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エンドレスくりかえす

 今日もまた、同じ一日を過ごすのだろう。目が覚めた僕は、おはようの代わりにそんなことを思う。


「ユウト、おはよう」


 お母さんが扉の向こうから声をかけてきた。僕は寝ぐせで爆発している頭をポリポリとかきながら「おはよう、お母さん」と答えた。お母さんはうれしそうに「朝ご飯、できてるからね」と弾むように言うと、そのまま玄関で靴を履く。かかとが玄関のタイルを鳴らす音が聞こえてくる。僕は逡巡してから扉を開けた。


「今日は早番だっけ」

「ええそうよ。あら、頭が爆発してるわ」


 お母さんはカラカラと明るく笑いながら「いってくるわね」と言って出ていった。僕の登校するきっかり三十分早く、会社へ向かうべく家を出る。ちなみにお父さんは明け方に帰ってきて今ごろ部屋で寝ていることだろう。僕はいったん部屋に戻って部屋のカーテンを開けた。今日はまぶしいぐらいの晴天だった。けれど、僕の謎の憂鬱感は晴れなかった。


 今日も僕は、決まったレールの上を走るように、中学校へ行く。




 いつもと同じ登校ルート。校門をくぐってプールの横を歩いていると、僕は違和感に気づいた。普段は施錠されているプールの入り口が空いていることに気づいたんだ。


「水泳部の朝練?」


 僕はそう勝手に想像して納得すると、もう興味もなくなってスルーしようとした。そして立ち止まらずにプールわきを通りすぎようとしたら、いきなり入り口から女子生徒が現れた。


「キミ!」


 そう言ってその子は僕のうでをつかんだ。衣替えで半そでのカッターシャツからのぞく、僕の細く白い腕うでを、その子はとても熱い手でギュッと掴んだんだ。僕は柄にもなく「ギャッ」とさけんでしまった。


「やっと見つけた!」

「え?」


 僕は思わず固まった。そしてその子を凝視した。


 キリッとした眉に短めの前髪。長い髪はポニーテールで結っていて、活発そう。僕と同じように半そでのカッターシャツを着て規定より長めのスカートを履いている。ただ異質なのは、まるで生徒会長選挙でも挑むのか、と思わせるような太いたすきを肩から斜め掛けしていることと、背中に大きなのぼりをつけていることだった。


「あの、僕は生徒会に入る気、ないです」

「うん? 別に生徒会の勧誘とかじゃないわ。そもそも私、生徒会役員でもないし」


 そう言うと彼女はようやく僕のうでを放した。僕は逃げたくてたまらなかったけれど、おどろいてしまって足がすくんでいた。そのことを彼女は見越していたんだと思う。


「な、なんですか。あなたはだれですか」

「人に名前を聞くときは、まず、自分から名乗るべきじゃない?」


 まるで僕が非常識みたいにたしなめるけれど、それならいきなり人のうでを掴んで引き止めるのは果たして、常識なのだろうか。


 けれど僕はしぶしぶ答えた。


「二年三組。宇野ユウト」

「私は三年四組、木村ナツキ!」


 先輩だったか。僕はまた厄介な人に絡まれたものだと思いながらため息をついた。


「こら!」

「え?」

「ため息をつくの、禁止ね」

「……は?」


 僕はポカンと口を開けて木村先輩を見つめた。何を言っているんだ、この人は。


「それから、私のことは〈ナツキ先輩〉って呼ぶこと。三年生の女子だけでも木村は三人いるから」

「は、はい、ナツキ先輩」


 僕はその圧に呑まれるようにうなずいた。


「って、いやいや。なんで僕は呼び止められたんですか」

「それは――」


 ナツキ先輩が腰に手を当て、自信満々に何かを言おうとすると、同時に予鈴が校内に響きわたった。


「あ、やば、日直だった」


 ナツキ先輩はそう言うと背中ののぼりを下ろして駆けだした。僕も慌てて一緒に駆けだした。下駄箱で学年ごとに別れて靴を履き替える。そして階段の前で僕の方をふり返ると、ナツキ先輩は笑顔を向けた。


「昼休み、プールに来ること。ゼッタイ!」


 僕の返事も聞かずに、ナツキ先輩は三年生の教室へと駆けていった。僕は頭の中がこんがらがったまま、一段飛ばしで階段を登っていった。




 僕は昼休み、のろのろと歩きながらプールに向かっていた。


「別に、律儀に約束を守る必要はない」


 そんなことをぶつくさ言いながらも、結局はナツキ先輩の約束――いや、むしろ命令だ、その命令を素直にきく必要なんてなかったんだ。なのに僕が来たのは、名前とクラスを教えてしまったために、万が一にも教室に乗り込まれたら僕は恥ずかしさで午後の授業を耐えられないと思ったからだった。


