6-2. 3人目の男、駒園翔馬
こんな大事なタイミングで噛んだりする――わけがない。はっきりと自分の名前を告げた桜木の顔を見れば一目瞭然だ。どんなニブチンだって分かるくらいに、真剣な顔をしていた。この顔で嘘が言えるようなヤツは、役者か、あるいは相当なヤバイ神経の持ち主かのどちらかだろう。
「は? え、アンタ何言って……」
ただ、そんなことを言われても、俄には信じられないというのも、きっと人情だと思う。あたしは、自分の喉が密かに震えるのを感じながら、何度か声を絞り出す。
「馬が空を翔ぶと書いて『ショーマ』。頭の片隅にでも留めておいてほしい」
「え、ええ……」
平然と言われてしまい、完全に圧されたようになったあたしはおとなしく頷く。
「いや、そうじゃなくて!」
が、そうして頷いてしまってから、慌てて言葉を継ぎ直す。そうじゃない。コイツの話をただただ受け取るために、いっしょにココに来たわけではないのだ。
しかし、あたしがいくら大きな声を出しても、桜木は表情をほとんど変えない。少し微笑んでいるようにも見えてきてしまって、ペースはほぼ完全に桜木のモノになってしまっているようだった。
「学校では『桜木壮馬』ってなってるからな。栗沢がそう思うのも当然だ」
「そ、そうよ。テストにだって、アンタはそうやって名前書いてたし、学校から渡されてくるプリントにだってそう書かれてたし、学校から配られた名前のハンコだって『桜木壮馬』だったでしょ」
それは間違いない。学級委員としていろんな名簿を見る機会もあったし、何より今季は桜木も副委員長としていっしょに活動をしてきた。あらゆるところに書かれていた、そして桜木自身が自分の手で書いていた名前はすべて『桜木壮馬』だった。
「まぁ、な。今の学校に通い始めてからはその名前で通しているから、当然なんだけどな」
また、コイツは。意味深なことをこっそり織り交ぜながら話しよる。
どういう意味なのか測りあぐねているあたしを他所に、桜木は一度あたしから目を逸らす。そのままおじさんをその視界に留める。そして、静かに、そして丁寧に頭を下げた。あたしたちが「え?」と言う間も与えずに、謝罪を始めた。
「マスターも、ですね。『駒園優馬』って名前をお伝えしてましたね。嘘ではないのですけど正しいとも言いづらいモノなので、それは素直に謝らなければいけないです、本当に申し訳ないです」
「あ、ああ……」
――駒園?
また耳慣れない言葉が桜木の口から出てきた。駒園、なんて。名前の方の『優馬』はともかく、苗字の『駒園』なんてそんなことどこにも書いてなかったし、聞いた覚えもない。
「……ということは、年齢も」
「はい、栗沢と同じく、15歳。今年受験生というか、今し方受験を終えて戻ってきたところです」
「そ、そうだったか……。正直、いつもすごく落ち着いていたから、全然違和感が無かったんだよ」
「え、コイツ、自分のこといくつって言ってたんですか?」
「18歳……だったよね?」
「ええ」
「へぇ……」
少なくとも嘘ではない気はする。普段こそ口やかましいヤツだが、少々落ち着いた態度を取れば案外大人びて見えるようなところはあった。それ故、時々クラスメイトや部活の同期あるいは後輩なんかが『あの人、何かイイよね』と言っていたりするのも聞いていた。――当然あたしは、『趣味が悪いな』なんてことをこっそりと思っていたし、絶対コイツの耳には入れたくないなぁなんてことも思っていたわけだが。
「正直なところ、そういう細かいところを見て雇ってはいなかったんだよなぁ……」
「え」
ちょっと、聞き捨てならないような言葉が聞こえたような気がする。
「おじさん……?」
「ウチはバイトさんを入れてるわけじゃないだろ? 最初はどうしようかと思ってたんだけど、それでも手伝わせてくれって熱心に行ってこられたら、さすがに拒めなくてな……」
「おじさん、それはさすがに人が良すぎる」
「……反省します」
マンガのキャラくらいわかりやすくシュンとなる航輔おじさん。たしかにそういうわかりやすいところは航輔おじさんのイイところではあると思うし、だからこそそういう為人に惹かれたお客さんが結構来ているわけだし、たとえ急に店をクローズにしても文句を言われなかったのだろうけれど。いくら何でもそれは危険だと思う。
「困ってたのは事実だし、マスターはそんな俺を助けてくれたんだ。栗沢も、あんまりおじさんを悪くは言ってあげないでくれ」
「……分かったわよ」
そこまで悪し様に詰る気は元々ない。だけど、少し言葉はキツかったとは思う。普段の桜木とは全く違う言い方に、思わず反省してしまった。
「簡単な話、『桜木壮馬』は通称名なんだ。本名……というか出生名というのかな、それに近いのが『駒園翔馬』だ」
「え、苗字も?」
「ああ、そうだ」
そんなことができるのか、と思ったが、桜木が直ぐさま説明を入れてくれる。何かしらの正当な理由がある場合で、その人が本来の名前とは異なる名前――これを通称名とする――で生活をしている際に、その通称名に改名したりすることができるという。
それでも、出生名に近いという言い方には引っかかるが。
「……な、なんで?」
じゃあ、桜木はいつから『桜木壮馬』なのか。本当はそうやって丁寧に聞くべきところを、あたしはそれはそれは雑な訊き方をしてしまった。でも、きっと仕方ないと思う。間違いなく、今のあたしは動揺しきっていた。
……「3人目」です。
というか、彼こそが1人目ではありますが。




