6-8. 時間切れ
「でもさぁ……」
今はもうひとつ、あたしには桜木に訊きたいことがある。
「桜木は……じゃなくて、『壮馬』……でもないか。『翔馬』は何で今までのことを言ってくれたの?」
水に口を付け終わったところを見計らって、あたしは訊く。ちらりと目に入ったおじさんが小さく頷いているのが見えた。
そう、それだ。
重大で、かつかなりセンシティブな内容。きっと学校関係者も極々一部しか知らされていなさそうな内容だ。生徒たちに至っては本当に知る術すら無いような話を、どうしてあたしたちには伝えてくれたのか。
しかも、今はもうほとんど表舞台には出てきていないような人格で。
「いや、聞き出そうとしてた人間が言うセリフじゃないのは百も承知だけどさ」
「……ははっ、たしかにそうだな」
高笑い。
「無理矢理でも逃げるとか、黙秘するとかも、出来たよなーって」
「それだって、強引にタクシーに乗せて拉致してきたようなモンじゃん?」
「うっ」
それは、まぁ、……うん。
「ごめんなさい」
「じゃあ、オレが監視してたのを謝るから、それでチャラにしてくれ」
「……わかった」
示談が成立したと言って良いのだろうか。
「ありがとう」
「アンタが先に言うの? ……こちらこそよ」
「……ふっ」
鼻で笑われた。
「何よ」
「いや、別に。栗沢らしいな、って」
「どういう意味?」
「言葉通りだ」
それがどういう意味なのか、って話なんだけど。
まぁ、今はそれでいい。それよりも今は朝陽が訊きたいことがある。あたしに残されている時間はもうほとんどない。
「で、よ。何で教えてくれたの? ……や、違うか。何で『翔馬』が教えてくれたの?」
「……そう来るか」
「ん?」
――そう来るか、ってどういうことだろうか。
よくわからないけれど、桜木はどことなく気恥ずかしそうに頬を数回掻いた。
「そんなに知りたいか?」
「うん」
「ノータイムかよ」
「そりゃあもう」
ハッキリと言い切ったあたしと、そしてあたしの横にいる航輔おじさんを見てから、桜木は言う。
「栗沢と、マスターは、理解してくれると思ったから……かな」
「……っ」
真っ直ぐ。今までに無いくらいに、真っ直ぐに見つめられながら、言われた。
「こんな話、適当なヤツには出来るわけがないってことは、栗沢なら分かるよな」
「……そうね」
それは、当然だった。
「同じような経験をしたのかもしれないヤツと、そんなヤツを見守ってる人。だったら話しても大丈夫だろう、って思った。それだけのことだ」
「…………うん」
あたしは、小さく返す。
「話してくれてありがとう、翔馬くん」
「いえ、こちらこそ」
おじさんの感謝を、桜木は真っ直ぐに受け取った。
同じような経験と桜木は言ったけれど、それは違う。あたしに言わせれば、あたしと比べものにならないくらいの傷を、桜木は負っている。
ただそれでも、憐憫は要らないと桜木は言っているように感じた。だからあたしは、小さな返事をすることしか出来なかった。
「あたしも」
「ん?」
「桜木、ありがとうね」
「こちらこそだ」
ふたりで笑う。穏やかな笑い方だ。学校では、あまり見たことがない雰囲気の笑い方だった。そんな顔で笑いながら、こんな話をしてくれる。少しでも心を開こうと思ってくれたのなら、やはり嬉しいと思える。
「桜木は、あたしには訊かないんだね」
「ん?」
「あたしがどうしてこうなったのか、って話」
聞くだけ聞いて「ハイありがとうさようなら」なんてことは、さすがにちょっと良心が痛まないこともない。聞きたいと向こうが言ってくれれば、あたしだって話す用意はある――。
「別に、大して興味無いからな」
「んなっ」
「お前と違って」
ニヤリ。この上ないほどに、シニカルな笑い方だった。
「こンの……」
ちょっとでも見直そうと思ったあたしがバカでござんしたよ、ええ。こんちくしょうめ。大きめのテーブルが間に挟まってて、あたしの蹴りも当然届かないことを知ってて言ってるなコイツ。
あーあ、心配して損した。
「どうせ今は話したくないだろうし、その時が来るまでオレは待ってやるよ」
「……っ」
何なのよ、その飴と鞭戦法みたいな。ちょっとキツめに言ってから譲歩をしようなんて、46億年くらい早いんだから。
「まぁ……、ぶっちゃけ、何となく察してはいるんだけどな」
「え」
――だから、いちいちそういうのがズルいんだって。
「はい、残念。……タイムリミットだな」
「え? ……あ」
少し見上げるような桜木の視線に誘われるように振り向けば、その視線の先――壁の時計は入れ替わりの時間を指そうとしているまさにそのタイミングだった。
あー、もう。全然話し足りないのに。きっとこの後桜木は、『美夜』になった後のあたしと、『桜木翔馬』のままで話を続けるのだろう。それが何だか悔しくて堪らない。
「たぶんだけど、そのソファにでも横になってた方がイイんじゃないのか?」
「あー、……うん。そうね、ありがと」
あたしとしては本当は椅子に座っている程度で問題はないけれど、『美夜』からすればそちらの方がより良いはずだ。
基本的に『朝陽』は夜明けとともに――朝の日の光に合わせて目を覚ますだけ。だから余程のことがない限り、気が付けばそこはベッドの上。それは間違いなくあの娘がしっかりと時間になったらベッドに入ってくれているおかげ。
その点あたしは、自室の机に向かっていたり、部活の帰りにみんなと別れた後の公園のベンチだったり、――昨日みたいに電車の中だったり。目が覚めたときの状況判断が必要なシチュエーションばかりにしてしまっている。
反省しなくちゃ。
一応、姉なのに。
ごめんね、美夜。
そんなことを考えながら。
あたしの意識は、脳細胞の中央に引きずり込まれるように。
深く、深く、奥深く沈んでいく――――。
残念、タイムアップ。




