6-4. ショーマ・ソーマ・ユーマ
「話を続けるからな」
「ちょ」
「ん?」
「……や、別にいいわ。続けて」
あたしの疑問くらい解決してくれたってバチはあたらないと思うのだけど。もっとも、ここであたしが口を挟むことも無さそうな気も同時にしてくる。ここはおとなしく桜木に主導権を持たせたままにしておいた。
「次は、その幼稚園に入ったくらいの頃だったかな……」
そこまで元気になったということであれば、先の話からは1年程度は経った頃合いなのだろうか。今ではこうして太々しいくらいの態度を取っているくらいなのだから、一応は良かったと思っておく。
「どういうきっかけでそういう話の流れになったかはオレも知らない。……だいたい、仲が良い友達のことというか、交友関係を先生が知りたがったんだろうな。その幼稚園のお友達が、あるとき先生に言ったらしい。『え、せんせーなに言ってるの? あれ、ソーマだよ?』って」
――なるほど。『おともだち』という定番フレーズには少しだけ、ほんの少しだけ笑いそうになる。
「『ショーマくんでしょ?』と何回訊いても『ちがう、ソーマだ』と言ってたらしい。そこまで頑固な子じゃないはずなのにと思った先生は、最初はその子が構音障害系の発声問題を抱えているのかと思ったみたいだ。でも調べていくと、その子だけじゃなくて他のオレと仲が良かった子みんなが『ソーマ』という」
「つまり、それくらいの時期にはもう『桜木壮馬』が生まれてたのね?」
「そうだな」
「しかもその感じだと、ほとんど前面に出てきてた雰囲気もあるけど」
「どうなんだろうな」
さすがにその頃の記憶は曖昧なのか、桜木は少し考えながら言葉を続けた。
「当時は年賀状とかのやりとりもやってたけど、その宛名はみんな『さくらぎそうま』になってたから、結構な頻度で使う機会はあったんだろうな」
もしかしたら、その頃から既に桜木への配慮のようなモノがあったのかもしれない。幼稚園入園の際には、そのような過去があったことくらいは、内々に保育士たちに伝えられていても不思議では無い。この子を引き取ってここまで健やかに育てた養父母という存在を考えれば、何かしらのトラウマにでも触れてしまわないようにといくつか伝えていたことがあっても、何らおかしなこととは思わなかった。
とにかく、幼稚園へ行き始めたことか、あるいは親戚の家に引き取られたことがきっかけなのか。詳しい原因はわからないが、少なくともそれらが契機になって――。
――『桜木翔馬』を捨てようとした。
それは、事実なのかもしれなかった。
「……『桜木壮馬』については、それなりにわかったと思う。じゃあ、『駒園優馬』の方はどうなの?」
――パチンっ。
フィンガースナップ。要するに、指パッチン。
――そうじゃないわよ。
「何それ」
「いや、まぁ。『ご明察』的な雰囲気を醸し出そうと」
「あ、そう」
ウケでも狙ったのだろうか。重苦しい話であることなんてこっちは重々承知している。何ならあたしだって、こういう話を聞き出すような腹づもりでいたわけで。だからこそ、適当な気持ちで受け流すようなことなどするつもりはなかったが、桜木としては聞き役のあたしたちまで深刻になる必要はないと思っているのかもしれない。
だからと言って、今更膝を崩すようなことをしたくはなかった。
ずっと話を続けている桜木がカフェオレに口を付けた。ずずっと啜るような音がする。見れば丁度残りを飲みきったところだった。
「おかわり、いるかな?」
「あー……えーっと、コーヒー系以外っていただけますか?」
やはりスベった雰囲気は理解しているらしい。少し恥ずかしそうに桜木は言う。
「ホットミルクで良ければ」
「では、それで」
もう刺激物に近いモノは回避した方が良い時間帯かもしれない。あたしもカップもいつの間にか空になっている。おじさんと目が合って、カップは回収されていった。目は口ほどにものを言う、とかいうヤツなのだろうか。帰ってきたおじさんの手にはホットミルクがたっぷり注がれたカップがあった。
「……おいし」
――あったかい。
ホッとするからホットミルク。お後がよろしいようで。
――これもきっとおじさんの所為だ、きっとそうだ。
「続き、イイか?」
「よろしく」
脳内でのくだらない会話を止めたあたしの返事に、桜木は大きく頷いた。第2章開幕と言ったところだろうか。気を取り直すための咳払いをひとつ挟んで、桜木はまた話し始めた。
「……で、幼稚園の先生が『ソーマ』についてオレに話を聞こうとしたところで、また倒れたんだと。かなり繊細に取り扱おうとしてはくれたらしいんだけどな……」
「……仕方ないんじゃない? その、何ていうか、当時のアンタにとっては触れて欲しくないところだったんだろうしさ……」
「まぁ、そうかもしれないな」
過度なストレスから来る緊張状態に耐えられずの反応、みたいなモノなのかもしれない。そういう外圧に対して、当時幼稚園生であった桜木が耐えられなかったとしても何ら不思議なことは思えなかった。
――あたしなら、どうだろうか。
考えただけでも寒気がしてくる。今にも、寒空の下に放り出されたときみたいに、奥歯が噛み合わなくなりそうだった。
「他の子よりもオレのことを気にはかけてくれていたらしい。過去にいろいろあったっていうのももちろん要因としてはあるんだけど。子供達とは仲良く遊んでるし、何だったらかなりうるさいガキンチョなのに、大人相手になると途端におとなしくなるから」
中にはきっとそういう子もいる。――事前知識として桜木に関する話を耳に入れていなければそう考えて、それっきりにしてしまったとしても不思議では無い。実際、大人への対応なんて千差万別だ。同年代以上に馴れ馴れしく寄っていくタイプの子も居れば、警戒感を隠そうともしない子も居るだろう。
ただ、桜木に関して言えば、それはきっと大人への潜在的な恐怖心に依るものだろう。誰が考えてもそういう結論に行き着きそうだ。物心が付く前、いくらその頃の記憶が定着しきっていないとは言え、あくまでも定着していないだけ。心や脳の奥底にこびりつくように残った恐怖心や不安感は、簡単に拭い去れるものじゃない。
「それで、結局帰りのバスの時間を越えても寝たままで、当然オレの養父母が呼ばれて、しばらくした後に目が覚めたオレは、自分のことを『ユウマ』だと言った……ってわけだ」
大きなストレスを感じてしまったそのときの桜木は、防衛反応のひとつとして、親代わりの親類が同席していてもそれを安心の材料にすることはできなくて。その結果、自分を守るための新しい人格を表に出してきた
「その『ユウマ』、いつもの大人相手の対応でもない、年長さんでもない、たとえるなら小学生みたいな応対をしたんだとさ」
大方4つか5つくらいは年上の子のような反応。大人びて見られるような言動。
それは何となくだけれど、比較的簡単に想像が付くものだった。
「ということは、つまり……」
「ええ、そうです」
一度、桜木は大きく息を吸った。
「要するに、『桜木壮馬』と『桜木優馬』は、オレ……つまり『桜木翔馬』の別人格ってこと」
結局、似たもの同士なのかしら。




