6-10. 秘密で着飾る
こうして言語化しても私には結局よく解らないので、話を進めることにする。
「最近はプライバシー保護ってことで、そういうものも無くなりつつありますけどね。古くさいしきたりみたいなのが残っているところは、そういう前時代的なモノも残っていると聞きます」
「なかなか痛烈な物言いだね」
この界隈は私たちの家がある方と比べれば古くからある住宅街だ。大規模な開発が入る前から徐々に住居が増えてきたという歴史がある。小学校のころ各学校単位で異なるという「地域の社会科」の副読本で見た知識が、まさか雑学的な意味合いでなく役に立つときが来るとは全く思っていなかった。
「それにしても、さっきまでとは全然違うんだよなぁ……」
「おかしいですか?」
ハハハと笑うおじさんを一瞥。何が言いたいのかはある程度察しているつもりだったので、ほんの少しだけ牽制する気持ちを込めながら視線を送れば、おじさんはさらに笑って返す。機嫌良さそうに水をひとくち口に含んだが、グラスの中身が一瞬だけ日本酒に見えてしまったのは秘密だ。
「何もおかしいところはないだろう。それが美夜ちゃんのイイところだと思うし」
おじさんは変わらず私を『美夜ちゃん』と呼んでくれる。聞き慣れているからこその安心感がある。
「世辞なら間に合ってますよ?」
「あれ? おかしいな。庇ったはずなんだけどな」
「冗談ですよ、おじさん」
こういうことを言えるのも、相手が航輔おじさんだからだ。他のオトナじゃ、こうはいかない。行くはずがないのだ。
――だからこそ。
「……ありがとうございます」
「まさか礼を言われるとは思ってなかった」
「前言撤回してくれても良いんですよ? 私はとくに困らないですし」
私のセリフが大体は照れ隠しだということくらいは、おじさんもきっと解っているのだろう。だけど、それだけは言わない。美夜ができる、最大限の強がりみたいなものだ。自覚はある。だからこそ、強がらせて欲しいのだ。
「実際、ありがたいと思っていることは本当なので」
だけど、やっぱり今はしっかりと感謝を伝えるのが、人として取るべき行為なのだとも理解は出来ていた。
「……そうか」
そこまで感慨深げに言われると、こちらまでくすぐったい気持ちになるのだけれど。
三者三様に視線を外し合うという謎展開を経つつ、再度口を開いたのはおじさんが最初だった。
「ところで……なんだけど、ふたりとも」
「はい」「何ですか?」
私と彼が同時に訊き返す。
「ふたりとも、同じ高校を受験したんだよね?」
「ですね」
「……そう、らしいですね」
「いや、ちょっと待て。……『らしい』って何だよ」
「私には特段決定権は無かったから」
そう。私はとくに受験校を選ぶということをした記憶はない。
正直に言えば、別にどんな学校であろうと関係は無いと思っていた。入学試験を受ける時間帯を考えれば、その全権は『朝陽』が握るべきだと思っていたし、その決定に対してとやかく言うようなニンゲンは『朝陽』の近くには居なかった。少なくとも公立の、それなりに偏差値が高い学校であれば、文句は言われなかっただろうし、中学校の教師陣もそういうことであれば文句は言ってこないという予想は私もしていた。
――要するに、『周囲のオトナが納得すればそれでいい』という考えだった。
朝陽の日頃の努力と私の夜間の努力を組み合わせた結果として、教師陣は最適な高校を薦めてきているわけだし、朝陽もそれに対してある程度乗り気だった。その決断を否定するような権利を私なんかが持っているわけないのだ。持っているような資格はないのだ。
「じゃあ、お互いによろしくって感じになるのかな」
「そう、ですね」
「そうなの?」
「え、そこで疑問持たれるなんて思ってなかったんだけど?」
おじさんがキレイにまとめようとしたところで、それはちょっと納得がいかない。ある意味当然なのかもしれないが、そんな私の反応に彼もまた納得がいかなかったらしい。口を尖らせたような表情が、やはり違う人格であることを物語っていた。
