラスに行くと、嘲笑されて、無視されて。


 だから私は……私は……。


「おい、ケーコ」


 ムカイは紙ナプキンで私の口を強引に拭いた。


「トマトソースつけっぱなし。こどもかよ」


 からかうようなムカイの言葉に、しかし私は腹立つこともなかった。


「私、二年生の夏休み明けから、学校行かなかった……よね」

「ああ。三年から通えて、単位も出席日数もクリア、無事に卒業できたって感じだな」

「そうだったね。……ねえ、ムカイ。シィ、今ごろどうしてるんだろう」


 ムカイはモンブランを半分食べ終えると、ホットコーヒーを口にした。そして長い時間考えてから「さあな」と答えた。


「今まで忘れてたぐらいだ。思いだす必要はないだろ」


 ムカイは「やる」と言って、食べかけのモンブランを私の方へ押しやった。


「ケーコはきっと〈青春記憶喪失症〉だろうな」

「そんなのがあるの? さすが薬剤師、いろんな病名を知ってるね」

「いや、これはアタシが命名したんだけどな。青春が苦かったヤツに多い気がする」


 私は首をかしげた。「そんな人がいるの?」と。


「ここにいるだろ」


 ムカイは笑って私の鼻先をデコピンした。私は「そうだね」と小さくうなずいて、モンブランを口に入れる。甘いクリームが口の中でほどけていった。



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