5-9. 緊張とうまく付き合う方法
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『あの日』以降、私は必ずおじさんの車で家まで送られることになっていた。少々後処理などに時間がかかってしまった場合でも、私は店内でおじさんの支度が整うまでは待機である。勉強でも日記でも付けていれば時間を持て余すことはないので、その辺については問題はなかった。思えば最初からそうしていればよかった、と全員で反省した次第だ。
あれから数日経って、あの時の人と思われる男は巡回中だった警官に確保されたらしい。あくまでも『らしい』のであって、確定ではない。それでもその日以降は不審者の目撃情報は無くなったので、その可能性は高いだろうという話だった。
不審者なんていう者は少々叩くなどして刺激を与えられれば、すぐにいろんなところから出てくるものだ。たまたま捕まった男と私たちが遭遇した男が同一かどうかは不明だった。
――『ここからならそれほど遠くないので、そこまでしていただかなくても大丈夫ですよ』
当初ユウマさんはおじさんの提案をそう言って固辞していた。が、私と同じく学生である彼を危険に晒してしまったという反省からおじさんは頑として首を縦に振ることは無く、最終的にユウマさんが折れるカタチで決着した。
「それにしても、ありがとうねユウマくん」
「何がですか?」
「お守り。美夜ちゃんにプレゼントしてくれてさぁ」
車に乗り込むなり、おじさんはそう言って話題を振ってきた。
「美夜ちゃんのことですし、お守りなんて無くても大丈夫かなとは思ったんですけどね」
「本当にユウマさんって、ムダに私への評価が高いですよね」
「いやいや、普段の姿を見せてもらってたら誰だってそう思うよ」
呆れ半分でそう返すが、ユウマさんはそれでも折れない。まったくタフなハートの持ち主だと思う。打っても撃っても壊れないどころか、鉄みたいに叩けば叩くほど丈夫になって良い音を出してくるみたいな、そんな印象すらある。
そんな話もそこそこに、ユウマさんの家の前に着いた。車だと一瞬とも言えそうだが、歩きならそうでもないはずの距離。況して今は冬。車道も歩道も抜かりなく雪道だ。足下も良くないし、路脇の雪のせいで視界も悪くなっている。やはり車に乗るのが賢い選択だと思う。
「マスター、今日もありがとうございます」
「こちらこそだよ。明日もまたよろしくね」
「はい」
言いながら車を降りそのままドアを閉める――かと思ったが、ユウマさんは再び顔を車内に見せてきた。何だろうと思っていれば彼は私を見て微笑む。
「明日、がんばってね」
――何を言うかと思えば。
「わざわざ、そんな風に言うんですか」
「え?」
「ちょっとだけ、キザですね」
恰好をつけようとしているのか、それとも彼の自然な行動なのか、よくわからない。
「あ、良かった。笑ってくれた」
「え?」
「じゃあね、おやすみなさい」
それ以上の私の反論をシャットアウトするみたいに、ユウマさんはドアを閉めて自宅へと向かっていった。小さいながらも声まで出して笑いながら、彼はどこか言いきったというような顔でとても満足そうだったが、その煽りを受けたような私はとてもモヤモヤとした気分になる。
まったく、何なんだあの人は。人をそんな気分にさせて何が楽しいのだろうか――。
「ユウマくんは、美夜ちゃんのことを分かってるなぁ」
「どこがですか」
おじさんは暢気なことを暢気な口調と暢気な声色で言ってくる。本当に、どこかだ。何を見たら、どこをどうみたらそういう感想に思い至るのか。小一時間問い詰めたいような気分にもなる。
そんな気持ちをバックミラー経由の視線に込めてみると、おじさんもそれに気が付いたようで、事も有ろうにユウマさんとよく似た薄笑いを浮かべて続けた。
「きっとユウマくん、美夜ちゃんが緊張しているように見えたんだよ」
「……え?」
何を、言っているのだろう。カンタンな日本語のはずなのに、私はおじさんが言ったことを理解するのに3秒くらいはかけてしまったような気がする。
緊張、だって? 私のどこを見たら緊張しているように見えたのだろう。試験は明日だ。今から緊張したって仕方が無いことは明らかであって、況してやそんなものを前日から態度に出すなんてことをしているはずが――。
「顔、さっきから硬かったよ?」
「え、……そんな、冗談ですよね?」
「あっはは。表情筋が硬くなってるのに気が付いていないんだったら、それは間違いなく緊張してるよ」
おじさんは朗らかに笑う。言われて自分の頬を触ったり揉んだりしてみるけれど、そんな感触はない。またそうやって、おじさんは私をからかっているのだろうか。
「別におかしなことじゃないよ? 誰だって試験が近付けば緊張するもんさ。それが前日からならマシなくらいだよ」
「そう……なんですか?」
「美夜ちゃん、『本命の受験』って初めてでしょ? そういうモンだよ。だいぶ昔の
話だけど、おじさんだって高校、大学と受験はしてきたけど、やっぱり本命校の受験は緊張したさ」
目から鱗。この界隈ではほとんどの高校受験生は公立高校が本命。今までおじさんの口から直接的にこういう話が出てきたことが無かったので、思わず聞き入ってしまう。少なくとも実体験に基づくモノは聞いて損は無いと、私は信じている。
「だから、緊張するのは当たり前。自分だけじゃなくて、試験会場の隣も、前も、後ろも、同じ部屋の子も、違う教室の子だって同じだ。もちろん美夜ちゃんが受ける学校を受験する子だけじゃない、他の学校を選んだ子だって同じ。みんなそうなんだ、って考えて行けばこれっぽっちも問題なんてありゃしないもんだよ」
なるほど、と内心納得する。だけど、その納得感は声として出てはこなかった。耳で聞いて、アタマで理解して、そのまま腹の中に落ちていく。そういう過程を経た結果だった。
「でも、そうは言っても、全然緊張しないっていうのも返って危ないモンでねえ」おじさんは微笑みを絶やさずに続ける。「適度な緊張感を持って挑む受験の方が案外良かったりするモンだよ?」
「そういうものなんですか」
「ん。そういうモンだ」
「……」
「だから、いつも通りやってきなさい」
いつも通り、とは。
「『練習は試合のように。試合は練習のように』って聞いたことは無いかい?」
「……一応は」
辛うじて、聞いたことがある。
「それで行けば、きっと……? いや、絶対に、大丈夫」
静かに車が止まる。見れば、いつの間にやら窓の外には私の家が見えている。
「明日は、がんばれよ?」
「……はい。……ありがとうございます、おじさん」
「うん」
私の返しに対するおじさんの満足そうな笑みに後ろ髪を引かれながら、私は車を降りた。
大学入試共通テストの1日目にこんな話を公開することになるとは思ってなかった。




