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背後注意報

 女装にめざめたのは、おとり捜査に協力することになったのがきっかけだった――。


 あの頃に戻れれば――引き返せれば、僕はこんなことに巻き込まれずに済んだのに、と思わずにはいられない。




 大学入学を期に地元の青年団に入った僕は、変質者を取り押さえる警察との合同部隊に抜擢されてしまった。最初は「かったるいなー」なんて言いながらも、やる気がみなぎっていた。なのに、いざ計画が発表されると、僕は全力で合同部隊から辞退させてもらうべく、いろんな人に頭を下げた。だって、僕の役目は「おとり捜査で女装する」ことだったから。とにかく御免こうむりたいといろんなひとに恥を忍んで謝り倒した。それなのに、「お前ならできる」のひと言で押し通されてしまった。


 女装はこのおとり捜査が初めて――ではなかった。


 初めての女装は高校生のときの文化祭で、おふざけで女装コンテストに出たときだった。一年生でグランプリ、二年生三年生と準グランプリを取り続けてしまい、地元の美人女装男子、という不名誉な二つ名を付けられてしまったものだ。


 でも、高校生の軽いノリというのは厄介なもので、僕もイイ気になって「オレよりかわいい子じゃないと付き合わないので」なんて言っていたら、ついに高校生時代、彼女ゼロで過ごしてしまった。男友達は多かったけれど、女装させたがったり二人っきりになりたがる変態もいたから、苦労は常に僕に付きまとっていた。


 だから、地元の中でもレベルの高い、同じ高校からはほとんど進学しない大学を選んだというのに、僕は地元での知名度というものを侮っていたらしい。はじめて会った同級生の女の子に「本当だ! 私よりかわいい!」と言われたときは、笑顔が固まった。


 僕は男らしくなろうと日々筋トレに励んでいるというのに、腹筋が割れてきたぐらいで、足もうでも恐ろしいほど細くて白いのには困ったものだった。そしてこの悩みを共感してくれる人も、またいないのがつらい。


 いっそニキビでもできればとチョコを食べても、顔はつるっつるしたままで多くの女子に羨ましがられた。背中に大きな吹き出物ができていることは誰にも言えないし見せられないというのに。そして寝るときにベッドで背中を擦って吹き出物がつぶれたときのあのやるせなさと激しい痛みにオイオイ泣いたことさえ、だれも知らないしだれにも言えない。


 そんな僕はだんだんヤケになっていた。おとり捜査も今夜だというのに、僕は昼間からカラオケでヤケ酒ならぬヤケカラオケでのどを傷めつけた。ああ、あと二年すればヤケ酒ができたのに。また、他人からしたらつまらないことで、僕は落ち込んだ。


 夕方四時。


 スマホを見たら、連絡が入っていた。青年団の副団長からだった。「そろそろ準備しろ」ということらしい。ケッ、他人事だと思いやがって。


 やさぐれながら帰宅した僕は、まっすぐに妹の部屋に入った。


「おい、妹。お兄さまを美女にする時間だ」

「やったー!」


 現役高校生の妹は、校則違反を繰り返してでも化粧を落とさないという、化粧マニアだった。といっても、整形も加工もいらない顔で(そこは兄妹というか、血筋を感じる)、どれだけナチュラルに見える厚化粧をするかで燃えているらしい。そんな情報はいらない、というほど化粧に関する情報を教えてくれる妹のおかげで、僕も一応、一人で化粧ができる。けれど、今日はおとり捜査、張り切って美しくならなければならない。そうなると、僕より何枚も上手な妹の力を借りようと思ったのだ。


 この化粧タイムで、おとり捜査で捕まえる変質者について書いておこうと思う。


 相手はまるで季節外れのハロウィンのように、長い黒マントを肩に羽織っているという。マントの下はまるで中世のヨーロッパ貴族のような豪華な衣装だとか。髪が長くガタイの良い男らしく、日が暮れた若い女性の首筋に噛みついて、したたる血を舐めては去っていくという。だいぶ変態な変質者だ。


 そこで僕が引っ張り出されたと言うわけだ。


 うでや足こそか細いが、これでも鍛えている、一応は男の僕が、襲われればおどろく変質者を取り押さえられるのではないか、というのだ。


 ――果たして、ちゃんと男と気づいてもらえるかが問題だ、と言っているどこかの副団長の言葉が脳裏によぎる。いやいや、大丈夫だろう。少なくとも高校時代、合唱部でバリトンをやっていたこの重低音ボイスで気づいてもらえるハズだ。


「はい、完成。あとは用意しておいたこの服を着てね」

「ありがと」

「うわ、しゃべんないで。美女がオカマになっちゃう」

「失礼な奴だなあ」


 僕は妹の用意したミニスカートとブラウスを着た。


「このスカート、短すぎないか?」

「お兄ちゃんは意外と足が長いからね。しかも筋肉がないからミニスカート履かせたくって。くう、身長は頭一つ大きいくせに、ウエストが一緒とか、生意気!」


 妹は悔しそうにカツラをかぶせた。地毛に近い明るい茶色だった。

 さらに首元にリボンを付けてのど仏を隠し、赤いジャケットを着せた。


「ちょっと暑いんだけど」


 梅雨も目前という今の季節に、いくらブラウスが七分丈といっても、長袖のジャケットはちょっと暑い。しかし妹は首を横に振った。


「ダメ。胸がないんだから、こうやってジャケットを着て、相手に夢をみせないと!」

「だれに夢をみせるんだ……相手は変質者だぞ」

「通行人も夢が見たい」

「見せたくない」

「妹の私が夢をみたい!」

「なおさら夢を壊してやりたいぜ!」


 妹としゃべっている間にもイヤリングやベルトを手際よく付けていく妹。将来はそういう、ファッション系に進めば有望なのではないか、と密かに思っていると、妹は満足そうにうなずいた。