「冗談に決まってるでしょ」
「冗談とガチの判断が付きにくいんだよ……」
「学習が足りないんじゃなくって?」
「……きっつー」
心底から疲れたような顔をした。ユウマさんほどに受け止める力は無いらしい。
「ウソよ。……いろいろあると思うけど、よろしく」
「……よろしく、こちらこそ」
一瞬だけ迷ったのは見逃さない。きっと私と同じように迷うフリでもしようとして、止めたのだろう。大方予想できるのは『そんなコドモっぽいことをしたら、余計に何か言い返されるかもしれない』とか、そういう考えに思い至ったのだろう。――良くお解りで。
それを向こうも悟ったのか、こちらを見て苦みのあるような微笑みを浮かべていた。こちらも微笑み返しをするが、彼はさらに言葉を繋げてきた。
「なぁ、栗沢?」
「何?」
「お願いがある……といっても、これは朝陽の方に言うべきなのかもしれないけど」
私より、朝陽に。
何だろう。2秒くらいアタマを回してみるが、さすがに予想は付かなかった。
「とりあえず言ってみて。聞いてあげられるかどうかは分からないけれど」
「たぶん壮馬からだとあんまり意味ないかと思うから、キミの日記にでも書いておいて欲しいことがあるんだ。美夜の日記なら朝陽も必ず読むだろうし」
「……なるほど?」
私に直接言うのは憚られ、『壮馬』であるときに『朝陽』に行ってもダメな内容。
それが何なのか、私には分からない。
生憎私と『桜木壮馬』との付き合いはほぼゼロだ。日頃の話し方のようなモノはさっきの会話の中である程度掴んだとはいえ、分かっているのは結局その程度でしかない。だからこそ下手なことをするのは双方に対して失礼だと思った。
「だったら直接朝陽の日記に書けば良いんじゃない? 交換日記みたいでステキでしょ」
「……良いのか?」
「知らない。それは朝陽次第、そしてあなた次第じゃない?」
それは私の一存で動かせるような代物ではない。
そしてきっと、朝陽のことだから、そんなことは絶対に許さないだろう。
「……いや、止めておく。それこそ後が怖い」
「賢明だと思うわ」
そういうところで退くことができるのか、翔馬は。なるほど、良く覚えておこう。
「代わりに手紙的なモノで送ることにする」
そう言うと、彼はカバンの中から試験に使った筆記用具と、試験の問題用紙を取り出す。意外に丁寧に言葉を選んでいるようで、ゆっくりと一文字ずつ書き連ねている。
時間にして2分程度だろうか。書いた部分を丁寧に切り離すとひとつ折りにして私に寄越した。これは、恐らく『美夜』は見ない方が良いのだろう。どちらの日記帳に挟むか迷うが、先に開く方が良いだろうと思い、私には不釣り合いだと思っているファンシーな日記帳に挟んだ。
「じゃあ、そろそろ帰ろうか。……いつもの時間だし」
「あ、ホントだ」
「そうですね」
思えば、今日は――いや、今日も――――ううん、違う。ここ最近は、本当にいろいろなことがあった。そして今日はそんないろいろが終わった日であり、また別の何かが始まった日になるのだろう。数年後に思い返しても、きっとこの日が分水嶺になることは間違いない。私にはそんな確信があった。
帰り支度をしながら、思い出したことがあったので訊いてみる。
「そういえば、入れ替わる前の『朝陽』は何か言ってました?」
「……まぁ、『ありがとう』とは言ってたな」
答えたのはおじさんだった。
「どういう意味合いでの『ありがとう』かなのかは、……教えてくれなさそうね」
訊こうとしたところで、答えをくれなかった彼が視線を不自然なまでに外した。これは教える気なんて無いという意味だろう。言わなくても解る。
「別に良いわ。私だって、まだ言ってないことなんてたくさんあるし」
良いのか、と訊きたいような。あるいは何かを訊き返したいような。そんな顔を向けてくる彼。そんな彼には、最後にこの言葉を贈ることにした。
「聞いたことあるでしょ? 『女はヒミツで着飾ってキレイになる』って」
A secret makes a woman woman.