「やっときた! あと一分おそかったら、校内放送をかけるところだったよ」


 プールサイドに仁王立ちしているナツキ先輩は末恐ろしいことを平気で言ってのけた。これは教室に迎えに来られるよりもっと恥ずかしい。素直にやってきた僕、偉い。


「それで? なんですか。カツアゲですか」

「私がそんな人に見えるのか?」

「見えるかどうかじゃなくて、やりそうだなって」

「ふふふ、そんなこわもてに見えているとは。さすが私!」


 ダメだ、ナツキ先輩はオカシイ。なぜ話が通じないんだろう。こういう人には関わらないのが吉だ。さっさと用件を聞いて――そのうえで断って、教室に戻ろう。


「それで? ご用件はなんですか?」

「キミ、毎日が退屈だとは思わないかな?」

「お断りしま……はい? 今、なんて?」

「ユウト。キミは毎日が退屈だとは思わないか?」


 ナツキ先輩は一字一句違わずにくりかえした。

 僕ももう一度くり返した。


「今、なんて?」

「何度でも言おう。ユウト、キミは毎日が退屈だとは――」

「思います」


 僕はナツキ先輩の言葉を遮ってうなずいた。


「くり返す日々。学んでいることは違っても、同じリズムでくり返すことに、退屈だなって……つらいなって……」

「うむ。だろうな。そう言う顔をしている」


 そういう顔をしていたのか……それはちょっとショックだな。


「そんなキミに、良い案がある」

「なんですか?」

「私のシモベになりたまえ!」

「…………」


 僕は絶句した。まさかナツキ先輩の奴隷になれと?


「奴隷ではない、シモベだ」

「いや、同じですよ。こっちにしてみれば!」

「なんだ、不満か?」


 ナツキ先輩がほほを膨らませる。そんな顔をされても、僕は首を横に振らなかった。


「ナツキ先輩の奴隷になるぐらいなら、退屈な日々をくり返します」

「それは、自分の人生の奴隷になるということだ」


 僕は下くちびるを噛んだ。そんなことを言われたら……。


「なに、無理難題を突きつけるつもりはない。ただ、私に従い、いろんな経験をしていこうと言っているんだ」

「経験とは?」

「この広い世界の一端を知っていく。大人になるまでの限りある時間で」


 それでも僕はうなずくことができなかった。するとナツキ先輩は、フラッとプールサイドを歩くと、そのまま水面に落ちていった。


「ナツキ先輩!」


 今週からプールの授業がはじまって、水はキレイだ。けれどナツキ先輩は静かに沈んだままだった。


 僕は慌てて飛び込んだ。そして水の中で目を開けてから気づいた。


 ――僕、泳げないんだよ!


 口から大きな泡沫がでていく。一気に水が肺に入っていく。僕はもがいた。


「ユウト!」


 ナツキ先輩に抱きかかえられて僕は水面から顔を出した。空気が鼻から、口から、一気に入りこんだ。そして息を吐くように飲みこんだ水を吐き出した。生まれて初めて呼吸をしたかのような錯覚に陥った。


「キミ、もしかして泳げないのか?」


 僕はゲホゲホと水を吐き出しながらうんうんとうなずいだ。


「それはすまなかった。だが、それならなおのこと、なんでプールに飛び込んだんだ」

「そ、それは――」


 せき込んでなみだ目のまま、僕はナツキ先輩を見た。


「わかりません」

「――っそんな……」


 ナツキ先輩はショックを受けたような顔をすると、途端に笑いだした。


「おかしい! キミはやっぱり見込みがあるよ!」


 僕はようやくプール底に足をついた。立ってみれば、水面は肩より下の方だった。浅いわけでも深いわけでもなかった。でも、僕は泳げない。体育の先生も昨年の水泳の授業でウン十時間費やした末に白旗を上げてあきらめるぐらい。


「なら、最初に私がキミに命令しよう。〈泳げるようになれ〉ムリだとは言わせない」


 ナツキ先輩はそう言ってカッターシャツを脱ぎだした。僕は慌てて顔を手でおおって「ちょっと! なにしてるんですか!」と言ったが、ナツキ先輩が「安心しろ、着ているから!」と言って僕の手を取った。たしかに、水泳水着を着ていた。


「午後は水泳の授業なんだ。そして私は、水泳部の元部長で、全国大会にも行ったことがあるぐらいすごい人なんだぞ!」


 そう言って僕をプールサイドまで引っ張ると、ナツキ先輩は手を放して泳ぎだした。無駄のない動き。クロールで向こう側まで泳ぎ、背泳ぎで帰ってきた。


「おい、何をしている!」


 体育教師の松山先生が駆けてきた。


「木村、またお前か! それに宇野! おまえはなんで制服のままプールに入っている!」


ナツキ先輩は「あはははは」と豪快に笑うだけ。松山先生は手に持っていたカゴからタオルを取りだして僕に言った。


「とりあえず、上がれ! 話はそれからだ!」


 僕がプールサイドに上がると同時に、運良く午後の授業の始業を知らせるチャイムが鳴り、ナツキ先輩のクラスメートたちも続々とやってきた。おかげで松山先生の〈話〉は免除された。けれど結局、一人体操服で午後の授業を受けた僕は、クラスメートの好奇の視線に耐えることになってしまった。でも、窓の向こうから聞こえるプールからの水しぶきに、僕はなぜか心が弾んでいた。


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