「よし、これで完成!」


 妹に手を引かれて廊下の全身がうつる鏡を見る。おお、これが僕じゃなかったら声を掛けたくなるような美女だ。いや、男だけど。しかも僕なんだけど。


「さすが私! 服の丈がどれもぴったり!」

「そう言えばこの服、見たことないけど、もしかして新調?」

「そう。団長と賭けをしていてね、副団長に「わ、めっちゃかわいい!」って言わせたら全額支払ってもらえるって。だから、思いっきりお兄ちゃんに似合うタイプで用意した」

「それ、大丈夫か? 勝てるのか?」

「まあ、お兄ちゃんはしゃべんなきゃ美女だから」


 僕はやれやれと呆れながら玄関に向かった。妹はしっかりしていて、ちゃんと似合う靴まで用意してある。しかもかわいいけれどかかとの低い靴。気が利くねえ。


 靴を履いて扉を開けようとした瞬間、玄関のインターホンが鳴った。それから続けて「青年団のオカムラです」と副団長の声が聞こえてきた。僕はいきなり扉を開けて、すこしひざをかがめて低い姿勢から副団長を出迎えた。


「わ、あれ、だれ? めっちゃかわいいんだけど!」


 妹が僕の背後で「よっしゃ!」とガッツボーズしている。僕は無言のままほほ笑んでから、まっすぐに立った。すぐに副団長と視線が並ぶ。


「え、もしかして、兄なのか? ヒナタなのか?」

「今はヒナコでーす」


 野太い声で言うと、副団長は一瞬で青ざめた。


「うわあ、ひどいアニメのアテレコみたいだな……悪い夢のような」

「ひっでぇ。ま、いいわ」


 妹とハイタッチを交わすと、扉をしめた。そして副団長と並んで歩きだす。


「いいか? もうひと言もしゃべんじゃねえぞ? 一瞬でばれる。そして、オレがヘンな目で見られる」


 青ざめたままの副団長は僕にそう言った。僕は二回うなずく。


「このまま九時までパトロール。散歩だと思って一緒に歩いていればいい。いいか、デートじゃないぞ」


 デートだと思われるのは副団長だが? と思ったが、僕はただにこやかにほほ笑んだ。


「うう、お前なんかにトキメキそうな自分が嫌だ……」


 そう言われてもなあ。


 僕はもう腹をくくっていた。開き直った、とも言える。僕は背筋をのばし、靴音を鳴らさないように颯爽と歩く。すれ違う人々――それはもう、老若男女が――ふり返る。それはちょっと気分が良かった。少なくとも男の姿の僕ではだれもふり返らない。ぶつかって初めて「あ、いたの?」と言われるぐらい、存在感がないから。




 しばらく副団長と歩いて、たまに青年団の本部に寄ってはのどを潤しつつ、町を徘徊していた。暗くなっていく町をブラブラ歩いていると、突然、副団長のスマホが鳴った。


「はい、オカムラ――なんだ、オオタキか……」


 オオタキは同じ青年団の経理をしている。今日は担当外のはずだが……。


「なに? 団長が、賭けで……? いや、そりゃ言ったけど、でもオレは知らない……おい!」


 話を聞く限り、妹と団長の賭けに、副団長が巻き込まれている最中だと分かった。おそらく、僕の今着用している服の代金のことで経理のオオタキから電話がかかってきたのだろう。長電話になりそうだな、と思った僕は、細い路地の入り口に明るく光っている自販機を見つけた。


 副団長の肩を小突く。


「なんだっ!」


 眉間にしわを寄せている副団長に、僕はのどを指さしてから自販機を指さした。そして手で飲み物を飲むジェスチャーをする。


「ああ、行って来い」


 副団長に追い払われるように許可をもらうと、僕は不満げに口をとがらせながらも、路地の方へ向かった。スカートのポケットを探ってから小銭を持ってくるのを忘れたことに気づいた。


「お嬢さん、ジュースおごってあげようか?」


 背後に人の気配はなかった。なのに、声がする。僕は呑気にも「おごってもらえる、ラッキー」とふり返った。その瞬間、遠くから副団長の叫び声が聞こえた。


「ヒナタ、うしろーっ!」


 僕はゆっくりまばたきをした。


 そこには美しく白い、血の気のない女性が、黒いマントを翻して襲い掛かってくる最中だった。


 唇が血より赤く、目はネコのように自販機の光を反射させている。けれど不気味さはない、むしろ燃える太陽のようにかがやいている。


 ――え、これって、人間なの?


 人間を超越した美しさだと思った。


「まるで人間でないように美しいお嬢さん」


 彼女はそう言うと僕の腰を抱き寄せた。


「この長い夜を共に旅しようじゃないか」


 そう言って笑う口元にキバが見えた。


 あ、これって、吸血鬼ってやつじゃ――


 次の瞬間、僕の意識はとぎれた。


 まさか僕が吸血鬼――ドラキュラ侯爵夫人に拉致され、女じゃなかったことに逆ギレされる未来があるなんて、このときの僕が知るはずもない。


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